ぽんこつインキュバスと神父さま最後に来た村人の懺悔が終わり、告解室を出る頃にはもう夜になっていた。
信心深い方では無いのだが、亡くなった父親の跡を継ぎ神父となったのだが初めは向いてないと毎日のように悩んでいたものの存外この穏やかな日々が気に入っている。
山の中にある教会、そしてその山の麓にある小さな村は人口も少なく葬式も少なければ結婚式も滅多にない。
少なくとも俺の代になってからはそれぞれ1回ずつしかまだ経験したことがなかった。
精々日々の仕事と言えば、教会の掃除か日曜のミサ、それか今日のように懺悔に訪れた村人の相手だ。
父が拘った美しい装飾のステンドグラスから差し込む月明かりが今日は随分と明るい。
そうか、今日は満月なのか。
適当に夕食を済ませて今日はさっさと寝よう。
聖書を小脇に抱えて教会を出ようとすると、すっと絨毯に長い影が差す。
思わず視線を辿らせ、長い赤の絨毯からチャペルの方へと目を向ける。
月明かりを背にしているせいで顔は見えない。
だが体格的に男だということは分かる。
「こんばんは、神父さま♡」
「おい、お前。どっから入ったんだか知らねぇけどそこから降りろ」
そいつは無礼なことに十字架へと腰掛けていた。
なんてやつだ。
ガキの頃の俺ですらそんなことはしなかったぞ。
「流石は神父さま、お堅いね〜!ていうかさ、俺の姿見てなにか気づくことないの?」
「はぁ?」
ようやく少しずつ慣れてきたこともあり、目を凝らしてそちらを見る。
先が三角に尖った、あれは尻尾なのだろうか。
「…変態コスプレ野郎、か?」
「ちーがーうー!インキュバス!悪魔だよ!」
変態コスプレ野郎かと思ったがどうやら本人が自称するには違うらしい。
頬を膨らませてまるで子供のように拗ねる。
「はぁ、悪魔ねぇ。一応うちの教会にもガーゴイルあんだけど?よく入れたな」
「あー、屋根にあったやつ?なんか壊れてたよ、首がポッキリ折れてた!」
もしかしたら村の子供がやったのかもしれない。
今日の午前中、教会の近くでボールを遊びをしていたのだが屋根にボールが乗ったと言っていた。
俺がとると言ったが自分たちでやれると聞かないこともあってか梯子を貸してあとは放っておいたのだ。
あまり疑いたくないが可能性があるとすればそれだ。
「だからぜーんぜん怖くないから入れちゃった♡」
「肝心な時に役に立たねぇガーゴイルだな…つか、インキュバスって女の枕元に来るんだろ?なんで俺の前に姿を現した?」
「ふふふ、それはねぇ…神父さまが俺の好みだったからってあっつ!!!!!」
「おお、お前みたいな自称小悪魔には聖水ちょっとかけただけでそうなるんだな」
話すのに夢中になっていた自称インキュバスに足音を殺して近寄り、持っていた小瓶の聖水を軽くかける。
軽く手首あたりにかかったようだが、熱いらしくふうふうと息を吹きかけている。
「この神父さまなんか意地悪!もういい、俺お仕置きしてあげる♡」
何かあったらまた聖水をかけよう。
準備をしているとインキュバスはこちらへとおりて来て手のひらを上に向けて軽く拳を握れば、人差し指だけをそのままこちらに向け、今度はそれをくいっと自らの方へ向かってゆっくりと折り曲げる。
何が起こるか分からず、身構えて居たのだが何も起きない。
ドヤ顔だったインキュバスの顔はみるみる焦りへと変わり、何度もその動作を繰り返す。
「あれ…あれ、なんで…おかしい。こうすれば、女は発情し男は勃起する筈なのに!神父さまEDなんじゃないの!?」
「はぁ…!?い、EDじゃねぇわ!なんだお前!」
ほっぺたが熱い。
急になんてことを言うんだこのインキュバスは失礼すぎる。
「なんだろう、調子悪いのかな俺…まあでも、EDかどうかは置いといて。俺には見えちゃうんだな…神父さまが童貞だってこと♡身も心もカミサマってやつに捧げてるんだねぇ、結構結構」
「ふざけんな…!適当なこと言ってんじゃねぇ!聖水かけんぞ!」
「あっだめ!聖水はだめ!それすごく熱いの!ね、お願い!」
おかしいなぁと首を傾げながらも人差し指と親指で輪っかを作り、それを覗き込み楽しそうに笑うインキュバス。
あまりにもムカつくので聖水の入った小瓶の蓋を再度開ければ、やめてと泣きそうな顔をする。
やっぱりこいつはただのコスプレ野郎なのだろうか。
童貞だと見抜いて来たのかは本当だろうか、はったりなのかは分からないが。
とにかく腹が立つ。余計なお世話だ。
「悪魔のくせにお前情けねぇな、牛乳やるからとっとと帰れ」
「お腹空いてるから牛乳は助かるけど俺にも仕事させて!ていうか、俺の初仕事なの!」
「じゃあお前も童貞じゃねぇか」
露骨に目を逸らす。
図星だな。
ならこちらも強気で行けるというものだ。
大体俺は聖職者、童貞であることを恥じる必要などない。
「神父さまで卒業するからいいもん…!」
「俺は男だぞ!?」
「関係ない!近いうちにエロエロドロドロにして、俺なしでは生きられないようにしてやるんだから…!」
やはりこいつは危ない。
聖水だけではだめだ、親父から習った本格的な悪魔祓いをしねぇと。
「初仕事、なんにも成果なしじゃ帰れないし!しばらくここに滞在して、神父さまを俺好みのドスケベに仕上げてやる…と、いうわけで」
嫌な予感がする。
「しばらくここに滞在するからよろしく〜!あ、俺掃除とかは得意だよ?教会の掃除なんて吐きそうなしたくないけど、そのくらいはしてあげるね神父さま♡」
「まじで帰ってくれ」
子憎らしくウィンクを投げてくるインキュバス。
しかもとんでもない事を言っている。
追い返そうにも帰ってくれなさそうなので、しばらくは騒がしい日々となりそうだ。
さようなら、俺の平和な日常。