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    みなも

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    全然進まないんやでェ…
    よその子盛りだくさん回!

    うちよそ第2話【第4幕】「やだー、すっごく似合ってる〜!」
    「やーん可愛い〜! 形式張るならやっぱり黒紋付きだけど、せっかくだからオシャレにしたいものねぇ」
    「ふふっ、どこぞのお坊ちゃんみたいよ、風猫?」
     なんで、と追眠は頬を引き攣らせる。ただ、芙蓉の見送りに来ただけだったのに。

     事の発端は、劉仁からの誘いだった。
    「芙蓉の身請けの件だが、最後の日、少し立ち会ってもらえないだろうか。なに、大したことじゃない。ちょっとした儀式というか……けじめみたいなものだ」
     もともと見送りに行くつもりだった追眠は、この提案を二つ返事で引き受けた。だが、劉仁の言う"ちょっとした"ことのためにここまでもみくちゃにされ、高そうな服を着せられることになるとは思うまい。
     けれど何も知らなかったのは追眠だけのようで、言われた時間通りに仁華楼を訪れると、案内された部屋にはいつもならまだ眠っているはずの顔馴染みの女郎たちが櫛や化粧道具を手に待ち構えていた。衣掛けに高そうな和服が、と思った瞬間にもう引き摺り込まれ着替えさせられ髪を梳かれ何か塗りたくられ。
    「七五三みたい!」
    「ちょっと、そこはせめて成人式って言ってあげなきゃ可哀想でしょ」
    「……なんだ“シチゴサン”って」
    「あら、風猫は知らないのね。日本の行事なの」
    「そーか。で、アンタら」
     姦しい彼女たちの話し声にやっとのことで割って入って、追眠は本題を口にする。
    「俺でいいのかよ」
    「なぁに~? 今、髪を整えるので忙しくって~」
    「だ、か、ら!」
     芙蓉同様、どこまでも飄々としていて掴み切れない彼女らを前に、追眠は声を張る。
    「なんでかろくに聞かされてなかったけどな、今日の立ち会いって、すげェ大事な役なんだろ。それに……俺よかアンタらのが、芙蓉に思い入れがあるだろうが」
     追眠が言うと、女たちは互いに顔を見合わせてから笑った。
    「あらあら、あたしたちに気を遣ってるの? ふふ、可愛い風猫」
    「なッ、茶化すなよ! 今日で最後なんだぞ」
    「分かってるわよ~。でもね、あたしたちは姉さんの身請けが決まってから今日まで、散々泣いて感謝して、ぜーんぶ伝えきったから」
    「そうそう。それにね、風猫の立ち合いは芙蓉姉さんたってのご希望なの。可愛い弟分に立ち会ってほしい、ってね」
    「でも……」
    「いいからいいから。ほら、芙蓉姉さんの隣に立っても見劣りしないくらい、綺麗に仕上げてあげたわよ。御覧なさいな」
     大きな姿見の前に追い立てられて、追眠は鏡の中の自分と目を合わせる。いつも乱雑にくくっている髪は解かれ、櫛で後ろの方に流されふんわりと品よくまとまっていた。前髪が真ん中で分けられているためいつもより視界が広くて落ち着かない。
     着せられたのは和装一式だった。着物と羽織は揃いの柔らかな若草色。襟元から、すっきりした白の半襟が覗く。腰できゅっと絞められた角帯は銀糸が縫い込まれた照りのある白で、袴は腰から足元へ向けて、白から黒へ色を変えていく今風のデザイン。袴の膝より下の部分、真っ黒な絹の布地には銀刺繍の飾り紋がいくつも縫い付けられ、煌びやかに映える。
     当然ながらいつもより窮屈だし、何よりこんなにも美しい装いは自分には不釣り合いな気がして、追眠はどうも落ち着かなかった。だが、今日は芙蓉の見送りの日だ。今日くらいは、彼女たちが整えてくれたきちんとした格好で見送ろうと、追眠は鏡を見つめながら微かに頷いた。
    「裾を踏まないようにね」
    「あぁ」
    「ふふ。……あたしたちの分まで、姉さんを見送って頂戴? 風猫」
    「……うん。任された」
     女郎たちに見送られ、いつもの黒服に案内されたのはあの大広間とでも言うべき芙蓉の部屋だった。品のよい調度品が澄まして佇み、馴染み客からの贈り物が美しく広げられ、いつも極彩色に彩られていた部屋はすっかり片付けられてがらんとしている。追眠はきゅっと唇を噛みしめた。
    「まぁ、風猫!」
     部屋に一人佇んでいた芙蓉が振り向いた。美しいが白一色の着物は、これまで芙蓉が纏っていた鮮やかで綺羅綺羅しい呉服と比べると華やかさには欠ける。だが凛とした静謐な存在感があり、やんわりと光っているようにすら見えた。いつも頭上に高く結い上げられ豪奢な髪飾りがいくつも輝いていた髪は首元で控えめに纏められ、あの珊瑚の簪だけが揺れている。化粧も薄付きに控えめに、いつも真っ赤に艶めいていた唇は桃色がほんのりと載っている程度だったが、今まで見てきたどんな芙蓉よりも綺麗だと追眠は思った。それはきっと、芙蓉がとても穏やかな表情をしているからだ。
    「立ち合いを引き受けてくれてありがとう」
