承太郎誕生祭承太郎は苛立っていた。
最後の一本になったタバコを乱暴に咥え、空き箱をくしゃりと握り潰して道端へ投げようと手を上げた。が、いつも隣にいる優等生の顔が頭をちらついて、その手をポケットに突っ込んだ。
『今日からしばらく一緒に帰れない』
そう、花京院から言われたのは新学期が始まってすぐの事だった。
どうしてだと訊ねると新しいゲームが発売されるらしく、それに向けてバイトを始めたらしい。バイト先は旅の途中幾度となく世話になった財団で、勤務日数は週に土日を含む四、五日程度。仕事内容は建物の詮索といった危険なものではない。と、花京院は事細かに説明をしてくれていたが、本音を言えば不満だらけだ。
しかし、目的のあるバイトを止める権利も無い承太郎はその言葉に首を横に振ることは出来ず、黙って学帽の鍔を下げるしか出来なかった。
買ってやる、と言うのは容易だが、そんなこと言えば烈火の如く怒るのは目に見えている。それに花京院の時間を縛り付けるような事を考える自分が嫌で堪らなかった。
タバコに火を付けようと取り出したライターはカチカチと何度も火花を散らすものの、寒さで付きにくく余計に苛立たせる。
なにもかもうまくいかない。自暴自棄になりそうな己にため息をついた承太郎は、ライターをポケットに仕舞いこんで火の付いてないタバコを咥えたまま家路に向かった。
玄関を開け、飛んでくる母親の声を無視して部屋へ直行する。後ろ手でドアを閉めるや否や、学生服を脱いで足元に放り投げた。
『こら、ハンガーに掛けないとシワになるだろ!』
いつもならそう聞こえる声の代わりに、今日は無機質なチェーンの音だけが部屋に響く。口では怒るくせに、ちゃんとハンガーに掛けて服の形を整えてから壁に吊るす姿を見て、いい嫁になるな、なんて思ったのはいつ頃だっただろうか。
一緒に過ごす時間が少なくなるにつれて物事一つ一つに花京院ならば、など思ってしまうなんて女々しい事この上ない。承太郎はそう自分に言い聞かせながらも頭の片隅で「今奴は何をしているのか」だなんて考えてしまうあたり、余程惚れてしまっているのだと実感した。
「くそっ……」
ぶつける宛もない苛立ちに、承太郎はベッドへ体を投げ出すとそのままふて寝を始めた。
あれから数日、金曜日の昼休み。
昼休みは二人で一緒に過ごす事を決めていた承太郎にとって、学校に来る唯一の理由となっていた。
「承太郎。今週の土日、予定は?」
昼食を食べながら花京院はこちらをちらりと見て、すぐに視線を弁当戻し口を動かす。
てっきり今週末もバイトが入っているとばかり思っていた承太郎は、花京院の言葉にハッと顔を上げた。
「予定なんざねぇよ」
お前がいないからな。そう続く言葉を飲み込んだ承太郎は、相手が放つ次の言葉に期待を寄せてタバコを取ろうとポケットに手を突っ込んだ。
「校内では吸うなって言ってるだろ」
「チッ……お前は教師かよ」
「君のタバコが見つかると僕が呼び出されるんだぞ、空条に注意してくれって。その度に謝る僕の気持ちにもなってくれ」
「……悪ぃな」
周囲からも花京院と常に一緒に居ることが認識されている事実に内心にやりとした承太郎だったが、顔に出ないようきゅっと唇を引き締めてポケットから手を出した。
「で、土日が何だって?」
「あぁ、そうそう。君に時間があるならどちらか僕に時間をくれないか?」
「どっちもやる」
「それは光栄だな。それじゃあ明日……どこに待ち合わせしようか?」
「俺の部屋で」
久しぶりに二人で過ごせる休日を誰かに邪魔されて堪るもんか。
強い思いに思わず即答してしまった自分に目を泳がせながら、承太郎は努めて自然を装う。一瞬驚いた顔を見せた花京院が柔らかく頬を上げたように見えるが、見ないふりをしてポケットに手を入れ……入っていた箱を握り潰した。
