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    魅惑の♡まおまお編
    これまでで一番意味の分からない展開になりました…
    麻雀エアプ勢が書いてるのでガバガバ!許してクレメンス…

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    うちよそ第2話【第7幕】「僕はぁ!!!! 僕の名前は金井雪広かねいゆきひろですッ!!!!」

     突然絶叫が響いて、会場内は一瞬の沈黙の後、俄然騒々しくなる。人だかりの隙間から、叫んだ当人が見えた。美しい亜麻色の髪を長く伸ばした、まだ年若い青年だ。自身の正体を隠すための仮面もかなぐり捨て顔を晒したうえで、上品そうな男が目を見開き力の限り叫ぶ様子には、何か周囲の人間をぞくりと震撼させるような狂気があった。
    「僕は、身体的欠損のある人間しか愛せない!!!! そして、生まれつき欠損のある人間では満足できなくなって、購入した人間の身体の一部を切断して、僕自ら欠損ある人間を生み出し、愛でていました!!!! いましたァ!!!!」
     すぐに黒服が彼の周囲を囲み、金井は複数人によって抑えつけられた。だが尚も金井は叫び続ける。
    「欠損は素晴らしいんだ!!!! 美しいんだァァッ!!!! 僕は諦めない、この手でいつか、僕の理想の人形を作ってみせるッ」
     黒服によって金井は即座に会場から連れ出される。その後すぐに詫びのアナウンスが流れ、会場内の騒然とした空気が少しずつ沈静化し始めた頃。金井が連れられていったドアを眺めつつ、追眠は顔を顰めた。
    「なんだったんだ、あいつ……」
    「さて、薬物中毒者とかかな。まぁいかにもそんなのがいそうな怪しげな場所だし、あれくらいじゃ驚かないけど」
    「なんか日本語で叫んでたな。……あぁいい、訳さなくて。別に知りたくねェ」
     この会場内の客にほとほとうんざりしている追眠は、玖朗が説明し始める前に先んじて釘を刺す。そう? と玖朗が片眉を上げた。
    「まぁ、話してた内容は例によってイカれた性癖の話だし、割愛するとして……名前、金井雪広って名乗ってたんだよね。確かVIP客の一人だよ」
    「マジか」
    「ガラクタ屋の店で見たフライヤーに名前があったのを覚えてる。ま、あのキチガイが本当に金井当人なのかは分からないし、分かったところで役に立つか微妙なところだけど、とりあえず覚えておこうか」
     玖朗と追眠の二人は、場内をぐるりと一周してきたところだった。そして今しがた辿り着いたのが、まだ確認していない最後の区画。上品なテーブルと、座り心地のよさそうなソファが並ぶ休憩スペースだ。黒服が声を掛けてくる。
    「前夜祭はお楽しみいただけているでしょうか? お時間が許すのでしたら、テーブルゲームは如何でしょう? 現在、あと一席空きがございます」
     休憩スペースの奥の方を黒服が指し示す。簡易的ではあるものの、ルーレットやカードゲームなど、いくつかのテーブルゲームが並ぶ中、テーブルを囲んで座る一行が見えた。三方が埋まり、一方のみが空いている。テーブルの上に並ぶものは見間違えようもない。麻雀牌だ。
    「おや、猫の目の色が変わってる」
    「……あ?」
     玖朗が愉快そうに笑って、追眠の耳元に唇を寄せた。
    「ただ会話するだけより、ゲームしながらの方が突っ込んでいろいろ訊き出せるかも……ちょっと派手に散らしてきてくれない? 猫」
     笑い混じりの声が耳元で囁く。頷きかけた追眠は、ふと思い立って振り返った。
    「アンタ打てよ」
    「えっ?」
    「俺との練習で上達したか試すいい機会だ。多分、余裕で勝てる」
    「ハハ、そう来るか」
    「恐れ入ります、ご参加はいかがされますか?」
    「そうですねぇ、では、折角の機会ですので、同卓しましょう」
     傍らで二人のひそひそ話が終わるのを待っていた黒服に、玖朗が笑顔で頷いた。

     黒服に先導されて卓の近くまで行くと、座っていた三者は各々の反応をした。視線すら向けない者、鷹揚な笑みで迎える者、好奇の視線を投げてくる者。追眠は小さく鼻を鳴らした。椅子に腰掛ける主人のそばには、それぞれ露出の激しい服を着た見目麗しい女性なり少女なり男性なりが、艶かしく控えている。なんであれ、全員変態なのに変わりはない。
    「やぁ、待ちくたびれるところでしたよ。貴殿のご参加を歓迎いたします」
     愛想のいい笑みを浮かべた痩せた老人が言った。玖朗は「どうも」と笑みを浮かべて、空席だった老人の向かい席へと腰掛ける。
    「さて、では早速一局……と、その前に。せっかくの機会です、景品を設けるのは如何ですかな?」
    玖朗の向かいに座る老人はにこにこしたまま、傍らに置いていたアタッシュケースを膝の上に乗せて開いた。
    「私、ジュエリー商をしておりましてなぁ。商談も兼ねて、こちらにもいくつか品を持参しているのです」
    「……これは、商魂逞しいことだ」
     左隣に座る初老の男が鼻を鳴らしたが、老人は気にする様子もなく、何かを取り出すとケースの内側を一同の方へ向けた。
    「まぁ、そう仰らず。……こちらアンティーク品でして、どうぞご覧になってください」