    「……着替えまでさせられるとは思ってなかったわ」
     追眠が襖を閉めて芙蓉に近づいていくと、芙蓉はにっこりと微笑んだ。
    「よく似合っているわ。うちの子たちはみんな、見立てやお化粧が上手ね。とっても綺麗よ」
    「綺麗って……」
     そりゃアンタだろ。追眠がそう言うと、芙蓉はとても嬉しそうに、美しく顔を綻ばせた。
    「ありがとう。……ね、風猫。あなたのこと、もっとよく見せて頂戴」
     細い指先がそっと伸ばされる。追眠は素直にその手を受け入れた。芙蓉の手のひらが追眠の頬に触れる。
    「うふふ、やっぱり綺麗」
    「なんだよ、さっきから綺麗、綺麗、って……こそばゆいったらねーよ……」
    「だって本当のことなんだもの。こんなに美しくなるなら、もっと早くいろんな服を着せてみるんだったわ」
    「やめろよ……」
    「ふふふっ。ところで……あなた、こないだ私が頼んだ件、結局一人で向かっていったんですってね」
     言われて追眠はぎくりとする。柔らかな指先が、追眠の頬を撫でた。
    「危険な目に遭ったってきいたけれど」
    「あれは……仕方なかったんだよ。何とかなったんだからそれでいいだろ」
    「もう。私、心配よ……あなたをこの街に残していくことが」
     心配など、見目を褒められる以上にこそばゆい。何と言葉を返していいのか分からなくなる。追眠はばつが悪くなって芙蓉の手のひらから逃れると、話の方向を変えた。
    「あの件は、無事に片付いたのか」
    「えぇ、劉さんが綺麗さっぱりね。どこかの組の人があの人にお金を渡して、ここを荒らすよう依頼してたみたい」
    「へぇ? で、少し引っ掻き回すつもりが、あいつがガチで芙蓉に惚れて、暴力沙汰に盗難騒ぎ……ふざけてる」
     追眠の言葉に、芙蓉は困ったように笑った。
    「ともあれ、あの件はもう終わりよ。どうもありがとう、追眠。これで心配事はなくなって、何の心残りもなく旅立てる、って言いたいところだけれど……」
     追眠の前髪を手で梳いた芙蓉が首を傾げた。
    「私ね、本当は、あなたも一緒に連れていきたいくらいなの」
    「……は?」
     追眠が一言だけ漏らした後も、芙蓉はにっこりと微笑むばかりだった。
    「待て、本気で言ってんのか」
    「えぇ勿論。きっとあなたなら、旦那様とも仲良くできるわ」
    「いっ、いやいやいや……」
    「でも。あなたはそんなこと望まないものね」
     悪戯な笑みは本気なのか冗談なのか、追眠でも見分けがつかなかった。
    「この街があなたの生きる場所で、例え危険と隣り合わせでも、それがあなたの生き方だから。でもね」
    「なんだよ」
     ふっと優しく目を細め、芙蓉の柔らかな茶の瞳が、追眠の瞳を見つめる。
    「ねぇ追眠、これから私が言うことを覚えておいていてほしいの。それが私からの、最後のお願いよ」
     最後。その言葉が追眠の胸に重くのしかかる。顔を強張らせた追眠の肩に、芙蓉はそっと両手を添わせた。
    「いい? あなたはもともと容姿も十分に魅力的だけど、それだけじゃない。瞳に宿る貴方の意志の色が、その眼を綺麗に魅せるの。感情を載せた貴方の表情が人を惹きつける。そう、それからその髪もね」
    「……こんな、色の抜けた髪がか?」
    「えぇ。だってそれは、あなたが生き抜いた証だもの。だからとても、美しい」
     芙蓉は瞳を細めて微笑んだ。
    「ねぇきっと……いつかあなたも、恋に心焦がされるときが来る。共に生きていきたい、この人の幸せのために生きたい、何よりも誰よりも愛おしい……そう思う日が来る。人はね、恋をすると綺麗になるのよ。愛を知るとまた、魅力的になる」
     いつもなら、こっ恥ずかしくてすぐに否定したくなる類の話だが、今日の追眠にはそれができなかった。遮ることを躊躇うほどに、そう語り微笑む芙蓉の表情が美しかったからだ。
    「その時が来たら、どうか怖がらないで。あなたはとても魅力的で、人を大切にできる素敵な子。十二分に愛される資格がある。あなたが大切な誰かと、幸せな人生を歩んでいけますように……それが、私の最後の願い事」
     両の手のひらで、芙蓉は追眠の両手を包んだ。
    「いつか大切な人ができたら、またあなたに会いたい。……私の本当の名前はね、茅乃と言うの」
    「かやの……」
    「えぇ。芙蓉という名前と一緒に、覚えていてくれると嬉しいわ」
     にこりと芙蓉が微笑んだのとほとんど同時に、遠く襖の外から軽く叩く音がする。
    「お二方、お時間です」
    「あら。うふふ、長々とお話ししてごめんなさい。行きましょう」

     芙蓉——茅乃と連れたって黒服に案内されたのは、入ったことのない部屋だった。もともとこの建物はとても大きく部屋数も多いが、追眠は黒服に案内されたことのあるほんの数部屋にしか立ち入ったことがない。ただ部屋の方向や配置から分かるのは、案内された部屋が仁華楼の大門、つまり出入り口に程近いところに位置する部屋だということだ。きっと、この遊郭を去る者たちを見送るための部屋なのだろう。
