二度と逢えない君の手を「? 少佐、何してるんですか?」
「毎年の査定のためのレポートです。面倒ですが、査定に通らなければ国家錬金術師の資格を剥奪されてしまうので」
「ああ、もうそんな時期なんですね」
ちらりと覗いた紙には、文章だけではなく理解出来ない難解そうな図形がずらりと並んでいる。錬金術師の研究書というものは、他人に知られないように様々な暗号で記されていると聞いたが、そんなことをしなくても素人からすれば充分に理解不能だ。査定をする側とて、きちんと研究が為されているのかを判断できているのかと、私はこの光景を見るたびいつも疑問に思う。
「そういえば」
私はふと、前から思っていたことを少佐に訊ねてみる。
「錬金術って、惚れ薬だとか若返り薬だとか、そういうものも作れるんですか?」
少佐は目を丸くして、私を見た。
「……そんな、珍獣でも見るような目で見ないで下さい」
バカな質問をしたことは分かっているのだから、と今更弁解する。
「はあ……あなたは錬金術を魔法か何かだとでも思っているんですか?」
「そ、そんなことは思っていませんけど……純粋に、好奇心です」
それは本当のことだ。私に限らずこんな疑問を持っている人間は少なくないだろうし、特に女性たちにとっては切実な願いでもあるだろう。
「ふむ……まあ、作れないことはないでしょうね。それなりに研究しさえすれば」
と、彼は手を休めて思案の仕草を取る。
「作って欲しいんですか?」
「え?」
「だから、惚れ薬ですよ。お望みなら、私も努力してみますが」
本気とも冗談ともつかない少佐の問い掛けに、私は慌てて首を横に振った。
「だっ、だから好奇心だと言ったでしょう!本気にしないで下さい!」
私の弁解は届いたのか、それ以上少佐は答えず再び作業に戻る。愚かな事を訊いたと一人遣る瀬ない気持ちになりながら、私も粛々と仕事に戻った。
それが、数日前のことだ。
「んん……うう……」
いつもの通り、私は自宅のベッドの上で目覚めた。気怠い朝だが、今日が休日だと思うとその気怠さすらも心地よい。
習慣でかけてしまった目覚まし時計が喧しく鳴っているので、それを止めようと布団の中から腕を伸ばす。いつもだとすぐに手が届くのに、振る手は空振りするばかりで今日に限ってなかなか目覚まし時計にヒットしない。仕方ない、とむくりと起き上がり、やっとのことで私はじりりりと五月蝿い目覚まし時計を鳴り止ませた。
「…………?」
寝惚けているのだろうか、いつもより随分と視点が低い。目を擦ろうとして何気なく見た自身の掌の小ささに、私はぎょっとした。
「なっ……な……え……?」
言葉にならない声が口から零れるが、その声も自分が覚えている自分の声より如何許りか高い。慌ててベッドから降り、洗面台の鏡を見ようとしてその高さに愕然とする。
――この洗面台、こんなに高い位置に鏡があったっけ?
否、鏡の位置が高いのではなく、私の身長が縮まってしまっているのだ。何とかして洗面台の前に椅子を運び、それによじ登って漸く自分の姿を確認する。
「こっ……これ……嘘でしょう……!?」
現在の自分の姿についてある程度予想はしていたが、実際にそれを確認するとショックでわなわなと震えてくる。なんで、どうして、誰がこんなことを、と瞬時に考えるが、『誰が』についてはもう思い当たる人物は一人しかいない。
「……絶対あの人に決まってる!」
私はぱっと椅子から飛び降り、廊下にある電話まで一目散に駆け出した。
「いやはや、予想以上の効果ですね」
電話で「すぐに来てください」と言ったにもかかわらず、少佐はそれから一時間以上も後になって悠々とやってきた。このセリフを聞いてやはり私は、今の自分の姿が彼のせいであると改めて確信する。
「あなたって人は……もう……」
はあ、と溜息しか出ない。
今の私の姿は、どう見積もっても10歳を超えるか越えないか辺りの少女だった。
服装も、当然子供のサイズの服など持っておらず、元々持っていた服の袖や裾をどうにか捲り上げて着ている状態である。椅子に座っているが、足が床に届かないものだからぶらぶらと宙ぶらりん。
向かい合っているキンブリーは、私のその状態をしげしげと眺めてはこれ以上なく機嫌よさそうに微笑んでいる。
「あなたが言ったんですよ、錬金術で若返りの薬が作れないかと」
「言いましたけど!でもそれは無断で私に使っていいなんて話にはなりません!どうしてくれるんですかこれじゃ仕事にも行けませんよ!」
「有給はまだ残っていたでしょう」
「そういう問題じゃないですよもうっ!」
ぷんすこと怒りを露わにするが、何せ姿が子供なものだから迫力など一つもないらしい。少佐のそのアルカイックスマイルが、どうにも私の神経を逆なでする。
ロリコンのけはないと言っていたキンブリーだが、やっぱり子供というのは可愛らしいものだ。甲高い声で喚くのが見ず知らずの子供であれば憎ったらしさしかないが、知った顔であれば話は別。自分に子供がいたとしたらこんな感覚なのだろうかと考え、ついククッと笑いが溢れる。
ーー自分と彼女との、子供?
