鯉から恋で愛になる「アズールー、ジェイドー。明日暇?」
「どうかしましたか?」
「……僕は暇じゃないんだが。一応、聞きましょう」
モストロ・ラウンジ終わり。ゴロリとソファへ寝転びながら、二人の予定を確認する。
「オレ、街に行きたいんだけどー……二人共一緒に行かない?」
明日、明後日は学校は休み。だから何処かへ、と考えて思い付いたのが街だった。丁度、靴を買いたかったのもあるし、他にも気になっているところが幾つかある。一人でふらりと行っても良いのだが、せっかくならばと声をかけた。
「僕は明日、モストロ・ラウンジで少し見直すことがありますから遠慮しておきます」
「おや、お手伝いしましょうか?」
「大丈夫ですよ。そこまで人がいることでもありませんし……。二人で行ってきたらどうです?」
その言葉にちらりとジェイドを見れば、少し考えているようだった。けれど、次に出てくる言葉は知っている。
「そうしましょうか。それも面白そうです」
「オッケー。そう言うと思ってた」
思わず上がった口元でそう伝えれば、『おやおや』と言いながらも嬉しそうなジェイドがそこにいた。
「あ、アズールにも何か買ってくるから」
「……普通の物にしてくださいね」
「おもしれーもんにする」
「良いですね」
「フロイド!ジェイドも乗るんじゃない」
そんな話をしながら、来る明日を楽しみにしていた。
「ねぇ、ジェイドー……俺喉乾いたぁ……」
「では、そちらのカフェにでも入りましょうか」
朝から街に繰り出し、欲しかった靴を買う。その後も気になったところを見て回り、ジェイドも『見たい』と言った山やアクアリウムに関するところも寄りつつ歩き回る。そうして気付けば、太陽は天辺に登っていた。朝から歩いていれば、流石に喉も乾いてくるもので。ジェイドが指したのは落ち着いた雰囲気のカフェだ。
「そうするー……」
カフェの扉を開ければ、カランカランと軽快なドアベルの音が鳴り、こちらに視線が幾つか向く。俺等を見て、何人か女が近寄ってきては“一緒にどうか”とか言ってくる。
――オレもジェイドもお前等に興味ねぇし……。
どいつもこいつも同じような化粧に同じような言葉。無視しながらオーダーカウンターへ向かえば、カウンターにあったメニューに目が行く。コーヒーに紅茶、ジュースもある。どれにしようかと視線を動かしていれば、前のレジでごそごそとしてる音が聞こえた。『うるせぇなぁ……』なんて、視線をそちらへ遣れば。
「お決まりですか?」
「……あ……ううん、まだ……」
「お決まりになりましたら、仰ってくださいね」
視線が合い、にこりと笑いかけられた。女に笑いかけられたことが無いわけじゃない。むしろ、多い方だ。なのに一瞬、言葉が出なかったほどに目を奪われる。彼女が、キラキラとしていて。
「ジェイド……人をキラキラさせる魔法ってあんの?」
「キラキラ……ですか?」
不思議そうに言葉を返すジェイド。オレはそんな魔法があるなんて見たことないけど、『もしかしたら』と思って聞いてみた。でも、この反応ということはジェイドも知らないというわけで。
「うん。……それか、オレの目おかしくなった……?あの子、すっげぇ見たくなる……」
思ったことを正直に言っただけなのに、横のジェイドはぷるぷると弱い雑魚みたいに震えだした。その姿に少なからず、ムッとする。笑いを堪えているんだろう。
「ふふっ……フロイド……。それが、恋ですよ……」
「は?鯉?何で魚になんの?」
「スー……。ふー……そういうところですよ、フロイド。とりあえず、連絡先でも聞いてみたらどうです?」
少し呆れながらも、そんなことを言うジェイドが理解出来ずに疑問が増える。
「……ま、良いけど。ねぇ」
「はい、どうされましたか?」
「あのさぁ……ケータイの……」
