My Precious One 幼い頃。たまたま見ていた番組だったと思う。黒い箱の中で、金の髪を可憐に靡かせ、にやりと笑った君の姿を見て。瞬きすることを忘れ、息するのを忘れるってことを初めて経験した。ぼうっとその姿を見た後、夢現のようにぽつりと呟いたのを、私は今でも覚えている。
「……私、この子のこと好き……」
「じゃあ、そのまま振り返って……良いね!」
眩いフラッシュに合わせて、ポーズや表情を変えていく。華やかな衣装に綺麗に施された化粧。頭の天辺から爪先までを美しく着飾ってもらい、私が魅せるのは、纏った服や身に付けたアクセサリー。そして、その物を魅せるために、相応しくなった私自身を添えて。
「はい、お疲れ様!良かったよ」
「ありがとうございます!」
幾らかフラッシュが光った後、かけられた言葉で終わったのだと気付く。先程まで照らしてくれていた光の熱が、ようやく今届いたように感じて暑い。渡されたドリンクを受け取り、一口飲めば喉から潤いが広がっていくようだった。
「そういえば、もう次の話が来ているのよ」
「本当に?嬉しい!どんなお仕事?」
マネージャーから聞いた言葉に、有り難さと嬉しさが募る。
金髪の彼に目を奪われ、憧れてから、彼と同じことをしてみたいと親に泣きついたことは、今としてはとても懐かしい。それをきっかけに、演技や歌、ダンスと様々なことを試したけれど、中でも私が“やりたい”と思ったのはモデルの道だった。それから数年、運動や美容、カロリーの管理と、モデルに見合う自分になれるよう、努力はしたつもりだ。それは今でも日課として続いているけれど、こうしてオファーが来ると努力は間違っていなかったと思えるし、私の自信になる気がしてとても嬉しく思う。
「アクセサリーのモデルなんだけど……これね」
「わ……スゴく有名なブランドだよね?」
「えぇ、とても有名よ」
「……それは、私一人?」
マネージャーに見せてもらった資料には、見たことがあるロゴ。有名なブランドだと気付くには十分で、同時に有名な名前を背負うということに、私で良いのかと不安にも陥る。もちろん、チャンスだとは思うし、今出来ることを精一杯やる。けれども、どうしたって不安は襲いかかるもの。口を突いて出たのは、それを表したような言葉だった。そんな気持ちを感じ取ってくれたのだろう。マネージャーは、不安を拭い去るように私の頭を撫でながら、にこりと笑いかける。
「今回はペアのアクセサリーなの。相手役がいるわ」
「相手役?ペアってことは、男性なの?」
ペアで、誰か相手役を据えての撮影は、私自身初めてで、尚の事『大丈夫なのか』と思ってしまう。けれども、一人で悩んで挑むよりは、二人で悩める方が良いのかもしれない。有名な名前のブランドの重さが、二人で出来るのなら少しは軽く感じるかもしれない。
「不安?」
「うん……でも、やってみる。頑張ってみたい」
「そう。それじゃ、そのように伝えるわね」
「お願いします!あ、それと相手の人って……」
そこまで言って、マネージャーにすっと差し出された資料を見れば、書かれているモデル名は私ともう一人。その名前に、嘘なのではないのかと疑う気持ちが強い。
「ねぇ、これ本当に……?」
「えぇ、本当よ。貴女にとって、とても成長出来るオファーだと思っているわ」
有名なブランドに、私ともう一人のモデル。そのモデルは、とても有名なヴィル・シェーンハイトだった。私が、この世界に飛び込みたいと思ったきっかけの人で、そしていつからか、憧れから恋心へ。長年、懸想し続けている相手だった。
最初に襲いかかった不安と、それからヴィルと一緒に仕事が出来るのだという嬉しさ、成長出来るよう頑張ろうという高揚感。あとは、ヴィルに落胆されるようなことはしたくないという逸る気持ちと、上手くやらなければというプレッシャーに緊張。そんな様々で複雑な感情を抱きながら、今はただ、資料に目を落とすしかなかった。
「あら、久しぶりね」
「本当に。今回は、よろしく」
打ち合わせの場で、ヴィルから声を掛けられ握手をする。最近は、彼がドラマの撮影に行っていたから会うのは久しいけれど、モデルという仕事柄、顔を合わせることも話をすることもあって。歳が近いことから、ヴィルとは他のモデル仲間と比べて、比較的仲が良い方だった。
「えぇ、こちらこそ。良いものにしましょ」
