きみがすき「アベル様とアビスは、なんていうかそういう関係になったんすか」
言葉を濁しつつ訊ねてきたワースに首を傾げる。
級硬貨争奪戦後、旧七魔牙のメンバーとの関係も少し変化した。ランクのついた関係から同じ寮の対等な同級生として。慣れもありすぐに全てが台頭とはならないにしても元々の性格がフランクなワースなどは以前よりも気軽に話しかけてくることが増えた。
「そういうとは」
「んー……なんて言うんすかね。お互いが特別なものになったというかまあ単刀直入に言っちゃえば付き合ってんのかな〜って」
確かにアベルはアビスに命を救われ、そして逆にアベルを庇って大怪我をしたアビスを目の当たりにするなかで二人の関係は少し変化した。道具として側に置いていたアビスの存在はアベルにとって道具としてではなく大切なものだと気付かされた。
結んだ関係は所詮は契約のようなもの。マッシュ・バーンデッドに負け弱者となり下位の者を従えるべき存在でなくったアベルからはアビスも他のメンバーも離れていくものだと思っていたし、それでいいと思っていた。それがこの世界の理で、世界を変えるには強者であり続けなければいけないのだから。しかしアベルの想像と違って七魔牙のメンバー達は変わらずここに集う。強者である、弱者であるということを抜きにして存在する他者との関係があることをアベルは初めてこの身をもって知った。そしてアベルにそれを誰よりも早く気づかせてくれたのはアビスであった。アビスもまたアベルと同様に道具としての価値を失えば変わる関係だと捨てられる身だと恐れていた。失いかけて初めて気づくなんて愚かだと思いながらもこれからも側にいてほしいと告げたアビスは喜びのあまり傷に障ることも気にせず涙を流していた。
互いが互いを望み対等な立場で側にいたいと確かに気持ちは確認した。しかしだ。
「恋人、という関係ではないかな」
「えっそうなんですか?!俺はてっきり……」
「ちなみに聞くがどうしてワースには僕らがそう見えている」
そこからは面白そうな雰囲気を察してやってきたラブも加わって、いかに二人の関係が以前と異なって見えているか、距離が近いだの話す時の表情が違うなどと二人の口から次々と挙げられる具体例に確かにそうだなとひとつずつアベルは場面を思い起こす。だからと言って関係をわざわざつけるべきものだろうかとも思っていた。
「恋人と言う関係ではなくても構わなくないかい?」
「それはセカンドが可哀想なの!」
「アビスも僕と同意見だと思うけれど」
「まあ二人がそれでいいなら別に俺はいいと思うすけど」
はたから見ると二人がそう見えるのは事実ですね。
ワースがそう言ったところで予鈴が鳴り、その場はうやむやなまま解散となった。恋人か、と思う。アビスが側にいてくれるなら関係の名称はどうでもよかった。アビスもまたそうなのだろうと。勿論アビスのことは好意的に思っているし、それはアビスもまた同じだろうという確信があった。だからこそこのままの関係で充分でこのままであることに問題があるのだろうかと考えつつもアベルは授業へと向かった。
仮面がマッシュとの戦闘で壊されてしまったのもありアビスは左目だけを包帯で隠し学園生活を送るようになった。左目を覆ってはいるもののそれまで仮面に隠されていたアビスの素顔は多くの者の目に触れることとなる。
陰惨な幼少期を過ごしていたと思えぬほどアビスは表情豊かにそして柔らかく笑う。自身が左目の存在を憂いて他者との距離を取っていただけで、他者から声をかけられさえすれば誰にでも分け隔てなくにこやかに接することのできる人間だ。その姿はアベルにとってかつての母を想起させた。
「アビスを見てると母さんを思い出すよ」
「それは光栄です」
一瞬だけきょとんとした顔を見せたがすぐにアビスはそう言ってまた柔らかく笑った。アビスの笑う顔に懐かしさや安心を憶えると共にかつての幼く無力だった自分の手では守れなかった母とは違い今度こそは決して失わせるものかとアベルは心の内で誓った。
旧七魔牙内でも級硬貨集めの任務もなく以前より単独行動が減ったアビスがオロルやアンサーと話す姿が増えた。かつて同胞として自身が集めた者達が友人として談笑してる様をアベルは少し離れたところからよく眺めていた。
