【Lucashu♀】はじめてのパンプス。□
頭のてっぺんから、爪先まで鏡で確認して、ため息をついた。学校の女子トイレで佇んで、自分の姿をはじめて、「これはないな」って思った。無地のTシャツに履きなれたジーンズ。綺麗で羨ましいっていわれてる髪だってポニーテールで高く結うだけ。そりゃ、そう。あんなこといわれても仕方ないんだ。
「シュウって、かわいいけど、女には見えねえよなあ」
「そうなんだよな。残念すぎ」
「な。付き合っててもあんな感じなら美人でもすぐ別れる」
げらげらとした笑い声と、クラスの女子をランク付けする言葉。教室のトビラの前で、僕は入ろうに入れず立ったまま。その流れていくランキングを聞き流そうとしていた。廊下。見下ろした自分のつま先。スニーカーなんか、ちょっと履き潰してる。無性に恥ずかしくなった。まるで女子力がない。三姉妹の真ん中で、姉と妹は可憐で可愛いのに、僕はテコンドーして、ヘラヘラ笑って男の子と平気で遊んで、数学解いたりして。まるで男の子みたいな生活してて。思い返しても、僕って。ああそうだ、「僕」なんていってる時点でなんだかもう手遅れな気がした。足元がぐらぐらして、僕は唇かんで教室に入るのを諦めた。その足で駆け込んだ女子トイレで、化粧っ気のないなんの努力もない顔を撫でて、泣きそうになってる自分が恥ずかしくなった。こんなんじゃ、僕はルカに愛想つかされてしまう。
ルカ。僕なんかと付き合ってくれている心優しいボーイフレンド。いつだって優しくて笑いかけくれて、紳士的。
「シュウはいつも魅力的だね」
「最高にPOGだよ」
「大好きだよシュウ~」
そう、ルカは一緒にどんな所にも連れて行ってくれて、褒めてくれて、僕にたくさん好意をくれる。それに、甘えてたんだ。ルカはいつもオシャレだ。それなのに、いつもTシャツにジーンズ。ポニーテールだし。派手な柄のシャツを着こなす。ハンサムなルカ。場違いで、釣り合いの取れていない自分にようやく気づいた。
「こんなんじゃ、だめだなあ」
今度、ヴォックスの家でホームパーティがある。そのことにいまさら絶望した。ちょっとだけ、背伸びをすべきかもしれない。鏡の自分に頷いて、それでもちょっと情けない顔をした。ルカは気にしないだろうけど。分かってるけど。僕も女の子、なんだって、ルカは思ってくれてるんだろうか。そういえば、まったくそんな雰囲気になったことないなって、思い返してしまった。
□
「ねえママ!シュウがとうとうオシャレに目覚めたわ!」
その日姉さんの絶叫が家に響いて、お祭り騒ぎになった。かくかくしかじか。男子のふざけたランク付けの話を聞いて、いかに自分が無頓着だったかを自覚したって話。それを姉さんが目を輝かせながら聞いてることにもっと早く気づくべきだったな、と反省してももう遅いんだけど。
「ルカは、なんで僕と付き合ってくれてるんだろうって」
「それはシュウのことが大好きだからでしょ。それは分かるわ」
「うん。でもそれって、女の子としての魅力?を感じた上での好きなのかなあ」
僕の自信のない呟きに、姉さんは沈黙してしまった。やっぱり、そこってグレーゾーンだよなあ。って確信するには十分だった。姉さんと、見つめあって、頷きあった。
「ちょっと、次の誘われたホームパーティは、頑張ってみようかなって」
「いいわね、私が手伝うわ」
姉さんはギラギラしていた。
毎日、保湿して、化粧水ペちペちして、髪をすぐ乾かして梳かして。姉さんに着せ替え人形にされたり、ショッピングに連れていかれて。学校にはそのままの格好でいったけど、なんだかクラスの女の子たちに「シュウ!最近可愛くなったね」って、いわれるようになって嬉しくなった。