「そうだね。私も、精一杯頑張る」
「やぁ、お待たせ。では、始めようか」
扉を開けて入ってきたのは、私とヴィルのマネージャー、そしてブランドのオーナーだった。それぞれが着席し、何処か重い空気が漂う。厳かな雰囲気に気後れしそうになるけれど、気持ちで負けてしまっては終わりだと、どうにか奮い立たせる。
「ではまず、コンセプトだが“大切な君に”というものだ」
「……どういうことですか?」
コンセプト自体は、聞いた感じでは良さそうな気がするけれど、まだ内容がいまいち見当がつかない。ヴィルの疑問もわかる気がして、そのままオーナーを見つめる。
「君達は、まだ学生だろう?」
「はい」
「そうです」
「けれども、モデルや俳優業で稼いでいるね」
その通りだ。けれども、それとどう繋がるのかがまだわからない。
「学生同士のカップルで、相手にアクセサリーを送りたいとしよう。“自分を思い出してもらえるように”だとか、“お揃いの物を持ちたい”だとか、色々と理由はあるだろう。もちろん、相手に送るならば、良いものを持っていてほしい。だとしても、学生で稼げる金額というのは、君達のように巨額ではない」
そこまで聞き、ようやく理解する。このコンセプトの意味を。
「学生でも買えるような、リーズナブルな商品で、相手に送れる良いものを……ということですか?」
「それで“大切な君に”というわけね」
「その通りだ。対象は君達くらいの年齢だから、是非君達にやってほしい」
そのような考えの元、選んでもらったのかと思えば、期待に応えたいという気持ちが強くなる。私達と同じくらいの歳の人達が、私達がした広告を見て大切な人に送る。そんなきっかけになり得ると良い。そして、笑顔になれると良い。とても素敵な企画だと思った。
「是非、やらせてください!」
「……えぇ。私も、受けさせてください」
「本当かい?よろしく頼むよ」
オーナーが立ち上がり、差し出してくれた手を取り、握手する。オーナーではあるけれど、ゴツゴツとして、ところどころにタコが出来た、ずっと努力されてきたであろう、この方の脳内を表せるお手伝いをしたい。そう思わせてくれる、すごい人だと思った。そして、私の手を離すと、続けてヴィルとも握手をする。
「ところで、君達は仲が良い方だと聞いているけれど」
「そうですね。話はよくします」
「そうか……これは友人同士にも推奨したいが、どちらかといえば恋人達に送りたくてね。更に親密になってもらえると良いんだが……シェアハウスとか、そういったことは出来ないのかい?」
「えぇ⁉」
「それは……」
驚きの声が先に出てしまった。まさか、そんな提案されるとは思っていなかったから。ヴィルも苦笑している。
「それは難しいかと。うちのヴィルは寮生活ですし、スケジュールもあります。それに、そういったことでスキャンダルの火種になるのも困ります」
「うちも同じくです。特に、ヴィルの人気はスゴいものですし……」
ヴィルが忙しいのはわかっているし、どうしたってお互い、世間に顔と名前は知られている。だから、そういった関係になるわけにはいかない。わかっていたはずなのに、改めて言葉になったのを聞くと、私の中にあるヴィルへの思いを連れて、重りが身体の奥深くに落ちたようだった。報われることは、無いのだと。表に出してはいけない、と。肯定も否定も出来ず、ヴィルと同じように苦笑を浮かべるしかなかった。
「そうか……ドキュメンタリーにしても良いのだが……」
「ヴィルもこの子も学生ですから、そうして時間がかかるものは……」
「では、せめて週に一度、話す場を設けるのはどうかな?少しでも、僕のイメージに近付けてもらいたいんだが……」
そう言われてしまっては、私達は何も言うことは出来ず。結局、ここで決まったのは、毎週の休日を一緒に過ごすということ。遊びに出掛けるという話も出たけれど、噂になってしまうのを気にしていたマネージャー達の気持ちを汲み取り、オーナーが部屋を別で用意してくれることになった。『好きなときに来るといい』と私とヴィル、そして心配になることもあるだろうと、マネージャー達の分も合わせて4本合鍵が用意されるようだ。
「やってみるしかないわね」
「そうだね。毎週……日曜日の方が良いかな?」
「仕事の時もあるでしょうし、そこはお互いに連絡を取り合って決めましょう」
