艦長室の扉が突然開いたかと思えば、カミーユ・ビダンは断りもせずずかずかと室内に入り込み、ソファーに座る部屋の主ブライト・ノアの膝の上に頭を預けて寝転んだ。
両手に書類を持ち活字と睨めっこをしていたブライトは、急な出来事にフリーズする。目を落としてカミーユと視線がぶつかり、ようやく「おい」と一言発した。
カミーユは構わずブライトの腰に腕を回し、腹部に顔を埋めるよう抱きついてくる。ブライトが「お前なぁ」と怪訝そうな声を出すが、カミーユは微動だにしなかった。
その様子にブライトはどうしたものかと悩み、備え付けの机に持っていた書類を置いてソファーに身を沈める。はぁと深くため息をつけば、カミーユの体がビクリと動いて腰に抱きつく腕が少し力んだ。
叱られた子供のように恐る恐るこちらを見上げてくるので、ブライトは思わず笑ってしまいそうになるのをわしゃわしゃと頭を撫でて誤魔化す。
「もっと、赤子をあやす様に!!!」
カミーユのくぐもった声が腹部から聞こえ、ブライトは困ったように「えぇ…?」と声を漏らす。怒っていないことを悟ったのか、少し図々しくなってないか?と戸惑いながらも、自身の子供をあやす様にカミーユの頭を優しく撫でて応える。
自分でも甘いなと自覚はしていてもこの子供を気にかけてしまうのは、自身が歳をとって父親という立場になったからなのか、それとも別の感情からなのか今のブライトには分からなかった。
しかしカミーユが抱きつくとは珍しい。何かあったのか?と心配になりブライトは質問するが、カミーユは別にと言うだけでその後の応答はなかった。無言の中、カミーユを撫でる音だけがして居心地が悪い。
「最近ブライトキャプテン、大尉といることが多いから…」
仕事を片付けなくてはいけないからそろそろ退いて欲しいと思っていた矢先、カミーユから蚊の鳴くような声が聞こえた。
どういう意味だろうと思考を巡らせる。カミーユの言う通り、確かに最近は作戦の相談などでクワトロ大尉と話す機会が増えた。ハマーンとの関係もあり、デッキで一緒に戦場の把握など色々と頼りにしている。カミーユは大尉の代わりに出撃することが増え、お互いに顔を合わせる機会が減っていたが…。
まさかなと思いながらも「寂しかったのか…?」とブライトが問うと、カミーユは体を起き上がらせてブライトの方へ向き直す。視線を泳がしながら口を開いた。
「それもありますが、嫉妬したというか…」
「嫉妬…?誰に」
「大尉に」
「何故」
「それは…!あなたの事が好きだから…」
話しながらカミーユの背中が丸まっていく。次第に小さくなっていく声と、耳を真っ赤にして俯く姿にブライトは堪らず笑いだした。
「わ、笑わないでください!」
ガバッと顔を上げてカミーユはブライトを見上げる。恥ずかしそうに赤く染まった顔が見え、ブライトはまたははっと笑って室内に笑い声が響いた。
まさか自身が嫉妬されるとは。しかも同性から、ましてや年の離れた子供からなんて考えもしなかった。
十代最後の頃、好きな人には好きな人がいた。色恋なんてやっている暇も無いほどの目まぐるしい状況下ではあったけれど、その2人が一緒にいると割って入りたくなる程、彼女のことが好きだった。
若いなとブライトは微笑む。
「すまんすまん。嫉妬したことはあるが、されたことは無かったから驚いてな」
「嫉妬くらいしますよ、あなたのことが好きなんだから。…ずっと好きって言ってるのに…」
ツンと唇と突き出して、カミーユは拗ねたようにそっぽを向く。ブライトは「はいはい」と言って宥めようと手を伸ばしたが、カミーユに握られ制止された。
真剣な表情で見つめてくるカミーユの大きい瞳に、長いまつ毛が影を落としている。中性的で幼い顔立ちでありながら、キリッとした太めの眉が男性らしさを表していた。
瞳が吸い込まれそうなほど青く澄んだ色をしていて、ブライトは「綺麗だな」とポツリ呟いた。
カミーユの大きい目がさらに大きく開いて、その様子に心の声が外に漏れていたことに気がつく。青い瞳にしまったという自分のマヌケな顔が映っていた。
何だか気恥ずかしくなってブライトが視線を逸らすと、カミーユは体を乗り出して軽くキスをした。
「あなたの方が綺麗だ」
「……それ、26の男に言う台詞じゃないだろ」
「17の男に言う台詞でもないですよ」
残った唇の感触に顔が赤くなるのを感じつつ、平静を装って抗議すれば、カミーユに反論されそれもそうかと納得してしまった。
先程まで顔を真っ赤にしていたのに、今はキザなことを平然とやってのけてしまうからこの子供にはいつも調子を狂わされる。
「あの、大尉とは本当に何も無いんですよね?」
「え…?あぁ、そうだよ。何も無い」
「そしたら、俺とデートしてくれませんか」
「は…?」
「俺が、シロッコもハマーンも俺が倒してこの戦争を終わらせるから、だから…!」
必死な顔をして「お願いします」と弱々しく呟く。祈るように握るカミーユの手は少し震えていた。
もしかしたら明日死ぬかもしれない戦場で、未成年の子供を最前線に送り出す自分は一体彼に何をしてあげられただろうか。
明日カミーユは居ないかもしれない。こうして手を握ってくれることも、真っ直ぐな目で見つめてくることも無い。そう思えば断ることは出来なかった。
困惑しながらもゆっくりと首を縦に振ると、カミーユはパァーっと満面の笑みを浮かべた。
眩しいその笑顔が何だか愛おしく思えて、いやいやとカミーユに気づかれないよう軽く頭を振る。
ここで士気が下がるのも問題だろうし、こんな事でやる気を出してくれるのであれば、まぁ良いかと自分に言い聞かせた。
「絶対!絶対ですよ!!」
「分かったから!」
ずいっと身を乗り出して念押ししてくるカミーユの手を解いて、落ち着けと伝える。
承諾したのは自分の方であるが、こうも反応されてしまうと恥ずかしくなる。9つも歳の離れた男の何が良いのか。
俯きながら「早く持ち場に戻れ!」と強めに言うと、カミーユは「はい!」と明るい声を出してブライトの額にキスを落とす。
ブライトが驚いて顔をあげれば、カミーユの背中が見えてそのまま通路に消えていった。
「嵐のような奴だな…」
閉まった扉を見つめて1人つぶやく。
デートなんて言ったって所詮は子供のお守りだろうと思っていたが、あんな反応をされてしまうと微笑ましく思って自然と頬がほころんだ。
早くこの戦いを終わらせなくちゃなとブライトは1度背伸びをして、中断していた仕事を再開した。