しずく、しずか、しずむ【二〇】「ただいま」と言えば、「おかえりなさい」が返ってくる。
それが、当たり前になってしまった。
今日も。
「ただいま」
「おかえりなさい」
何気ない、日常の一コマだ。
出迎えてくれる。いつも通りに。
だが、暗がりから俺の顔を確認したウサミは、するするとまた闇へと引き返していく。
(今日は、いつにも増して冷え込んでるからな)
怪異は、すっかり炬燵に封印されてしまっていた。
一人暮らしだからいいかと使っていた小さな炬燵は、怪異には手狭だった。
白蛇の尾は入りきらず、窮屈そうにとぐろを巻き、それに押し出される形で俺の足は完全に締め出されてしまった。
だからこいつのために、俺はわざわざ大きな炬燵を買いに行ったのだ。
まさか壊れてもないものを買い換えるなんてな。
そうしたら、この通り。
尾の先まですっぽり収まり、上半身も肩まで埋もれ、ぬくぬくと気持ちよさそうにしている。
俺はさ正直、服を着た方が絶対にあたたかいんじゃないかと思ってな。
とにかく見てるこっちが寒いのよ。
だから冬の始まりに、俺は厚手のマフラーを買ってやった。
巻いてやると、顔をうずめて嬉しそうにはしていたが──待てども、ちっとも温まった様子はない。
当然だ。こいつには、熱源がない。 どれだけ着込んでも、こいつの体温は上がらない。
服はあくまで「人間の文化に興味がある」から身につけたり、真似したり、なぞっているだけ。
外気を多少は遮るかもしれないが、本質的な寒さを防ぐことはできない。
付けなれないせいか、マフラー姿はどこか窮屈そうだった。
結局、寒さ対策としては意味のないものを贈ってしまったな、と。
しかしそれ以降も「門倉さんがくれたものだから、つけていたいです!」と言って、出かけるたびに巻いてくれとせがむようになった。
似合うと思って選んだんだ。 仕舞い込まれるよりは、な……。
ただ、店に入っても、暖かい屋内でも、絶対に外そうとしないので、このままだと夏にも巻き続けると言いそうな勢いだ。
だから俺は今から、春までに上手い説得方法を考えておくつもりだ。
話を戻すと、怪異は、炬燵に封じ込められた。
正直──大人しくしてくれて助かっている。
ゆっくり風呂に浸かり、冷蔵庫からビールを取り出し、湯冷めしないうちにウサミの尾の隙間に足をねじ込む。テレビを眺めながら、静かで穏やかな週末を過ごす。
なんてさ。そんな、ほろ酔い気分だったのに。
「……いッ!?」
炬燵の中。
わざわざ避けていたウサミの尾が、俺の足に絡みついてくる。
「つめたいです」
「なんだよ、あったかいだろ」
冬の暖房費は、ウサミと暮らし始めてから跳ね上がった。
寝室にもヒーターを置き、寝る前には布団を温めるようになった。
そうしないと、寝ている間に俺の体温をまるごと持っていかれるからだ。
「そうじゃなくて、僕にです」
するり、するり。尾が這い上がってくる。
「それは……具体的にどこよ?」
「お風呂にも誘ってくれないですし」
「いや、一回も誘ったことないからね」
勝手に入ってくるんだ。
狭い風呂に無理やり入ってきて、ギチギチになって、足を折って、お湯は溢れてちょっとしか残らない。
「そもそも!おまえは最近、炬燵から出てこないだろ。俺は、少しでも寒くないようにって── うッ」
伸びる尾が、股の間を撫でていく。
「僕の肌がつめたいから、門倉さんもつめたいんですね」
「そ、それは…… まあ……」
「僕がつめたいから、触れたくないんですか」
「ちがうって! 誤解だ!」
必死で否定する俺を、さらに絡め取るように、尾が脚を伝って登ってくる。
「僕は、あなたの熱がほしいのに!」
そう言い放ち、ウサミはするり、と炬燵の中に潜り込んだ。
「う、ウサミ!?ちょっと待て!!」
炬燵という、暗くて温かな箱の中で。 ウサミの体が、蠢く。
腰を引こうにも、がっちり足を捕まれて、逃げられない。
「な、なぁ…… 俺、この買ったばかりの炬燵、汚したくないんだけど……」
「大丈夫です」
炬燵の中から、柔らかな声が響く。
「一滴も、こぼしませんから」
そういう物理的な話だけじゃなくて、気持ちとかも含んで言ってるんだよ、俺はさ。
けれど炬燵に突っ込んだ下半身は、絡みつく尾にすっかり包まれてしまった。 熱を、飲み込まれている。
炬燵の中は見えない。だが、感覚だけは鮮烈に伝わってくる。
無数の蛇が、絡み、蠢き、引きずり込もうとするかのような感触。
“そこにいるのはウサミなんだよな?”
吐精し、肩で荒く息をする。 炬燵の中から這い出してきたウサミは、すっかりご機嫌で、いつもの顔で笑んでいた。
「──僕しかいませんよ、門倉さん」