ごっこ遊びを膝に受けて原稿ができないロナルド先生 その日ロナルドはロナ戦の締め切り間近だった。まだ天ぷらになる危険はないが、そろそろ本腰をいれて原稿を進めなければならない頃だ。事務所の扉に本日は休みであるというお知らせを貼り、原稿するときの服装になって、ロナルドはパソコンとにらみ合っていた。
「おい若造」
そこに声をかけられたが、ロナルドはパソコンから顔をあげなかった。
「なんだよクソ砂」
「今日はジョンとイチャつくだけの日にしたから。邪魔するなよ」
「するか、オメーこそ邪魔すんな、よ……」
ロナルドはふとその声に違和感を覚えて顔をあげた。なんだかいつもよりも高い声のような気がしたのだ。
そして目線を向けたそこには、十代半ばほどまで若返ったドラルクがいた。いつもより背が低く、頬がふっくらとし、目の下の隈や眉間の皺もない。首元には赤いリボンがひとつだけかけられている。腕にはいつものようにジョンが抱えられていた。
「なんだその姿」
「ジョンがこの頃の私とイチャつきたいというからお母さまに姿を変えてもらったんだ」
「ヌヤン」
ジョンがてれてれっと顔を覆った。可愛い。
「あっそう……。俺も原稿進めなきゃヤバいんだ、あっちいけ」
「言われんでも行くわ。さぁジョン、可愛い15歳の私を独占しておくれ~」
「ヌー!」
きゃいきゃいとドラルクとジョンがソファへむかって歩いていく。ロナルドはパソコンに目線を戻す……ふりをしながら、その後姿を横目で見遣った。
なにそれ。俺も……混ぜてほしいんですけど!
ジョンが可愛いのはもちろん、中身がクソ砂といえど少年姿だと怒りが軽減する気がしたし、なにより仲間外れがすこし寂しかった。しかしジョンの要望でイチャついているのなら邪魔するなんてとんでもない。ロナルドは耳をこっそりそばだてた。
「そうだなぁ、せっかくだし口調も若々しくしてみるか。あー、コホン。――ジョン♡ お膝に乗ってください♡」
「ヌ~♡」
「ジョンったらお腹ふわふわなんですから♡ 世界一かわいい♡ こちょこちょ♡」
「ヌヒ~♡」
「うーん、良い匂い♡」
「ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ♡」
「私も良い匂いだって? ふふ♡ なにせジョンの主♡ ですから♡」
なんじゃそのハートマークが乱舞する会話は。マジで全力でイチャつき始めやがった。しかもバカップルみたいな方向性だ。ロナルドもいるのに。ロナルドもいるのに!
「ちゅ♡」
「……え?」
リップ音がしてロナルドはつい声をあげた。ドラルクがジョンの頬にキスを送っていた。
「なんだ若造、邪魔するなって言ったろ」
「……しねえっよ!」
声色とテンションを戻したドラルクに冷淡に言い捨てられ、ロナルドは泣きかけた。ちょっと驚いちゃっただけだろ! 俺がいるところでイチャつくほうが悪いだろ! ――と、内心ではわめくが、声には出せない。主従が移動してしまうかもしれないので。
「ジョーン♡」
「ニュ~?」
「ふふ♡ 呼んでみただけ♡」
「ヌヌヌヌヌヌ♡」
「ジョン♡」
「ヌヌヌヌヌヌ♡」
主従はイチャつきを再開し、うっとりとした表情で見つめ合った。現在お互いの瞳にはお互いしか映っていないだろう。あまぁい空気がロナルドの方まで漂ってきて包み込む。パソコンに表示されている原稿は、血なまぐさい吸血鬼との戦いを書こうとしているところだった。書けるか!