     そこは、芙蓉の部屋よりもずっと小さい、十帖ほどのこぢんまりとした畳張りの部屋だった。向かいの壁には大きな窓があり、川辺をふわふわと睡蓮が横切っていくのが見える。奥と手前に文机付きの座椅子が二脚ずつ並べられ、奥の一脚に知らない男が、手前の一脚には劉仁が座っていた。さらに入口近くに、劉仁の部下らしい和装の女性が控えている。
    「お待たせをいたしました」
     芙蓉が頭を下げたため、追眠もそれに倣って頭を下げる。顔を上げると、奥座に座っていた男が立ち上がっていた。最近はなかなか見かけないくらいの真っ黒な髪に、きりりと伸びた眉が厳めしい。芙蓉よりもいくつか年上だろう程度のまだ若い男だったが、相対したものの背筋を伸ばさせるような凛然たる威厳が漂い、黒の紋付袴がよく似合っていた。男はどうも芙蓉に見惚れていたようだったが、はっとすると佇まいをなおす。どうやらこの男が、芙蓉の“旦那様”らしく、追眠の隣で芙蓉がにこにこと微笑んでいた。男と劉仁に促され、芙蓉は男の隣に、追眠は劉仁の隣に腰を下ろす。
    「追眠、よく来てくれた」
     にこりと微笑んでくれた劉仁もまた、男と同様に黒の紋付袴姿だ。すっきりとかきあげられた髪が男らしい。ともすれば色の強さに負けてしまう黒色を纏ったうえでも、劉仁には人の上に立つに相応しいとでも言うべきどっしりとした存在感がある。どうも着慣れない追眠とは異なり、とても様になっていた。
    「よく似合っているな。今日の和装一式は、追眠に贈ろう」
     和装もさらりと着こなす虎仁帮の若頭から至極当然のように言われて、追眠は一瞬目が点になる。慌ててかぶりを振った。
    「いっ……いや、待て待て待て、なんでだよ! こんな高そうなもん、今日着せてもらえただけでも腰が引けんのに、もらうとかもっと無理だっての! どこにどうしまっていいかも分かんねェよ」
    「そうか? では、これは追眠用としてうちで預かっておくことにしよう。入用なときはいつでも好きな時に声を掛けてくれ」
    「だから……」
     脱力しかけた追眠の前、文机の上に控えていた女性が茶器を置いてくれる。女性がそれぞれの文机に茶を並び終えるとともに、斜め向かいから“旦那様”が話しかけてきた。
    「君が追眠くんか」
     驚いた。流暢な、とても綺麗な中国語だ。目を上げると、厳めしい顔がふわりと溶けていた。仏頂面をしていると迫力があるが、表情が緩むと驚くほど柔らかい顔になる。
    「私はさかきという。彼女から君の話は聞いているよ。頼りになる可愛い弟分だと。私が送った簪を見つけてくれたのも君だそうだね」
    「あぁ、えぇ、まぁ……」
     丁寧な言葉遣いが咄嗟に出てこず、追眠の言葉は歯切れの悪いものになる。だが男は気にした素振りも見せずに、穏やかな表情のまま続けた。
    「そう畏まらずともいい。彼女にとっての大切な人は、私にとっても大切な人だ。何かあればぜひ私を頼ってほしい。もちろん、何もなくとも」
     劉仁の部下を通じて、男から四角い小さな紙を受け取る。日本語なので上手く読めないが、名前だけは分かった。榊圭一。それから並ぶ数字は、恐らく連絡先だろう。
    「芙蓉……茅乃にも、会いに来てほしい。いつでも歓迎する」
    「……谢谢您ありがとうございます
     追眠が榊とぎこちなくやり取りする間、劉仁は黙って隣で穏やかに微笑んでいた。きっと追眠の知らぬところで、榊とは何度もいろいろなことを話した仲なのだろう。二人とも、醸し出す空気が柔らかい。
    「では、早速で申し訳ないが、始めさせてもらおう」
     やがて劉仁はそう言うと、懐から綺麗に折られていた玉梓を取り出しさっと広げた。
    「これより、仁華楼、芙蓉の身請けにつき、証文を取り交わす」
     よく響く声でそう告げた後、劉仁は文面を朗々と読み上げていった。それらはすべて日本語で、追眠にその内容は理解できない。けれど、劉仁の声音に籠る荘厳で、穏やかで、慈しむような感情を感じて、追眠の胸のうちにもひしひしと実感が湧いてきた。
     芙蓉がいなくなる。美しくて聡明で、押しも押されぬ中華街随一の番付一番。仁華楼の看板。追眠を見守ってくれていた大人が一人、いなくなる。これからはこの仁華楼ではなく、芙蓉が選んだあの男の隣が、芙蓉の居場所になるのだ。
     向かいに座っている芙蓉になぜだか目をやれない。追眠は目を伏せて、劉仁の声をただ黙ってきいていた。

     妙に長く感じた見送りにあたっての儀は、実際には数十分の出来事だったのだろう。慣れない正座に追眠の足が痺れるよりも早くその儀は終わり、てきぱきとした劉仁の部下たちによって、感傷に浸る間もないくらいすべてはとんとん拍子に進み——いつの間にか追眠は、大きな仁華楼の門を潜り抜けた先、車体が細長く艶々と光るクラシックな高級車の前に立っていた。黒服が後部座席の扉を閉めた音にはっとして目を上げると、芙蓉はもう車の中だった。ドア越しに目が合うとやんわりと微笑んでくれる。追眠は何か言おうとしたが、喉が締め付けられて言葉が出てこなかった。