     真紅のベルベッドの上で輝いていたのは、白の宝石をふんだんに使ったバレッタだった。三つ並んだ花と細い茎が繊細に形作られていて、瞬きが美しい。
    「白真珠とホワイトラブラドライト、ダイアモンドが使用されております。金具は18金製ですな。何でも、某国の姫君ご愛用の品だったとか……とはいえ噂レベルで元の持ち主が判然としないため、明日のオークションに出すには安価すぎる品です。ですが、遊びの景品としてはまずまずではありませんかな? 脇に連れた子たちを飾る品として如何でしょう」
     追眠は玖朗の後ろから身を乗り出してバレッタを見つめた。ダイヤモンドの輝きはもちろんだが、ラブラドライトのゆらゆらとした遊色がこの上なく美しい。もっと近くで見ないとはっきりとは言えないが、使われている石たちはおそらく一級品だろう。デザインも清廉な石達をよく活かしている。ぴかぴか、きらきら。あの瞬きをもっと近くで、いや、ぜひとも手の内で眺めたい。
    「玖朗、あれほしい」
     追眠は、椅子に腰掛けた玖朗の耳元で強請る。
    「……ほしい」
    「おやおや……お眼鏡に叶ったのかな?」
     玖朗がくすりと笑う。
    「なら、猫のためにも勝たないとね」
    「うん」
     玖朗と会話していると、右隣に腰掛ける、青年を引き連れた背の低い男が片眉を上げた。
    「おや、北京語ですかな。となると、その子は……」
    「えぇ。本国から仕入れた子でして」
     玖朗がにこやかに日本語で告げる。甲高い耳に突き刺さる声で、男は笑ってみせた。
    「アッハッハ! でしょうなぁ、まさかそこらの中華街から、などと言うこともありますまい! あんなところは下品で下等な者の巣窟だ。この国に寄生する余所者共め」
     例によって日本語でがなる男の言葉は追眠には理解できない。ただ、半分だけ振り返った玖朗が低く囁いた。
    「なるほど? 彼らに言わせれば俺たちは、下品で下等な街の代表らしい」
    「ふーん」
     追眠が相槌を返すと、玖朗は目を細めてから中国語で言う。
    「では、そう仰るあなた様は勿論、皆様さぞ高貴なご出生でいらっしゃることでしょうね」
    「……おい」
     追眠は小さく諫める。だが不思議なことに、玖朗の嫌味に対して周囲の誰も反応しなかった。玖朗が囁く。
    「右の男、俺の言葉を“中国語”って言わずに北京語だって判別できてたからね。言葉を理解されてたら面倒だなと思って……でも、杞憂だったみたい」
     もし玖朗の中国語を理解できたとして、プライドの高そうな彼らが平然と澄ましていることはできないだろう。嫌味の一つでも返すか、眉くらいは顰めるかもしれない。それがないということはつまり、玖朗の放った嫌味は理解されていないということだ。
    「もしほんとに言葉通じてたらどうするつもりだったんだよ」
    「その時は俺がなんとかしたよ、勿論。ともあれこれで、猫との会話は続けられる。援護を頼むね」
    「ん」
     追眠は小さく頷く。アタッシュケースをぱたんと閉じた老人が続けた。
    「では、一位抜けした方がご入用であれば、今のお品を差し上げます。始めてよろしいですかな? それでは半荘にて」
     老人が卓の真ん中のボタンを押すと、平面だった盤の一部がひっくり返り、牌が自動的に並んでいく。流石金持ちの集いと言うべきか、中華街ではまず見ない、最新式の自動卓らしい。そうして牌が現れると、まるでそうするのが当たり前だとでも言うように、脇に控えていた“ペット”たちが皆、自身の主の膝の上に座った。
    「……猫?」
    「やなこった。なんなんだマジで」
     玖朗の物言いたげな呼び声に、追眠は小声で抗議する。
    「俺は後ろで見てる、その方が助言もしやすい。いいか、絶対勝て」
    「絶対だなんて、無茶言うねェ」
     くすくすと玖朗が笑う。かくして、バレッタを賭けたゲームが幕を開けたのだった。

    「……へぇ……」
     ふと、配牌に視線を落とした玖朗が呟く。追眠は玖朗の肩越しに牌に目をやって、それから微かに目を見開いた。
     これはとんでもない当たり牌。玖朗も、頭に浮かんだ役は同じのはずだ。並んだ牌の中、いやに緑色が目についた。至極珍しい形だが、これなら役満、 緑一色リューイーソーが狙える。玖朗が小さく囁いた。
    「……揃うと思う?」
    「今、親だろ。もし取れれば点数は1.5倍、48000点だ。それに親も続けられる。そうなれば他の連中がまくるのはまぁ難しい……つまりリスクに見合う点がもらえる。なら挑戦する価値はある」
    「成程ね」
    「ただし、無理だと思ったら速攻で捨てろ。この役は、捨てる牌から読まれやすいし他の役にも変えにくい。揃えることに執着すると負ける」
    「あぁ、確率1パーセントもないんだっけ? 確か……」
    「確率論だと揃うのは1000回に1回くらいだな。けどまぁ、それでも揃う時は揃う。確率は飾りだと思え」
     玖朗の座る椅子の背に行儀悪く寄りかかりながら、追眠は呟く。
    「ま、あんまいろいろ考えず、好きに打てよ。アンタならそれでも勝てる」
    「おやまぁ、随分と高く評価してもらって嬉しい限りだよ」
    「うるせー、負けたら引っぱたくぞ」
