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    はねた

    @hanezzo9

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    はねた

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    阿久津母の訃報を聞いたむかしなじみがマンションにいって阿久津くんに出くわす話。
    とくにカップリング要素はありません。

    #aoas
    #阿久津渚

    夢だっていいじゃない ドアの鍵は開いていた。
     ノブをひけばかちゃりと金属のすれあう音がして、開いたさきに男がひとり立っていた。
     まだ若い。背丈も幅もしっかりとして、けれどどこかにあどけなさがある。
     目鼻のあたりが昔馴染みの女によく似ていた。記憶を辿り、阿久津さんと女の名前を呼べば、はいと男が返事をした。
     女の下の名は覚えていなかった。阿久津という名がうそでなかったことがすこし意外だった。
    「なにかご用ですか」
     男の敬語はたどたどしい。ずいぶんとこどもなのだとそれで気づいた。
    「死なはったって聞いて」
     ああ、と男はうなずいて、それからドアから手を離した。
     ドアノブを託されたので私はそのまま部屋に入った。
     1Kの室内はもので溢れていた。始末の悪い女だとは知っていたから別段驚きはしなかった。
     床に散らかった靴や鞄を足で片寄せながら歩く。弁当ガラをまたいだとき、つまさきに油っぽい感触がしてすこしいやな気分になった。
     一口コンロに狭いシンクのついた台所、そのまえにひとりがけのテーブルがあった。椅子にすわるとキィとかすかな軋みがたった。
     男はこちらには目もくれず、部屋中に散らばった空き箱を拾いあげてはごみ袋に詰めている。
     女が死んだという話を聞いたのは最近だった。祇園から木屋町、上七軒、五条のはずれと女は派手に騒いでいたからその名を知るものはすくなくなかった。すくなくはなかったけれどはっきりとした消息はだれも知らずに、大手筋あたりで見かけただの、いや丸太町にいただの、みな好き放題に盛りあがっていた。
     昔から知った顔とはいえここ数年は会うこともなかった。縁もよしみもずいぶん前に切れていた。ただ、昨夜の席で女の話が出て、その行状を懐かしむ男の口つきが心底不快だった。だから男を帰した足で馴染みの伝手を辿り、女の住所を割りだした。
     陽成などというところに土地勘はなかった。電車を乗り継ぎ、スマートフォンの地図アプリをひっくり返しながらどうにか辿り着いた。部屋のドアノブをまわして鍵がかかっていることを確認し、そうして帰るつもりだった。
     けれどもどうしてか、わたしはいま死んだ女の部屋にいて、見知らぬ男の横顔を眺めている。
     部屋の隅にはごみ袋がいくつも積まれている。半透明のビニール袋にヒールと雑誌が一緒くたになって詰めこまれていた。ごみの分別もできないこどもなのだと気づいたものの、手を貸してやる義理もなかった。
     部屋は二階だった。開けはなたれた窓からちいさく青空がのぞいていた。
     足元に高級ブランドのバッグが転がっている。新品で、傷ひとつなかった。ワインレッドの艶めいた生地が蛍光灯のあかりをうっすらと映していた。
     窓を開けているというのに部屋には饐えた匂いがこびりついていた。食べかけのパンの腐臭に混じってかすかに病みおとろえたひとの気配がした。
     バッグから煙草をとりだす。安物のライターがしゅぽっと音をたてて、男が顔をあげた。
    「あんたいくつなん」
     煙をふかしつつそう問えば、男は十七と短く答えた。
     十七ねえ、と私は昔をたどってひいふうみいと指を折る。
    「たしかになんかそんくらいのときに産んどったな」
     男は眉を顰める。記憶のなかにある女の顔とそれはあまりにもよく似ていたからいまさら関係を問う気にもならなかった。
     紫煙が立ちのぼり、視界が滲んで、あぐらをかいた男のうえになにかが二重写しになる。
    「産んでそのへんにほったらかしにしとったん、なんや男と別れたばっかりのメンヘラが赤ちゃんは大事にねとか言うてくるからしゃあなしで世話して、そんでも結局そいつが男とより戻したらだれもかまわんくなって」
     卓上にはガラスの灰皿がある。六角形でやたらと凝った細工の、底の部分に某有名企業の周年記念を祝う語句が刻まれていた。趣味悪すぎやろと呟いて、私はそのうえに煙草の灰を散らした。
    「ていうの、あんたやっけ」
     なんかいろいろおったから違うかもしれん、そう言えば男は無言で眉をあげる。
    「まあよかったな、よう知らんけどそんな大きなって」
     煙草を咥えてテーブルに肘をつけば、なにを思ったか男は笑った。唇の端をわずかにあげる、その笑い方もやはりどこかで見たものだった。
    「なんやの」
     いや、と男はかぶりをふって、けれどもその口角はあげられたままでいる。
    「そういやこの辺こんなノリだったなって思いだしましたよ。知り合いが聞いたら目ェまわしそうだ」
     は、と私は盛大に顔を顰めてみせた。
    「そいつぬるすぎやろ」
     ハハと男はうそくさい笑い声をたてる。能面のように貼りついた笑みが一瞬きざして、それからすこしまともになった。
     昼だった。
     どこかで遠く鳥の声がした。