「ジョン……私のこと好きですか?」
「ヌン♡」
「ふふ♡ どれくらい?」
「ヌヌヌヌヌヌヌヌ。ヌンヌヌヌヌヌヌッヌヌヌヌヌヌヌヌ」
「やだジョンったら♡ 情熱的なんですから♡」
ジョンの答えにドラルクはぽっ♡ と頬を染めた。なんて答えたんだジョン。さいきんジョンの言葉がわかるようになってきたロナルドだが、即答&早口すぎて聞き取れなかった。
「ジョン、私も同じ気持ちですよ。ずっとずーっと、一緒にいましょうね……♡」
「ヌン♡」
「ところで、ジョン♡」
「ヌー?」
「こ・れ♡ なんですか?」
「ヌアー!?」
ドラルクが何かを取り出した。ロナルドが横目でそれを確認すると、なんとそれは、ロナルドの兄であるヒヨシの写真だった。今よりも少し若……いや、若さは変わらないが、つけヒゲはなく、赤い衣装を身に着けていて、吸血鬼退治人の頃の写真だとわかる。ロナルドですら持ってないレアな写真だ。しかもサインつき。
「ジョン、私は傷つきました。私に隠れてこっそりと他人の写真を手に入れるなんて……。後ろめたい想いがあるってことじゃないですか?」
「ヌアッ!? ヌヌヌ! ヌヌヌヌ!」
「違う? 誤解? 浮気者はみんなそう言うんですよねえ……」
ドラルクの声は若干芝居がかっていたが、ジョンは慌てていた。ジョンを追いつめるんじゃねぇクソ砂! なにがしたいんだ! とロナルドはハラハラした。
「ヌヌヌ、ヌヌヌヌヌンヌヌヌヌヌヌヌヌ……」
「え? ロナルド君へのプレゼント?」
えっ、とロナルドは声を出しかけた。慌てて頬の内側を噛んで耐える。痛い。
「ヌヌヌヌヌヌ」
「サプライズ? だから隠してたんですか」
「ヌンヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ!」
「ジョン……♡」
「ヌヌヌヌヌヌ♡」
「ジョン♡」
「ヌヌヌヌヌヌ♡」
――え? もしかしてこれイチャつきのダシにされた? ジョンから俺へのサプライズプレゼントをイチャつきのダシにされた? 後で殺す、クソ砂。ジョンとのイチャつきが終わった後で殺す。ロナルドは決意した。
「じゃーん! ジョン♡ こっちはなんでしょーか♡」
「ヌー! ヌッヌー♡」
「そう、クッキーですね♡ 今日はヒナイチ君来れないって言ってましたし、ぜーんぶ♡ 食べていいんですよ♡」
「ヌヒャ~♡」
俺は? ねぇ俺のおやつは? 原稿を書くとき小腹を満たせるクッキーがあればめちゃくちゃ嬉しいんだけどな!? とロナルドはそわそわし始めたが、ロナルドの手は完全に止まっていて、そもそも原稿を書いていないのだった。
「ニュ~♡」
「うん? あーんしてほしいんですか? もう♡ いつまで経っても甘えんぼなんですから♡ 甘えるのは私だけ♡ にしてくださいね♡」
「ニュン♡」
「はい、あ~ん♡」
「ニュ~ン♡」
いつまで経ってもってなんだ、15歳設定はどこにいったんだ。それにジョンに甘えられる権利はロナルドにもわけてほしい。ハートマークがココココンッと頭にぶつかってきているかのようでロナルドは頭痛がしてきた。しかし聞き耳をたてるのをやめられない。
「おいしいですか?」
「ニュンニュン♡」
「ふふ♡ どれくらい?」
「ちゅっ♡」
「んっ♡」
えっ?
ロナルドが目を向けると、ジョンがドラルクにキスしていた。頬ではなくマウスツーマウスである。
えっ……?
どういうことだろうとロナルドは思った。ドラルクが味の感想を求めた→キスというのはどういう流れだろう? キスしたくなるくらい美味しかったという意味? それとも唇に残るクッキーの味をキスで教えたということ? どちらにせよバカップル上級者の流れすぎてロナルドには理解不能だった。
ロナルドがぽかんとしている間に、クッキーはすべてジョンの腹におさめられた。最後にぺろりとジョンがドラルクの指についたクッキーの欠片を舐めとる。くすくすとくすぐったそうにドラルクが笑っている。
――ふとドラルクが顔をあげて、ロナルドを見た。続けてジョンもロナルドを見上げた。よっつの目に捉えられて、ギクッとロナルドの肩が跳ねる。
「ロナルド君。私たちこれから棺桶に行くけど。混ざる?」
「は? …………」
……………………。
……たっぷり一分は悩んでロナルドは首を振った。
「いや……」
「思考時間長ッ!」
ドラルクはジョンを抱っこして立ち上がり、その額にちゅっちゅとキスの嵐を降らしながら去っていった。ロナルドはなすすべなくバカップルの後姿を見送った。ロナルドの視界に入らぬところで棺桶が開けられ、閉められた音が続く。
しばらく、何も聞こえなかった。あの棺桶は生意気にも割と防音性能がある。ロナルドはただ、棺桶がある方向を呆然と眺めていた。
「ぁっ! ジョン、そこはだめ……」
やがて、ちいさなちいさなそんな声が聞こえてきて、ロナルドは、すっと立ち上がった。そして、原稿用机の後ろにある、よく割られる窓を振り返る。
(――窓は割らない……驚かせちまうだろうし……。俺は今日ちょっと、大人になったから……)
ロナルドは男の涙を流しながらスマホを手に取った。非常に今更だが、この場所ではもはや原稿など不可能だ。フクマさんに連絡して亜空間に閉じ込めてもらうつもりだった。
完