そうして話し合いは終了し、帰りの車の中。ヴィルと一緒にいられる時間が増えたことを喜びながらも、恋人としては心を通わせることが出来ない事実に胸が締め付けられるように感じた。
――大丈夫……なのかな。
これからのことに思いを馳せながら、ケータイに映るヴィルの連絡先をそっと撫でた。
「……えらく立派な部屋を用意したものね」
「すごい……」
最初の週末。訪れた部屋は、2LDKのモデルルームのような部屋だった。ここに住むことも可能だとでもいうように、それぞれの個室に付いた鍵やベッドにクローゼット、アメニティグッズも置かれていた。冷蔵庫の中も、野菜や肉、魚、果物と満遍なく入っており、キッチンもピカピカで、備品も問題ない。
「……本当に住めちゃうよ、これ」
「あのオーナー。元々、この部屋を渡す気だったんじゃないでしょうね」
怪訝そうな顔をしているヴィルに、何とも言えない私。確かに、シェアハウスの話は出ていた。それに対して、用意されていたと言われても疑いようのないこの部屋を見ると、その感想も頷けてしまう。
「まぁ、時間を無駄にすることないわ。お茶にしましょう」
「そうだね。……あ!薔薇の王国のお茶があるよ!これって有名なやつだよね?」
「あら、本当。いいじゃない。それにしましょう」
甘く香り高い紅茶と、香ばしくさくさくとしたクッキーをお供に、ヴィルとソファに腰掛けて話をする。それは、モデルやヴィルの演技の仕事の話から、学校生活、趣味に至るまで様々で。まだ初日だというのに、これまでよりももっと鮮明にヴィルを知ることが出来て、心が弾む。それがとても楽しくてならなかった。
「薄暗くなってきたわね」
「本当だ。電気付けるね」
昼過ぎから始まった会話も、気付けばもう日が暮れようとしていて、お菓子も紅茶もあと僅かとなっていた。電気を付ければ、明るくなった部屋に少し目が眩んだ。
「楽しくて、時間が経つのが早かったよ」
「そうね。それに、こんなにゆっくりしたのも久しぶりだわ」
「そっか。ヴィル、最近まで忙しくしていたもんね。マジカメも見てたよ」
マジカメで見たヴィルは、撮影の仕事を頑張っていて、それを華やかに伝えていた。忙しいだろうに、それでも日常のルーティンは欠かさず行う。本当に、努力家な人だと思った。
「ありがとう。見ててくれたのね。……それにしても、あの撮影もなかなか刺激的だったわ。周りのレベルも高かったから」
「確か、有名な監督がやっていたよね?」
「えぇ、そうよ。彼の話は、本当に素晴らしかった」
ヴィルの撮影時の話は、本当に良かったものだったのだとよくわかる程の熱弁で、これまた話に引き込まれるようだった。そんなお話が終わってしまったのは、恥ずかしながらも自らのお腹の音のせいだった。
「……ごめん」
「謝ることないわ。時間が時間だもの。ご飯でも作る?」
「え⁉ヴィルって料理出来るの⁉」
「失礼ね。日頃、スムージーを作っているのよ。それくらい出来るわ」
「……スムージーと料理は別物だと思うんだけど。私も手伝う」
二人して台所に並び、あぁだこうだと話しながら料理するのは、これまたとても楽しかった。出来たのは、パスタとサラダにスープ。そして、デザートに果物が並んだ。口に運べば、お店のように絶品と言えるほどの美味しさではないものの、素朴でよくありそうな家庭の味。誰かと食べているのもあるかもしれない。けれど、これが美味しいと私は思った。
「良いんじゃないかしら」
「良かった。……ヴィルは、もっと良いもの食べてるから口に合うか不安だったんだ」
「食べてはいるけれど、良いものが必ずしも美味しいわけではないでしょう?良いものが口に合わない時だってあるわ」
「うん、確かに。結局は、その人の好みってことだね」
「そういうこと」
談笑しながら晩御飯を平らげ、後片付けをする。それらが終わる頃には、もう九時を過ぎていた。
「もうこんな時間……」
「明日も学校は休みとはいえ、あんまり遅くなるといけないわ。そろそろ帰りましょうか」
そう言って、ケータイを取り出すヴィル。そうか、マネージャーに連絡しなければ。私もケータイを取り出し、連絡を入れれば、すぐに向かってくれるとのこと。ヴィルの方を見れば、彼も同じようで。
「こっちは、あと十五分くらいで来てくれるみたい。そっちは?」
「私は二十分くらいかかるって」
「そう。明日の仕事はあるの?」