     そうやって軽口を叩きつつも、結果として玖朗は牌を綺麗に捌き切り、見事に緑一色で上がってみせた。珍しい役に、卓中が騒つく。かく言う追眠もこんな珍しい役は久しぶりに見て、目を瞠った。なんにしてもこれで48000点だ。玖朗は、この後どれだけ安い役で上がっても、早く上がってさえいれば親でい続けることができる。そうなれば他の三人には点数を取り返す機会さえない。彼らにとっては、安い役でもとにかく早く上がって親を回し、点数を地道に積み重ねるか勝負に出るのが勝ち筋だが、追いつこうにも役満の壁は高い。それに気づいているのだろう、両脇の二人は分かりやすく仏頂面をしていた。反面向かいの老人は、そもそも商談になればくらいの心持ちで勝敗は気にしていないのか、笑みを絶やさない。
     ま、まるで勝機のねェ卓は、そら面白くねーわな。
     一局が終わり自動卓が新たに配牌する間、追眠は同卓する人間たちを観察し続けた。膝の上に座る他の“ペット”たちはどうやら麻雀などまるで知らないらしく、不思議そうに首を傾げたり、機嫌の悪くなっている主の機嫌を取ろうと露骨に甘えた声でしな垂れかがったりしている。げんなりした追眠は、新たな牌を理牌している玖朗へ視線を移した。
     珍しい役でかなりの高点数を取ったにも関わらず、玖朗はハイになる様子もなく、かといって挙動不審になることもなく、至極いつも通りだった。この様子ならこの後も大きなミスはしないだろう。加えて今の有利な状況なら、放っておいても恐らく勝手に一位抜けする。
     順調過ぎて逆につまんねェ。
     追眠は、景品を強請っておきながら勝手極まりないことを考える。もともと玖朗はかなり打てる方だ。指南を頼まれたものの打ち方に危うさはなく、基本的には判断ミスもない。ただ、負けない立ち回り、リスクを極力取らない慎重な打ち方に特化しているきらいがあったため、勝てる打ち方を——具体的に言うなら、点数状況、局数、配牌などから鑑みてリスクを取るべき場合の見定め方あたりを、連日教えてきたつもりだった。
     椅子の背に片肘を立て玖朗の横顔を眇めつつ、そういえば、と追眠は思う。
     前に玖朗の頼みを引き受けてヤクザと一局交えたとき、二人の立ち位置は今と逆だった。あの時は追眠が椅子に座り、麻雀を打った。その間、玖朗は高みの見物とばかりに追眠の後ろに張り付いて観察したり、いつものよく回る口上で他プレイヤーを引っ掻き回したりしていた。
     負けたら死、なんて、なかなかに物騒極まりなかったあの卓中、イカサマを見張るヤクザの圧や他プレイヤーの煽りはどうでもよかったのだが、玖朗の執拗な観察にだけはどうにも居心地の悪さを感じたものだ。
     あれっ、今ってあん時の分、やり返せるんじゃね?
     いつの間にやら第二局が始まっていたその最中、追眠はそう閃いてしまった。今の盤面、勝ちは盤石だがひっくり返される可能性がゼロなわけでもない。それなら、ありきたりなアドバイスとともに、玖朗に仕返ししてやろう。
     後ろから見られる居心地の悪さをアンタも理解したらいい。
     くすりと笑ってから、追眠は悪戯心で両手を玖朗の首に巻き付けた。皮膚と皮膚とがやんわりと触れる。追眠は顔を寄せて、玖朗の耳元で囁いた。
    「"壁"に気をつけて? 捨て牌を見逃さないでね、ゴシュジンサマ」
     デフォルトの愛想笑いを浮かべたまま、玖朗はほんの少しだけぴくりと反応した。他のプレイヤーはいざ知らず、玖朗にぴたりとくっついている追眠だけは、その微かな動きを見逃さなかった。
     おもしろ。
     企みが功を奏した。牌に伸ばされかけた玖朗の指先が迷っている。追眠はにんまりと微笑んだ。あの玖朗が、追眠の行動で多少なりとも動揺している。こんなに面白いことはない。しかも、今なら追眠が何を言っても何をしても、玖朗は周囲の手前反撃できないのだ。調子づいた追眠は、助言がてら悪戯を続けたくなって、ふらふら彷徨っている玖朗の手をつつとなぞるようにして、指先を重ねた。
    「違う。捨てるのは、その隣の牌」
     玖朗の身体が、またひくりと反応した。
    「……ちょっとリスキーじゃない?」
    「いいや? まぁ見てろ、次隣がイーピンを捨てる」
     その直後、追眠の予言通り、左隣の男は一の筒子ピンズを捨てる。
    「ほらな」
     吐息混じりに玖朗の耳元で囁いてやると、玖朗は軽く息を呑んだ。
    「どうして分かったの?」
    「……勘」
    「勘、じゃなくていろんなものを見た上でのきちんとした予測でしょ」
    「さぁな」
    「さては猫、説明が面倒になったんでしょ。しっかり教えてよ、先生」
    「そのうちな。別にここまで読めなくても、負けやしねェし」
    「困ったな……少しは猫に追いつけたと思ってたんだけど。俺と猫じゃ、見えてるものが違い過ぎるね」
    「ばーか、そんな簡単に追いつかれてたまるか」
     追眠は唇を尖らせる。喋ってみると思いのほか玖朗はいつも通りで、追眠としては若干残念だった。仕方がないので、指南役としての言葉を掛けてやる。
    「今まで教えたことだけで、アンタは十分勝てる。あとは、最後まで気を抜かないこと、それだけだ。ほら、俺のために勝つんだろ? 頑張ってくれよ」
     そろそろ潔癖症の玖朗には辛いところだろうか。悪ふざけをお開きにしようと、追眠は玖朗の首に絡めていた腕を解いた。
    「待って」
     するすると上げかけた腕を掴まれる。
    「猫、そのまま指示して」
    「何だよ、自信ねェのか?」