「これがおんなのこぢから……」
学校の帰りはルカと一緒に帰った。ちらちらと注がれるルカへの女の子たちからの視線を、いままで意識したこともなかったのに、今はそれが無性に気になってしまう。今更始めた自分磨き。そんなの雀の涙みたい。きらきらしてる女の子。短いスカートに綺麗な白い脚。カラフルな指先。アクセサリーが彼女たちをいっそう魅力的にしてる。それに比べたら。僕は自分の足元を見て、靴底の擦れたスニーカーをぼんやり眺めた。ちょっとだけ艶の整ったポニーテールだけ、今は誇れるかな。なんて考えて。ちらりとハミングしてるルカを覗き見た。背が高くて、陸上部のエースで、格好いいルカ。ルカはちょっとだけ身だしなみに気をつかいだした僕に、気づいているのか気づいていないのか。良くも悪くもいつも通りラベンダー色の目を細めて笑ってくれるから、それだけで満足だった。キミに釣り合う女の子になりたいなって、思ってることだけ、ちょっとずつ気づいて欲しいな。なんて。今はこんなだけど、恥ずかしくないガールフレンドだって、いつかルカが自慢していえるような、女の子になるからね。って。ふふ、と零れた笑みがルカにバレて「どうしたの」って聞かれて「んへへ。なんでもないよ」って自然と出た笑みを、ルカは可愛いなあって呟いて、手を繋いでくれた。
□
決戦の日。といっても過言はないと、おもう。
全然気負うことなんてない、いつも一ヶ月に一回くらいの頻度でおこなわれる、ヴォックスの家で開かれるホームパーティ(というなの大騒ぎ)。何だかんだ誘われて、いつも足を運んでるけど、今日ほどドキドキした日はないと思う。家を出るとき、姉さんが張り切って僕に魔法を掛けてくれた。カジュアルな、それでいてちょっと大人っぽい服を選んでくれて、僕はどぎまぎとしながら袖を通した。黒のノースリーブタートルネックに、デニムのタイトスカート。生足って恥ずかしいからとそこだけは頑として譲らずにトレンカを履いた。そして、今まで一度も履いたことのない、ヒールのある靴。モノクロのコーディネートをしめる差し色に選んだ、ルカと同じ目の色したラベンダーのパンプス。五センチのヒール。足首のストラップに小さな花のアレンジメントが施されていて、これが今の僕にとって最大限のオシャレだった。髪も、いつもはポニーテールだけど、ハーフアップにして、結った部分をおだんごにしてみたり。インナーカラーの紫がちょっと目立つように肩に流して。
「ん、はい!できたわよ!シュウ、あなたって本当にキレイよ。自信もって」
目を閉じて、開いて映る鏡の自分。薄く引いた赤いアイライナー。血色よく見えるチーク。パープルの混じったワインレッドの口紅。見たことのない顔した自分が映っていた。
「わあ、これ、が、えっとわたし?」
「僕でいいんじゃない?」
姉さんがくすくす笑ってて、恥ずかしくなった。
「いってらっしゃい」
「う、いってきます」
慣れない五センチのヒール。たったそれだけ地面から遠のいただけでこんなにもバランスが取りづらいなんて。
ざわざわとする熱気に満ちたヴォックスの家に着くと、庭先で話していたロゼミが僕に気づいた。ロゼミは僕を見て、近くにいた男の子に飲み物を押し付けて駆け寄ってきた。同じくらいのヒール履いてるのに、まったくブレない軸が、女の子の強いところなんだなって思った。僕はまだまだだ。かわいいピンクのワンピースを揺らして、興奮したように頬を染めたロゼミが僕の肩を掴んで。
「シュウ!どうしたの、すっごくきれい。今日のあなた」
鼻息荒くなってるロゼミ。すごい迫力。
「ん、んへへ。えっと」