「よく見てますよね」
少し高い位置から声がする。ワースだとわかっていたのでそのまま返事をした。
「何をだい」
「アビスのこと。ああやってアビスが誰かと喋ってるのアベル様よく見てるな〜って」
「私もそう思うの!」
「ラブまで。特別アビスだから、ということはないとと思うけど」
「でも気になるんすよね」
アベルがなんと返すべきかと思案してるうちにワースは構わず続けた。
「こないだの話ですけどアベル様がアビスと付き合ってるわけじゃないなら誰かにとられちゃってもいいってことっすか」
「取られるとは」
「アビスが誰かに告られて付き合ってくださいって言われたらそれを拒否できる立場にねえってことです」
アビスは女の子が苦手だ。話すどころか近くにいるけでも過敏に反応してしまうほどに。そんなアビスが告白を受けたところでそもそもまともな受け答えができるのかさえ謎だ。沈黙したアベルにワースはアベルが考えていることを読んだかのように続ける。
「あいつくらい綺麗だったら相手は女子に限らないと思いますよ。今は仮面もつけてませんし、そもそも顔を見たことがなかったやつらが噂してるのはよく見かけます」
「セカンド美人だもんね。ま〜ラブちゃんほどじゃないけど!」
考えもしないことだった。確かにそれを制限することは今の僕にはできない。予鈴と共に話を切り上げたアビスがこちらへ向かってくる。次は同じ授業だから一緒に向かうのは至極当然の流れではあった。
「何を話していたの」
「えっ?いや、大したことではありませんよ」
「言えない?」
「アベル様?」
声に不機嫌が混ざってしまってるのがアベルにもわかっていた。しかしアベルはそもそもなぜ自分が機嫌を損ねているかもわからないでいた。アビスはただ友人と話をしていただけではないか。今まで七魔牙としての線引きがあったからというだけで学生としてなんらおかしいことではないのだ。アベルだって級友に話しかけられたなら同様に対応するだろう。それはわかっているのになぜかもやもやとしたものが胸に立ち込めていた。
「何か気に障ってしまったなら謝ります」
「いや、アビスは悪くないんだ。すまない、気にしないでくれ」
「……それなら良いのですが」
少し困ったように笑うアビスを見て、こんな顔をさせたかったわけでないのにと胸にかかる靄は濃くなるばかりだ。アビスには心から笑っていてほしい。笑えなかった彼のこれまでを少しでも取り戻せるように、そう願っているのにも関わらず自らのせいで曇らせてしまった表情にアベルは顔を顰めた。
それからしばらくして相変わらずワースに言われたことが脳内を巡る中、廊下を歩いていると目線の先にアビスと見たことのない生徒が談笑しているのが見えた。話す内容までは聞こえないがにこやかな表情のなかに時折笑い声も聞こえる。漠然と嫌だなと感じる。しかし学園の長い廊下はこのまま先に進むしかない。アビスのことは気になるが知らない顔をしたアビスの隣を他人のように通り過ぎるのも、アベルに気づかず楽しげにしているアビスのことも、知らない話し相手のこともただただ嫌だと感じた。気にしないようにすればするほど意識は過敏になっていく。話し声が届く距離まで近づいたところで話し相手がからかってアビスに手を伸ばす。限界だった。
「アビス、」
驚くアビスが戸惑う声も、話し相手の様子も伺うこともなくアベルはアビスの腕を強引に掴みその場から連れ去った。勢いのまま空き教室に連れ込み、戸を乱暴に閉めると施錠の魔法をかける。外から遮断され静まり返った教室にようやく自身のしてしまったことに気づいた。
「すまない」
「いえ……」
戸惑いの色を濃くするアビスになんと声をかけていいかわからなかった。だってアベル自身、この衝動的な行動に戸惑っていたから。気まずい沈黙に視線を落とすとアビスの腕を強く掴んでいたままであることに気づく。慌てて手を離すとそこは僅かに赤くなっていた。離した手で再度、強く掴んでしまった腕を慎重に取り赤くなってしまった部分をさする。
「すまない、痛かっただろう」
「大丈夫ですよ、そんなに柔ではありませんから。驚きはしましたが」
アビスはさすられている腕と反対の手をアベルの手に重ねるとそう告げた。アベルを許すように握られる手。いまだ戸惑いの残る表情ではありながらも声色は穏やかだった。