「明日は何も入ってないから、身体を整えるかな。あとは、月曜日に小テストがあるから見直しくらいは……」
「良いじゃない。大事よね、そういうの」
そのような会話は、インターホンが鳴るまで続き、先に迎えが来たヴィルが帰り支度をする。それを私は、眺めていた。
「今日は、ここまで話せると思ってなかったわ」
「私も。こんなに楽しめると思ってなくて……」
「あら、それは私が悪役だからかしら?」
にやりと意地悪く笑う姿も、本当に美形は様になる。からかっているだけだとわかっているけれど、少し慌ててしまった。
「違うよ⁉元々、ヴィルとは話す方だったけど、一日一緒なのが、私自身、緊張しそうだなって思って……」
「わかってるわよ。……それじゃ、気を付けて帰るのよ。また来週ね」
「あ、うん。ヴィルも気を付けて……おやすみなさい」
「……えぇ、おやすみなさい」
綺麗な笑顔で去っていくヴィルと、会釈してくださったマネージャーさん。会釈を返したあと、少し経ってからパタンと扉が閉まる音が鳴り響いた。
先程まで賑やかだった部屋は、しんとしていて寂しい。マネージャーが来るまで、一人腰掛けたソファも『こんなに広かったのか』なんて、再認識したりして。初日からこんなに話題が出てくるとは思わなかったし、ここまで話をすることが出来るなんて、想像出来なかった。ヴィルが気を使ってくれたのだろう。彼は、そういう気遣いが出来る人だから。
「……五分って、長いんだな」
話している間、あんなに早く感じた時間が今は遅い。彼を知る時間がとても楽しく、あんなに憧れた存在が、今はどこか近くに感じていて。だとしても、今回こうして話が出来たのは、仕事だからなのだと、自分に言い聞かせる。そうして、更に膨らんでしまった私の気持ちを、押し込めて気付かないよう、見てみぬふりをするしかなかった。
季節が一つ終わろうとする頃、いつもの話をする部屋の机に広げられた撮影の資料。それを見ながら、間もなく始まる本格的な撮影に、私は胸を踊らせていた。普段ならば、もう少し詰められるであろう日程は、とてもゆとりを持ったものにされていて。気になって聞いてみたことがあったが、『オーナーの意向だ』としか教えてもらえなかった。
そして、ヴィルとの会話も欠かされることなく毎週続いていた。一緒にあの部屋でヨガをすることもあったし、スムージーを振る舞ってもらったこともあった。あまりに話しすぎて、マネージャー達も来て、泊まってから翌日帰る、なんてこともあったくらい。最近では、メッセージでやり取りすることも増え、ヴィルと関わっていない日の方が少ない。仲は、とても良くなったと思っている。
「もう来ていたの?」
「ヴィル!ちょっと早く着いちゃって」
「あら、それ今度の撮影の?」
「うん。ラフと香盤表貰ったの。ヴィルのも預かってるよ」
ひらひらと資料を振ると、部屋に来たヴィルが近くに座った。資料を手渡せば、慣れた手付きで目を通していく。
「へぇ……随分余裕なのね」
「オーナーの意向なんだって」
「……何を考えているんだか」
思うところがあるのかわからないけれど、それ以上は何も言わなかった。ふとヴィルを見ると、袖に布切れが付いていて。
「珍しい……どうしたの?これ」
「……付けて来てたのね」
『私ったら』と布切れを取ってゴミ箱へ。その布の理由が気になって、じっと見ていれば、察してくれたのだろう。間もなく、ハロウィーンが学校で開催されることを教えてくれた。
「私はヴァンパイアをするのよ」
「へー!すっごく似合いそう!」
「当たり前よ。……そうだわ、あんたも来なさい。一般人にも開放してるのよ」
「行っても良いの?」
「良いから誘ってるの。それで、私の姿を見に来るといいわ」
「絶対行く!」
誘いを受けたことが嬉しくて、二つ返事で返していた。ヴァンパイア姿を見られる楽しみもあり、これでもかと言うほど心が弾む。
「それじゃ、さっきの布はヴァンパイアの衣装の?」
「あぁ、あれはユウの……特待で学校にいる女の子の衣装の物よ。他の奴らが碌な案を出さないから、私が作ってるの」
「そう、なんだ。ヴィルが……」
先の嬉しさはどこへやら。ヴィルが、その女の子の為に衣装を作っている。元々、厳しくも面倒見は良いヴィルだ。放っておけなかっただけかもしれない。
「そのユウさん?って人と仲が良いんだね」
