しずく、しずか、しずむ【延長/一】「絶対ついていきます!」
そう言ってウサミが離してくれないもんだから大変だった。
「僕もつれてってください!」
「無茶言うな! あのなぁ、出張だぞ?」
そう俺は急に日程が決まった五日間の出張へ行かなくてはならなくなった。
「仕事なの、し・ご・と! な?」
普段の出勤時にはそうは言わないが、唐突な五日間の不在は納得できないようだった。
「遊びに行くんじゃねぇんだから」
「僕、見えないように隠れていますから」
「いや、その存在感は消せないだろ……」
中には見えないやつもいるらしいが、白く長いこの尾はちょっとやそっとで隠せるもんじゃない。
「ずっと人間の脚でついてくるってのか?そんなことないだろ?」
目に見えて落ち込んでいるのが分かる。だからって、じゃあ仕方ないとはならない。
「──おいていかないでください」
俺にの胸に顔をうずめてそうつぶやく。怪異の肌が触れた部分、たちまち体温をうばわれていく。
「置いてく、なんて言うなよ。俺は五日後には帰ってくるんだから。お土産も買ってくるからさ、なぁ?」
男女の今生の別れのやりとりだったらどれだけ美しかっただろうな。
でも現実は蛇の下半身に美丈夫がくっついてしがみついてんだから。妖怪画だよ、こんなの。家の扉が閉まる、鍵をかける、その姿も見えなくなる。
閉じ込めたみたいで、悪い気はしてるんだ。
けれど、半野良猫みたいなことはできない。
家を出るタイムリミットギリギリで放してもらえたからな、名残惜しむ時間など残っていない。俺はそっから、家から、駅から、階段から、猛ダッシュしたし、新幹線に間に合わないかもしれないと様々な意味でドキドキした。
それが五日前だった。
帰ってきてからは──そう、そうそう。
そうだった。
俺が玄関で「ただいま」って言うのと同時くらいに抱き寄せられて、「おかえりなさい」の言い終わるか終わらないかでウサミが舌を絡ませてきた。話したり言葉を交わす前にもう、ウサミは待ってました、とばかりに長い舌が口内に入ってくる。
五日分、なにもなかったかを確かめるよう、念入りにじっくりゆっくり……けれどお預け食らってた状態だからか、いつもより激しく俺の舌に絡みついてくる。
息を吸うたび、ウサミの二の腕が少しずつ締まっていく。まるで逃げ場を奪うように。足元を這い上がる長い尾が、後ろをゆっくりと撫でながら、背中を這っていくたび、俺は骨までぐらぐらと溶かされていくような錯覚をして、そうして──
「……んんっ、 ……ッッ」
そのまま何も考えられなり、頭が真っ白になる。
まさか、まだ何も始まっていないのに。触れられてすらいないのに、舌だけで──
自分の身に起こったことに、さっきまでの熱とは別の、羞恥によるそれでいっぱいになる。
「……」
ウサミも見たこと無い顔をしていた。
おそらくの域を出ないが、
”キスだけで……うれしい!”と
”僕に、ほしかったのに!”が
混ざっているんだと思う。
俺の顔と、その下を、目玉が上下交互にぎょろぎょろ忙しなく動いていた。
しばらくそうして、互いに体が動かずに居たが、
「門倉さん、脱いでください」
怪異は真剣な、嘘や冗談が混じっていない、本気の声色で言い放つ。
「えっ?!」
「勿体ないです」
「勿体なくはない!」
まずい、まずい、まずい。俺のズボンに怪異の手がすでにかかっている。このままだと俺の下着まで剥いでいきそうな勢いだ。
「ま、まってくれ! 本当に待ってくれ!」
「待てないです!!」
力でこいつに勝てるわけない、けれどこの防衛ラインは死守したい。
「か、からだ、洗わせて!綺麗にしてくるから! だから、あと少しだけ待ってぇ……」
全力で頼み込み、なんとか聞き入れてもらえた。
汗だろうが涙だろうが、この怪異ならなんでもほしがるけどさ、人間にはいろいろな事情とか心情とかあるのよ。
丹念に念入りに隅々まで洗い流してから、湯船につかった。
どんなに磨き上げたところで、おじさんはおじさんのままなんだけど、
もう一旦、気持ちをリセットさせてほしかった。
この密室で。
キスだけであんな……と、先ほどのことを思い出しては、ばしゃっ、顔面にお湯をかける。
だってよ? 俺は単純にキスだけに反応したんじゃない。その先にあるだろうことをわかっていて、その全てが前提にあって、ああなった。
ウサミは、さみしかった、会いたかった、って俺にすり寄ってきてさ、きっとそのまま離さない。そうして一晩に、何度も、何度も……と、俺はそれを期待してしまっていた。くたくたに疲れている、それなのに俺はあっという間に熱でいっぱいになって──
ああ、はずかしい、はずかしい……こんな恥ずかしいことない!!ばしゃ、と水面を叩く。
自覚する程、このまま湯の中にとけて消えてしまいたくなる。
しかし、恥ずかしさのあまりに──これは、よくなかったな、と思うんだけど、つい口から……
「今日はこのまま、寝ちまいてぇなぁ……」
ってぽそっと呟いちまってな。
次の瞬間、風呂場の扉に、バンッと叩きつけられる音。すりガラスに手の跡がついている。
「ひぃッ!?」
こんなの悲鳴、出ちゃうよね。怪談かよって。そのあとも扉をガタガタする音が止まらない。こわれちゃう!お風呂場壊れちゃうからやめて!
