未定 アーモロートに聳え立つ摩天楼の一棟。アゼムに用意をしてもらった部屋に案内をされたコレーはドキドキと足を進める。古代アラグ帝国よりも発展しているであろう文明に胸が高鳴り、自分では到底理解の及ばない魔法の技術が込められた建築に感嘆のため息が溢れるばかりだった。以前第一世界の海の底、エメトセルクの創り出した虚構のアーモロートを見たことはあったが、それとは違う、今実在する場所として目にできる事がとても嬉しかった。
「広い部屋を取っておいたから自由に使って。私はこの後明日の会議の準備と君を帰すための術式探しに行ってくる。明日の会議は君もカピトル議事堂に来てくれるかな? 場所はわかる?」
部屋の前までコレーを案内したアゼムは仮面の下から微笑むとコレーにも明日の十四人委員会の会議への出席を求めた。緊張はするけれど一応自分も当事者のためコレーは頷いてエメトセルクのアーモロートを思い出す。あれと違わないのであれば場所はわかる。
「重畳。それじゃ明日までゆっくり休むんだよ。君のお願い事もその通りにしておいたからよろしく」
よしよし、とコレーの頭を撫でるとアゼムは手を振り、部屋を後にした。そういえば自分は仮面やフードは着けなくていいのか尋ねたのだが「使い魔だしいいよ!」と返された。本当だろうか? エメトセルクにバレたのならまた拳骨を喰らいそうな気がする。
部屋の認証は自身のエーテルでできるらしく、鍵は要らないと説明をされた。そのため他の人間が入って来ることも無いから安心してくれと言われている。
どれほど大きな部屋だろうかと扉を開けると、
「……ヘルメス…?」
「…コレー…?」
そこにはヘルメスが居たのだった。仮面もフードも着けていたが、それがヘルメスだとすぐにわかった。コレーは言葉を失い何か間違いが起きたのかと考えるが、この部屋は自分のエーテルで認証をされているので正しく自分の部屋である。ヘルメスも何が起きたのかとコレーを凝視している。
「ここ、ヘルメスの、部屋?」
「そのはず、だが……すまない、何か手違いだろうか」
先ほどきちんとエーテル認証は済んだはずだ。それならばこの部屋がヘルメスとコレー、両名で登録されていたことになる。
「でも、鍵はちゃんと認証されてたしアゼムが用意を…あ!!」
突然大きな声をあげたコレーにヘルメスは驚き少し跳ねる。
「まって、わかったかも……あの、私のせい……かもしれない。」
コレーはこの状況に心当たりがあった様で両の手で顔を覆う。部屋を取ったのはアゼムなのに?とヘルメスは首を捻る。
「私、ヘルメスが落ち込んでないか心配で……アゼムにもしよければヘルメスに会いに行ける部屋を取って欲しいって頼んだの……まさか、まさか、それであの人同じ部屋に…!!」
(君のお願い事もその通りにしておいたからよろしく)
確かに彼女はそう言った。
ちょっとした気遣い、心配だからヘルメスの様子を見られる様に、そんな気持ちで頼んだお願いだったのだ。それなのにアゼムは何を勘違いしたのか、それともよくわからない気を利かせたのか、あろうことか二人に同じ部屋を手配したのだ。
確かに部屋は広く、扉で仕切られた寝室も複数あるようだがそういう問題ではない。
「ごめんなさい、私アゼムを探しに行ってみる。見つからなかったらそのまま外に出て明日まで過ごすからヘルメスはゆっくり休んで」
「待ってくれ、君こそエーテル酔いを起こしていたのだから休まないと駄目だ! それなら自分が外に」
焦ったコレーは部屋を出て行こうとするがヘルメスは慌てて静止する。そして自分の方が外に出ると提案するがコレーは首を横に振った。
「ヘルメスはメーティオンがいるから外は駄目」
「だがいくらアーモロートが安全な都市だとしても野宿なんてさせられない。大人しくこのまま休んでくれ」
すこし抜けているところがあるけれど、ヘルメスはどちらかと言うと頑固な方で一度決めたことは貫き通すタイプの人間だ。なので彼はきっと自分をを外へは行かせないだろう。コレーはそう理解してドアへと向けていた体を振り返る。口を結び、何か反論を探したが何も出てこなかった。
「…………じゃぁ、このまま奥の部屋を借りるね……ごめんなさい」
しゅん、と耳と尾がしなだれてコレーはヘルメスに謝るがヘルメスは苦笑しながらコレーの肩に手を添えた。
「君のせいではないから気にしないでくれ。大丈夫、自分が新しい部屋を取りに行ってくる」
「でも、メーティオンの事一目につかせない方がいいよね?」
「……ああ、それは、そうだ」
アゼムに聞いたところ、ヘルメスの移動にも気を遣ったらしい。今のメーティオンはまだどうなるかもわからない状態で意識の有無も彼にかかっている、と。ヘルメスがこの部屋から動くことはあまりすべきではないのだろうと思いコレーが尋ねると、ヘルメスは目を伏せて頷いた。
「一晩だけ同じ部屋でもいいかな? 奥の部屋で過ごすようにするから」
「……君が、それでいいのなら」
ヘルメスは何か言いたげだったが、コレーが納得しているのならば自分はそれで構わないと答えてくれた。
「ありがと」
少し居た堪れない。自分のせいで面倒な思いをさせてしまうけれども一晩だけ許してもらおう。コレーはヘルメスに礼を言うと、奥の一室を借りることにした。
「部屋着?」
用意されていた部屋に入ると一般的な宿屋と同じぐらいの広さがある部屋だった。こちらの部屋にもシャワールーム等一通りの設備はついていてホッと胸を撫で下ろす。今後その機会があるかはわからないけれど、アゼムに余計な事を頼むのはやめようと心に決めて部屋の中を見て回る。