    「榊さん。最後に、楼主としてではなく、友人として頼みたい」
     追眠の隣で劉仁が静かに告げると、芙蓉の手前の席に座っていた榊が劉仁に向きなおった。
    「どうか彼女のことを、大事にしてくれ。幸せにしてほしい」
    「無論だ。何より大切にすると誓う。彼女の幸せのために、私は私の人生を捧げよう」
     榊の言葉から連想するように、追眠の頭の中では芙蓉の言葉がぼんやりと過ぎる。
     ——いつかあなたも、恋に心焦がされるときが来る。共に生きていきたい、この人の幸せのために生きたい、何よりも誰よりも愛おしい……そう思う日が来る。
     自分ではなく、相手の幸せのために生きたい。この二人は互いにそう思ったのだろうか。だが追眠は、自分にそんな相手ができることなど想像もつかない。だって、そんな相手がいたら——。
    「風猫」
     呼ばれて、はっと顔を上げる。車内から芙蓉が呼んでいた。
    「なんだ」
    「恋人ができたら紹介して頂戴ね」
    「なッ……できねェよ! 作るつもりもないっ」
    「うふふっ」
     楽しそうに笑った後、芙蓉は車内で美しく一礼した。
    「劉さん、今まで本当に……お世話になりました。ありがとうございました」
    「こちらこそ。あなたに出会えたことを、幸運に思う」
     劉仁がそう言ったのが、最後の言葉になった。ではそろそろ、と呟いた榊に呼応して、開け放たれていた後部座席の窓が静かに閉まっていく。芙蓉もとい、茅乃がひらひらと手を振った。追眠は黙って手を振り返す。やがて、二人を乗せた車は発進していった。角を曲がって見えなくなるまで、劉仁と追眠は車を見つめていた。
    「劉仁」
     車が見えなくなってから、追眠はひっそりと呟いた。
    「うん?」
    「見送りさせてくれて、ありがとな」
    「俺の方こそ礼を言いたい。追眠が茅乃を見送ってくれて、よかった」
     そう語った劉仁の横顔は少しだけ寂しげで、しかしとても晴れやかだった。追眠に向き直った劉仁は、片眉を上げて笑ってみせる。
    「実はな、この後、食事会を企画している。昼の日中からは呑めないが、まぁ……従業員たちへの景気づけみたいなものだ。皆、今頃号泣している頃だろうからな。予定がなければ、こちらもぜひ、参加していってくれるか」
     追眠を着付けてくれた彼女らが、格好よく背を押してくれたことを思い出す。追眠はくすりと微かに笑った。
    「分かった」
    「それと、話は変わるが、先日の——オークションの件」
     追眠が笑みを引っ込めて見上げると、劉仁は両手を振ってみせた。
    「そう構えるな。なに、大したことじゃない……ただ、ああいう場だけに入り込むにも準備が必要なんだ。早速なんだが、空いている日を教えてほしい」

     数日後。劉仁から出向くよう指示を受けたのはなぜか玖朗の診療所で、当然ながらそこには店主である玖朗が待っていた。それと、見知らぬ面々が二人。
    「やぁ、君が風猫くんだね。ごきげんよう」
     足首まで伸びる漆黒のチャイナドレスを身に纏った女性が、さも聞き及んだ様子で追眠に声を掛けてくる。艶やかで真っ白な長髪で顔の半分を隠しているが、それでもなお、色彩鮮やかな花々が咲き誇る豪奢な服にも見劣りしない、うっかり後ずさりしてしまいそうなくらいの麗人だ。
    「君の活躍はよくきいているよ。喧嘩に賭け事……何事も素早く鮮やかな腕前、実に素晴らしい」
    「ど、どーも……」
     出会い頭に真正面から褒め称えられ、追眠は少し及び腰になってしまう。中華街に住まう者なら大抵は知っているつもりである追眠でも、彼女の正体はまるで見当がつかなった。恐ろしいくらい整った容姿から若干後退しつつ、追眠はふと閃いた。噂できいたことがある。刺青専門の腕利きの職人がいて、とんでもなく美しいのだと。
    「えーと……紅蘭、サン?」
    「おや、私の名前も知っているなんて、なかなかの情報通だね」
     どうやら正解だったらしい。紅蘭は端正な顔ににっこりと笑みを浮かべた。
    「都市伝説みたいなもんだと思ってたけど、ほんとにいたのか」
    「そうだろうそうだろう! 姉さまは伝説級の美人だ!」
     紅蘭の後ろからひょっこり顔を出した制服姿の少女が胸を張った。姉様と言っているから、紅蘭の妹なのだろうか。肩で切り揃えられたまっすぐな黒髪がさらりと揺れる。こちらも追眠は見覚えがない。追眠が少女に目をやっている間に、紅蘭がずい、と距離を詰めてきた。
    「聞き及んでいたとおり、君は随分と肌が白いねぇ。新雪のように美しい。墨を入れたら、さぞ映えるだろうね」
    「……は?」
    「速さに特化しているときくが、大きな傷や打撲痕なども恐らくないんじゃないだろうか。つまりすべて躱しているということ……流石“風猫”と呼ばれるだけのことはあるね」
    「あっ、あぁ……」
     追眠が数歩後ずさると、すかさず紅蘭も距離を詰めてくる。
    「うーん、比較的虫刺されや夏の日光にも弱そうな皮膚だけれど、ケアはなにを?」
