Errors「……やばい、完全に迷った」
花壇の縁に腰掛けて誰に向かって言うでもなく呟いた。別棟への移動のついでに先生からの頼まれ事をこなして向かうつもりが気付かないうちに校舎の裏側へと回り込んでしまったのか、見知らぬ中庭のようなところにいた。
まだ入学してから数日とはいえ高校生にもなって学校内で迷うとかダサすぎる、と思うのだけど如何せんこの学校は大きすぎる。入学時の校内説明も最低限で後は必要に応じて覚えていくように、というスタンスの時点でどうかとも思ったけれど、そもそもこの学園は生徒の殆どが幼等部か小等部からの持ち上がりらしく、逆に俺のような転入組の方が珍しいというのだから仕方ないのだろうか。おかげでこの数日クラスメイトどころか学年中から質問攻めにあっている。色々と知らない部分について教えてもらえるのはありがたいけれど、四六時中纏われるのは正直なところ少し疲れてしまう。
抜け出したい一心で用事を請け負った結果がこれなら肩を落とすというもので、半ば生贄状態で置いてきたアイツの顔が浮かぶ。これで授業に遅れたら笑われるんだろうなと思いつつも、かといってどう戻ればいいのかが分かるわけでもない。
途方に暮れていると、ふと視界の端で動く影が見えた。先生か別の生徒かと思って立ち上がりその方向へ顔を向けるが、植木の影から顔をのぞかせたのは予想とは違い小さなうさぎで。……うさぎ?
「何、この学園動物の放し飼いでもしてんの?」
思わず目をこするなんて古典的な仕草をしてしまうが、まばたきをしてみてもこちらをじぃっと見つめてくる小さな存在は消えない。しかもよく見ればその毛並みは薄い黄緑色に見えるものだから、もしかして本当は昼休憩の合間にうたた寝でもしているんじゃないかと疑うけれどそんな感じもなく。
俺が困惑している原因であるうさぎはそれを分かっているのかいないのか、ちょこちょこと数歩跳ねてこちらに寄ったかと思うと今度は植木の奥の方へと向かい出す。それがどこか誘われている気がして、思わず立ち上がって追いかけてしまった。
胸の高さ近くまである植木を抜けて直ぐ。何をしているのかと我に返ったところで、木の陰に座り込んでいる人を見つけて短い悲鳴が口からこぼれた。伸びている足は自分が履いているのと同じ制服のスラックスだが、肩にかけている絵の具を散りばめたような大判のパーカーが目を引く。気が付けばあのうさぎは消えていて、仕方なしに恐る恐る近付くと静かな呼吸が聞こえてきたので寝ているだけらしいと一先ず息を吐く。
とはいえどうするべきか。制服を着ている以上不審者ではなく同じ生徒であることは確かだろうけれど、ちらりと見る限り知っている顔ではない。けど、もうしばらくすれば午後の授業が始まるというのにこのまま放置するのも何となく気が引けるし――そもそも今は自分も教室までの道のりが分からない状況だ。仕方がない、と決心をして謎の人物へと声をかけることにした。
内心恐々としながら肩を叩くと、少しして反応があった。葉の間からこぼれる陽射しをうける黄色の前髪の奥、瞼が開いて見えたピンクの瞳に目を奪われた。
「ふぁ……。あれ、キミだれ?」
小さな欠伸をした後に目の前にいる人物に気が付いたのか、不思議そうに首を傾げて問いかけられたことで自分が呆けていたことに気付く。向こうからすれば目が覚めたら見知らぬ人物が覗き込んでいたのだから驚きもするだろう。慌てて名乗ろうとするが、今度は後方から鋭い声で呼びかけられて思わず肩が跳ねてしまう。
「そこの生徒、何をしている?」
反射的に振り返れば、当然だが同じ制服を着用した恐らく上級生であろう人物がこちらへと歩いてくる姿が見えた。
「ここは一般生徒は立ち入り禁止のはずだが」
「えっと……すみません」
有無を言わさぬ口調に弁明よりも先に謝罪が出てきてしまう。短く揃えられた赤髪に見覚えがある気がする……と頭の端で考えていると、背後から思わぬ援護をもらった。