「そうね……よく話をするわ。授業でペアになることもあるし、お昼が一緒になることもあるわね。……そういえば、この間は部活の手伝いにも来てくれたかしら」
「……良い人だね」
何故、聞いてしまったのか。そう思っても、もう時は既に遅し。話しながら、時折、その時にあったことを思い出したからか、くすくすと思い出し笑いをしている。そして、優しそうな表情を浮かべるのだから。この数ヶ月、毎週話すようになってから、一度も見たことのない表情で。私も、彼が好きでずっと見ていたのだ。
――あぁ、好きなんだ。
そう、思ってしまった。
私は仕事柄、ヴィルとは恋人になれないだろう。でも、せめて。一番の友人になれれば。そんなふうに考えていた自分が浅ましく思えた。今、彼には好きな人がいる。それを知っただけで、ここまで落胆し、辛いと思ってしまうのに。一番の友人になったって、彼はいつか、私ではない誰かと結ばれてしまうのに。どうして、そう思ってしまったのか。
「どうしたの?」
「あ……ううん。大丈夫。そうだ、お茶入れるね。今日は輝石の国のお茶なんだよ」
心配そうに、こちらを伺うヴィルから逃げたくて、キッチンへ向かった。戻る時間を引き伸ばすように、ゆっくり、ゆっくりと作業する。思わず、溜め息が口を突いて出た。
「ねぇ、やっぱり何かあったんじゃないの?」
「わっ!ヴィル⁉」
じっとポットを見つめていれば、いつの間に来ていたのだろう。耳元で聞こえた声に驚く。思わず、耳を手で覆ってしまったのは、彼の美声に照れてしまったのもある。距離の近さにドキドキしつつも、この恋は報われないのだからと自分自身に言い聞かせる。そのまま、彼は私の両肩に手を置き、視線を合わせるようにこちらを見つめる。
「ぼうっとしてる。何かあったなら話してみて」
「えっと……あ、仕事。仕事が……あんまり思うように出来ないから、ちょっと悩んでて……」
真剣なヴィルの表情は、本当に私を心配してくれているのだろう。だけど、本当の理由を本人に話すことなんて出来ない。悩んだ末、でっち上げた話は、気にかかっていた一つだったこともあって、ヴィルは納得したようだった。
「そうだったの。どういったところに悩んでいるのか聞かせて。あんたが努力してる姿は知ってるもの。アドバイスくらいは、出来るんじゃないかしら」
「ありがとう、嬉しいよ。お願いします」
ヴィルからのアドバイスは、とても的確なもので、次回試してみようと思ったほど。私が頑張っていると、認めてくれたのも喜ばしいというのに、こうして“悩んでいる”と伝えたことを、一緒に考えてくれたことが、とても嬉しかった。そんなヴィルに、本当の理由を伝えられなくて心苦しくもあり、時々視線を逸らしてしまったけれど。
楽しいと思っていた毎週末。初めて、気まずいと思ってしまった。こんなことで、撮影が上手くいくのかという思いと、私の気持ちのせいで、足を引っ張ってしまうかもしれないことが、とても申し訳なく感じた。
「それでは、今日から撮影だね。よろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ついに始まった撮影。この撮影は、雲一つない晴れ渡った空の元で行われる。あれから何回か週末を過ごしたが、私の心は未だ晴れない。ヴィルも気にしてくれてはいるものの、深くまでは聞いてこなかった。
衣装に着替え、化粧をしてもらい、髪を整えてもらう。キラキラと輝いて見えるのは、プロの方々による仕事のおかげだ。
――その仕事に見合うようにしなきゃ。ちゃんと、意識を変えなきゃ。
「最初は、ネックレスから撮影します。その後、イヤリング、指輪と撮影していきますので」
「アクセサリーの前に、名前のプレートを置いていますので、それを付けるようにしてください」
撮影場所に行き、スタッフからの指示を受ける。アクセサリーのところへ行けば、ヴィルにはゴールド、私はシルバーのアクセサリーが用意されていた。よくあるアクセサリーの質感ではあるけれど、細工がとても凝っていて細かい。もう少しで大人になるけれど、まだ大人ではない。だけど、あとちょっと背伸びしたい。そんな気持ちを叶えてくれるような、上品さもある。確かにこれは、特別感があるかもしれない。そっと手に取り、ネックレスを付ける。横に置かれていた姿見で確認すれば、胸元で輝くそのネックレスの上品さに、思わず頬が緩む。
