「貴方に恋したことを誰にも知られたくない」 授業の合間、つかの間の休息。
二人しかいない空き教室に花京院の笑い声が響く。くしゃりと笑った目尻に薄らと涙を浮かべ、大口を開けて笑う姿は今でこそ見慣れたものの、最初は普段見る姿との違いに少し驚いたものだ。
つられて笑う承太郎が学帽の鍔に手をかけたのと同時に、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「あぁ、もう行かないと。じゃあ、また」
軽く手を振った花京院はドアの方へと歩いて行く。その背中を見ながら、もうこの時間が終わりか、と残念がる自分がいることに承太郎は驚いた。
このままここでサボってしまおうか。
自分でも理解出来ない感情に一息入れようと、胸ポケットからタバコを取り出して一口大きく吸い込む。長く吐き出した煙が行き場を探すようにくゆっていくのをぼんやりと見つめ、吸いたい気分では無いのだと靴の底で火を消した。
椅子を並べてだらりと座り、壁に掛けられた時計をぼんやりと眺める。その瞬間でさえ今彼は何の授業を受けているのかと気になり、どうして気になるのかと自問自答を重ねたが答えが出ることはなかった。
ここにいても仕方ない。
自分でも分からないため息をつくと、承太郎は教室を後にした。
下駄箱に向かう途中、長い廊下の向こう側から歩いてくるのは間違いなく花京院だ。
隣を歩く女子生徒と何かを話しながら段々と近付いてくる。女子生徒がこちらに向けて熱い眼差しを送っているのに気が付いたが、そんなものに興味はない。それよりもその隣を歩く優等生はどうしているのかと自然に追った目が薄藤色の瞳を捉え、そして、逸らされた。
今のは明らかに故意に逸らしたのだと、誰が見てもそう思うほどの不自然さだ。さっきまであんなに楽しげに談笑していた相手とは思えない素っ気ない態度に、承太郎は思わず足を止めた。
段々と近づいてくる二人をじっと見るも、当の本人は視線一つくれやしない。すれ違い様に何故か足を止めた女子生徒は赤い顔をしていたが、承太郎は一切目もくれず花京院の横顔を見た。
「先生が待ってますから行きましょう」
これだけの距離で睨むような視線を送っても何一つ顔色を変えずにいられるのは、流石花京院だからと言いたいところだ。だからこそあえて彼が無視をしているというのが分かり、承太郎は腹立だしさを覚えた。
一体自分が何をしたというのだ。承太郎には思い当たる節がなく苛立ちは募っていく。立ち止まった隣を促しながら足を進める背中を睨み付け、聞こえるように舌打ちをすると足音荒く下駄箱に向かった。
次の日。
いつもの空き教室で時間を潰していると静かに教室のドアが開き、聞き慣れた足音が近付いてきた。
「今日もサボりかい?」
「てめぇの方こそまだ授業中だろ」
「僕は自習さ」
花京院は定位置となった椅子に座ると、足を組んで一方的に話し始めた。
他愛ない話題にただ頷くだけの、会話と呼べるのかさえも怪しいやり取りはしばらく続く。花京院はある程度話すと満足したのか、少し黙って大きく息を吐き出した。
「承太郎、お願いがある」
ワントーン落とした落ち着いた声に、ただ頷いていただけの承太郎がちらりと花京院を視界に映した。目が合った事を確認した花京院は一呼吸置いて言葉を続ける。
「この教室以外で僕に関わらないでくれないか」
聞こえた言葉がゆっくりと頭の中でこだまする。
ここまでハッキリと否定を示されたのは生まれてこの方初めてだ。『この教室以外で』と言うからには完全に拒否されている訳ではないと取れるし、ならばどうしてここ以外では話しかけるなというのか。
あぁ、そうか。
ある仮定に承太郎は一人頷いた。
物腰柔らかな態度は皆から便りにされ、赤くうねる前髪は一度たりとも崩れたところを見たことがない。生徒からだけでなく教師からの信頼も厚い、異色の制服。
その優等生が自分のような不良と呼ばれる人種と一緒にいるところを見られた日には悪い噂が立ちかねない。だから、この教室限定なのだ。
「きっと、勘違いしてるようだから言っておくが──」
黙る承太郎に落ち着いた声が飛んでくる。
「君に恋した事を誰にも知られたくないんだ」
ばっと顔を上げた承太郎の目に映る花京院はいつもの調子で、今の言葉は自分の聞き間違いかと耳を疑った。
「昨日君にあんな態度を取ってしまったのは申し訳ないと思ってる。今日だって自習と聞いていてもたってもいられなくて、保健室に行くと嘘ついたんだ。どうかしてるだろう? 皆に知られたら君に迷惑がかかるのは目に見えてるから、だから……」
段々と弱くなっていく言葉が嘘ではないのだと知らせている。
なんという事だ。まさか、嫌われていると思っていたのにその逆だったなんて予想だにしなかった。
花京院の気持ちを知った承太郎は、昨日までの苛立ちとやり場のない自分の気持ちがすとんと落ちたような気がする。それはまるでパズルのピースがうまく噛み合うように、ぴったりと、何から何まで納得のいくものだった。
「俺もだ」
「ん? え、ぁ、うん?」
「花京院、お前が好きだと言っている」
「……嘘だろ承太郎?!」
目を開き口を開き、いつも澄ました顔が見る影もないぐらい驚いている。顔を赤くして酸欠の金魚のように口をパクパクする姿が珍しくて、承太郎は学帽の鍔をくいと下げた。
「そ、そんな事を堂々と言うなんて……あぁもう!」
「あ? 最初に言ったのはそっちだろうが」
「ハッキリとは言ってないぞ」
「んなもん一緒だろ」
静まった教室に、どちらともない笑い声が響く。
明日からこの教室へ来る目的が一つ増えたと喜ぶ承太郎だった。