全部ほんとは僕のもの「なに、その猫」
蓮水家に訪ねてリビングに入ると、ソファに毛の長い猫が寝そべっていた。
「お隣さんがしばらく留守にするので預かっているんです」
ゆきはそう答えると、台所に向かってお茶の用意をする。
今日は、週に一度のデートの日。本当ならどこかへ出かける所なのだが、ゆきの希望で蓮水家へやって来た。
リンドウは、向かいのソファに座ると件の猫を見つめた。ゆっくりと伸びをした猫と目があう。
「やあ、猫殿。随分と慣れた様子じゃないか」
「リンドウさん、猫さんとお話してるんですか」
「冗談じゃ無いよ。なんで、猫と話なんてしなきゃならないの」
ゆきは、リンドウに紅茶を渡すと猫の居る方のソファに座った。すると、猫がのっそりと起き上がって、あろうことか彼女の膝の上に身体を移した。思わず、紅茶を吹き出しそうになって慌ててテーブルに置く。
「あ、こら!」
「どうしたんですか?」
「どうしたんですか?じゃないよ。猫を膝に乗せるなんて駄目だよ」
「え、でも大人しくて良い子ですよ」
ゆきが毛を撫でると、気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「そういうことじゃない。もし爪を立てたら足が傷つく」
「この子はそんなことしませんよ」
暢気な様子で笑うゆきを見て、リンドウのフラストレーションは溜まるばかりだ。
(大人しいのは結構。でもそういうことじゃないんだよね……)
リンドウの焦りを知ってか知らずか、なおも猫はのんびりと、時折あくびをしたりして、ゆきの膝を堪能している。
「ちょっと猫殿」
リンドウが呼びかけると、こちらを向いて目を合わせてきた。なかなか挑戦的なやつである。
「リンドウさん、猫殿なんて呼んでいるの?」
「一応初対面だし、親しくないからね」
「そう…ですか」
なおも見つめていると、猫が立ち上がる。そして、ゆきの胸元に前足を掛けて二度三度と鳴いた。ゆきが慌てて猫を抱き上げる。
「あら、どうしたの。リンドウさんが怖かった?」
「はぁ!?それはないよ」
「だってリンドウさん、さっきからずっと怖い顔でこの子を見つめているから」
ゆきの胸元から顔を出した猫の顔は、どう見ても怖がっているようには見えない。むしろ、勝ち誇っているかのように見えた。
「もう、堪忍出来ないね」
強行突破を決めて、リンドウはソファから立ち上がると、ゆきの隣へ腰掛ける。そして、ゆきの膝に向かって寝転がった。
「きゃ!」
驚くゆきにはお構いなしで、手で膝を良い位置へ寄せる。
「あのね、この膝は僕の」
「ええ!?」
「大体、膝以外にも。ゆきは全部僕のものなんだから、猫に貸し出す部分はないよ」
「もう、何言っているんですか」
「馬鹿だと思うなら、思っていいよ」
「そんなこと思いませんけれども」
すっかり困惑して、ゆきは自分の膝に頭を預ける青年の顔を見た。隣に下ろした猫も、不思議そうな顔でリンドウを見つめている。
「もしかして、リンドウさん、猫が嫌いでしたか?」
「ううん。猫は好きだよ」
「なら……」
「でも、ゆきに必要以上に近づく猫は嫌いだね」
必要以上にって、どこまでなのか。線引きはリンドウ次第だから、果てしなく曖昧だ。
「リンドウさんのヤキモチ!」
「何とでも言いなよ。僕は心狭いよ。君のことに関してはね」
「ずるいです。そういう言い方」
「知ってるくせに」
ひとしきり言い合ってから、リンドウは目を開けて、見下ろすゆきを見つめた。
「ごめんね。君の言うとおり、ちょっと嫉妬した」
「猫に嫉妬なんて、失礼です」
「うん。ごめんね」
「リンドウさんは、私が猫とリンドウさんも区別出来ないと思っているんですか。私に失礼です」
「ごめん」
「あと、猫さんにも失礼です。この子は別に悪いことしてないのに」
「ごめん…と言いたいところだけれど、それは別」
ちょっと唇をとがらせたままで、ゆきが首を傾げた。
「だって、そいつが君の膝に座ったのは事実なんだから。それは許せないよ」
「もう!」
「大体さ、君だって例えば僕の膝の上を猫殿が独占していたとしたらそれでいいの?」
言って起き上がると、リンドウは猫を呼んだ。思いのほか抵抗なく猫はやってきて、膝の上に座る。
「うわ、ふわっふわだ。確かに膝の上に乗せておくと中々気持ちが良いね。よしよし……」
さっきまでとは一転、膝に乗せた猫を撫でながらリンドウが嬉しそうに言う。
毛を撫で、あご下を搔いてやる。猫は嬉しそうに鳴いている。
さっきのリンドウの言葉が頭に残っているせいか、次第にゆきもモヤモヤとしてきた。
「……あの、リンドウさん?」
「なぁに?」
してやられたことにゆきが気づくのはもう少し後である。