    「違うよ。誰かさんの指導のおかげで、俺の腕も随分上がったみたいだ。……ただ、確実な勝利がほしい。絶対負けたくない。なんせ俺は、お姫様にバレッタをに献上しなきゃいけないからね」
    「へェ?」
    「それに今回、俺たちはこのゲームで勝つことだけを目的にしてるわけじゃないでしょ? 負けが近くなって気が立ってる奴らがいる……いろいろと聞き出すには最適な心理状態だよ」
    「アンタ、相変わらず性格悪ィな」
    「戦略家って言ってほしいな」
     玖朗がほくそ笑む。
    「俺がうっかり口先の技術に気を取られてこの勝負に負けないように、猫に見張りを頼みたい。力を貸して?」
     この男、やはり少しも動揺なんてしていないのかもしれない。にやりと笑って腕を巻きつけて、追眠は玖朗に向かって囁く。
    「いいよ。絶対勝たせてやる」

     玖朗が牌を取ろうと伸ばした指先を軽く触って、追眠は違う牌を示す。ちらりと追眠を見遣って小さく笑った玖朗は、追眠の指示に従ってその牌を捨てた。
    「そういえば、皆様にお伺いしたいことが」
     玖朗はにっこり微笑んで、牌山から一枚を引く。
    「私、こちらにお邪魔するのは今回が初めてなのですが……オークションのお品もさることながら、VIPに名を連ねる錚々たる顔ぶれに驚きました。ぜひご挨拶する機会があればと思っているのですが」
     左隣の男が機嫌悪く鼻を鳴らした。
    「貴殿も商売人か。さしずめ、販路開拓でも狙っているんだろう?」
    「恐れ入ります。まぁ、商売の話もさせていただければ僥倖ですね」
    「フン。残念だがな、あの方々は易々と面会できるような方たちではないのだよ……そもそも彼らがどこにいるのか、この会場内にいるのかどうかすら、誰にも分からない。見分ける方法もない。知っているのは主催くらいだろうな」
     負けが込んできている男の言葉尻が乱暴になる。玖朗はあくまでにこやかに続けた。
    「存じております。私が伺いたいのはそのことではなく……VIPの中に見慣れぬ名前があったので、先達の皆様に伺えたらと」
     日本語の会話は分からない。情報収集の駆け引きは玖朗に任せ、追眠は黙々と盤上の駆け引きに手を尽くしていたが、その名前だけは聞き取れた。
    「……羅甚仁ルオシェンレン氏とは、どのような方なのでしょうか? 失礼ながらお名前をお伺いしたことがなく……実業家でいらっしゃるんですか?」
     追眠は思わず目を上げて、三者の様子を見遣った。三人は互いに顔を見合わせている。
    「それは……実は皆、与り知らぬことなのですよ」
     向かいに座る老人が言う。右隣の男も、意味ありげに肩を竦めてみせた。
    「名のある企業や事業を手掛ける者であれば、嫌が応でも名前は出てくるもの。それが全くないということは、まぁ……」
    「成程?」
    「何にせよ、奴とは関わらない方がいいだろう。それだけ謎が多いにも関わらず、他のVIPに輪をかけて厚遇されているとか……」
    「おや、厚遇とは?」
    「知らん! そもそも、VIPになれる条件も、特典も、一切が門外不出なのだ。主催の方から声を掛けられねば、VIPになることもできない」
     左隣の男は苛立ちの加速とともに眉を吊り上げ、さらに饒舌になった。
    「まぁせいぜいが、明日のオークション出品物の優先取引といったところではないか? 前夜祭に当たる今日、VIP客だけを対象に、先んじて取引できる場が設けられているとの噂だ。本当に、新参者が馬鹿にしてくれる!」
     ヒートアップした左の男はだんだんと声を荒げ、最後には低く怒鳴った。男の膝の上に跨っていた女性が驚いて肩を震わせ、まぁまぁ、と他の二人が宥める。
    「新参者? では、羅氏がVIPになられたのは至極最近なのですね。にも関わらず厚遇されるなんて、確かにおかしなお話ですね」
     さも驚いたように、玖朗は声のトーンを僅かに上げつつ尚も話題に切り込む。
    「そうですなぁ……最近というか……実は、VIP欄に彼の名が載るようになったのは今回からなのです」
     配牌へ適当に目を落として、落ち着かない様子で膝の上の華奢な男性の腿を撫でながら、右の男が言う。
    「VIPになるためにはまず主催から声が掛からねばならない。そういう意味でその、我らにとってはVIPというのは特別なステータスなのですよ。これまで声がかかるのは、それは名のある人間ばかりだったのですが……」
    「そうだ、それなのにどこの者とも知れぬ男を引き入れるなど! この会そのものの品位が下がるとは考えないのか!? 主催は何を考えている!」
    「まぁまぁ……しかしながら、今回の開催日時とともにVIPの名が公開された時、その男がかなり話題に登ったのも事実です。一体何者なのかと」
    「そうでしたなぁ。そのうえで多くの方々が羅氏について各々調べさせましたが、何も出なかった。だから多くの者は口を噤んだのです。これ以上は、と」
     穏やかに向かいの老人が言うと、両隣の男たちも彼にはっと顔を向ける。老人は、膝の上に乗せた少女の頭を撫でていた。
    「どうやら羅氏とやらは、何か主催と深い親交がおありなのでしょうが……この先は、触らぬ神に祟りなし、と言ったところですかな。はっはっは、長生きの秘訣ですぞ?」