    「い、いや別に……女じゃねェしそんないろいろはしてないけど……日焼け止めと虫よけスプレーくらい……」
    「成程。自分の身体について理解し、きちんと対策を講じている。素晴らしいね」
    「あとはたくさん寝るのもポイントだよね。……紅蘭さん、その辺にしてあげてください」
     後ずさりし続けていた追眠は、誰かにぶつかって支えられる。頭の上から声が降ってきて、それが玖朗だと分かった。玖朗が会話の間に入ってくれたことに内心追眠はほっと胸を撫で下ろす。
    「闇医者! お前、姉様のお話に割って入るなんて無礼だぞ!」
    「まぁまぁ、白蓮」
     眉を吊り上げる少女を紅蘭が宥める。妹の方は、白蓮というらしい。玖朗は憎々しげに見つめてくる白蓮を放ってそのまま尋ねた。
    「それで、猫はともかくなぜお二人がここに?」
    「あぁ、それについては劉仁くんに代わって私が説明しよう。彼は今、少々慌ただしいようだからね」
    「そういえば、ここのところ診療所にも顔を出していませんね。いつもは呼ばなくても来るのに……なるほど、劉仁の代わり、ということは」
    「その通り。かのオークションに関する彼からの依頼のために、私たちはここにいる」
    「へぇ?」
     玖朗が少し意外そうに声を上げる。白蓮が気に入らなさそうにふんと鼻を鳴らしたが、会話に割って入ろうとはしなかった。紅蘭はふわりとした笑みを絶やさないままに続ける。
    「実は、今回君たちが潜入するオークションにはドレスコードがあってね。相応しいコーディネートを見立ててくれないかと、先日劉仁くんから依頼を受けたんだ」
    「……ドレスコードってなんだ?」
     追眠が尋ねると、紅蘭の美しい瞳が追眠を見据えてからすうと微笑んだ。ルビーのように赤い眼だ。もう少し近くで見てみたいが、うっかり近づくとまた質問攻めに遭いそうで、追眠は近づくのを少し躊躇ってしまう。
    「場に相応しく装いを整えることだよ。私としても、君たちの美しさを引き出せるのは実に心踊る仕事だ、是非とも引き受けたかった。ただ、開催日前後に一つ大きな仕事が入っていてね……残念だけれど対応が難しいから、知り合いの仕立て屋を劉仁くんに推薦したんだ」
    「なるほど……」
     常日頃、ファッションにそれほどこだわりがあるわけではなさそうな玖朗は、傍目には笑顔のまま、その実面倒そうに相槌を打った。だが紅蘭はそれに気づいているのかいないのか、にこりと微笑む。
    「ミス・オールドレイン、彼女の美に対する姿勢は素晴らしいよ。衣装も、モデルの魅力を最大限に引き出すものばかりだ。きっと君たちのことを美しく仕上げてくれるだろう。ただ、彼女も彼女で引っ張りだこだからね。引き受けてくれたものの、採寸のために出向く時間がないというから、それだけ引き受けたんだ」
    「なるほど。その名前は存じ上げませんが……紅蘭さんの口利きなら、さぞ高名なデザイナーなんでしょうね」
     愛想のいい笑みを浮かべたまま、玖朗が言う。追眠は最近少しだけ、弥玖朗という何を考えているのかよく分からないこの男の生態が分かってきた——今、玖朗は内心どうでもいいと思っている。
    「あぁ、それから劉仁くんから伝言がもう一つ」
     早速荷物の中から巻尺を取り出した紅蘭が言う。
    「今回のイベントは2日がかりなんだそうだ。初日の19時より立食式のパーティー、オークションは2日目16時より。泊りがけになるとのことだ。ホテルで部屋と基本的なアメニティは用意されるらしいが、各自別個に必要だと思うものは準備しておいてほしいとのことだよ」
    「へぇ……妙に時間に空きのある設定ですね」
    「そうだね、変わっているといえばその通り……なにか別の思惑があるのかもしれないね」
    「別の思惑?」
     玖朗が問いかけたが、紅蘭はこれには答えず、ただ目を細めるばかりだった。
    「ところで玖朗くん、お店の方は構わないのかい? 今回は両日が土曜日曜にかかる。稼ぎ時に店を二連休することになるから、もしやご機嫌斜めかと思っていたけれど」
    「そこまで子どもじゃありませんよ。それに劉仁が、協力の依頼料だってそれなりの額を前払いしてくれてるから、まぁ今回だけは協力しようかと」
     にっこりと玖朗が微笑む。元来知り合いらしい紅蘭と玖朗の会話にあまり入り込まず基本聞き役に徹していた追眠だったが、思わず呟いた。
    「……アンタって、ほんとブレねーな……」
    「光栄だよ」
    「褒めてねェ」
    「さて、伝言も済んだことだし、早速採寸に入ろう。私が玖朗くん、白蓮が風猫くんを担当するよ」
     紅蘭が言うと、同じく巻尺を手に取った白蓮が玖朗をびしりと指差した。
    「おいお前! 姉様に採寸してもらうこと、ありがたく思え!」
    「はいはい」
    「玖朗くんのサイズは大体知っているけれど、念のため採寸させてもらうね」
    「えっ? いや、そもそもなんで大体知ってるんです? 採寸受けたことなんてないはずですが」
    「ふふ」
    「いや……えっ?」
