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    「おねだり」 ラーヒュン ワンライ 2024.08.14.

    #ラーヒュン
    rahun

    「なあ、ラーハルト」
     上目使いのヒュンケルからその呼びかけがあったら、おねだりだ。
    「焼き鳥……」
     今回は露店の焼き串が食べたかったようだ。ラーハルトは財布を取り出した。
    「うーむ。まさかおまえがこんな甘ったれだったとは」
     とか何とかぼやきながらも、基本的には願いはすべて聞いてやっている。というのも、どうやら甘える相手は誰彼かまわずというわけではなさそうなのだ。普段のヒュンケルは誰もが認めるアバンの使徒の長兄であり、己に厳しく、節度のある男だ。
     そんな彼が、ラーハルトにだけは素直なのだ。
     自分にだけ懐いているのだと思えば悪い気はしなかった。
     なので。
    「なあ、ラーハルト。福引き券……」
    「おまえ当たったこともないくせに」
     と言いつつも引かせてやったり。
    「なあ、ラーハルト。トラップダンジョン……」
    「面倒だな。……行きたいのか?」
     と渋りつつも連れて行ってやったりした。
     デカい男のくせに、本来は末っ子気質だったのだろうか。なんとも可愛いものだった。



     そんなある日。
    「なあ、ラーハルト。あの気持ちいいの、もう一回……」
     よく分からないおねだりが来た。
    「あの? どれだ?」
    「セックス」
     ラーハルトは喫茶店で珈琲を吹き出した。
     あの、あれは、ただの事故だったのだ。
     いつぞやのトラップダンジョンの内部に、『セックスをしなければ出られない部屋』というものがあり、その脱出の為に致しただけなのだ。
     その際にヒュンケルが、「セックス? 性別……をするとは?」などと看板をトンチンカンに読解していたものだから。ラーハルトが「やり方は分かる」とマッサージよろしく何食わぬ顔で済ませてしまったのがよくなかったようだ。
     彼はあの行為について、秘すべき事だとは認識していないと見える。
    「……そ、それは、他人に聞かれてはならない単語だぞ」
     ラーハルトは顎からポタポタ落ちる黒いしずくを手で拭った。
    「わかった。言わんようにする」
     それ以来ヒュンケルは、他人のいる場ではその言葉を口にしなくなった。
     しかし二人きりなら話は別だった。
    「なあ、ラーハルト。セックス……」
     諦めきれないのか、事あるごとにねだってくる。よほど気持ちよかったとみえる。



     定期的に行われるアバンの使徒の近況報告会、という名のお茶会にやってきた。ラーハルトは飽くまで部下としてくっついてきた身だ。少し離れて、ダイがヒュンケルと会話をしているのを眺めていた。
    「ラーハルトって休みの日はヒュンケルのとこに行ってるんだろ? いつも二人で何してるの?」
    「様々なダンジョンに挑んでいる」
    「いいなあ。面白い所あった?」
    「あったぞ。セッ……」
     まさかだった。
    「だあっはぁぁぁああああああ!」
     これがラーハルトの新技、スライディング口封じが成功した瞬間であった。間に合った。
     これは、他人と認識していない相手だから話してしまったのだろうか。危なかった。



     セッ、セッ、セッ……接近戦に特化した洞窟がありまして!
     ヒュンケルの口を手で押さえながら、主に対してそんな苦しい言い逃れをした、その後。
     仕方がないので、二人で話せる機会にヒュンケルへ洗いざらい説明をした。
     セックスは交尾と同義であるが、自分たちの行為は擬似的なそれであったこと。疑似ではあっても本来ならば婚姻関係になければしてはならなかったこと。なのに誓いも無しに致してしまったこと。
     それを白状したラーハルトは、緊急時とはいえ済まなかったと頭を下げた。これを以て、よくも騙して手篭めにしてくれたな、と見損なわれる覚悟もした。しかし。
    「セックスとは、そんなに重要なことだったのか……。なのであれば、まさしく相手はおまえがふさわしかった」
     満足げに頷かれてしまった。
    「なあ、ラーハルト」
     嫌な予感がした。
    「結婚してくれ」
     やはりそうきたか。
    「し、しない」
     抱いたのだから責任を取れと求めるのは、当たり前ではあるのだが。しかしラーハルトはヘテロの男である。その最後の一線は譲れぬものがあった。
    「侘びろと言うならばおまえの気が済むまで侘びるが、結婚だけは勘弁してくれまいか」
    「だが、結婚したらセックスできるのだろう?」
    「……え? そっちか?」
     ラーハルトと添い遂げたいから結婚したいのではなく、セックスしたいから結婚したいのか。
    「おまえ……そんなにセックスが気持ち良かったのか?」
     呆れたようにからかってやっても、ヒュンケルは恥じらったりはしなかった。
    「ああ。まさかおまえに、あんなに気持ちいいことをしてもらえるなんて……。夢みたいに嬉しかった」
     本当に嬉しそうだった。
     そうだ。彼はラーハルトにだけは素直なのだ。
     考えてみれば、男が男にベタベタ触られて、アンアン鳴かされて、嬉しいだとか、またして欲しいだとか、思う心境があるならばそれは立派な好意なのではなかろうか。
     ヒュンケルが気持ち良かったと言うように、ラーハルトだってかなり良かったし。
     正直なところ他の男と閉じ込められたならば死を選んだ自信もある。
     つまり、気持ちよく抱けてしまった時点でラーハルトだって、つまりはそういうことなのであろう。
     取るか、責任を。
     いや、しかしながら。
    「なあ、ラーハルト。セックス……」
    「……しない」
     体目当てっぽいのは、やはり承服できぬものがあった。



     そしてまたしてもアバンの使徒の近況報告会だ。
     今回はヒュンケルへの口止めはしっかりと行った。セックスをしたことは他人には知られてはならぬと、他人とはラーハルト以外の全員であると、またセックスという単語自体が禁句であることも事前に重々言い含めた。
     ゆえにラーハルトは油断していた。少し離れて、レオナがヒュンケルと会話をしているのを眺めていた。
    「ダイ君から聞いたわよ? ラーハルト相手にならずいぶんとおねだり上手らしいじゃない?」
    「とんでもない」
    「ラーハルトもあなたには甘いわよねえ」
    「そうでもありません。奴は、オレがいくら頼んでも結婚してくれないのです」
    「どおっほぉぉぉおおおおお!」
     これがラーハルトのスライディング口封じが失敗した瞬間であった。間に合わなかった。
    「あらー……面白そうな話だこと!」
     かくして結局、外堀は埋まったのだった。






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