じっとこちらを見られている。しかも微笑み付きで。店員なんだから、それが当たり前なんだと自分がよくわかってるはずなのに、緊張するのは何故だ。
「……え……と、ケータイの……やっぱ、コーヒーください」
「ぶふっ」
彼女が輝いて見えて、目を真っ直ぐに見ることが出来なかった。そして、連絡先さえも聞けず、コーヒーを頼むのみ。横でジェイドが吹き出したけど、真っ直ぐに見れなくても、今は彼女を視界の何処かに入れておきたくて。
ジェイドは、とりあえず後で締めることにした。笑っていられるのも今の内だ。
「お待たせしました、コーヒーです。素敵な一日を」
「……ん、ありがとう」
コーヒーを受け取る時に触れた指先。チリっと熱さを感じながらも、嫌じゃなくて。けれども、気恥ずかしさを感じながら、少し下を向く。軽く手も振ってみたりなんかして。
――女にそんなことするなんて柄じゃない。
そう思いながらも、彼女の反応が見たくてちらりと目を遣る。すると、先程よりも花が笑うような表情をしているものだから、心臓は簡単に跳ねてしまって鼓動がうるさい。
「ありがとうございました」
手を振り返してくれた彼女に、胸が温かくなる。愛想笑いだとしても、嬉しくて仕方がないくらいに。
――もうちょっと見てたかったんだけどなぁ……。
残念に思いながら、扉を出る。後ろ手に扉を閉まったのを確認した瞬間、未だに横で肩を震わせているジェイドに蹴りを入れた。
「痛いです、フロイド」
「あ?ジェイドがしつこいからだろ」
イラッとしたのも、その時だけ。手に持つコーヒーカップを見れば、先程のことを思い出して心が穏やかになっていく。それを感じ取ったのか、又してもジェイドは面白そうにしていて。
「おやおや……」
「なーに、ジェイド」
「いいえ。……可愛らしい方でしたね」
「……ん、そう思う」
僅かに引っかかるところはあったけれど、何故かこの時は、少し素直に。そう、ほんの少しだけ素直になれた気がした。“可愛らしい”。そう思ったことは嘘ではないから。
「また、会えると良いですね」
「……“会えると”じゃないんだよなぁ」
「それはまた……。彼女が気に入ったんですか?」
ジェイドが何を言いたいのかはわからない。けれど、オレ自身の気持ちももっとわからないのだ。彼女のことは気に入ったと思う。けれど、それはキラキラと輝いていた、花のような彼女に興味を持ったからであって――。
「大した意味じゃねぇし……」
何故か熱くなってきた顔に気を取られて、そう言うので精一杯だった。
それから数日。ぼうっとして、何とも気が乗らない。けれど、どれもこれもいつも以上によく出来てしまう。そんな矛盾を抱えながら、今日も一日が過ぎていく。
「ジェイド。フロイドはどうしたんです?」
「それが、病にかかってしまったんですよ」
「は?病?……大丈夫なんですか?」
「えぇ。“恋の病”というものです」
「はぁ……聞いて損した」
「え⁉面白いでしょう⁉聞きたくなりませんか⁉」
「なりません。そもそも、そんな野暮なことしません」
周りが騒がしくても気にならない程に、考えてしまうのはあの子のこと。
――ジェイドは“鯉”だって言ってたけど、何で魚なのかわかんねぇし……。
『鯉の人魚がいるのか』と考えてみたけれど、あの子は普通の人間だった。更に謎は深まるばかり。そうして考えていれば、尚の事思考はそちらに寄っていく。
「フロイド、恋煩いも結構ですがちゃんと働いてください」
「アズール、何言ってんのー?恋煩いなんてしてねぇし」
「恋煩いでしょう。その女のことをずっと考えているなら、お前がその子に思いを寄せているということでしょう」
そう言われて考える。
――そもそも、何でオレあんなにあの子のことばっか考えてんの?