「たぶん彼、僕を心配して起こしてくれたみたいだからあんまり怒らないであげて?」
「百々人、来ていたのか」
「なるべく学校に行けって言ってるのはマユミくんでしょ?」
どうやら知り合いらしい2人が親しげに話している間でどうすればと考えている中で、パーカーの人の方が呼んだ名とその顔が頭の中で結びついて思わず「あっ」と声をあげてしまった。
「眉見……って、生徒会長?」
「そうだが」
数日前の入学式に壇上で挨拶していたその人であると気付いたと同時に、これはまずいのではと思い顔が引き攣る。だってなんか立ち入り禁止とか言われたし、知らなかったとはいえ会長に見つかるのってよろしくないんじゃないだろうか。
「それで、百々人が言っていたことは確かか。天峰」
「はい……って、え?」
「どうした?」
「俺の名前、なんで」
とても自然に呼ばれたものだからうっかり流しかけたけれど、当然ながら生徒会長と面識はないはずだ。困惑しているとまたもやもう一人の方が助け舟を出してくれた。
「マユミくん、全校生徒の顔と名前一致してるんだよ。すごいよねえ」
「流石に全員ではない。転入生だから目を通していたんだ……1年A組天峰秀」
合っているか? と問いかけられてこくこくと頷く。知らぬ間に生徒会長に認識されていたなんて、考えもしなかった。いくら転入自体が珍しいとはいえ、今年の新入生だけでも相当な人数がいるはずなのに。
「ふーん。アマミネくんっていうんだあ」
「はい。……あの、すみません。急に声かけたりして」
別にいいよ、と本当に気にしていない様子で微笑む会長にモモヒトと呼ばれていたその人の、胸元に付いているブローチが不意に目に留まった。なんだろう、と見れば隣に立っている会長にも色は違えど同じものが付いている。生徒会の証明か何かだろうか、と思うけど会長の腕には分かりやすい腕章が巻かれているから余計に謎が深まる。
「寝ていた百々人を起こしたとはいえ、そもそもどうしてここに?」
「あ……その、俺午後の授業の為に移動してたんですけど、先生に頼まれて回り道してたら迷っちゃって。そしたら……うさぎが」
ここまでの流れを改めて説明するも、どうしても現実味のない話にこれは信じてもらえないだろうなあと考える。高校に上がったとしても俺なら余裕、だなんて思っていたけれどこんなのは想定していないというか、こんな方向で目をつけられる予定ではなかったのに。
そんな思考が落ちかけている俺とは対照的に、話を聞いていた2人からは何故か納得したような顔をされた。
「成程。状況を確認せずに大声をかけてしまってすまなかった」
「……いや、俺が言うのもなんですけど今の納得するんですか?」
「まあね~。それよりアマミネくん、そろそろ戻らないと授業始まっちゃうんじゃない?」
”モモヒトさん”がそう言うと同時に、校舎の方向から予鈴が鳴ったのが聞こえる。やばいという顔をした俺を見た彼が徐に指先を上げると、背後から青色の毛並みをもった子猫が現れた。
「その子が教室まで案内してくれるって」
どういうこと、と聞き返す間もなく足元まで寄ってきた子猫が一瞬裾を引いたかと思えばそのまま駆け出してしまったので、お礼もそこそこに走り出すしかなかった。
全速力で駆けていく青色の影を必死で追いかけていたら本当に目的の教室まで辿り着いていた。扉の前で立ち止まっていたら、今来たらしい先生に後ろから声をかけられて肩を揺らしてしまう。
教室に入る直前に辺りを見回したけれど、あの青色の子猫はとうに消えていた。
「随分とギリギリの到着じゃないか。"親友様"を置いてどこ行ってたんだ?」
「……分かんない」
昼休みの1時間弱で起きたとは思えない出来事に頭は未だに混乱していて。他にも色々とあったはずなのに、一番に残っているのはあの不思議な人の整った顔立ちと綺麗な瞳だった。