     青空の下、向かいの家の洗濯物がはためいている。物干し竿にぶら下がった女物の下着はくたびれた赤色をしていた。
     タバコ、と男が言った。
    「やめてもらえますか」
     椅子のうえこれみよがしに足を組み、私はふうと煙を吐く。
    「知らんし。あんたがよそ行きや」
     男はすこし目をすがめて、それきりなにも言わなかった。機嫌を損ねたようでいて、その口元にはかすかな笑みがある。私と女のいる場所はたぶんに近く、そうして男と私のいるところはずいぶんと遠いのだとそれで知った。荒い言葉を懐かしむそぶりを隠さない、そうしてそれが傲慢と気づかないほどに男は若かった。さぞかしぬるい奴らに感化されとんねやろなと私は思った。
     男はフローリングの床に座りこみ、女物のコートを畳んでいる。おぼつかないその手つきにいつか見た光景が重なった気がした。けれども赤ん坊におむつを履かせる女の爪がごてごてと重そうだったなどといまさら思いかえしたところで陳腐にすぎる。どうせ酒浸りの頭では何もかもがおぼろだった。だからこれも私が場に流されて適当につくりあげた妄想なのだと、そう決めつけることにした。
     男はコートを畳み終え、ひらひらとした薄いシャツをとりあげる。切れ長の目は男によく似合っていた。女の顔にはめこむにはいささかきついといまさらながらに考えた。
     甲高い嬌声も甘ったれた媚びも、それほど似合う顔ではなかった。似合わないくせにしょっちゅう男にしなだれていた。はしゃいで騒いでその挙句、あっさりと自分にまとわりつく一切を断った。断たれた側の未練など気にもかけない、その傲慢さを恨む権利はすくなくとも私にはなかった。
     ほんまはどうでもよかったんやろな、と、だれに呼びかけるでもないことを私は考える。
     男はシャツを畳むのに難渋している。私は手を貸さずにそれを見ている。
     いつだったか、女が木屋町のあたりでホストを何人も侍らせているのを見かけた。景気がいいなと通りすがりのだれかが言った。女のうしろにはちいさなこどもがいて、黙って立ちつくしていた。その目つきはしんねりとして可愛らしさのかけらもなく、それでいて確かに女を恋う気配があった。
     まっすぐな情は女の背中に刺さって、だから女は振り返らなかった。
     ふりかえられへんかった、と私は口のなかでつぶやく。
    「……のは、まあ、ちょっとわかるな」
     男は無心に衣類の山を崩している。昔どこだかでこんな顔をしたこどもがひとりで折り紙をしてるところに行き合ったような気がしたけれども、それもまた即興でこしらえた作り話なのかもしれなかった。やっこさんのひとつくらいは教えたかもしれないと、そんな記憶も酒浸りの頭のなかでごちゃ混ぜになってもつれて消えた。
    「おもちゃみたいにせんかったんやな」
     いつのまにか煙草が手元で短くなっていた。二本めに火をつければ、男がハアと気のない返事をした。
    「気分でふらふらとか、それこそメンヘラ女やないけど、自分の手持ちの札に甘えたりとかそのくせ面倒になってつきはなしたりとか、そんなんしてばっかりのやつのがよっぽど多いのに」
     女はけしてこどもをかえりみなかった。こどもさえ捨てる筋金入りの男好きと、好かれたはずでけれどもあまり幸せそうではない男たちから何度となく聞かされた。
     どっちがええんやろなどと口にするのはさすがに野暮で、私は代わりに別の話をする。
    「あんたのことほんまにきらいやったんやろな」
     そっスねという男の声に暗さはなかった。
     テーブルの上に手紙が一通置かれていた。宛名書きにはエスペリオンFCクラブハウス阿久津渚とのみある。住所は記されておらず、これで宛てどころに届くのかとすこし感心した。消印は数ヶ月前で、女が入院したと噂が流れた時期と重なっていた。
     つまみあげ、裏返してみれば女の名前と住所が記されている。そういや千早とかいったな、といまさらのように思いだした。本名を知る程度の仲だったのだとそれで気がついた。
     男に手紙を書いたとき、女はここにふたりで帰る未来を思い描いていただろうか。
     部屋にひとりで座りこむ、女によく似た姿を私は眺める。京にあって、いつまでも西の言葉に馴染まないでいた強情ぶりさえ男は受け継いでるようだった。
     どこに行きたかったんやろか、とひとりごちる。ものにあふれた部屋も、やたらと派手な男遊びも、結局は身には染まずに女はひとりでどこかへ行ってしまった。
    「捨てた息子が葬式出してくれるとかおとぎ話みたいやな」
     ぽつりと言えば、男はちいさく肩をすくめてみせた。
    「どうせこれからもあいつの夢ばっかり見るんですよ。素直にうなされてやるよりこっちの方がすこしはマシだと思ったんでね」
     その口ぶりに、女の背をじっと見つめていた貧相なこどもの面影はなかった。
     頬杖をつき、私はへえと笑ってみせる。
    「あんた、なかなかふてこいな」
    「それはどうも」
     男はそれきりなにごともなかったかのように、立ちあがって雑誌の片づけをはじめた。
     手持ち無沙汰になり、私は三本目の煙草に火をつける。
     男漁りに明け暮れた女が最後に部屋に呼び入れたのは捨てたきりの息子だった。そんな甘ったるくてばかばかしい結末は、現代ではきっとおとぎ話にさえならない。
    「ほんま、あほみたいやな」
     テーブルに頬杖をつき、私はひとりつぶやく。
     ふうと吹きあげた、煙が供養の代わりにでもなればいいとそんな虫のいいことをすこしだけ思った。
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