『可愛かった』 『笑顔が良かった』 『キラキラと眩しかった』 『真っ直ぐ見てくれた視線が好き』そこまで思い至って、動きが止まる。
「……好き?」
口にした瞬間、発火したかのように全身が熱くなる。信じられなかった。まさか、俺があの子のことを好きだということが。けれど、口にすればぼうっとしていた思考がスッキリとしたように鮮明で。
――何だ、オレ……あの子のこと……。
「誰だ……“鯉”なんて言ったやつ……」
そう呟くが、勘違いしていたのはオレだ。ジェイドは“恋”だと言っていた。
「フロイド。自覚しました?」
「……ジェイド、ごめん」
「いいえ、許しません」
「……は?」
そこは『仕方ないですね』と言いながら許してくれるものかと思っていた。なのに返答は、満面の笑みに似合わない、トーンの落ちた否の言葉。
「僕はきちんと伝えていたと言うのに、勘違いされた挙げ句に蹴りまで入れられて……。心が痛みました」
何ともわざとらしい、大袈裟すぎる泣き真似。勘違いしたのは、確かにオレ。だけど――。
「しつこいくらいに笑ってたのはジェイドじゃん。それくらい良くね?」
「無理です。許せませんねぇ」
こうまで頑なということは、多分当分引きずってくる。それもまた面倒であるからして。つきたい溜め息をぐっと堪えて、ジェイドを見遣る。
「……それじゃ、何かアクアリウムの物でもプレゼントしたら良い?」
「あの子と連絡先を交換して来てください」
「…………はぁっ⁉」
「交換してきてくれたら許します」
――うーわ……本気じゃん……。
目を見てわかる、自らの兄弟のこと。『あ、玉砕しても許しますよ』とも言い出すが、知ったことか。要は『突撃してこい』と言うことなのだから。自覚してすぐに、兄弟からこんな仕打ちをされるとは――。思い悩んだ末に口に出したのは『わかった』という一言だった。
次の休みの日。とても楽しそうなジェイドと『結果はどちらにせよ、僕からは聞かないでおきます』なんて営業用の笑顔で言うアズールに送り出され、今はあの子のカフェの前。こんなに緊張したことがあったかと思うほど、身体に力が入る。おそらく、今覚えている限りでは、海から初めて上がったときもここまで力は入ってなかったはずだ。
――あれから、会いに来るの初めてだし……。オレのこと、忘れちゃってるかも……。
そんな考えが過って、勝手に気持ちは凹む。だが仮にそうだとしても、店員という職業柄、無数の人を相手にするのだ。常連でもない限り、覚えられることはなかなか無いだろう。
――……そん時はそん時か。今日で覚えて貰ったら良いじゃん。
深く深呼吸して、ドアベルを鳴らしながら扉を潜る。この間より混み合う店内を歩いて行けば、カウンターにいるのはあの子だ。どうやら今は違う客の相手をしているようで。大人しく順番を待っていれば、来たときに対応していた男の客は、まだあの子の前にいる。その時、困った顔をしているあの子が目に入った。困りながら、何処か泣きそうな――。
「なぁ、お前何してんの?」
「はぁ?何だテメ――ぐぁっ」
ぷちんと何かが切れた音が鳴ったと思えば、男の客に声をかけ、殴っていた。あの子の手を握る前で良かったと思いながらも、泣きそうな顔をしていたあの子の表情が消えない。
――コイツがあの子に、あんな表情を……!
怒りに燃えた表情だったのかもしれない。起き上がった男は、オレを見て店から逃げていった。
「ごめんなさい!私のせいで……」
カウンターから出てきたあの子は、またしても泣きそうな顔で、さっきアイツを殴ったオレの手に恐る恐る触れる。『慣れっこ』とでもいうのか、痛いほどでは無かったけれど、優しく包み込んでくれた彼女の手は温かくて、心地良かった。
「あの……何か冷やすもの……」
「あぁー……いーよ。オレ、すっげぇ丈夫だしね」
「でも……」
何かしないと気が済まないのだろうか。“お人好し”。周りにあまり見ないタイプで、珍しさについつい見入ってしまう。『これで連絡先を』と一瞬過ぎったものの、『それではさっきのヤツと同じだ』と一心に掻き消した。
「じゃあ、オススメの飲み物教えてよ」
「あ……はい!」
ようやく見れた、キラキラとした満開の笑顔。
――そうそう、この笑顔が見たかったんだぁ。
オレもつられて口角が上がる。ジェイドはこの結果に『残念でしたね』って言うかもしれないけれど、オレは『これで良かったかも』なんて。
「お待たせしました。気に入ってもらえると良いんですが……」
「ありがと。飲んでみるねぇ」
「はい!……助けてくださって、ありがとうございました」
「いーよぉ。それじゃあね」
紙袋を受け取って、あの子の笑顔に見送られながら店を出る。心は柔らかく、ほわほわとして。温かさに少しくすぐったい。
――そういえば、何選んでくれたんだろ……。
受け取った紙袋を開ければ、カップの飲み物と頼んでいない筈のクッキーが入った袋。そして、数字と英語の並んだ小さな紙が。
『今日はありがとうございました。
良かったら、飲み物の感想聞かせてください。』
「やったー」
どうやら、幸運の神様とやらはオレに微笑んでくれたらしい。小さな紙を宝物かのように、大切に大切にしまった。寮に戻ったら連絡しようと決意して。
後日、恥じらう少年少女が、共に街で歩いているのを目撃されたという。