     常日頃余裕綽々の玖朗だが、どうも紅蘭には頭が上がらないらしい。あたふたしている玖朗が物珍しく紅蘭と玖朗に視線を投げていた追眠は、目の前に仁王立ちされ顔を覗き込まれて、我に返った。
    「おいお前、そこの猫」
     白蓮だ。まだ14、5歳に見える彼女もまた、少しあどけなさが残るものの非常に整った容姿をしている。測りやすいように少し移動しろと告げられ数歩移動した追眠に、白蓮は傲然と指示を続けた。
    「ウエストを計る。服を捲れ」
    「ん」
     先ほどからずっと姉至上主義というか、なんだかとても傲慢な子だが、まぁこういう性格なのだろうと思い、追眠は素直に指示に従った。パーカーとタンクトップをめくり腰を覗かせると、白蓮がメジャーをくるりと肌に沿わせる。少しくすぐったい。
    「……ちょっと待って白蓮。別に服の上からでよくない?」
     追眠の背後で、玖朗が言う。さも面倒くさそうに白蓮は答えた。
    「正確なサイズを測るには服の上からではダメだ。誤差が生じる。なんだお前……細くて白くて気味が悪い。年齢標準や背丈から言っても細すぎる。あの骨董屋といい、どっちももやしのようにひょろひょろだな」
     骨董屋とはもしや、霊霊のことだろうか。先に霊霊の採寸をしたのかもしれない。追眠は苦笑した。
    「細いとかもっと食えとかはよく言われるけど、気味悪ィは流石に初めて言われたわ」
    「白蓮、黙って測れないの」
    「うるさい、お前こそ邪魔するな」
     なぜか玖朗が苛々していて、居丈高な白蓮と口論になっている。追眠は玖朗の方を振り返りかけたが、白蓮の鋭い指示に阻止された。
    「次はヒップ! この無駄にだぼだぼしたズボンを下ろせ!」
    「はいはい……」
     途端、後ろで急に玖朗が噴き出した。
    「ちょっと待って」
    「なんださっきから! 姉様が困っているだろう!」
    「別に困らせてないよ。それより猫、なんで黙って従ってるの? 目の前でそんな」
    「は? なにがそんなに問題なんだよ、真っ裸になれって言われてるわけでもねーだろ」
    「そりゃそうだけど……」
    「お前、さっきから本当にうるさいぞ!」
    「そっちこそ、べたべた猫に触らないで」
    「うるさい! 黙れ! 姉様から教わったやり方が間違っているとでもいうのか!?」
    「このクソガキ……」
    「何だと!?」
    「あーもう、なんなんだよ、落ち着けって」
    「おやおや」
     ヒートアップしていく二人は追眠の制止の言葉などまるで耳に入らないようで、紅蘭もまた興味深げに眺めているばかりだった。おかげで、採寸はいつまで経っても進まなかった。

     それから当日までの約二週間の間は、件のオークションに関して何を行うこともなく、追眠はいつもどおりの日々を過ごした。すなわち、麻雀を打ったり、外に出たがらない玖朗の代わりにおつかいをしたり、顔見知りの爺さんから頼まれてエアコンを修理したり、観光客に絡む不良をいなしたり、もらった鍵を使って玖朗宅に忍び込んで惰眠を貪ったり、馴染みの料理屋で難癖をつけてがなっていた男の財布をスってみたり、例によって玖朗に麻雀の指南をしたり、などだ。
     紅蘭の言葉どおり、劉仁は当日の部下の配置や仕事の調整等で忙しくしているようで姿を見せなかった。追眠は自分の持つ情報網で件の闇オークションについて探ってみたが、いくら中華街から程近いホテルで開催されるとはいえ、高額な品が取引されるイベントだ。参加者は結構な金持ちに限られ、当然情報もその界隈にしか巡らない。追眠の持つネットワークでは、さしたる情報は拾えなかった。分かったのは、会場となるホテルが“超”のつく高級ホテルだということくらい——追眠は余計に気が重くなった。結局内実はほとんど分からず、これ以上は調べようもない。だからこそ潜入という、リスキーな行動が必要ということなのだろう。
     劉仁はかなり忙しくしていると言うし、せめて何か手伝えることはないかと玖朗に尋ねてみると、玖朗は茶器を片手にへらりと笑っていた。
    「まぁ、準備は任せておけばいいよ。なにせ劉仁の組織は“本職”だしね」

     そして、当日。
     15時に玖朗の店で待ち合わせという連絡どおりに足を運ぶと、すぐに仰々しい黒塗りのリムジンが到着し、玖朗とともに乗り込むこととなった。黒服に後部座席の扉を開けられ乗車を促された追眠は目を見張る。車の側面に沿うように内部に落ち着いた茶色の革張りのソファが鎮座していた。追眠は車に乗る機会自体あまりないが、それにしたってこんな車は初めて見た。若干恐る恐る腰を下ろすと、車は滑らかに走り出す。追眠はちらりと向かいに座る玖朗に視線を投げた。玖朗はいつもどおりで、追眠のように高級車に驚く様子もなければ、不安や緊張も全く見られない。
    「……ずっと訊こうと思ってたんだが」
     追眠が口火を切ると、サングラス越しの玖朗の眼がこちらを向いた。
    「なぁに?」
    「劉仁にあのクソ野郎の調査を振ったのも、今日の潜入も。アンタにそこまでする義理あんのかよ」
    「おや」
     くすりと玖朗は笑う。