「ふふ、じゃあ昼過ぎにお邪魔するよ。あ、ちゃんと授業に出ろ。でないと僕が──」
「おう」
返事をすると同時に、無情にも休み時間の終わりを告げるチャイムが響く。
もう今日はこの場所に用は無い。
そう思った承太郎は教室を出ると、花京院の忠告を背中で聴きながらそのまま下足箱へ向かった。
明くる日。
今か今かと花京院を待つ承太郎は、じっとしていられずさして汚れてもいない部屋を片付けていた。
チャイムがいつ鳴っても気付けるように耳を傾け、本を片す。花京院がバイトを始めるまでは毎週来ていたはずなのに、少し時間が開くと妙に緊張してしまうのは何故だろうか。
その時、待ちわびたチャイムが聞こえ、自分を諭すようにゆっくりと立ち上がった承太郎は玄関へ向かった。
綺麗に靴を揃えた花京院は、承太郎の後を追って部屋に入り、いつも座っていた場所に腰を下ろす。持っていた鞄と小さな紙袋を体の隣に起き、部屋をぐるりと見渡した。
「久しぶりだなぁ、君の部屋」
「そうだな。今日は休みか?」
「ん、あぁ。昨日でバイトは終わりさ」
思いもしなかった花京院の言葉に承太郎は目を見開いた。
二人の時間を裂く仕事が終わったのならば、今日からはいつも通り過ごす事ができるはずだ。喜びを隠しきれない承太郎の頬は満足げに弧を描いた。
「君もそんな顔するんだな」
「あ? 俺がお前との時間を減らされてどれだけ不満だったか──」
「それは悪かった」
承太郎の言葉を遮った花京院はすまなさそうに眉を下げた。そして持ってきた紙袋を承太郎に差し出し笑顔を咲かせると言葉を続ける。
「これ、誕生日プレゼント! 受け取ってくれるだろ?」
「……誕生、日」
日々の苛立ちのあまり、言われるまですっかり忘れていた。
毒気を抜かれた承太郎は素直に受け取り、両手で紙袋を開いて中身を見る。袋の中にはラッピングされた小さな小箱と、その下には影になってはっきりとは見えないが何かあるようだった。
「開けてみてくれ」
聞こえる花京院の声は心なしか浮わついている。
言われるがままに小箱を取り出し、びりびりと包み紙を破くと一気に箱を開いた。
そこには落ち着いた緑色のライターが丁重に置かれていて、一目でその辺の店で売っているものではない物だというのが見て取れる。そっと手に取り着火石を回すと、小さな着火音と共に小さな炎が揺らめいた。
「高校生の君にこんなものって躊躇ったんだけど……それなら毎日持ってくれるかと思って。この時期、普通のライターじゃあ寒くてなかなか火がつかないだろ?」
「……ありがとよ」
キン、と金属音を鳴らして火を消した承太郎はゆっくりとため息をついた。
花京院が自分のためにと選んでくれた誕生日プレゼントは当然嬉しい。嬉しいが、この物を買うために一緒に過ごす時間を奪われ、今何をしているのかと気が気でない日々を過ごす事になった原因だと思うとどこか素直に喜べない自分がいることも事実だった。
旅が終わり互いの気持ちを打ち明けてからというもの、片時も頭から存在を忘れた事がないぐらい花京院の事を思っている。あんなことや、こんなこと、ゆくゆくは恋人としていくべき所までいきたいとさえ思っていた承太郎にとって、共に過ごす時間が減ったことは深刻な問題だったのだ。
「……これからはずっと一緒に居れるって事だよな?」
「ふふ、君ならそう言うと思って──」
素直に喜べない表情をちらつかせる承太郎に対して花京院はにこりと笑うと、持ってきた鞄を手元に引き寄せぽんぽんと叩いた。
「君さえ良ければ今日は泊まろうと思う。勿論、ホリィさんにも僕の両親にも許可は取ってある」
そう言いながら笑う顔が少し赤くなる。
もし言葉の意味が自分の想像しているものと同じならは、どんなプレゼントよりも承太郎にとって嬉しいものだ。
「って、事はだな……」
「そう、僕がプレゼントだ」
今年は人生で最高の誕生日になる。
承太郎はそう確信した。