名は体を表すアイドルとしての茨は食事や睡眠、運動に気を遣い徹底した自己管理を行なっていたが、実業家の茨がそれを許さないことがある。トラブルのない会社はないのだから仕方ない。そうして各所に電話を入れたりウェブ会議をしたり上がってきた資料に目を通したりしているといつのまにかテッペンを回っていることも、まあそれなりにあった。そして今日はまさにそういう一日だった。
二十五時、五分。
一段落ついた茨がぐっと伸びをすると、けっして安くないデスクチェアがギシリと音を立てた。この椅子もそろそろ買い替え時かもしれない。背もたれが壊れた椅子は姿勢を悪くする。
明日オフィスカタログを見ようと頭の隅にメモをして、茨はコーヒーを淹れに立ち上がった。道すがら壁にかけられたカレンダーをなんとはなしに見つめて、先ほど見た時刻を思い出し慌ててスマホを取り出す。アプリを開いてオンエアと赤く光る画面(もちろん光っているように見える画像だ)をタップした。
『……ではオープニングトークはここまでにして、一曲。ラジオネーム線香花火さん。……そういえばESの花火大会が延期になってしまったのだけれど、みんな都合はつきそう? 今年は忙しくて花火を見に行けなかったから私も楽しみにしているんだ……』
スマホから流れ出す落ち着いた声にほっと息をついて茨は再びカフェコーナーへと足を向ける。その間も凪砂は花火の話を続けていてガラスの向こうのスタッフに早くお便りを読んでと突っ込まれていた。おっとりしている凪砂は慌てる様子もなくごめんねと一言添えてラジオネームから脱線していた話を元に戻す。柔らかな声が滑らかに文面を読み上げた。
夜のしじまに寄り添うような低く穏やかな声は、忙殺されてささくれ立っていた茨の心にも凪をもたらした。
――もう一仕事頑張れそうだけど、でも。
茨は壁に背を預けて目を閉じた。もう少しだけこの心地よい声の波間に揺られていようと思った。