    「忘れちゃった? 亡霊退治、手伝うって言ったでしょ」
    「手伝ってくれとは言ってねぇ」
    「俺も、猫への返済を諦めるとは言ってないね」
     この話、まだ続いてたのか。
     追眠は微かに溜息をつく。結構な守銭奴であるこの男にとって、金よりも大事な唯一のもの、自分の命。それを救った追眠に借りを返したいと玖朗は言う。追眠自身がそんな貸し借りはどうでもいいと言っても決して譲らず、追眠自身はもう忘れていたような借りに未だ拘っているらしい。
    「俺も猫と同じだよ」
    「なにが」
    「猫が俺の専属であるように、俺も猫の専属ってこと」
    「は?」
    「俺が手を貸せることなら手を貸すし、なるべく猫のお願いを優先してる。まぁ、できる範囲でだけどね」
     サングラスの奥の瞳が細められて、弧を描いた。
     この男をどこまで信用していいのか——信頼していいのか。追眠は最近、よく分からなくなる。

     車は玖朗宅を出発してから、ものの5分で停まった。ここはまだ中華街の中だ。とはいえ、メインストリートからやや離れた、比較的治安のよい地域。大都会の真ん中で各所へのアクセスもよく住むにも快適な環境ということで、この辺りはかなり地価が高い、高級住宅街と言われる場所だ。車が停まったのは両開きの黒いアイアンゲートの前だった。ゲートを入った先、木々や花が植えられた可愛らしい庭は手入れが行き届いている。庭に面するのは、どことなく欧州の城を思わせるようなレンガと白枠にとんがり屋根の、二階建ての建物だ。個人宅としては豪邸と言っても差し支えないだろう。
     黒服に促されて庭を抜け、雨避けのための真っ白な屋根が付いた立派な玄関ポーチの先、ステンドグラスの嵌まる玄関扉を示して一礼すると、黒服は引き返していってしまった。後は自分たちだけで行けということらしい。
    「珍しい、インターホンがないね。勝手に入れってことかな」
     玖朗が軽くノックをしてから、玄関扉を開いた。
     螺旋に伸びる大きな階段に、白を基調とし柔らかな曲線を多用した西洋風の玄関ホールが広がる。天井からシャンデリアが釣り下がっていた。
    「あら、いけません。少しお時間が押してしまいました」
    「次のお客様のお越しです」
     ぱっと振り返ったのは、同じ顔。黒のスカートがふわりと膨らみ、赤い細紐であちこち飾りつけられている、いわば中華風のメイド服とでも言うべき服装の女性二人だった。片方は、両耳の上でラジオ巻きを作って髪をまとめていて、もう一方は、三つ編みの髪の毛を頭に上げ両耳の下から丸く形作り、毛先を耳の下に下ろした造形の髪型。二人とも艶やかな黒髪だ。年齢は追眠と同じか、少し上くらいだろうか。
    「構わない。元はと言えば、あの二人のせいだろう」
     そして二人の奥に、黒のスーツを纏った男が一人。目の覚めるような鮮やかな群青のシャツに、黒や白、青色で構成されたチェック柄のネクタイがアクセントになっている。すっと伸びた背筋に、オールバックに整えられた金色に近い髪色も相まって、まるで威厳ある獅子のようだ。
    「りゅ……劉仁?」
     見慣れた姿の変わりように半信半疑のまま追眠が呼びかけると、男はふわりと微笑んだ。
    「あぁ。二人とも、よく来てくれた」
    「おやまァ、随分素敵に仕上げてもらったね」
     片眉を上げて笑う玖朗も、若干驚いた様子である。
    「柳追眠様と弥玖朗様ですね」
    「お初にお目にかかります」
    小鈴シャオリンです」
    小華シャオファです」
    「申し訳ありません」
    ワン様のお支度にもう少しお時間を頂戴しても?」
     二人のメイドは交互に話し、右手を左手で隠しすっと身体の前に置くと同時に会釈した。
    「俺たちは別に構わないよ」
    「ありがとうございます。後は仕上げのみにございます」
    「丁寧に手早く、御仕度させていただきます」
     顔を上げた娘たちの手には、紺色のベルベットケースがあった。二人は劉仁に向き直ると、まるで踊るように交互に劉仁に近づいて、獅子をさらに立派に美しくすべく仕上げを施していく。
    「差し色にはシャツやネクタイと同じく、“最高峰の青”をご用意させていただきました」
    「ノンホールの一粒ピアスとネクタイピンには、最高級のブルーサファイアを。シンプルなデザインですが"ロイヤルブルー”はそれだけで十二分な存在感を放ちます」
    「ロイヤルブルー……」
     うっかり追眠は口走る。ロイヤルブルーサファイアは、コーンフラワーサファイアと並ぶ、品質・美しさ共に最高峰であるサファイアに送られる称号だ。
    「それからもう一つ。インペリアルトパーズのブローチを」
     メイドが劉仁の前からすっと離れると、右胸には曲線を描く金細工の中心に、美しく輝く一際大きな宝石が目を惹くブローチが飾られていた。中央の宝石は、五百円玉より二回りほど大きいだろうか。生み出されるのに何百年もかかる鉱石の中で、宝石として研磨してなおこのサイズを保つ宝石はかなり希少だ。追眠は息を呑んだ。