「なんと、弁明をしていいかわかないのだけど……」
自分でもわからない感情を相手に伝えると言うことは容易でない。アベルにとってもこんなことははじめてであった。ただ考えたところで自分の中で整理がつくことでもないならば思うまま言葉にするしかない。それがアビスへの甘えだと思いながらも口を開く。
「君が、」
「私が?」
「僕の知らないところで知らない人間と話しているのが、多分気に入らなかった」
「多分ですか……?」
「僕も自分でよくわからない。ただ君が……僕の知らない君がいることが、いやこんな我儘なんの言い訳にもならないな」
「アベル様が思うままを聞かせてください」
話すうちにあまりも幼稚な独占欲だと気づき、話を止めようとしたアベルにアビスはそう促した。真っ直ぐに見つめるアビスにアベルは少しの思巡のうち続けることにした。もうここまで衝動的に行動してきてできる弁明などないどうせないのだから。
「君が僕の知らない顔で知らない誰かと笑い合うのが、僕の知らない君がいるのが、嫌だ……」
口にするほどに情けない感情に尻すぼみになりつつも絞り出す。監督生として寮を統べる身からも七魔牙の長の姿からも想像できない情けない姿だろうと思う。きっとこんな姿を晒せるのはアビスの前だけだろう。
「それは、嫉妬でしょうか」
言い当てられて気まずい思いではあったがつまりはその通りなのでアベルは頷くしかなかった。
「嬉しいです」
「嬉しい?」
「はい。私も、同じような感情を抱くことがあります。でもアベル様はレアンの監督生で、解散したとはいえ七魔牙の長で私だけのものではありません。だからそんなことを思うことは私の我儘だと……だからアベル様が私なんかに同じ気持ちを持ってくださってたことは、嬉しいです」
「アビスも僕にそんなことを思っていたの」
「……ええ、恥ずかしながら。でも私はアベル様の恋人でもなんでもありませんし、こんなことを思うのは私の身勝手だと」
「恋人……」
ワースの言っていたことを思い出す。恋人じゃないなら誰かに取られても仕方ないと。
「あ、いえすみません、恋人というのは物の例えで」
「アビス、僕の恋人になってくれないか」
「はい、……えっ!?アベル様?」
「恋人でもないならアビスが誰かの物になっても僕に文句を言う資格はないと」
「誰がそんなことを」
「ワースが」
「……ワース」
アビスは少し複雑そうな顔をしていたが構わず続ける。
「他の生徒と話す君を強引に連れ去ったことは謝る。でも僕は君が誰かの物になるのは耐えられそうにない」
「恋人ってでも……」
「アビスは嫌……?」
「いえ、そんなことは……身に余るほどの光栄です。でもアベル様が以前私のことをお母様のようだと形容していたのでてっきり私はそういった対象ではないのかと……お母様のように思ってくださってることでアベル様の心の支えになれているならそれは嬉しいことではありますので」
「僕は、いつも言葉が足らなくて良くないな」
「そんなことは……!アベル様はいつでも私に優しい言葉をかけてくださいます」
「でも君に勘違いをさせていた」
「それは、そうかもしれませんが、でも決して嫌だったとかそんなことはないので」
おろおろと視線を彷徨わせるアビスの両の手を掴み改めてこちらを向かせる。
「アビス。改めて言わせてほしい、君が好きだよ。僕の恋人になってくれないか」
見つめる十字架を携えた双眸にアビスはかつての日を思い出す。
ーその目を僕のために使ってくれないか
アビスよりも上の立場であるにも関わらずあの時もアベルはアビスの意志を問うてくれた。優しく少し不器用な姿は変わらない。あのときからきっともうアビスの答えは決まっていた。
「もちろんです。私も、あなたが好き」
アビスの答えをきいて細められたアベルの瞼に十字架が隠される。アビスが名残惜しく思う間もなくアビスはアベルにぎゅうと抱きしめられていた。
「嬉しい」
幼子のようにアビスの肩口に顔を埋めたアベルによって耳元に溢された呟きが彼の心から安堵であることがひしひしと伝わった。アビスも応えるようにアベルの背に手を回した。
「私からもっと早くお伝えすればよかったですね」
「ふふ、僕達はいつも遠回りばかりだね」