好きな人の名前を自分に刻むっていう背徳感の話(七マリ)「タトゥー、か」
「わぁ、凄いね」
昼休み、ご飯を共にした私達は雑誌を広げてお喋り。七ツ森くんが今日持ってきてくれた雑誌は、普段はあまり見ないジャンルだから少し新鮮だ。ぺらりとページを捲った先には、太い腕に見事なタトゥーを入れている男の人が写っていた。
「あんた、こういうのスキ?」
「凄くってわけじゃないけど…綺麗だし、かっこいいと思うよ。七ツ森くんは?」
「俺もそんな感じ。温泉入れなくなんのがキツそうだけど」
確かに、と頷きながら口角を上げる。そういうデメリットはあるけど、タトゥーには底知れぬ魅力がある。オトナでセクシー、って感じ。……タトゥーシールとかなら私でも出来るかな。夏休みの間に挑戦してみようか…なんて妄想も広がる。
「……でも俺、アレは憧れあるな。彼女の名前彫るやつ」
私が想像を膨らませていると、七ツ森くんはそんなことをふと語った。その発言が少し意外で、私は丸くした目を彼へ向ける。
「へぇ…七ツ森くん、そういうの嫌なのかと思ってた」
「ハハ、まぁ少しは恥ずかしいだろうけど…。俺はその人のモノ、って証明になるじゃん?……なんか、想像するとイイかもって」
そう言いながら目を細めて、彼は自身の腕を軽く擦る。流石モデルとも言える、ガッチリして綺麗な腕。そこに人の名前のタトゥー、それも女の人の…。
……想像しようとしても上手く出来なくて、くすりと苦笑した。
「あ、笑ったな。そういうロマン、あんたには無い?」
「ふふっ、ロマンなの?」
「ロマンなの。……ま、あんたの綺麗な腕にタトゥーは似合わないかもしんないけどさ」
そう言いながら彼も苦笑する。そうかなぁ、と私は考える。……なんかまるで子供扱いされている気分だ。私にだってタトゥー、似合うかもしれないじゃないか。
それに好きな人の名前を自分の身体に刻む、ということも言われてみれば素敵に思えてきた。自分がその人のモノであることの証明、なんて彼は言っていた。…想像すると何故かぞくりと身体が震えた。
「……好きな人の名前を身体に刻む…かぁ」
「まぁ、女子からすればただ恥ずかしいだけか?この背徳感、伝わんないだろなー」
背徳感。……文字や言葉は知っているけど、その感覚はよく分からない。けれど彼が少しの憧れを滲ませながら息を吐くものだから、なんだか意地でもその感覚を知りたくなってきた。
「よし…やってみよう」
「ん?」
机の中からペンケースを取り出して、ネームペンを手に取った。きゅぽんとキャップを外してペン先を己の腕へ向ける。
「……なる、お手軽タトゥーね」
「そう。私にだってタトゥー、似合うと思うよ?」
「ハハ、そこでムキになっちゃったか」
「うん。あと、その背徳感ってものを味わってみたいの」
『え、』と彼が言葉に詰まる。それと同時に私は文字を書き終えて、手の甲を自身の目の前に掲げて微笑んだ。書きにくい場所ではあったけど、なんとか読める。
……けれどこれじゃタトゥーというより、ただ名前を書いただけだ。似合うも何も無いし、背徳感とやらもそんなに感じられない。
「うーん…」
「……微妙な顔してますね」
「タトゥー感が出なかった…」
「どれ。見せて」
はい、と彼へ手の甲を向ける。その途端に両手でぎゅっと手を握られ、まじまじと眺められた。……ただ名前が書いてあるだけだから、そんなに見るところも無いと思うんだけど…。
「──似合ってる」
「え?」
「凄い似合ってるよ。今日一日はこのままでいな」
ぱっと解放された手。…昼休みが終わったら洗ってこようかと思ってたけど、残しておいたほうがいいのかな?というか似合ってるって、本当にただの名前なんだけど…。
「いやー、素直に謝るわ。あんた似合うよ、タトゥー」
「ええっ?これ、タトゥーっぽくないよ?」
「あぁ。それ以外は似合わないと思うんで、間違っても彫るなよ?」
「もうっ、彫らないよ…。というかそれって、やっぱり私にタトゥーは似合わないって言ってない?」
『さてどうでしょう』なんて彼は笑う。……絶対そういう意味だ。今度のお出かけ、本当にタトゥーシールでも挑戦して行ってみようか。
「そろそろ昼休み終わるし、俺教室戻るわ。背徳感、ご馳走様でした」
「えっ、背徳感……?」
私が感じるべきものを一体何故、彼の方が感じているのだろう。そんな疑問を問い詰めたかったけど、彼は満足そうな様子で教室を出ていってしまう。今日の放課後にでももう1回聞きに行ってみようか。
そう思いながら次の授業の用意をしていると、ふと前の席の子から声をかけられた。
「ねぇねぇ、次の授業ってさ──ん?手に何書いてんの?」
「あ、これ?タトゥーの真似事」
「タトゥー…。……彼氏さんの名前でもメモったの?可愛いね」
彼氏さんとかじゃないよと否定しようとして、…ふと言葉が止まる。
『自分はその人のモノって証明』『好きな人の名前を刻む』『背徳感』、そんな話の流れがあった。…私、何気なく書いてしまったけど。もしかしてこれって……。
自身の手の甲を改めて見つめ直した。一切の迷いがなく書かれた『七ツ森実』の文字。
……ぼん、と顔中に集まった熱が爆発した。
「ち、違う…違うの、私はただ目の前にいた人の名前を…!」
「だ、大丈夫……?」
「大丈夫じゃない……かも…」
手を握られた感触が蘇ってくる。似合ってる、と言った彼の様子も蘇ってくる。思い返すとかなり意地悪に笑っていた気がする。
(七ツ森くんは嘘つきだ……!)
これが背徳感なわけが無い。ばくばくと心臓が鳴って、急にこの文字が意味を持ったものとして認識されてしまう。……まるで彼の持ち物にでもなったようだ。
こんなドキドキする変なキモチが、背徳感、ロマンな筈がない……!
(…だけど、どうしよう。……消したくなくなってきた…)
真剣な顔で似合うと言われてしまったからだ。…嫌な顔のひとつでもされたり、冗談みたいに笑ってくれたなら良かったのに。
(……放課後、苦情言いに行ってやろう)
うっかり書いたのは私だけど、指摘しなかった彼も悪い。……でもどんな顔をして会いに行けばいいんだろう。
やっぱり放課後会いに行くのやめよう、家に帰ってすぐ消そうなんて考えは、放課後になってすぐ、廊下で待ち伏せしていた彼によって打ち消される。わくわくしたようにネームペンを携えていた彼は『俺にもタトゥー彫って』と私に言ってきた。
……背徳感ってモノはどうやら、楽しめる人とそうでない人がいるらしい。私は後者の方だと言い聞かせながら、苦笑して彼からペンを受け取った。