「あら、よく似合うじゃない」
「あ、ありがとう……」
今来たらしいヴィルが、ネックレスを見ながらそう告げる。思わず、照れてしまったけれど。同じようにアクセサリーを付けたヴィルが、姿見の前で横に並ぶ。ペアのネックレスが、きらりと光って本当に恋人のようだ。
――そうだったなら、良かったのに。
あれから、諦めなければと思うのに、潔く気持ちを切れずに続いていた。今もまだ、こんなにもヴィルを思ってしまう。
「ヴィルも……ネックレス似合うね」
「当然よ。でも、ありがとう」
「準備出来たら、撮影始めまーす」
「っはい!」
あの少し意地悪そうに笑う顔が好き。努力に裏付けられた自信満々なところも、その後にふわりと微笑む姿も。全部全部、好きなのに。
始まった撮影。木陰の下で向かい合う私達。そっと触れてくれた頬と、向けてくれた柔らかい眼差しに、気持ちが溢れてしまったらしい。涙が頬を伝って、ヴィルの指先を濡らす。驚いたヴィルの表情を見た直後、私の視界はネックレスとヴィルの着ている衣装でいっぱいで。どうやら、私の顔を隠すように抱き寄せてくれたらしい。
「ごめんなさい。少し時間を貰えるかしら」
「えぇ⁉今から始まるっていうのに……」
「あぁ、構わないよ。行っておいで」
「ありがとうございます」
オーナーが快く送り出してくれたからか、それ以上、誰も何かを言うことなく。私自身も驚きながら、ヴィルに連れられてなすがままになっていた。
みんなからは見えない少し離れた場所で、ベンチに腰掛けた。いつ取ったのだろうか、持ってきてくれたらしい水を渡される。
「落ち着いたかしら?」
「……ごめん」
「良いのよ。それより、さっきのはどういうこと?何で、泣いたの?」
あの週末に、初めて悩みを聞いてもらったときのような、真剣な表情でこちらを見つめる。誤魔化すことは、きっと出来ないだろう。もう、こうして見られてしまったのだから。それでも、真相に触れられたくない。
「私が……ただただ未熟だった。それだけだよ」
曖昧な返答をするしか出来ない。そして、俯くしかなかった。流石のヴィルも、呆れただろうか。そう考えていれば、頬に手を当てられ、ゆっくりとヴィルの方へ向けさせられる。逸らすことなんて、許さないとでもいうように。
「そんなわけ無いでしょう。この数ヶ月、私はあんたを見てきたわ。仕事にも、自分のことにもちゃんと取り組んでる姿を見てる。仕事に真剣で、笑顔を絶やさなかったことだってね」
「ヴィル……」
「そんなあんたが、仕事で泣いたのよ?何かあったんじゃないかって……心配にだってなるわ。少し前から、元気が無いことには気付いていたのに、そのままにしてしまった。駄目ね……」
ヴィルが悔いた顔でこちらを見る。ヴィルのせいなんかじゃない。彼が認めてくれていた仕事で、私が切り替えられずにミスをしただけなのに。
「違うの……ヴィル、私が……気持ちに区切りをつけられていなかったから」
「気持ち?どういうこと?」
まだ撮影は初日。これを言ってしまうと、この後ぎくしゃくしてしまうかもしれない。自分勝手だとしても、気持ちを抑えることが出来なかった。
「私が、ヴィルへの気持ちを……諦められなかったの」
「……私?」
「ヴィルのこと、ずっと好きだった。でもヴィルは、ユウさんのことが好きでしょ?諦めようと思ったのよ」
口に出すと、自分の中で認めてしまうからなのか。じわりじわりと、目の奥が熱くなる。出てくるな。流れるな。そうは思っても、目の前がゆっくりと滲んでくる。
「待って。どうして、ユウなの?」
「この間、話を聞いたときにすごく優しい顔をしてたから。あぁ、大切な人なんだって……思った。好きな人、なんだって……」
決壊しそうな程、溜まりに溜まった涙をヴィルの指先が優しく拭う。ようやくはっきりと見えたヴィルの表情は、どこか照れくさそうにしていて。ユウさんへの気持ちがバレていて、恥ずかしかったのかな。そんな風に思っていた。
「本っ当……馬鹿だわ。……それに気付けなかった、私も大概だけれど……」
「ヴィル?」
「良いこと?私だって、あんたを見てきたの。それも、長い時間ね。なのにあんたは『諦めようと思った』ですって?そんなこと、許せるわけないじゃない」
頬から背中へ回った腕は、細身なのにしっかりとしていて力強い。
――これは、夢なの?私が作り上げてしまった、夢ではないの?
