訪れた熱に添える花 じりじりと太陽が温度を上げて照らしてくる中、日陰で僅かに涼しさを保つ廊下を歩く。最近やってきた姫鶴に本丸の案内をしている最中、庭の一箇所を指差した。
「ねぇ、主。あれ何?」
「ん?……あぁ、アガパンサスかな?」
緑に溢れた景色の中、少し先に見える紫色。紫がちらほらではなく、固まって見えるから気になったのだろうか。花名を答えたけれど、首を傾げている。
「あが……?」
「アガパンサス。えっとね……“紫君子蘭”って言うんだって」
持っていた端末で調べれば、出てきた和名を伝えてみる。その間も、姫鶴の視線はアガパンサスから離れることはなく、じっと見つめていた。
「へぇ……あれ、目立つね」
「幾つか花が集まってて、遠くから見てもそこが紫色に見えるからかな。近くで見ても綺麗なんだよ。花がたくさん咲いててね」
「ふぅん」
「また気になったら近くで見てみて。じゃ、次行こうか」
気に入ったのか、歩き出すまで姫鶴の視線がアガパンサスから外れることはなかった。私自身も好きな花だっただけに、少しばかりの嬉しさを抱えて本丸の案内に精を出した。
「主、そろそろ執務の時間だ……にゃ」
「本当だ!教えてくれてありがとう。行こうか」
南泉に声をかけられて、執務室へと向かう。今日も照る日が強く、暑さに汗が流れた。
「あ……」
廊下を歩いていく中で見えた紫の中にいた白色。姫鶴に本丸を案内して数日。私が通る度にアガパンサスのところで花を見ている姫鶴を見かけている。
――相当気に入ったのかな。
とはいえ、蒸すような暑さにじりじりと焼くような太陽の光。顕現して、まだ数日の彼が過ごしやすい季節ではないだろう。それでも見入るほどの魅力を感じたのか。
「あっ!また姫鶴の兄貴あんなとこに!」
「よくあそこにいるよね」
「そうなんだよにゃあ。今、結構暑いからお頭と心配してて……」
南泉も山鳥毛も心配するほど見に行っているらしい。今は季節が季節だ。倒れてしまわないか心配なのも頷ける。
「姫鶴に何か飲み物を持って行ってあげて。あと……北の空き部屋に帽子が幾つかあったはずだから、それと一緒に」
「助かる……にゃ!行ってくる!」
「行ってらっしゃい」
確か、去年他の男士が使っていた帽子があったはずだと南泉に伝えれば、嬉しそうに駆けていく。相当気にかけていたのだろう。南泉の背中を見送った後、姫鶴に目をやる。そのまま立ち去るのは何だか気が引けて――。
「アガパンサス、気に入ってくれたんだね」
「ん、綺麗だね」
まるで近付いてくるのがわかっていたかのように、姫鶴は驚くことなく答える。その時に浮かんだ微笑みがとても優しくて、何故かほわりと胸が温かくなる。そこからじわじわと上がってくる体温。外の暑さと、内から灯った熱に燃えるようだ。
――今は、暑いくらいだったはずなのに。
水分が足りなかったのかもと、身体の変化に思い馳せる。動きが止まった私を気にしてか、姫鶴が立ち上がる。見上げた彼の顔は、表情が普段のものと変わらなくて何を思っているのかはわからない。ゆったりとした動きで私の頬に触れた姫鶴の手は、この暑さの中だというのにひんやりと感じられて心地いい。
「顔、真っ赤じゃん。かぁいいね」
「うぇっえどういう……」
「なんちて」
いきなり降ってきた言葉に容易に踊らされて動揺する。それを触れた指が頬を緩慢に撫でてくすぐったい。更には、にやりと見てくる姫鶴の意地の悪いこと――。
「冗談でも良くないと思う……」
「ん?何で?」
「ご自分の容姿を見てから言ってください」
腑に落ちないという顔をしているけれど、私は悪くない。熱が一向に引かずにどうしようかと思っていれば、遠くで南泉が戻ってくるのが見えた。
「あ、南くん」
「姫鶴の兄貴、これ……って、何してるにゃ」
戻って来た南泉が姫鶴に帽子を渡そうとした。一瞬固まったかと思えば、ツッコミを入れながら動き出す。どうやら、ようやく今の状況が目に入ったらしい。
「主が顔真っ赤にしてっから心配しただけだし」
そう言いながら、名残りなんてなく離れてしまった姫鶴の手を思わず視線が辿る。“心配”というような雰囲気ではなかった先の様子は、むしろ恋仲のような甘さがあったように思うのに。それをよくもまあそんな言葉が出るものだとむしろ関心した。頬には、まだひんやりとした感覚が残っている気がした。
「主も気を付けないとだろ……にゃ」
「そ、そうだね。じゃ、早く執務室行こうか」
「そうだな。姫鶴の兄貴、良かったらこれ使ってくださいにゃ」
「ん、ありがと」
もう見られた後だとわかってはいるけれど、早く赤い顔を隠したくて南泉に隠れるようにして背を向ける。それでも、去る前に姫鶴が気になってちらと目をやれば、視線はバチリと絡む。ずっと見られていたのかもしれないと思うと恥ずかしさが込み上げる。それと同時にどこか嬉しさもあるのだから、なんとも心境は複雑だ。もう離れなければいけないけれど、何もせずに視線を逸らしてしまうのは何か勿体ない気がして。
「熱中症に、気を付けてね」
「……ありがと」
南泉の後ろから小さく声をかけては、やっぱり居た堪れなくなって走り出す。南泉が私を呼ぶ声を背に受けながら、それでも次は振り返ることは出来なかった。照りつける暑さや流れていく汗が気にならないくらい一目散に駆ける。それよりは、高鳴る胸の鼓動がうるさくて仕方なかった。
次の日。前日の執務は、落ち着かなかった鼓動に姫鶴の微笑んだ顔を思い出してしまって上の空で終わってしまった。ちょっとした罪悪感を抱きながら、身支度をする。
――今日はもっと頑張らなきゃ……。
気合を入れて部屋の障子を開ければ、足元にあるのはアガパンサスの小さな花束と二つに折りたたまれた紙。アガパンサスを見れば、昨日からふとした時に頭を過ぎる彼を思い出す。白から黒に流れる鶴の翼のような髪の彼。小さな花束を拾い上げ、紙の中身を確認すれば崩れ落ちる。
「……ずるい」
一日経ってようやく収まったと思った熱は、どうやらまだまだ引かないようだ。
『あの時かぁいいって言ったの、冗談じゃないから。これからもおれのこと、そうやって見てて』
アガパンサス
恋の訪れ
ラブレター
恋の季節