     もう大丈夫、という玖朗の囁きで、追眠は玖朗からするりと離れて上体を起こした。その頃には、ゲームは終盤を迎えていた。玖朗が何某か尋ね始めてから、他のプレイヤーたち、特に両隣の二人は心ここにあらずで、それまで以上に打ち甲斐がなくなってしまった。そうして結局、ゲームは圧倒的大差をつけての玖朗の一位抜けで幕を閉じた。じゃらじゃらと牌が自動卓に吸い込まれていく最中、膝に乗せた青年とべたべた戯れていた右隣の男が玖朗に問う。
    「ずっと気になっていたのだが……もしや貴方のペットは打てるので?」
    「えぇ。こう見えて、私などより余程腕が立ちます」
     玖朗がにっこりと微笑む。追眠は、男から向けられた視線に気づかないふりをした。
    「これはしてやられた! 鮮やかな牌捌きでしたなぁ、うちのにも仕込んでみましょうか」
     鼻の下を伸ばして青年を撫で摩る男を、これ以上視界に入れておくのが不快だったのか、或いは男から引き出せる情報はもうないと判断したのか、玖朗はただ“面倒くさい”と滲ませた曖昧な笑みで応じていた。そこに、椅子から立ち上がり傍らに少女を侍らせた老人が、アタッシュケースを手に近づいてくる。
    「見事な緑一色リューイーソーでしたな、一位抜けおめでとうございます。して、こちらは御入用ですかな?」
    老人がアタッシュケースを開く。そこにはあのバレッタが鎮座していた。
    「えぇ、是非とも」
    「ではどうぞお持ちください。今後とも御贔屓に」
    「勿論です」
     玖朗は一端の遠慮も見せないままそれを受け取ると、挨拶もそこそこにその場を後にした。

     妙に弾んだ足取りで歩いていく玖朗を、追眠は追いかける。人の少ない壁際までやってくると、玖朗はくるりと振り向いた。
    「さぁ猫、お待ちかねのバレッタだよ」
    「お疲れ。謝謝」
     追眠は両手で受け取ろうと手を広げた。だが玖朗はバレッタを、蝶が揺れるピアスの反対側、追眠の側頭部に差し込んでしまった。
    「似合うよ」
    「は?」
     髪を軽く挟むバレッタの感覚。追眠はなんとも言えない複雑な気分になった。
    「あのな、観賞用に欲しかったんだ、自分用じゃねェ。そもそもこれ、女物だろ」
    「そうとは限らない。実際今の猫にはぴったりだ。ねぇお姫様」
     玖朗の口調は足取りと同じくらい弾んでいる。さっきの悪戯に対しての意趣返しかとも思ったが、満面の笑みはどうも本心からのように感じて、追眠はどうも調子が狂ってしまった。
    「んん……これは帰ってから俺の宝石箱にしまう」
    「そうして? こんな場所まで出向いたんだ、これくらいのご褒美はあっていい」
    「んー」
     何だか落ち着かず、追眠は壁際に背をもたれて玖朗の視線から逃げた。玖朗は同じように、追眠の隣に並んで壁にもたれる。
    「さて。それじゃあ、少し情報を整理しよう。まず、会場のあちこちで聞き耳を立てたり聞き込みをしたりしたけど、誰も奴の名前は出してなかった。それと、さっきの卓での話だけど、奴がVIPになったのは今回から。何者なのか誰も掴めなくて、招待客の中でも不審に思う声が出ているらしい。この辺りから、今回奴の手引きをしたのは招待客側じゃなくて、主催側だろうね」
     追眠は眉を顰めた。
    「……今回から、って」
    「そう。中華街を擁するこの街でこのイベントが開催されてるのは、やっぱり偶然じゃない。狙ってあの名前をここぞとばかりにひけらかしてるってことだよ。奴の名前で、あの事件に関わった誰かを誘き出そうとしてる。それは烈幇リィエバンの誰かかもしれないし、俺たちの知らない関係者かもしれないし……猫かもしれない」
    「……中華街で直接襲わず、わざわざこんな悪趣味な会場作って呼び出す理由は?」
    「そうね……一つは、援護が望めない状況にするため、かな。例えば、誘き出したい対象が烈幇リィエバンだとして、本拠地中華街でドンパチしたら流石に勝ち目も薄そうだしね。ただ、それなら猫が言う通り、ここまで大掛かりな場にする必要はない。ましてこの会は違法オークションの場……呼び出すにしたってわざわざこんな、警察に目を付けられそうなハイリスクな場を指定する必要はない。見ての通り、ギャラリーも無駄に多いしね。ま、この辺の事情も、主催に訊くしかないかな。主催と奴が懇意だって噂になってるみたい」
    「ふーん……主催とナカヨシっつー当の“殺人鬼もどき”は、こないだスラムの連中にいろいろ吹き込んだ奴と同じ奴なのか、違うのか……何にしても、十四年も経ってからこんなくだらねェことしてる理由は、絶対ェ訊き出してやらないとな」
    「そうだね。まだまだ分からないことだらけだけど、とりあえず確かなのは……十四年前の事件の関係者が、同じく関係者を何かの目的でこの場に呼び出そうとしてるってこと。それから、それに主催が一枚噛んでる……もしくは、主催者自体があの事件の関係者って可能性もあるね」
    「どっちみち、叩く必要があるのは客側じゃなくて主催側ってことか」
    「そういうこと。そうなるととりあえず、劉仁の方に期待するしかないかな……この会場には、主催の関係者は歩き回る黒服したっぱしかいないみたいだし。あと俺たちにできることは、主催者側と接触できる明日のオークションを待つことくらいかな」
    「はー、こんだけ面倒なめに遭って、収穫少ねェな」
    「地道に行くしかないね。俺は、いろいろ珍しいものが見られて楽しかったよ」
    「なんだよ、こういう場は嫌いなんじゃなかったのか?」
