しずく、しずか、しずむ【延長/二】時代の流れが早いからさ、ついこの間まで最新だったものがすっかり古い、みたいなこといっぱいあるよね。
俺だって昔はさ、なぁんて……この話はいっか。
それよりも、だ。出張で5日間留守にしたあと五日五千秋とか言ってくる怪異が、俺の家に住んでいる。
で、たまたま電気屋に寄ったんだ。今は中古のスマホも売ってんだね。それで大したやつじゃないけど型落ちのやつを買って帰った。
「どうしたんですか、これ」
「ほら、この間の出張中によ、お前と連絡とれなかっただろ」
固定電話は結構昔に取っ払ってしまい、今の俺のスマホしか持ってない。
ウサミは普段から俺のスマホ操作は慣れたもんだし、ノートパソコンとかも触れるし、現代っ子怪異だな。だから、使い方は問題ないはずだ。
「いつでもってわけにはいかないが、電話したら少しは気が、その、ラクにならないか、って」
つまり、まあ、5日間連絡もしないっていう薄情なのはよくなかったかなと。
でも正直、こいつにスマホを渡すってなると、監視なりされそうでこわいんだけど、な……。
受け取ったスマホをスイスイ、慣れた感じで操作していくのだが──
「むずかしい、と思います」
「えっ!? あー、うーん……」
ポリポリ頭を搔く。
「電話なんかじゃ、満足できねぇのはわかってるんだけどよ……」
妥協案とか、代替案としてだ、と言おうとしたのだが。
「そういうのじゃないです」
きっぱりと否定された。ウサミはスマホを指さす。
「かけてみてください」
「お、おう」
テストもかねてメッセージアプリを起動し、それを通話状態にしてから渡した。部屋の中で距離をとり、
「もしもし?」
そういえば、電話越しにこいつと会話するのはじめてだな。なんて思っていると
「門倉さん」
︎ 『────』
耳に当てているスマホのスピーカーからはなにも聞こえない。
しかし、部屋の中で、ウサミの声は確かに俺の耳に届いている。
(電話に声が乗らない……のか?)
もっと早く気付くべきだった、そもそもカメラに映らないんだから、そういう可能性もあったよな。
「……ああ、そっか。 悪かったな」
マフラーに続き、また不要なもんを贈ってしまった。回収しようとしたのだが、それをパッと後ろに隠される。
「ん?」
「これは、僕が、門倉さんからもらったんです」
不可逆っていうか、なんていうか。 返しません、という強い意志。
まあ、とにかく、その日を境に怪異は自身のスマホを手に入れたわけだ。
後日、急に残業しなくちゃならなくなった日だ。
そういえばと、ウサミにその旨を伝えようとアプリを開く。短いメッセージと、たぬきが謝るスタンプを送った。
あいつ、住み始めた頃、識字がなんというか微妙だったんだよなぁ……と、思い出す。
字を字ではなく、図や画として認識してそうな時期があった。それがまあ、日々映画やインターネットをやってるお陰か、問題なく……いや、問題はたまにあるけど。
とにかく、このくらいなら読めるはずだ。それに、あいつがどう返信してくるかなんて、ちょいとばかし楽しみにしている自分もいた。
しかし、待てど暮らせど返事どころか既読もつかない。俺は仕事を終え、なんだかんだで帰路についてしまった。
「ただいま」と言えば「おかえりなさい」と、いつも通りのやりとり。帰りが遅れたことに怒った様子もない。不気味なほどに。意を決し、そのことをを聞いてみることにした。
「なあ、さっきメッセージ送ったんだけど……」
「はい」
「見なかったのか?」
「ああ……、なんていうか」
珍しく言い淀むようにしてから、
「僕、“できない”んです」
返された言葉に目を丸くする。
「でき、ない…… って?」
でもスマホの操作はできている。
「打ち方が分からないのか?」
「なんて言えばいいですか?」
「いや、分かんねぇから聞いてんだけど……」
うーん、と互いに悩むようにしていたが、ふと気づく。
「おまえの手を、こうさ」
画面に指を重ねるようにしてスマホを操作する。
「このアプリの…… ここ……で、スタンプを」
と、タップする。 したはずだ。
ウサミがタップしたはずの画面は、何も反応を示さなかった。
重ねたウサミの指が画面に沈み込むよう、すり抜けていく。俺がその上から同じ場所をタップすると、ようやくスタンプが送信された。
シュポンッ、俺が選んで、俺が押したスタンプ。それが表示される。
何がおきた? できない、ってのは触れない、という意味なのか? でも、操作はできてるし、俺のスマホを見てたし、えっ、でも、今のは?
電話に乗らない声、使えないアプリ、すり抜けた指、映らない姿──
(いや、でも……)
俺は今、ウサミの指を触っている。会話しているし、ここにいる存在として、居るものとして、認識している。
でも、それを他人に証明出来る術が、ない。
声も、写真も、履歴も残らない。
そもそも、“自分で何かする”という自由意志みたいなもんが、こういう媒体を通じては認識されないのかもしれない。
俺は自分のスマホを開き、ウサミが触っていた筈の時間帯、検索履歴を確認する。でも、残っていない。 なにも。
今まで俺のスマホに残るメッセージのやりとり、ウサミにとって気に入らない相手をブロック出来ていたはずだ、でもしていなかった。
干渉“できない”から。
「また考え事ですか?」
「あ、ああ…… おまえのことを、少々……」
「門倉さんが、僕のこと考えてくれて…… うれしいです!!」
いつものように尾が絡みついてきて、手は腹を撫でてきて──うん。機嫌はめちゃくちゃいいみたいだな。
「あの、よ。 俺がいない間、留守してるのが嫌で、外に出かけたいとか、その…… そういうの、あるか?」
「ないです」
「あー、そぉ……」
たぶん、世の中にはこいつが見えない奴もいて、逆に異質さや、あるいは整いすぎた顔、それに振り返る人もたまにいる。
でも大体が、大勢の中にいる今日すれ違った、しかしすぐに忘れてしまう、背景の“だれか”であって、こいつを“ウサミ”だと認識して触れているのは、おそらく俺だけで──
「門倉さんが、言ってくれましたから」
「俺が? なんて……」
「ずっと家にいてほしい、って」
そんなこと言った覚えは……、いや、以前にアルバイトしたいとか、突拍子も無いことを言い出した時だったか。
下半身蛇のヤツを外になんか出せない、俺の預かり知らぬところで何かしでかしたら、だから無茶せず家にいてほしい、なんて曖昧に場を収めようと零れた言葉だ。
俺がそう選んでしまったせいで、怪異は閉じ込められて、より“俺にしか証明できない存在”になってしまった。
「だから、僕、ここにいます」
いい子でしょう?と言わんばかりに、擦り寄ってくる。
俺がこの怪異を育てている。
証明する手段を持ってるのも、隠し通せるのも、全部──俺だけだ。
家、という箱の中。そこでどうしてるかも確かめる術のない俺は、ある日にウサミのスマホの位置情報アプリを入れた。
今日も自宅からぴたりとも動く様子がない。
五日五千秋だったと言ってたけど、あいつには本当にそういう感覚だったかもしれないな。
ただただ俺の帰りを待っている”だけ”の、止まったように遠く長い時間。
怪異に監視されるかもしれない、と思っていた。それなのに丸っきり逆のことをしてると気づいて、俺は早々にアンインストールすることにした。