    「インペリアルトパーズは、近年シェリー酒のようなオレンジピンクで知られる宝石ですが、今回はより黄色味の強いものをご用意いたしました」
    「青の色彩の中で、黄金の輝きはより一層増すことでしょう」
     室内光を反射して、劉仁の胸元の宝石はきらきらと輝く。シェリー色の色香ある輝きの中に黄金色が混じり合う、なんとも形容しがたい魅力を放つ石である。放つ輝きはとめどなく、畏怖すら感じさせる。
    「“インペリアル”、皇帝の名が冠されし石にございます」
    「貴方様に、皇帝たる威厳と祝福があらんことを。最後にこちらをお召しくださいませ」
     二人がベルベットの台座に乗せ劉仁に差し出したのは、黒豹を模した半面だった。こちらも随所にさり気なく黄色いトパーズの欠片が散りばめられた、実に壮麗な一品だ。最後に劉仁がそれを身に付けると、若々しくも風格あるぴかぴかの紳士が出来上がる。
    「あぁ、言い忘れていたが今回のオークションは、素性を隠すためにも皆こうした面を付けるのが定番らしい」
     劉仁が言うと、メイド二人が追眠たちに向かって頭を下げた。
    「お二人のものも準備してございます」
    「まじか……」
     追眠は既に腰が引けつつあった。半面や服等、劉仁と同レベルのものが準備してあるとなれば、一体いくら掛かっているのだろう。追眠は恐ろしくなって考えることを止めた。隣で玖朗が片眉を上げてみせる。
    「今日の劉仁には、あのガラクタ屋でも驚くかもね」
    「いや。あいつはせいぜい腹を抱えて笑うとか、そんなところだろう」
     真っ黒な半面の下でも、劉仁が眉を顰めるのが分かった。
    ワン様。そろそろお時間かと」
    「お二人への言付けは私たちがつつがなく、滞りなくお伝えします」
    「……そうか」
     メイドの言葉に一言呟いた劉仁は、玖朗と追眠を見つめて告げた。
    「では我からは一言だけ。二人とも、どうか無事で。無茶だけはするな」
    「当然」
    「おー」
     尚も劉仁はちらと心配そうに追眠へ視線を向けた後、行ってくると告げ颯爽と出て行った。
    「なんだ? 俺はそんなに信用がないのか?」
     劉仁の視線の意図に心当たりがなく、追眠は首を傾げた。
    「信用がないわけじゃないけどね。なんせ猫は“死にたがり”だから」
    「だから違うっての」
    「どうだか」
     肩を竦めてみせた玖朗の言葉に少しむっとしつつも、追眠は劉仁が今しがた出ていった玄関扉を見遣る。
    「それにしても、劉仁……ぴっかぴかだったな」
    「劉仁は生まれた時からマフィアのボスになるべくして育てられてるからね。装いが豪華でも服に着られずにぴったり嵌まる。普段は忘れがちだけど、そういえば由緒正しい組織の跡継ぎだったって、こういう時に思い出すんだよねェ」
    「由緒正しいって……ヤクザだろ」
     だがそれは、先日の芙蓉の見送りの際も含め、追眠もひしひしと感じていたことだった。追眠は考える。もし今回のオークションに、劉仁のような立派で華々しい人間ばかり集まるのであれば、追眠がいかに格好を豪勢にしたところで、すぐに気づかれてしまうのではないか。殺人鬼を追いかけるはずが、思いの外別方向で大事になってきた。しかし、追眠の心配を見透かしたようにメイドの二人が会釈する。
    「ご心配なく。お二人も私共が、ぴっかぴかに仕上げてみせましょう」
    「お任せくださいませ」
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    Replies from the creator

    みなも

    DONEとんでもない書き間違いとかなければ!これにて!完結!
    7か月もかかってしまった……!
    長らくお付き合いいただき、本当にありがとうございました!!
    ウルトラバカップルになってしまいましたが、今の私が書けるウルトラスーパーハッピーエンドにしたつもりです!
    ものすごく悩みながら書いた一連の3日間ですが、ラストは自分でも割かし納得いく形になりました
    2024.3.24 追記
    2024.4.30 最終稿
    玖朗さんお誕生日SS・2023【後編・3日目】 ゆっくりと瞼を開けたその瞬間から、身体が鉛のように重く、熱を持っていることが分かった。たまにある現象だ。体温計で測るまでもなく、発熱していることを悟る。
    「ん……」
     起き上がろうとした身体は上手く動かず、喉から出た唸り声で、声がガラガラになっていることに追眠は気づいた。そういえば、引き攣るように喉も痛む。ようやっとのことで寝返りを打って横向きに上半身を起こすと、びりりと走った腰の鈍痛に追眠は顔を顰めた。ベッドサイドテーブルには、この状況を予期していたかのように蓋の開いたミネラルウォーターのペットボトルが置かれている。空咳をしてから水を含むと、睡眠を経てもなお疲れ切った身体に、水分が染みていった。
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