ベッドの上に用意されていた衣類はどうやらこの時代の部屋着のようだ。ソピステスローブのフードとケープが取り払われたようなデザインでとても手触りが良かった。
一人になってようやくこの数日の疲れが身体に襲ってくる。思えば、ヘルメスとメーティオンに再会してメーティオンが共通意識に取り込まれてしまってからほとんど休む事なくここまで来たのだから。本当はすぐにでもベッドに横になりたいところだが、シャワーを浴びてからにしよう。部屋着と同じく、部屋に用意をしてくれていたふわふわのタオルを手にしてコレーはシャワールームへ向かった。
身体も温まり、清潔な服に着替えたコレーは大きなベッドに寝転んだ。服のサイズが合わないかもしれないと思ったが魔法で勝手に自分のサイズに合うようになっているらしい。そのまますぐに眠ろうと思ったがどうやらシャワーで少し目が冴えてしまったようだ。数度瞬きをして起き上がる。そしてヘルメスとメーティオンのいる部屋に続くドアをノックしてそっと開いた。
「ヘルメス、おきてる?」
コレーが小さな声で呼びかけるとまだ就寝をするつもりがなかったのだろう。仮面をつけたままのヘルメスが椅子に座っていた。コレーの声に反応して顔をむけてくれる。
「ああ、起きている。何かあったかい?」
「何かあったわけじゃなくてね、その……目が冴えちゃったから明日のこと聞きたくて。そっちに行ってもいい?」
「かまわない」
本当はヘルメスの様子が見たかった。まだ決まったわけではないがメーティオンの姉妹達を今のこの世界で回収することは、おそらくできないだろう。そして共有意識の絶望に取り込まれてしまったメーティオンをどうやって救い出すべきなのか。ずっとその事を彼は思案しているのだと思った。自分が何か具体的に良い案を出せるわけではないけれど、それでもなんだっていい、一緒に考えたかったのだ。
部屋に入ってもいいかと尋ねると頷いてくれる。コレーがヘルメスの対面の椅子に座ろうとした時、彼の膝の上にメーティオンがいた。あの時からずっとメーティオンの色は黒く絶望に灼かれて意識を無くしたままだった。
「委員会の会議についてだろうか? 場所は自分が案内する」
「ありがとう。……メーティオンは、大丈夫? つらそうにしていたり、何か変化は」
コレーがメーティオンに目をむけて尋ねると口を結び、ヘルメスは俯いた。
「意識を無くしたままだ。ずっと、この色のままで」
仮面に阻まれて彼の目元の表情は読み取れないけれどもきっと、辛い顔をしていることはわかる。そもそも、最初に彼の姉妹達を消すべきと提案したのは自分なのだ。良い感情を自分に抱いていないのかもしれない。コレーがヘルメスにかける言葉を探していると、先にヘルメスが口を開いた。
「いろいろな事を考えていたんだ。造物院でのことも」
「……もしかして、私達が途中で戦った創造生物達のこと?」
コレーが尋ねるとヘルメスの口元が噛み締めるように歪んだ。
「自分がしたことは、虐殺だった。死ぬ必要のなかった生物を君たちにけしかけて……自分が、命を奪った。それなのに彼らをあのままにして……」
襲ってきた創造生物達を斃したのはコレー達だが檻の扉を開けて嗾けたのはヘルメスだ。その時は何があっても、何を犠牲にしても、メーティオンの声を聞きたかった。それほどに必死でなりふり構っていられなかった。だが、そうだとしても創造生物達を死なせていい理由がある筈もなくて。
「どんな理由だとしても許されない。自分のした事は……」
人であれば罪に問われ、罰を与えられる事もあるのだろう。けれども、創造生物を死なせたところで今のこの世界が彼を罪に問うて、命のあり方をそう簡単に考え直すとは思えなかった。きっと彼もそれを理解している。だから苦しいのだ。
あの創造生物達を哀れに思い、悼むことができる人はこの世界には……あまりに少ない。
「……私は、この世界の法を知らないから、あなたが裁かれて償いをするのかもわからないけれど」
重んじていた筈の命を、自分の為に蔑ろにした。
「死んでしまった創造生物達のために出来ることがあるとするならば、あの子達を忘れないでいる事だと思う」
俯いていたヘルメスがゆっくりと顔を上げる。また彼はあの泣きそうな、苦しい顔をしているのだろうか。今は仮面をつけていて目元の表情が読み取れない。
「……忘れ、ない」
「自分が何をしたのか、どんな子達だったのか、どんなふうに生きていたのか、そういう事をできうる限り思い出して、書き留めるのでもいいから忘れないでいる事。ただ、自分を責め続けろって意味じゃないよ」
覚えて、心に留めて、痛みを忘れないでいる事。
簡単にほどかれて、新しく創られてしまう命の中で、確かに存在していたと刻む事。
「エルピスに戻ったら、きちんと悼んで弔おう。花を供えて」
「花を?」
「私達はね、人や一緒に暮らしていた生き物とかが死んでしまうとお墓を作ってそこにお花を供えるの。少し前にポイエテーンオイコスのマイラって職員の人のお手伝いした時に同じ話をしたんだ。暴れたリュカオンによって死んでしまったオキュペテを土に還す時、使命半ばで倒れた命を前にした私は何を思って、何をするんだいって、カルミオンに聞かれたの」
「カルミオン…確か、ソクレス園長の後任の」
「うん。私は、ニメーヤリリーっていう死者に手向ける鎮魂の花を供える話をしたんだ。そうしたらね、マイラが似たような花を用意してくれて…みんなで祈りながらオキュペテを土に還したの」
「そう、だったのか……そんな事が」