ありえない時間にアラームがなった。止めてすぐ二度寝しようと伸ばした手が視界に入って、何でこんなに早く鳴らしているのかを思い出した。
「そうだった……俺いまふぅふぅちゃんなんだった」
そう言う声はちょっと鼻が詰まっている気がするもの、聞き慣れた彼のもので、まだ戻ってないのかとこめかみを軽く押さえた。
全然寝足りない身体を起こして、アラームアプリを落としてみると、ポップアップで動画が立ち上がったままになっていた。眠くなるまで、と、彼の動画で話し方や挨拶の仕方を見ていて、そのまま寝落ちちゃったみたいだ。
昨夜コラボをやってから翌朝にまた配信するなんて、早起きになれてない身体にはきつすぎる。
起きてるか、と寝室を覗きにきたふぅふぅちゃんに頷くと、「散歩に行ってくる」と言われたので手を振って見送る。準備に手間取ることを考えるとギリギリの時間での起床だった。
今日はRPGゲームの続きで、昨夜のコラボよりも落ち着いた雰囲気で進められる。それはそれで、眠くならないように気をつけなきゃいけないので、いつもよりもコーヒーを濃いめに入れておいた。
彼にしてはきっと短い時間だろうけど、どうにか配信を終えて、ベッドに倒れ込んだ。うつらうつらと意識が浮上したり沈んだりしている中、彼の声が聞こえる。
浮奇、と彼の声で呼ばれる。キッチンで、彼が振り向く。ストレートの髪に、赤い腕が見える。いつもの柔らかい声で俺の名前を呼んで、目を細めて笑う。
「浮奇……浮奇?」
「へぁ……?」
「悪い、ちょっとマイクの設定で聞いても良いか」
「……」
ふぅふぅちゃんの夢を見ていたのに、クソ眠い中、自分の顔と声に起こされてる。なにこれ。
「浮奇? 起きられるか?」
もう一度肩を軽く叩かれて、意識がはっきりとしてくる。覗き込んでくる顔はすごく困った顔をしている。ふぅふぅちゃんが、困ってる。
「あぁ……はい……」
頭はまだ重たいけど、状況は理解できた。開かない目を擦りながら、ゆっくりと身体を起こす。
「寝てるところ申し訳ない」
「んん……へいき……そろそろ起きなきゃと思ってたし」
「そうか……?」
見た目は確かに俺なんだけど、心配そうに眉を寄せたり、気遣うような声をかけてくるあたりに、ふぅふぅちゃんの存在を感じて、少し安心する。昨日から慣れてきたせいかもしれないけど、違和感が薄れてきている気がする。かといって、自他共に暗示はまだかかったままなんだけど。
彼と一緒に俺の部屋で配信の準備をしてから、晩ご飯の準備でもしようかと思っていると、リビングの床に大きな毛の塊と、小さな毛の塊がくっついて丸まっていた。
「わぁ、いいなぁ」
俺も混ぜてもらおうと、近づいて膝をつくと、うきにゃはサッと立ち上がってしまった。そして、俺から目を離さないままに数歩距離をとると、早足に廊下に出て行ってしまった。
本当の名前でも呼んでみたけど、振り向きもされなかった。
「あぁ……」
行き場のない手を、大人しく寝ていた子に乗せると、くりくりの黒い目がこっちを見てきた。
お散歩の後にブラッシングをしてもらったのか、引っかかりが少ない毛を撫でていると、大きな暖かい身体がすり寄ってきた。
「犬くん……いいこ。ありがと」
うきにゃも犬くんも本当の名前があるのに、ふざけて呼んでいたら、いつの間にか二つ目の名前にも反応するようになってしまった。「呼んだ?」と頭を傾けてくる彼の耳の後ろを掻いてやる。
身体を寄せてくれる優しい子がいるのに、俺はまだ寂しくて仕方がなかった。
うきにゃに甘えて貰えないのもそうだけど、催眠がかかっちゃってから、ふぅふぅちゃんといつものように触れあえてないのも寂しい。
昨日の夜は同じベッドには入ったけど、お休みのハグもキスもなかった。まぁ、俺も起きてからの配信で頭がいっぱいで余裕がなかったんだけど。
お互いにこの状況を乗り切るので精一杯で、いつものスキンシップが減っているのは、仕方がないとはいえ、暗示に少し慣れてくると寂しいものがある。さっきあんな夢を見たからか、余計に気になってるのかも。
そんなことを考えていると、ふぅふぅちゃんがリビングに入ってきた。
「浮奇、おかげで上手くいった。ありがとう。これで今日の浮奇の配信も大丈夫そうだ……どうした?」
床に座ったまま、無言で手招きをすると、ふぅふぅちゃんは素直に床にしゃがみ込んでくれる。
「どうした」
「ふぅふぅちゃん……」
「おっと……待て」
「なんでぇ!」
そのまま首に腕を絡めても、ふぅふぅちゃんはそっぽを向いてしまう。腕が胸に当てられていて、これ以上距離を詰められない。
「手ぇどけてよ」
「あのな、浮奇」
「キスするだけだからどけて」
「……頼む、勘弁してくれ」
「どうして!」
「頭ではお前だってわかってるけど……自分のうっとりとした顔が迫ってくるのはなかなかにキツい」
失礼なことを言ってから、ふぅふぅちゃんは俺の腕から抜けて、廊下に逃げていった。