そんなことを口にすれば、目の前の幼女は更に怒るだろう。
「……もう、聞いてます少佐!?」
「ちゃんと聞いていますよ。着るものがないから買ってこいとのことでしたね」
彼女の話ならばきちんと耳に入っている。とりあえず、まともな服もないから買ってきてほしいとのことだ。
「あなたも一緒に行きますか?私の趣味でよければ適当に買ってきますが」
「……少佐の趣味がどういうものかは存じ上げませんが、心配なので一緒に行きます」
不承不承といった表情だが、彼女もついて行くことにした。キンブリーは別段変わった趣味を持っているわけではないが、心配になったらしい。斯くして二人は、一緒に服を買いに行くこととなった。
少佐が私に勧めてくるのは、どれもふりふりでひらひらな、『可愛らしい』としか形容できない服ばかりだった。本当の子供の頃のそれらを提示されたら喜んだだろうが、今の私はとっくに成人済みのいい大人だ。例え一時的な姿であっても、それを楽しむ気には全くなれない。
「こちらはどうです?あなたによく似合いますよ」
ワインレッドのワンピースを持った少佐は、明らかに楽しんでいる。もしや着せ替え人形の趣味でもあったのか?
「……遠慮します。ていうか、別にずっと着るわけではないのでそんな高価なものはいいですから」
何故だか少佐は、そこそこのブランド店に私を連れてきた。肌触りの良い生地で丁寧に作られた洋服達は、どうにも落ち着かない。何着か試着させられたものの、気に入ったものはなかった。
「もっとシンプルなものでいいんです」
「おや、困らせてしまった罪滅ぼしだというのに、謙虚ですね」
だったらもっと申し訳なさそうにしていて欲しいのが、私の本音だ。どう考えても私で遊んでいるし、現在進行形で困らされている。もう諦めてこのふりふりワンピースにしてしまおうか。
「……じゃあもうそれでいいです。さっさと行きましょう」
分かりました、と少佐はそのワインレッドのワンピースを持って、会計へ向かう。その時私は、ちょっとした悪戯というか、仕返しを思いついた。
「素敵なお洋服ありがとう、パパ!」
出来る限り満面の笑みで、店員にも聞こえるように私は少佐に感謝の言葉を述べた。店員は微笑ましいものを見る目で私たちを見ている。肝心の少佐はどうだろうか、バツの悪そうな顔でもしていれば少しは溜飲も下がるというものだが。
「あなたの為ならば当然ですよ」
狼狽える様子は微塵もなく、頭を撫でてくる。それは娘に服を買ってやった父親の表情に見えてしまい、私の方がつい俯いてしまう。
「可愛らしいお嬢さんですね」
「ありがとうございます。しかし反抗期か、こうして一緒に出かけてくれることも少なくなり寂しい限りですよ」
まあ、うふふとその女性店員は少佐の言葉に相槌を打つ。もういいから、さっさとこの場を立ち去りたい。どうして私がこんな恥ずかしい目に遭わなくてはならないのか。
「さあ、行きましょうか」
少佐が当然のように手を差し出してくる。本物の親子であるかのように手を繋ぐのは勿論恥ずかしいが、然りとて手を繋がないのも父親と手を繋ぐのが恥ずかしいと感じるようになった年頃の少女のように思えて、どちらにしても居た堪れない。結局私は、少佐と手を繋いで歩くことにした。子供になった今の私の掌は、普段の私のそれより一回りも小さい。それを包み込むように繋いでいる少佐の手がいつもより大きく感じられて、心なしかほっとする。
「大人のあなたとも、こうして手を繋いだことなどありませんでしたね」
何となく思っていたことを、少佐の方が先に口にする。言われてみれば、私達は別に(周囲にはそう思われてはいるが)恋人同士でもないので、手を繋いで歩くなどしたことがない。なかなか悪くない気分だ、などと感じている自分を悟られたくなくて、「繋ごうと思ったこともないでから」と憎まれ口を叩いてしまう。
しかし少佐はその気持ちを察したのか、くすりと笑っただけだった。少佐が父親になったら、こんな感じなのだろうかとふと考え、むず痒い気持ちになる。
ーー母親は、誰?
そんなことを口にすれば、彼にまたからかわれてしまう。
やめておこうやめておこう、私は頭を振るってその考えを取っ払う。そんな事より今は、明日から仕事をどうしようと心配すべきだということにやっと気付くのだった。
終