    「いや、俺が言ってるのはそうじゃなくて——」
     玖朗が何か言いかけたその時、ぱっと会場の電気が落ちて真っ暗になる。はっとして追眠が警戒を強めた次の瞬間。
    「……えっ?」
    「……は?」
     ぱっと周囲が明るくなる。灯りが復旧したのかと思いきやそれは、玖朗と追眠、二人だけを狙い撃ちにして照らしたスポットライトの灯りであることに二人とも気づいた。
    「なんだ、これ……」
     戸惑いのあまり漏れた追眠の呟きに被さるようにして、スピーカーにて拡張されたマイク音声が会場中に響き渡った。
    『お集まりの紳士、淑女、そして麗しきペット諸君! 此度の宴も楽しんでいただけているでしょうか? さぁ、宴もたけなわ! 今宵も恒例、新たに会員に加わった方々と、その美しいペットたちにご挨拶をいただくお時間となりました! 今回からの新規会員様は、いつもの通り! 現在スポットライトで照らしている皆様です!』 
    「な、なんなんだ一体。バレたのか?」
    「いや、違うみたい……新規客は挨拶しろってさ」
    「なんだそれ、そんなことするなんてきいてない!」
     追眠の訴えも空しく、有無を言わさぬマイク音声が高らかに告げる。
    『さぁ、ご登壇ください!』
     周辺を見ると、追眠たち以外にも数組が同様にスポットライトを浴びていることが分かった。彼らはずらずらと、会場の奥に設けられたステージに向かっている。ご丁寧にその道中に合わせ、スポットライトの灯りも移動していた。まるで披露宴の新郎新婦だ。
    「これは……こんなに煌々と照らされちゃ、ちょっと逃げられないね」
     玖朗がひそひそと呟く。
    「猫、とりあえず従おう」
    「ハァ……分かった」
     かくして、十組程度の“新規会員”が会場奥のステージ上で一同に介する。
    「意外と少ねェ……ってか、あいつらいねーな」
    『エー、なお、1組、体調不良とのことで先にお部屋に入られているそうですので、ご了承願います』
    「……逃げやがった」
     玖朗が舌打ちした。
    「マツリをこんなところに上がらせるのは酷だろ。まだ子供だぞ」
    「まぁ、あの二人じゃこの衆人環視の状況でボロも出かねないしね。いや既に手遅れかもしれないけど」
     玖朗が肩を竦めた。
    『さて、ここは素性を語らず楽しむ場、当然お名前は名乗って頂かずとも結構です。ただ、新規のお客様には今宵の遊戯に興を添えていただければと存じます。どうぞ、ご自慢のペットの調教具合をご披露ください』
     わあッ、と会場内で歓声が上がった。これまでの上品ぶった様子とは一変して、会場内は熱狂に包まれる。騒めきにかき消されないよう玖朗の近くに寄って、追眠は尋ねた。
    「なぁこれ、なんつってんの?」
    「……あー、えっと……」
     玖朗が口籠る。その理由はすぐに明らかとなった。
    『継続のお客様方には、この夜のお相手のご参考になさっていただければ幸いです。それでは、カメラにて放映させていただいております、端の一組目様より、どうぞ!』
     ネオンライトでごてごてと飾り付けられた、四方が画面となっている巨大なテレビが天井から降りてきた。映し出されているのは、追眠たちから一番遠い反対の端にいるらしい、中年男性と美しい女性のペアだ。挨拶口上でも述べるのかと思いきや、男に何か囁かれた女性は一歩前に進み出ると、Aラインのドレスを細い肩から外した。はらはらと煌びやかなシルバーのドレスが床に落ちるとともに、下着を身に付けていなかった彼女の裸体が煌々としたライトに照らされたその瞬間、会場の歓声は爆発した。
    「な、なに、なに……」
    「見るな」
     途端、玖朗が追眠に覆いかぶさってきた。
    「見なくていいあんなもの。何あの不ッ細工な変態女」
    「玖朗……」
     視界を玖朗が遮ってくれても、マイクで拡張されているらしい音声が耳に突き刺さる。あれは、そう、間違いようもない、嬌声だ。それから、生々しい水音。欲に塗れた、男のくぐもった嗤い声。ぞわぞわと、悪寒が追眠の背筋を這いあがる。
    「嘘だろ、ここで……? 無理、なんで……気持ち悪い、吐く……」
     お次の方、お次の方、と司会が声をあげる度に、嬌声が、気味の悪い水音が、重なっていく。それは、画面の向こう側で行われているのではない。理性を捨て去り獣と化した者たちの狂宴は、追眠たちの真横で、大勢の観客が見ているステージ上で繰り広げられているのだ。よがる声が近くなる。息遣いが聞こえてくる。嫌が応でも、追眠は気づいてしまった。
    「あれを……やれって……? 俺たちに? 無理、無理、無理だ……」
     艶めかしい悲鳴が上がる度に、観客から歓声が飛ぶ。順番が近くなる。あまりの状況に眩暈がした。追眠が縋れる相手は、一人しかいなかった。
    「玖朗、玖朗……俺、むり……」
     あんなことしたくない。気持ち悪い。逃げたい。なんでこんなところにいるんだったか。
    「……猫」
     呼ばれても、顔を上げることすらできない。命懸けの賭け事の方がずっとマシだった。狂乱の場内で、玖朗の声だけが唯一まともなものだった。
    「大丈夫、あんな気持ち悪いことしてなんて言わないよ。ただ……走って逃げ出すのも、この状況じゃ不可能に近い。例え猫の脚を以ってしてもね」