「うっとりなんかしてない! ばか!」
どうしようもなくテンションが下がるし、うきにゃは俺がいるとご飯を食べてくれないし、自分で作った野菜炒めはなんだか美味しくなかった。今日は早々にお風呂に入るとベッドに潜り込んだ。
でも、こうやってふて寝をしたいときに限って、全然眠くならないんだよね。昼間の眠気はどこにいったの、マジで。
三十分くらい目を閉じて待っていたけど、そのうち諦めてスマホでSNSや動画を見て過ごす。一時間が過ぎて、二時間が過ぎて、うっかりいつも使っているチャットアプリのメンションに返信を打って「配信中じゃないの?」と突っ込まれてしまいアプリを閉じて枕に頭を落とした。
目を開けていると、隣に空いたスペースが見えて寂しいのでまた目を閉じる。
あの後、配信前にもう一度キッチンで彼を捕まえたので説得を試みたけど、それも失敗に終わった。
「俺になりきってよ。どうせこの後配信なんだし、ちょうどいいでしょ?」
「浮奇……」
「ちがうでしょ? ふぅふぅちゃんって呼んでみて」
「そんなことしたら、ますますややこしい」
「いいから」
「……はぁ……ふーふーちゃん」
「! へへ……」
ごねた俺に折れて、一度は従ってくれたものの、その後、俺が「うきき~愛してるよ」と言って顔を近づけると、ひどい顔をされて腕を突っ張られてしまった。
「あっ、ちょっと、」
「お前は…………何故、俺を、好きなんだ……?」
「急に落ち込まないで!」
その後、「つらい」と言ったきりふぅふぅちゃんは離れていってしまった。
普段のロープレ好きはどこに行っちゃったんだろう。今が一番の使い時なんじゃないの、それ。
もやもやとそんなことを思い出していると、カタン、と廊下の方で物音が聞こえて現実に引き戻される。バスルームで水が流れる音がしはじめた。
しばらくすると、そっとベッドルームの扉が開いて空気が動く。目を閉じたまま寝返りを打って、入り口には背を向けて横になっていると、ぎしりとマットレスが沈んで、肩に手を置かれた。いつものように、親指が気遣うように撫でてくる。
「……浮奇」
「……」
自分の声なのに、胸に馴染む呼び方を、される。
どうやってるんだろう。ずるいよそんなの。
「……なぁに」
「まだ怒ってるのか?」
「怒ってない」
ご機嫌なわけじゃないけど、怒りとも違う気持ちを抱えたまま返事をすると、ふぅふぅちゃんはしばらく静かにしていた。
慣れない配信をして疲れただろうし、もう寝るだろうな。そういえば、まだ彼を労っていなかった。少し身体を後ろ倒しにして、背後にいる彼を見上げた。暗い中、彼の顔が見える。
「……なんでそんな顔してんの」
「……目を」
眉間に皺を寄せたまま、ふぅふぅちゃんは続けた。
「目を閉じてるから、浮奇からしてくれないか」
「!」
急いで身体を起こす。
ふぅふぅちゃんは宣言通り、かたく目を閉じているので、軽く彼の腕に手を当ててから、ゆっくりと顔を近づけた。
よく知った唇の感触に、固まっていた胸の真ん中あたりが、ふわっと緩むのを感じる。
何度も口の端や下唇に自分の唇を当てていると、ふ、とふぅふぅちゃんの肩から力が抜けた。
「……浮奇のキスだな」
「当たり前でしょ……ずっと俺だよ」
わかってる、とふぅふぅちゃんの息が唇に当たる。
情けないけど、二日分の不満や不安がいまので刺激されて、目が潤んでくる。
「ずっと俺なのに……」
「わかってるけど……視覚情報っていうのは、思っている以上に影響を与えてくるものなんだぞ」
「んー……」
そもそも自分が寝ぼけて暗示をかけてしまったせいなので、早く慣れてよなんて言えない。口をとがらせていると、ふぅふぅちゃんが目を閉じたまま頭を動かして、頬や耳の下にキスをしてくれるので、嬉しくなって彼の首に腕を回して横に引き倒した。
「おっと、」
「もう今日は離さないから」
「……」
ぎくりとまた固まってしまう身体に脚を絡める。
「キスとハグだけでいいから! ちょっとくっつかせて……俺が寝るまでで良いから。ね?」
それなら、と腰に回ってきた腕に、つい嬉しいため息をつく。
「目、開けないでね」
「わかってる」
「目覚ましかけた?」
「掛けた」
「んふふ……」
「ぐぅ……浮奇、」
「ごめん、わかった、黙る」
俺が嬉しそうな声を出すと、ふぅふぅちゃんが苦しそうに呻くので、慌てて「黙るから」と彼の背中をポンポンと叩く。
「困ったなぁ……喜ぶとふぅふぅちゃんが離れていっちゃう」
「っていうか……浮奇は順応性が高すぎるだろう」
「そうかな?」
そんなことないと思うけど。まぁ、自分の顔にキスをしにいくのはちょっと変な感じはしたけど、してしまえば見えないし。
後ろ頭にふぅふぅちゃんの手が回ってきて、髪に指を絡めてくるのが心地良い。
ぴったりと顔を彼の胸にくっつけていると、耳が温まってくる。ようやく少しだけ眠くなってきた。