「許せないって……どうして?ヴィルにはユウさんが……」
「そこから間違っているのよ!ユウは、仲は良いけれどただの後輩よ。私が見ているのは……思ってるのは、あんただけって、まだわからないかしら」
射抜かんとする程の強い眼差しを向けられて、くらくらとしてしまう。つまり、ヴィルは私のこと――。
「どう?これでも、まだあんたは泣いちゃうの?」
「……ううん、泣かない。むしろ嬉しい」
「そう。良かったわ」
まだ信じられないけれど、満足気に笑うヴィルから落とされた初めてのキスは、どこかしょっぱくも甘く感じた。心を通わせることが、こんなに暖かくて嬉しいものなのかと笑みが溢れた。
その後は方々へ謝りに行き、化粧を直してもらって撮影へ。気持ち的に、すっきりしたからかもしれない。すっと仕事に入り込めた気がした。
「もう逃してあげられないから、覚悟するのね」
撮影中、小声でかけられた声に少し驚きながらも微笑む。この甘い表情は、私に向けられたものだと思うと、愛おしさが溢れ出る。
「もちろん。離さないでよ、ヴィル」
この時の写真が、とても好評だったのは後で聞いた話。それから日程も進み、無事に撮影が終わった頃、こっそりとオーナーに聞いてみた。
「どうして、私達だったんですか?」
「前に一度見かけたとき、君達をもどかしく思っていてね。いずれ、こういったペアの物で起用したいと。そして、あわよくば……とね」
『秘密だよ』とウインクをして去っていったオーナーには、どうやら私達の関係が始まる前から気持ちがバレていたらしい。まんまと、手の平で転がされていたわけだが、それも結末としては有り難いもので。
マネージャー達に報告したときは、無論良い顔はされなかった。けれど、『そんな風になる気はしていた』と、呆れと諦めが混じった溜め息を付きながら言われ、この広告と同時に関係を発表することになった。これまでよりも、相当厳しくなるだろうけれど、しっかり頑張っていくつもりだ。
そして、数週間後。私達は。
「ヴィル!」
「あら、来てくれたのね」
「ヴァンパイア姿、とても似合うね!」
「当然よ。あんたも付けているのね、このネックレス」
「もちろん!」
これまでのように、毎週末会っては話をしている。今日付けているペアのネックレスは、あの後オーナーから頂いたもので、二人で身に付けていた。そして、ヴィルとの関係も公式的な発表が済み、忙しくはしているけれど、とても充実した毎日を過ごしている。
今回は、誘われていたハロウィーンへの参加の為、ヴィルの学校を訪れていた。目の前の彼は、贔屓目なしでも美しく、格好良い。
「オーララ!彼女がヴィルの言っていた子かな?」
「ルーク!」
「本当に愛らしい子だ!ヴィルが溺愛しているのもわかるよ!」
「ルーク黙りなさい!」
少し赤くなった年相応の顔。初めて見る表情、楽しんでいるであろう学校生活を見て、また彼を知っていく。
「私、そんなに好かれてたの?知らなかった」
「あんたは、何でも私を基準にしていれば良いの。愛も、他の人から見た溺愛だって、私達には普通でしょ」
そうして、にやりと笑う姿は、ずっとずっと好きな彼の姿だった。
これまでも。そして、これからも。