    「わ、わ、わかってる……でも、じゃあ、どうしたら……」
     声ががたがた震える。こんなに“怖い”と感じたのは、久しぶりだった。
    「俺に考えがある。ごめんね、嫌だと思うけど……俺を信じて、今回だけ何も言わずに受け入れてくれる?」
     頭の上から降ってくる声に、追眠は返答するので精いっぱいだった。視線を上げるのが怖い。何かが視界に入ってしまうのが怖い。
    「……そ、そうしたら、ここを乗り切れるのか」
    「約束するよ」
    「……分かった」
    『最後の方です!』 
    「どうも」
     玖朗が薄く笑う声がした。
     視線が上げられない。舐めるような視線が集まるのを感じて、肌がぞわりと粟立つ。脚ががくがくと笑う。ヤクザと戦ったときも拳銃を向けられたときも、死にかけた時すら平気だったのに。
    「猫、こっちを向いて」
     さらと頬に手が降りてくる。多分きっと、また“あれ”だ。身体は促されるまま玖朗と向き合っていて、けれど、視線を上げることができない。
     仕方ないんだ。こんなことでビビってどうする。しゃんとしろ。
     心の中で自分を叱咤しても、どうしても恐怖から逃れられない。こわい。こわい。強くなったと思ったのに、自分はまだこんなにも弱いのだということを突き付けられて、怖くて、どうしようもなく情けない。
    「大丈夫だよ」
     そう言った声が無性に柔らかくて、思わず目を上げる。仮面越しの紫の瞳が優しくて、懸命に堪えていた涙がじわりと瞳に溜まるのを感じた。
    「泣かないで」
     人差し指が、眦を拭うように当てられる。
    「泣いてねぇ……」
     追眠が言うと、玖朗はふふっと笑った。
    「なに笑ってんだ」
    「ごめん。かわいいなぁと思って」
    「……ばか」
    「大丈夫だよ。言ったでしょ? 俺を信じてって」
     くん、と顎を引かれて息が止まる。
    「だぁれもいないよ、誰も……だから、俺だけ見てて」
     玖朗が、小さく小さく、密やかに囁く。
    「猫の大好きな紫だよ? 好きなだけ見て、ほら大丈夫……さぁ、目を閉じて」
    「ん……」
     首を上に傾けてそうっと目を閉じると、溜まっていた涙がほろんと、流れ落ちていった。
     唇が触れる。柔らかい。熱い。窺うように入ってきた舌は、それ自体が生き物のようだ。舌先を絡めとられ、歯列をゆっくりなぞられると、腰から背中にぞくぞくと何かが這いあがってくる。
    「んぅ……ん」
     頭がぼう、と痺れる。ふわふわする。身体中がじんじんして、身体の感覚そのものがよく分からなくなる。気持ちいい。気持ち、いい。
    「は、っ……ん、ん……」
     ちゅぷ、と軽い音を立てて一旦離れてしまったあたたかいそれは、追眠が浅くひと息ついた間にまた重なってくれる。じんわりとした心地よさを、追眠に与えてくれる。
     いつのまにか腰が引き寄せられていた。瞼を閉じた真っ黒な視界のままに、追眠は行き場を失っていた手をゼロ距離にあった体躯に回して抱き付いた。上顎を舌先でゆるりと撫でられて、ひくんと身体が跳ねる。くしゃりと両手で握りしめた布はさらさらしていた。
     微かな頭の動きに合わせて、首の横で互いの蝶のピアスがちゃり、と合わさり揺れる音がする。あぁきっと、照明を浴びて、あのピアスもバレッタもきらきら輝いているに違いない。閉じた瞼の奥で、光が揺れる。青と紫の蝶々、乳白色の中に青の遊色を灯すラブラドライト、艶めく白真珠、眩いダイアモンド。それから、生きている宝石。秘密の瞳。何より美しい、紫水晶の煌めき。
    「ふぅう……っ、ふ、ぁ……」
     熱が離れていく。それはもう一度、重なろうとはしなかった。
     身体がぞわぞわする。けれど、それはさっきの恐怖と嫌悪感から来ていた悪寒とはまるで違う。なんだか、もっと——わからない。上手く表せない。ただ、名残惜しい。
    「ふふ、息継ぎが上手くならないね」
     意地悪で優しい声が降ってきて、追眠は固く閉じていた瞳をやんわりと開いた。光が差してくる。夢のように美しい瞳が、追眠を覗き込んでいた。
    「あ……」
     一音だけ、声が漏れた。もっと。もっと欲しい。力の抜けた身体は自身で立つことを止め、いつの間にか相手に体重ごと預けてしまっていた。
    「そんな眼で見ないでよ……気持ちよかった?」
     さら、と後頭部を撫でて手が離れた。
     途端、追眠ははっと我に帰る。羅甚仁を追いかけて潜入したイカれたパーティー会場。衆人環視の環境。聴覚が機能し始めて、耳につくざわざわとした人の声が聞こえてくる。かっと頬が温度を上げた。追眠の心中を読んだかのように、玖朗が言う。
    「猫、隠れてていいよ」
    「うぅ……」
     追眠は玖朗の背に隠れると、両手を後ろから回して頭をその背に押し付けた。ぎゅうと握りしめた服の生地は、先ほどと変わらずさらさらだった。
    「申し訳ありません、うちの子は初心うぶでして」
     玖朗の声がマイクで拡大されて、会場中に響いていた。追眠が回した両手の上に、まるで慰めるように玖朗の手が重ねられる。
    「皆様の自慢のペットの後に大変恐縮ではございますが……この通り、この子はまだ“仕込み中”です。どうか今宵はこれにてご容赦ください」
