君だから「もうそろそろ一週間くらい経ちますね。富田さんは本丸には慣れましたか?」
「あぁ、お陰様でなんとかやっているよ」
執務室で書類を整理していれば、ふと主に声をかけられる。私は、顕現してからあまり日が経っていないこともあり、現在は近侍業務に慣れるよう務めているところだ。
「良かった。困ったことなどはないでしょうか?」
「そうだね……」
近侍や実務といった業務は松井がよく教えてくれるし、畑当番なら桑名がいる。手合わせをするにも稲葉が付き合ってくれるし、馬当番は豊前が共に行ってくれることが多い。本丸内を歩くのも篭手切や五月雨、村雲が心配して付き添ってくれる。そして、江の面々を主として、そこに縁のある男士たちも気にかけてくれるのだ。
「みんな、良くしてくれるからね。特に困りごとはないかな」
「それは何よりです。質問や気になったことがあれば、いつでも言ってくださいね」
『きっと人の身体でわからないこともあるでしょうから』と気にかけてくれる主。“気になったこと”と言われると、一つ思い浮かぶことがある。
「質問……というよりは気になったことだけれど、江の部屋でよく見かける――」
「あ、もしかして膝枕ですか?」
「そうそう。あれを篭手切や桑名が豊前にされているのをよく見るんだけれど、そんなに良いものなのかな?」
豊前の膝を枕にして寝転ぶ篭手切と桑名。私が来た当初から目にしていた光景だ。日によっては、二振りともそのまま寝ているときを見かけるくらいで、そんなにも寝心地が良いものなのだろうかと気になっていた。そして、そんな二振りを羨ましそうに見ている松井の姿も見ているものだから、尚のことかもしれないけれど。
「そうですねぇ……試してみますか?」
「え?良いのかな?」
「膝枕くらいなら構いませんよ。どうぞ」
急に主から下りた許可に少し戸惑いながらも、『気になっていたことを試す機会が来たのだから』と主に近付く。恐る恐る主の膝に頭を乗せれば、程よい弾力に柔らかさ。高さも丁度良く、ほのかに甘い香りがする。何より、温かさが伝わってくるからだろうか。ほっと安らぐ気がする。
――これは、二振りが夢中になるのもわかるね……。
納得していれば、そのままうとうとしてしまいそうになっていることに気が付いて飛び起きた。
「あら?もう大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫。これはなかなかいいね」
「それは良かったです!お疲れかもしれませんし、豊前にやってもらうのも良いかもしれませんね」
主のその言葉に肩が跳ねる。
――気付かれていた、か。
こちらを微笑ましそうに見ている主は、どうやら私が膝枕で寝そうになっていたことに気付いていたらしい。
「……そうするよ」
恥ずかしさを奥へと抑え込みながら、そう一言小さく呟いた。
あれから数日後。膝枕をしてもらう機会がないまま、日々は過ぎていく。膝枕をしてもらわないと何かが困るというわけではないけれど、一度知ってしまうと“また”と考えてしまうもので――。
「とはいえ、いつもは篭手切か桑名がいるしね……」
『あの感覚を味わいたい』と考えても、豊前の膝は使用者がいる。むしろ、松井が順番待ちしているような状態だ。となれば、私のところまで回ってくる可能性は低い。
――交渉も出来るだろうけれど、顕現された順番もあるし……仕方がないかな。
少し残念に思いながら、江の部屋の障子を開ける。
「おや、今日は豊前だけかな?」
「あぁ、みんな出陣とか当番に当たっててな!俺はさっき戻ったとこだ」
「へぇ……」
「富さんは近侍じゃなかったか?」
「少し休憩に来たんだ。また戻るよ」
部屋にいるのは豊前だけ。しかも他のものは、今何かしら当番に当たっている。思わず、にやりと口元が緩む。
――機会が来た!
これを逃すわけにはいかないと、豊前の横に座る。
「豊前、頼みがあるんだけれど」
「おう!何だ?」
「膝枕をしてほしいんだ」
「良いぜ!さ、どーんと来いよ」
パンと膝を叩いた豊前は、私のこんな望みに二つ返事だった。いや、いつも篭手切や桑名にしているから、抵抗がないだけかもしれないが。
「ありがとう。失礼して……」
豊前の膝に寝転がって、何故か違和感を覚える。高さはとても良い。主と違い、筋肉があるからか少し固めな感じがする。安心感も寝てしまいそうな感覚もあるのに、何かが違うのだ。
「おーい、富さん。でーじょーぶか?」
「ん?どうしてかな?」
「何か、悩んでる顔してるぜ」
「そうか。面目ない」
違和感に悩むほどの顔をしていたのだろうか。自覚はないけれど、見ていた豊前がそう言っていたのだ。きっとそうだったのだろう。そして違和感を感じたとき、頭に過ぎったこともわかっている。
「豊前。頼んでおいて申し訳ないけれど、そろそろ行ってくるね」
「気にすんなって!近侍の仕事もあるだろ?」
「ありがとう。篭手切たちが豊前の膝で寝たくなるのもよくわかったよ」
「お……おう!あんがとな!」
起き上がり、部屋を出て向かうのは執務室だ。足早に廊下を通り、すれ違う男士たちに『何かあったのか』と声をかけられるが、『少し急いでいるんだ』と断りを入れてはその場を後にする。廊下の突き当りを曲がり、広間を抜けてから更に奥へ進む。庭を右手に歩いて最後の角を左へ。そうして、ようやく辿り着くのが執務室だ。
「主、戻ったよ」
「おかえりなさい、富田」
執務室へ戻れば、優しく微笑んで出迎えてくれる主。その微笑みにふわりと心が浮くような感覚を覚えては、少し擽ったく感じる。
「頼みがあるのだけれど」
「どうしたんですか?」
「……また、膝枕をしてほしいんだ」
思わず目を伏せてしまったのは、このような願いを大きな体格である私が、主に対して二回も行うのは恥ずかしいと思ってしまったからか。
――なんて返ってくるだろう……。
恥ずかしさを恐怖という塗料で上書きしていくように、どんどんと抱いている感情は変わっていく。主からの返答を待つ、この短い時間がこんなに怖く感じるなんて。主と目を合わせられないままに自らの膝を見つめていれば、いつの間に近くにいたのだろうか。ぽんぽんと主が私の膝を叩く。
「構いませんよ。気にせずどうぞ」
「……ありがとう」
主の優しさに有り難く思いながら、一言声をかけて主の膝に再び頭を乗せる。
――あぁ、これだ。
豊前とはまた違う包まれるような柔らかさと温かさに思わず瞼を閉じる。微かに香る甘さが脳に直接届く。
「私が膝枕をしてほしいと思うのは、君だから……なのかな」
「豊前にはしてもらったんですか?」
「してもらったし、豊前の膝も良いものだったのだけれど……私は、主にしてもらいたいね」
「それは光栄ですね。お時間のある時であればどうぞ」
ゆっくり目を開けば、主から慈しみのある瞳で見つめられていて、鼓動がとくりと高鳴る。初めてのことで、私自身に何が起こったのかはわからない。けれど、この感覚は嫌ではない。
「また、膝枕をしてね」
「はい。約束です」
下へ流れる主の髪を、手を伸ばして耳にかけてやる。先程よりもよく見えるようになった主の顔に満足して、この満ち足りた時間が続けば良いと願った。