「もう出るから! 出るから待ってよぉ……」
湯船に溶けることなく現実に戻され、俺は半べそでそそくさと風呂場をあとにした。
これが数十分くらい前の話かな。
で、俺は、今、何をしているかっていう話になるんだけど。
全裸で膝立ち、ウサミにまたがるようにして腰を落としかけた体勢。
そのおじさんの腰にも膝にも厳しい姿勢のまま、後ろ手にされ、そこには怪異の蛇の尾が絡みついている。上から吊るされるようにして、座ることも立つこともできない。
そんな無様な格好のまま、ウサミが俺の身体に自身を重ねる。
入るか否か、ぎりぎりの位置に。
――なんだこの、最低な処刑台みたいな構図。
「一日千秋でした」
怪異のそんな口上からはじまる。どこで知ったんだ?テレビ?ドラマ?
そんな言葉知っていてえらいな。
「門倉さんと一緒に過ごす時間は、あっという間に過ぎ去るのに、いない間はとっても長くて」
「お、おう、うん。 それは……ごめんな」
「本当にさみしかったんです。 あなたとは時間の進み方がちがうから」
なんて言う。それが比喩なのか本当の話なのかわからないが、とにかく会えない時間が長かったと、延々とつづくつづく。そんな説教じみて、それでいて恋文めいた語りを述べられてもさ、ごめん、悪かった、しか出てこない。その間も後ろをじわじわと、ずっと宛てがわれ、擦られて、どうにかなりそうだし、それに完全に湯冷めしてしまって寒いし……。
「ところで──ねえ、門倉さん」
思考に横入りされるよう名前を呼ばれ、尻を掴まれる。その指が後ろを広げるように食い込む。
「う、ん……ッ」
「これ、なんですか?」
もご、と動いたその頬。そこからベロォ……と口の中から現れたのは薄ピンクのてらてらと光る、四角い──
「……あっ、」
それを目にした瞬間、世界がギュンッと巻き戻る。
出張の最終日、契約がうまくいったことでの労いの飲み会、盛り上がった二次会、そのあとさらに連れて行かれたキャバクラ、そこでもらったキャストからの薄ピンク色の名刺──
「こんなもの持って帰ってくるなんて」
「まってくれよ……そんなの、ただの名刺だし、なんだったら紙きれだろ」
「あなたはいつもそうですね!」
ベチンッ!と、尻をひと叩きしたあと、ウサミの片手がそこから離れ、サイドテーブルへと伸びる。
「MIKAちゃん、ですか?」
ねえ、パスワードとか、指紋認証とかどうしたの? スイスイ、俺のスマホを操作していくじゃん。
「仕事だって、遊びに行くんじゃないって……」
いや、もうそれは、人間でいうところの仕事の範囲なんだよ、付き合いで行ってさ。向こうだってお仕事なんだよ。たのしかった、とか、また来てねっていう定型文を送るお仕事なの。
「──言ってましたよね?」
そんなこと通じるはずもない怪異。
スマホのディスプレイの光で照らされ、見上げてくるウサミの視線が冷たくて、後ろ手に絡みつく尾がぎゅっと締まるのが分かった。
もう俺の指先の感覚も、温度もない。だが、
「う、ウサミ?スマホをまず置いてくれるか? それを壊されると、俺は……」
ミシッ、という音が聞こえそうなくらい怪異の手に力が入っているのが分かるし、もう片方で握られる俺の尻も痛い、ちぎれちゃう。
「門倉さんのことは壊していいんですか」
「えっ!?」
「自分を置いてくれ、って言わないんですね」
「え、や……、まあ……お、おろしてくれる、なら……そうしてほしいんだけど」
ウサミは黙ってスマホをサイドテーブルに戻すと、ゆっくり口を開く。
「あなたはすぐ他人の好意を持って帰ってくるから、心配なんです。僕」
遊びに行ったわけじゃないのは本当だ、付き合いだった、とはいえ家にこういうものを持って帰るのはこいつの執着や、怪異の欲を煽る行為だ。わかっていたのに。
「ウサミ、悪かった……」
ウサミはしばらく黙って動かなかった、やがて掴んでいた手が緩み、俺の尻をなで始める。ピンと張り詰めていた空気が緩んだ。
「門倉さん、五日いなかったんですよ?」
「……そう、だけど……」
「一日千秋なら、五千秋になりませんか?」
「え、いや、そうは──」
ならねぇだろ、
そう、言い切る前に尻尾の拘束が緩む。
俺の、まったく意図しないタイミングで、
「……っ、いっ……、~~~ッッッ!!」
怪異の体に、そのまま堕とされ押し込まれた。