願うのは一つだけ呑み込まれそうなほど深い藍色を見つめる君の隣で、満天の空の下、願い事をしよう。
夜空に輝くありたっけの星をかき集めて願うから、どうか受け取って欲しい。
僕の想い全部。
「リンドウさん、明日は七夕です。一緒に笹を飾りませんか?」
いつものように、週末リンドウを訪ねてきたゆきは手に葉笹を携えていた。
「何かと思えば。君の世界でも七夕の儀式があるんだ」
出迎えた玄関で葉笹を受け取ると、靴を脱いだゆきを室内に導きながら告げる。
「七夕の儀式……ですか?」
「違うの?江戸では庶民が手習いの願掛けをしていたし、幕府も節句の儀式を執り行っていたよ。京では……当然、宮中儀式だからね」
御所での儀式が終わっても、各家で夜通し星の下で歌を詠み宴会を催す。
正直なところ、苦労した思い出の方が多くて思わず顔をしかめた。
「そうなんですか。こちらの世界はちょっと違うかな」
「へぇ」
「飾り付けをしたら、短冊に願い事を書くんです」
言いながら、ゆきは鞄から色とりどりの色紙を取り出す。
「字が上手くなりますように~とか、針の縫い目が揃いますようにとか、そんな話?」
「いえ、何でも良いんです」
随分と、こちらの神は気前が良いらしい。
とりあえずお茶を淹れて部屋に戻れば、早くもゆきは色紙を前に悪戦苦闘していた。
奮闘するゆきを微笑ましく見ながら、傍に置かれた教本を手に取る。そして、そこに書かれた数々の作製に取り掛かる。
どれも、色紙を切り貼りした子供騙しのような装飾だ。
しかし、段々と組みあがっていくそれらを見ているのは中々に楽しい。
少しして、視線を感じた。
手元から視線を上げれば、ゆきがじっとこちらを見つめている。
「どうしたの、ゆき」
彼女の手元には、折かけの色紙があった。何度か折り誤ったのだろう。いくつもの折り目が走っている。
「かしてごらん」
教本を片手に、目当ての飾りを折りあげた。
「はい、できた」
ゆきは、飾りを受け取ると少し困ったような顔で見つめてきた。
「リンドウさんって、器用ですよね」
「そう?まあ、紙を折るのは得意かもね。陰陽師だし」
少しふざけてそう返せば、ゆきはまだ困ったように眉根を寄せている。
「私、お母さんに言われたんです。リンドウさんは、礼儀作法も良くできて生け花も得意。箏も嗜んだことがあると言っていたし、貴女、ひとつでも彼と並べるものがあるの?」
彼女の母親の口調を真似て、ゆきが言う。きっと、まったく同じ事を母親に向かってボヤいたのを、そのまま返されたのだろう。少しイタズラめいた蓮水夫人の微笑みが目に浮かぶようだ。
「折り紙ひとつとっても、リンドウさんの方が上手なんだもの…」
ちょっと拗ねた風に言う姿があまりに可愛らしいから、思わず笑ってしまった。
「あ、笑うなんてひどいです」
「だって、そんなことで拗ねてるんだもの。おかしくて」
「もう、結構真剣なんですから!」
頬をふくらませる彼女に、微笑みながら意地悪を言ってみる。
「ほら、短冊。江戸ではこういう事をお願いするんだよ。折り紙が上手に折れますように」
「もうっ、意地悪!!」
「知ってるくせに」
言いながら立ち上がり、傍らの葉笹に飾りを結びつける。
「さてと、これはベランダに置くとして……」
テーブルの前で拗ねているゆきを振り返り、首を傾けて問いかけた。
「明日は七夕で休日。笹はここにある。僕の部屋は君の部屋よりは高いところにあるし、星も良く見えると思うよ」
手を差し伸べながらねだる。
「織り姫様はどうするの?君を待ちわびていた僕を置いて家へ帰ってしまうのかな」
「遠回し過ぎて良くわからないです」
まだ拗ねているのか、ゆきにしては意地悪い返答だ。
「じゃあ、はっきり言うよ。ゆき、一緒にここで星を見てお願いしてくれる?」
手をとって立ち上がった少女の細い腰を抱く。
「何をですか」
「ずっと君と一緒にいられるように。ゆきが僕を好きでいてくれるように」
頬を染めて胸のひとつも叩かれるかと思いきや、存外真剣な眼差しでゆきは言った。
「それなら、私はリンドウさんと一緒にいられるように。好きでいてくれるようにお願いします」
自分が何度も口にするから、彼女も不安を取り除こうとするように紡いでくれる。
抱きしめる腕に力を込めると、その腕にゆきが手のひらを重ねた。
「僕が君を嫌いになるなんて、万にひとつもあり得ないよ」
「それなら、私も同じです」
間もなく夜を迎える空を見上げた。
「明日は晴れるそうですよ」
「じゃあ、沢山の星が見えるね。ありったけの星にお願いすることにするよ」
「一晩中かかっても時間が足りないかも」
「いいよ。一晩でも二晩でも」
「それじゃあ、七夕は終わっちゃいます」
微笑む彼女の額にキスをした。
「おなか空いたなぁ」
「ご飯つくりますね」
腕の中からするりと抜け出しキッチンに立つゆきをカウンター越しに見つめる。
「僕、炊事は出来ないんだよね」
「ふふっ、じゃあこれは私の役目ですね」
言外に想いを込める。
僕には、君に優るものなど有りはしないのだから。
「やっぱり、僕には君が必要だなぁ」
「リンドウさん、手先は器用だけど時々不器用ですよね」
「僕は、君が好きだよ」
「知ってます」
願うのはひとつだけ。
夜空を飾る星の数よりもっともっと数え切れないくらいの想いを、君に。