ひまわりが咲いた日のはなし 何気ない毎日の中に特別なことを見出すのは楽しい。日常に不満はないし、いつだって自分らしく好きなように生きているけれど、それとこれとは違うのだ。
「ジュンくんジュンくん!」
お目当ての人物を見つけ、知らず声が弾む。おかげで常よりも二割り増しになった声量に振り返ったジュンの顔は、隠すことのない呆れの色で染まっていた。
「何すかおひいさん。つうか声おっきいっすよ……」
まだ寝てる人だっているんだから、などと放っておいたらいつまでも小言を紡ぎそうな相棒の口を手で塞ぐ。言葉で制するより前に手が出てしまったのは、思ったより気が逸っているからかもしれない。とにかく話を聞いて欲しかった。ジュンもすぐに察したようで、むぐむぐと動かしていた口を閉じてくれた。いい子。
「来週の火曜日、オフだよね? 予定を空けておいて欲しいね!」
「んぐ……?」
「あ、もう話していいね」
了承以外の言葉を聞くつもりはないけど、と心の中で呟いてぱっと手を離す。相変わらず呆れ顔のジュンが軽くむせるのを見て少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「いいっすけどぉ、もっと早く言ってくれません? 予定入れてたらどうする気だったんですかぁ?」
「ぼくより優先するべき用事なんてあるわけないね!」
「その自信はどっから来るんすか……」
ほんとはわかってるくせに。気づかないフリをしてわざとらしくため息を吐く様子が愛らしいから、いつものきみを見ていればわかることだね、という言葉は飲み込んでおいた。
「なかなかいい声だね!」
振り返ってみても、我ながら在り来たりな台詞だと思う。でもしょうがない。あのときの自分は浮かれていたし、焦ってもいた。泥の中で輝く光に、見出した希望に、早く触れたくて。今度こそ取りこぼしてしまわないように必死だった。そんなことジュンは知らないだろうし、教えるつもりもないけれど。
それだけ、漣ジュンとの出会いは日和にとってかけがえのないものだった。
そんな特別な日からちょうど一年になるのが次の火曜日だ。Eveの結成日でもデビュー日でもないその日こそが、日和にとってのふたりのはじまりなのだ。
とはいえ、さすがに人に―――たとえ相手がジュンであろうと言うのは恥ずかしいから、あまり特別なことをするつもりはない。ただふたりでゆっくり過ごすだけでいい。特別な日に、ジュンが自分のために時間を割いてくれる。その事実だけで十分だった。
「こちらが次回の資料になります!」
「……ありがとう」
「また分厚い資料だね」
「不足があってはいけないと思いまして!」
びしっと額に当てられた手と共に勢いで押すように「敬礼~☆」と言ってくる茨にため息を吐く。有能なのは認めるが、あからさまな態度はもう少しどうにかならないものだろうか。まあ、偶然入口で一緒になった凪砂が気にした様子も無く興味深そうに渡された資料を読んでいるからいいことにするが。
「じゃあぼくは帰るね」
またね、と言いながら手を振ると、声に反応した凪砂が手元の紙束から顔を上げた。端正な顔には慈愛に満ちた笑みが浮かんでいる。とても機嫌がいいみたいだけど、面白い仕事なのだろうか。鞄に仕舞い込んだ紙たちに少しだけ興味が湧いた。
ところが、せっかく芽生えたそれはすぐさま霧散することになる。
「……明日は楽しんでね、日和くん」
「……うん?」
思ってもみない言葉に思わず凪砂の顔を見つめながら瞬きをしてしまった。明日は日和にとって特別な日ではあるけれど、傍から見ればただのオフだ。なのに、今し方凪砂の口から出た言葉はどこか含みを持っていた。まるで、明日が特別な日であると知っているかのように。
「ジュンから珍しく休みの申請をもらいましてね。それも一か月も前から。そこまでしてEveのおふたりで合わせてオフを取るからには何か特別な予定があるのでは、という話を閣下としていたのですよ」
日和の疑問を汲み取ったらしい茨が丁寧に説明してくれる。ああなるほど、と納得すると同時に別の疑問が生じた。
ジュンくんが、なんだって?
言われてみれば、前後の日は仕事が入っているのに狙ったかのように明日だけは空いていた。これも日頃の行いの賜物だろうと深く気にしていなかったが、まさかジュンのおかげだったなんて。
どうして休みを申請したのだろう。最初から彼目当てで玲明学園に編入した日和と違って、ジュンにとっては何でもない、ついこの間まで話題にすらしたことの無かった日に。
―――巡る思考がひとつの仮定にたどり着く。身体の奥で熱が生まれ、じんわりと全身に伝わっていく。頬が熱い。
だって、こんなの、期待してしまう。
「……日和くん、スマホが鳴っているよ」
何故か嬉しそうな凪砂の声にはっと我に返る。鞄の中から聞こえてくる着信音は、発信者が今一番話したい相手であることを教えてくれていた。タイミングがいいにも程がある。
スマホを取り出すのも通話ボタンを押すのももどかしい。一刻も早く彼の口から真実が聞きたい。
「ジュンくん! 早くぼくのところに来るね!」
心のままに叫べば、電波を通して繋がった先にいる最愛の相棒が笑ったような気がした。
*
「っと、元気だなぁ……」
ほぼ一方的な要求を繰り返してくるだけの通話を切ったジュンは苦笑混じりに呟いた。仕事が早めに終わったからと一応連絡を入れた結果がこれである。もう少し休憩してからにすればよかった。
「ま、そんなに変わんねぇか」
待ち受け画面に残るホールハンズの通知。わざわざ開かなくとも読める程の短いメッセージは、実に端的だった。
『すみません、バレました』
「絶対すみませんなんて思ってないよなぁ、茨の奴……」
頭に浮かんだ楽しげに敬礼をするユニットメンバーの姿にため息を吐きながらも走り出す。あの調子ではどれだけ最速でたどり着いても文句を言われそうだが、努力をすることは大事である。
それに。電話越しでもわかるくらい日和の声は嬉しそうだった。早く顔が見たい。直接会って、ちゃんと伝えたい。そうすればきっと、ジュンの太陽は花が咲くような笑顔を見せてくれるだろうから。
ねぇおひいさん。あんたが思ってるよりもずっと、オレはあんたと出会えたことに感謝してるんですよ。
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