「悪魔の目」
「あ……」
咄嗟にアビスはすでに包帯で隠れているのにも関わらず左目を隠すように手で覆って俯いた。
「すみません。包帯は基本的に解きません。目を直接合わせなければその、効果はないはずなので」
今日からルームメイトになるその相手の顔をろくに見ないまま焦るあまり捲し立てる。
「気になるなら私出て行きますので……」
「まだ何も言ってねえよ」
今までのルームメイトとのことを思い出して先回りしてそう告げたアビスにワースはそう返した。
「あの人が決めた部屋割りだ。よっぽどのことがない限りは別に変えてもらう気はない」
そういって自分のスペースに帰っていくワースの背をアビスはただ見送った。今までのルームメイト達は大抵そのまま荷物を持って出て行って帰って来なかった。自分が出て行くべきなのにその交渉を打診されるまでもなく去って行った彼らにいつも申し訳なさだけが残っていた。この人は出て行かないのだ、と漠然と思った。出て行けとも言われない。このままこの部屋にいていいのだろうか。元々大した私物もない。出て行くことになればすぐにそうできるようにアビスは荷物を広げることもなくベッドの隅に体を横たえた。今回はいつまで持つんだろうと今までのように相部屋が解消されるまでのことを漠然と考えていた。
初日思っていたような日はいまだ訪れないまま数日が経った。劣悪で孤独な環境で幼少を過ごしたが故に逆に近くにずっと他人がいるという環境に慣れない。本棚で大きく仕切られ互いの様子は見えないにしても閉じられた部屋のなかに人の気配がする状況はアビスの眠りを妨げるには充分だった。眠っている間に母に首を絞められた経験も影響して夜間少しでも物音がするたびに眠りから覚めてしまう。しばらくそんな日が続いてどうせ眠れないならと目が覚めてしまった夜は小さな灯りをともして教科書や本を読んでいた。初等教育を丸々受けられなかったアビスにとって学問に関しても一般教養にしても知識を入れる時間はいくらあっても足りない。レアンという才能に満ちた生徒が集まる寮で監督生のアベル直属の七魔牙に身を置くのならば今まで以上にに粗相があっては示しがつかない。本の世界や知識に没頭している間のほうが周りの気配からも無頓着でいられた。
「お前さ」
だから背後からかけられた声に驚くあまり過剰に体が跳ねてしまった。
「ごめん」
「……い、いえ」
振り向けばそこにはルームメイトになった男がいた。
「寝ないの?最近ずっと夜の間本読んでるだろ」
「ねむれなくて」
「そっか」
人と話すのは得意ではない。単に経験が少ないから。聞かれたことに返すくらいはするがそこからなんと会話を続けていいかわからなかった。
「勉強してんのかと思って」
「……勉強ではあるかもしれません」
ただの物語に没頭していることよりは初等部の教科書や参考図書を読んでいることが多かった。とにかく時間をかけてイーストンの教育にはついて行っていたがどうしても基礎的な部分が抜けていることでつまずくことが多かった。その旨を話せばワースはひとつ謝罪をして、気まずそうに頭をかいた。
「俺も勉強で劣るわけにはいかねえからお前の様子が気になってた。焦ってたのかもしれねえ」
そしてまたひとつ謝罪をこぼす。謝ってもらうことはないのに。意外にもワースはこちらの事情を気遣う。ワースは勉強も魔法も充分にできる。アベルと同じように苦手な教科もなくいつだって成績優秀者のなかに名前を連ねていることはアビスだって把握していた。
「私じゃあなたには敵わないと思いますけど」
「でもお前は初等部に行ってなくてそれだろ。成績だってトップグループにいるし」
「……私も焦りです。いつまたここを追い出されるかわかりませんし、学べる機会を逃したくないだけです」
ウォールバーグの厚意でアビスはあの地下牢を出て教育の機会に恵まれた。それでもイーストンの中でさえアビスをよく思ってないものはたくさんいる。いつまたあの場所に戻されてもおかしくなはないと自覚すれば時間を無駄にはできないし焦る気持ちもあった。
「ごめん」
「いえ、謝られることは何も……むしろ起こしてしまっていましたよね。すみません」
小さな灯りとはいえ魔法で光を灯せば優秀な魔法使いほどその気配に気づくだろう。
続