かしゃさに 手を動かす。さき、とはさみの音がして、髪の束が床に落ちる。その動作をさっきからずっと繰り返している。
切り落とされた髪は床に流水を描き、まるで何かの生き物のようにも見えた。変なもん憑いてないだろうな、とちらりと頭の隅で考える。髪って人の怨念とか憑きやすいし。まあ、それならこうして切り落とすのは正解なんだけど。
「火車切、髪切ってくれない?」
陽も傾いてきた黄昏時、今日の仕事ももう終わりだという頃、主が唐突にそんなことを言い出した。
「は? 何で俺が……」
意味わかんない。言いかけた言葉を奪うように、主が重ねて言う。
「失恋したから髪切りたいの」
ますます意味がわからなかった。それとこれと何の関係があるというのか。
俺の言いたいことを察知したのか、主はそういうもんなの、と説明になってない説明をした。何、そういうもんって。
言いたいことは色々あったけど、それをひとつひとつ伝えるのも面倒だったし、言ったところで退いてくれそうな気配もない。
「……貸して、それ」
主に向けて手を出すと、髪を切るためのはさみが手渡された。刃物が刃物を使って主の一部を切り落とすなんて変な話だ。
「俺、人の髪切ったことないよ」
「わかってる」
「どうなってもいいの」
「いいよ。好きにして」
そういう意図はないんだろうけど、あまりに迂闊すぎる発言にため息をつきたくなった。簡単に自分の身を委ねすぎだろ。主にとっての俺がどういう存在なのかを改めて思い知らされたような気分だ。
失恋したの。そう言われて俺が何を考えてるかなんて、この主は知らないに違いない。それほどに、主の俺に対する態度は呑気だった。
「未練」
「ん?」
「ある? 別れた男」
「ないない。別れた理由、相手の浮気だし。もう最悪よ」
「ふーん」
そのわりには寂しそうな顔をしていると思ったが、口に出しては言わない。どこの誰とも知らない男と別れて寂しそうな顔をしているなんて、わざわざ指摘してやる必要はなかった。
主は惚れっぽい。ふらふらとすぐに男に惚れる。そのくせ、俺たちの誰にも惚れることがなかった。主が好きになるのは同業者だったり万屋の店員だったり全く関係ない奴だったり色々だが、とにかくいつも人間の男だ。
「あのさ」
はさみを動かす。また少し、髪が切り離されて床に落ちた。
「あんた、少しは気をつけた方がいいよ」