それは真昼の月に似て 眩いライトが差し込む様を見つめ、朝日みたいで綺麗だ、なんて呑気なことを思った。
「……日和くん」
しゃがみ込んだ凪砂が心配そうに見上げて来る。そんな悲しそうな顔をしないで欲しい。決して君が悪いわけではないのだから。
三日間に渡り開催されるEdenの単独ライブ。満員御礼で迎えた千秋楽も終盤に差し掛かっている。そのタイミングでトラブルが起きた。
凪砂が見つめる先、椅子に座った日和の左足首は熱を持ち始めていた。ステージ後方にセットされている機材の位置がリハーサルのときとずれており、避けるために咄嗟に踏んだステップで捻ってしまったのだ。
「殿下、少し触れますね」
凪砂の横に膝をついた茨は一言断りを入れると手早く保冷剤で患部を冷やし、少ししてからサポーターで簡易的に固定した。そつのない手付きに感心する。最初に捻挫に気づいたのもおそらく茨だった。隣で踊っていたからかは分からないが、曲が終わると同時にアドリブでMCを挟んで日和が舞台袖へはける流れを作ってくれた。茨もだが凪砂もジュンもよく順応したものだ。ジュンに至っては今なおステージに残りひとりで場を繋いでくれている。
「痛みますか?」
「踊れない程ではないね」
「………」
茨がちらりと目だけでこちらを見上げてくる。暗いせいでその表情は見えないが、きっと納得はしていないだろう。無言がその証拠だった。
「……無理は良くないよ。次のEveの曲はなしにして、ジュンにソロ曲を歌ってもらおう」
「ぼくなら平気だね。ファンの子たちが待ってるから、戻らないと」
音源を確認しに行こうと立ち上がった凪砂の手を掴む。指先から戸惑いが伝わってきて申し訳ない気持ちになったが、こればかりは譲れない。限りある時間を、お金を使って会いに来てくれているみんなの愛に応えたい。そのためなら多少の無理でも通して見せる。
何か言いたげな顔をしている凪砂を安心させようと笑みを浮かべたが何故か逆効果だったようで、揺れる琥珀が助けを求めるように茨へと向けられた。しかし茨はあごに手を添えたまま何かを考え込んでいる。
「何を言われてもぼくはステージに戻るからね」
先手を打って牽制するが、それでも茨は何も言わない。
バラエティー慣れしているジュンと言えどフリートークで時間を稼ぐには限界がある。下手をすれば観客が違和感を覚えかねない。黙り込む茨に焦れた日和が立ち上がろうとしたそのとき、ようやく茨が口を開いた。
「殿下、先日自分に指導してくださった共通楽曲の振りは覚えていらっしゃいますか?」
「……? もちろん覚えてるけど……」
ESから渡された、所属する全アイドルが自由に使うことのできる共通楽曲。その中のバラードとダンスナンバーをAdamとEveで今日のラストに披露する予定だ。ライブの準備で忙しくしていた茨の自主練習に何度か付き合ったのでAdam側の振り付けも頭に入っている。しかしどうして今Adamの話を?
首を傾げる日和の目を、顔を上げた茨が真っ直ぐ見つめてくる。
「このあと予定していたEveとAdamの曲を共通楽曲に差し替えた上で、自分と担当を入れ替えましょう。あの曲は立ち位置の移動も少ないしダンスも激しくありません。一曲分休めますし」
考え抜いて出した結論なのだろう。言葉にも表情にも迷いがない。確かに悪くない案だと思う。けれど。
「……一回も合わせたことのない曲をぶっつけ本番でやるのは良くないんじゃない?」
バラードの方はともかくとしても、ダンスナンバーは立ち位置の移動が多い。動線が頭に入っていようと歩幅が違えば動きも変わる。一歩間違えれば怪我人を増やしてしまうかもしれない。自分のせいでそんなリスクを背負わせたくない。
「あまり自分とジュンを見くびってもらっては困ります」
知らず俯きそうになっていた日和の耳に、挑戦的な声が聞こえてくる。顔を上げた先―――差し込むライトに照らされたアイスブルーの瞳が煌めいている。
「ちなみに、自分の提案を承諾頂けない場合、殿下にはこのまま病院に行って頂きます」
にこりと笑っているが譲る気なんてさらさらないという顔。その表情に凪砂に抱くものと近しい安心感を覚えて、そんな自分に驚いた。
「……わかった」
覚悟を決めて頷く。茨の笑みが安堵のそれに代わり、しかしすぐさま真剣な顔つきになって音響スタッフの方へ走って行った。薄闇に溶ける背中を見送りながら肺の空気を全て吐き出す。
「はあ〜びっくりした……。あの子、あんな目もするんだね」
普段からしっかり主張するタイプではあるが、思えば正面から真っ直ぐ見つめられるのは珍しいような気がする。レンズ越しの瞳を、頼もしいと思った。
いろんな感情が一気に押し寄せた胸を落ち着かせようと当てた手に、少しだけ大きな手が重ねられる。ぬくもりの主は、やっと表情をゆるめて小さな笑みをこぼした。
「……それだけ日和くんのことを心配してるんだよ。足、大丈夫?」
「心配ないね! 茨とジュンくんが用意してくれる時間を無駄にはしないね」
痛みが引いたわけではない。相変わらず状況としては芳しくない。
だからこそ、そんな中で精一杯尽力してくれる大切な家族の愛に、出来得る全てで応えよう。
*
(―――啖呵をきってしまいましたが、一番大変なのはジュンですよねぇ)
楽曲変更の指示を終え、照明の打ち合わせをしながら茨は他人事のように考える。
本当はセットリストの変更を伝えるためにジュンを一度はけさせたいが、そのためには凪砂ひとりにMCを任せなくてはならなくなるし、さすがにファンに勘付かれる。だから、ジュンへの説明はファンへの企画紹介で済ませる。それで全てを察し、こちらに合わせてもらう。わりと無茶なことをしようとしている自覚はあるが、日和の無茶を止めるためだから仕方ない。
それにまあ。
(なんとかなるでしょう、自分たちなら)
浮かんだ思考に自分でも驚き、一拍遅れて微かに笑う。メンバーに他ユニットの影響を受け過ぎだと言っておきながら、なかなかどうして人のことを言えなくなってきている。おかしくてしょうがない。
「では、これでお願いします」
準備を終えて舞台袖に戻ると、椅子に座っている日和が手を伸ばしてきた。少し考えてから意図を察し、一瞬の逡巡の後にそっと手を差し出す。
―――パシン、と。そう大きくはないはずの音が、全身に染み込んでいく。
「頼んだよ、茨」
「アイ・アイ!」
「……茨、私も」
「もちろんです! どうぞ!」
ふたたびの音。嬉しそうに笑った凪砂が背後に回り、両肩に手を置いてくる。不思議に思う間もなく顔が耳元へと寄せられた。
「……君たちなら大丈夫。頑張っておいで」
優しく囁かれ、僅かに残っていた不安や緊張が嘘のように霧散していく。さすが我が最終兵器、たった一言の威力が恐ろしい。
「ありがとうございます」
小さく頷いた茨は、光溢れるステージへと走り出した。