「そろそろここを出て行くとするよ」
アルベドと瓜二つの彼の弾んだような声。いつかそう言うだろうと予測はしていた。
雪山の風がひやりと普段よりも冷たく感じる。近頃は研究室に彼と共に居ることが当たり前だった。
無反応なアルベドの背中を見ながら、彼は首を傾げる。
「あれ?聞こえた?」
「ああ、出て行くんだろう」
アルベドが普段よりも素っ気ない言葉で返す。先程までの実験の結果を纏めながら、ペンを握る手に変な力が入る。
「何故、とか、どこへ、とか聞かないの?」
「ここを去るというのは予測の範疇だからね」
彼に背を向けたままアルベドは答える。
ふーん、と不満気な生返事を返した彼が近くに寄るのを感じる。
ペンを走らせるアルベドの顔を覗き込みながら無邪気に聞く彼。
「ここに居てくれ、って言わないのかい?」
「君には君の目的があるはずだ。ここに腰を据えるなんてことは無いだろう」
「それも予測の範疇って訳?」
「ああ」
「でもそれは君が勝手にそう思ってるだけじゃないか」
そう言い放った彼と目が合う。アルベドは少し細めた目で彼を睨んだ。
(君が何も言わないからだろう)と言いかけた口を噤む。
元より簡単に全て話してくれるような相手ではないことは承知の上だ。
確かに聞きたいこともあるが、真実を知ってしまうことで自分の存在意義が揺らぐ可能性もある。
アルベドよりも“完全に近い存在”である彼を意識せずにはいられなかった。
ふぅ、と一呼吸置き、アルベドは彼の方を見る。
「君の存在には、とても重要な意味がある。ということくらいは分かるよ」
「僕は何も言っていないのに。それは“君の勝手な妄想”だよ、アルベド」
彼は少し嘲笑いながら顔を寄せ、アルベドの首の跡を指で滑るようになぞる。
もやもやとなにか仄暗い感情がアルベドの全身を駆け巡る。
ー以前旅人に話したことがある。この跡は吹き硝子の跡と同じ。不完全なモノを表す跡。ー
持っていたレポートとペンを机に叩きつけるように置くと同時に、彼の胸ぐらを掴んで勢い良く壁に押し付ける。
「妄想、な訳無いだろ・・!」
ー少しずつ、何も無い土地から花を咲かせるように、自らの居場所を築いて、
今の環境に置かれた理由を考えてずっと過ごしてきた。
理由なく捨て置かれる、なんてこと。認めたくはなかった。
それを“妄想”と言われるなどー
「高尚なアルベドセンセーでも、自分で制御できない感情に押し潰されそうみたいな顔、するんだね」
「・・は?」
「今の顔、自分で見たことある?」
胸ぐらを掴まれながら不敵に笑う彼。
彼の言う通り、今のアルベドの頭の中はぐちゃぐちゃだった。
ーこの気持ちは、羨望、嫉妬、劣等感、孤独、執着・・?
「予測と言って、君は自分の考える枠内に収めたいだけだ。都合の良い“妄想”だよ」
「黙、ってくれ・・!」
ギリギリと彼を掴む手に力が入る。それとは反対に彼はアルベドの頬を優しくふわりと撫でる。
「僕が勝手に此処を出て行くことをしなかったのは、君を放って置けなかったからだよ」
柔らかな表情で彼はアルベドを見つめる。
特別な存在である彼が自分に固執している。その言葉で心が揺さぶられる。
真っ直ぐな彼の瞳から目線を逸らすことは出来なかった。
彼がアルベドの髪をするりと解き、耳元で囁く。
「・・此処に繋ぎ留めておく方法、知ってるだろ」
身体が底のほうから熱くなるのを感じる。
今のぐちゃぐちゃな感情のままでは言葉になりそうもない。
彼の口から他の言葉が出る前に、胸ぐらを掴んでいた手を上に引き寄せ、アルベドは自らの唇で彼の口を塞いだ。
『君は僕のそばに居てよ』