     玖朗がそう言うと、ぱちぱちと拍手が起こった。追眠には玖朗が放った言葉の意味も、人々のどよめきの中で発せられる言葉の意味も分からない。歓声や拍手が送られている意味など考えたくもない。羞恥や恐怖や、いろいろなものが身体の中で暴れて、もう死にそうだった。
    「……中華街に、帰りたい」
    「そうね」
     一言だけ追眠が呟くと、玖朗はそう答えた。

    『……オークションは明日の16時より、当ホールにて開催いたします。今宵はどうぞごゆるりとお楽しみくださいませ……』
     やっとステージ上から解放された後も、追眠は玖朗の後ろに隠れて進む。ぞろぞろと招待客が会場を後にしていく最中、日本語のアナウンスが何度も繰り返されていた。辺りにはちらほらとその場に残り佇む客たちもいる。ステージ上であんなものが披露された直後だからか、周囲には露骨に淫靡な雰囲気が漂っていた。ここではないどこかへさっさと逃げ出したいのに、玖朗の背後に隠れてもなお、まるで捕まえられてしまいそうなくらい粘ついた視線が、今までよりずっとあからさまに纏わりついてくる。玖朗もそれに気づいているのだろう、追眠の手を掴んだまま、できる限りの速足で会場の出口へと向かっているようだった。
    「やぁ」
     気軽な挨拶とともに、誰かが玖朗の行く先で立ち塞がった。仕方なしに玖朗が足を止める。
    「あぁ、さっきの……」
     外面を装うのは止めたのか、玖朗の声にははっきりと苛立ちが滲んでいた。追眠がちらりと見遣ると、麻雀卓にて右隣に座っていた背の低い男だった。卓中にも見かけた青年を引き連れている。
    「ステージ、お疲れさまでした」
     にたりと笑う男の顔などもう見たくもなくて、追眠はすぐに玖朗の後ろに引っ込んだ。
    「はぁ、どうも」
    「いやはや、仕込み中、ね……なるほど……」
     周囲からの視線をひしひしと感じて追眠は俯いた。何でもいいから早く逃げ出して、布団の中に潜り込んでたくさん寝て、それで全部忘れてしまいたい。
    「実は卓中から、貴方のペットが気になっていた。後ろから囁いて密やかに笑う様子が実に艶美だった……もちろん、先ほどのパフォーマンスも……」
    「……ご用件は?」
    「ハハハ、そう急がれず……夜は長いのです、どうですか、もう一局。今度は、互いのペットをかけてということで」
    「お断りします」
     玖朗が間髪入れずに言って、とうとう舌打ちする。ほんの少し立ち止まったその間に、周囲を囲むようにわらわらと客たちが集ってきていた。
    「まさかここであれほど手付かずな子に会えるとは」
    「却って唆るものがありましたな」
    「私たちが教えてあげよう」
    「ぜひに、今晩はご一緒したい」
    「うちの子と戯れているところを拝見したいものです」
     ざわざわ、ざわざわ。理解できずとも、低く交わされ、背筋をなぞっていくような言葉の羅列は不快で不気味で、ぎらぎらとした目はまるで人間のそれではないようにすら思えた。
    「じ、玖朗……」
    「大丈夫だよ」
     玖朗が小さく言う。握られた手に込められた力が、少しだけ強くなった。
    「申し訳ありませんが」
     群がってきていた全員に聞こえるように、玖朗は大きく、そして冷ややかな声で言う。
    「この子を他人と共有するつもりは一切ありません。それに……あなた方はどうあれ、私は他に興味もないので」
     汚物でも見るかのように瞳を細めた玖朗がそう告げると、周囲の客たちが一瞬たじろぐのが分かった。
    「さぁ行くよ。猫」
     追眠に向かって告げられた一言だけが中国語だった。玖朗は追眠の背に手を回す。腰を抱かれるようにして、追眠は玖朗とともに会場を後にした。

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    Replies from the creator

    みなも

    DONEとんでもない書き間違いとかなければ!これにて!完結!
    7か月もかかってしまった……!
    長らくお付き合いいただき、本当にありがとうございました!!
    ウルトラバカップルになってしまいましたが、今の私が書けるウルトラスーパーハッピーエンドにしたつもりです!
    ものすごく悩みながら書いた一連の3日間ですが、ラストは自分でも割かし納得いく形になりました
    2024.3.24 追記
    2024.4.30 最終稿
    玖朗さんお誕生日SS・2023【後編・3日目】 ゆっくりと瞼を開けたその瞬間から、身体が鉛のように重く、熱を持っていることが分かった。たまにある現象だ。体温計で測るまでもなく、発熱していることを悟る。
    「ん……」
     起き上がろうとした身体は上手く動かず、喉から出た唸り声で、声がガラガラになっていることに追眠は気づいた。そういえば、引き攣るように喉も痛む。ようやっとのことで寝返りを打って横向きに上半身を起こすと、びりりと走った腰の鈍痛に追眠は顔を顰めた。ベッドサイドテーブルには、この状況を予期していたかのように蓋の開いたミネラルウォーターのペットボトルが置かれている。空咳をしてから水を含むと、睡眠を経てもなお疲れ切った身体に、水分が染みていった。
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