慣れない格好に、僕は緊張してるみたい。顔が熱くてたまらない。よくよく見ると、何だか視線が集まってる気がする。じい、って僕を見るたくさんの目に、思考が混乱していく。
「ねえあれ、シュウ?」
「うそ、ホントだ!」
ざわざわする喧騒が耳鳴りでぼやけていく。今すぐ帰りたくなってきた。でも、せめてルカにはちょっとあいたい。
「シュウ?大丈夫?」
「う、うん」
大丈夫、って視線を泳がせた先で、ルカの姿を見つけた。桜色のシャツに浅い色のデニム、開いた胸元に光るゴールドのアクセサリーがセクシーだ。カラフルなルカと、モノクロの僕。やっぱりまだちょっと釣り合わないかも。ロゼミの心配そうな声と、背中を支えてくれる柔らかい手の温もりに、ちょっとだけほっとした。
「ロゼミ、僕、今日変かな」
こそりと、小さな声で呟いて聞くと、ロゼミは何度も頷いて、僕の背中を擦ってくれた。
「すっごくきれい。それに、あのね、ええと。いつもとても、着痩せしてるのね」
って真っ赤な顔したロゼミがそう囁き返してくれて、僕もかあっと赤くなった。
「頑張って」
ロゼミが背中を押してくれて、一歩踏み出すとぐらっと視界が傾いた。
「おあ、!」
「シュウ!」
とすって、僕の傾いた身体を支えたのはルカだった。僕を見つけたルカがここまで来てくれてたらしい。
「ご、ごめんねルカ」
開いた胸板に頬が当たって、どくどくしてる心臓の音が響いた。あわてて離れようとすると、ぐっと逞しい腕に抱かれたまま動けなくなった。おそるおそる見上げると、ルカがちょっと困った顔をして僕を見ていた。五センチ、近い距離。ときんと胸が跳ねた。
「え、っと、んへへ、あの、ルカ?」
肩を抱かれたまま、固まってるルカを見て、集まる視線を感じて、どうしようって思考がぐるぐるしてくる。
「これはこれは、シュウ。今日は一段とキレイだね」
ルカの後ろから顔を出したヴォックスが、にっこりと微笑んで、声を掛けてきた。
「あ、ヴォックス。えと、今日も招いてくれてありがとう」
「こちらこそ。いつにも増してうつくしいシュウを見られて、眼福だな」
「んはは、ヴォックスはいつもそうじゃん」
変わらずに接してくれるヴォックスの空気に少し緊張が解けてへらっと口元が緩んだ。
「いつも?シュウはそんなふうにヴォックスにいわれて喜んでるの?」
「え、っと」
「シュウって、そういうの嬉しい?」
のも束の間で。ルカからあんまり聞いたことない低い声がした。ぎょっとして見上げると、むすりと顔を顰めたルカが僕にじとりとした視線を向けていて、なんだか、まるで責められているような気分がして目を逸らしてしまった。今日の僕がいけないのだろうか。女の子らしくを意識しだしてから、ずいぶん僕の心が柔くて弱っちくなっちゃた気がしてならない。何だか泣きたくなって、でもキレイに姉さんが掛けてくれた魔法が解けちゃうのはいやで、俯いて誤魔化した。ラベンダー色のパンプス。僕には似合わないのかな。僕はただ、ちょっとだけ頑張った今日を、ルカに見て欲しかっただけなのに。
「ご、ごめんね」
「…………」
「はあ、ルカ。ルカ、よく聞け、お前が今一番するべきことはなんだ?わかるな?」
ヴォックスの声がしてる。けど正直今すぐこのルカとちょっと距離が近くなって嬉しいって思えてたパンプス脱ぎ捨てて走り出したい。ぎゅ、とルカのシャツを握って、パープルのマニキュア、つま先がちょっと禿げかけてるのが見えた。
「あ」
「シュウっ?」
ドン、とルカの胸を跳ね退けた。よろけて、でもどうしても転けたくなくて、踏ん張って。しゃらって耳がらあんまり聞いたことない音がした。そういえば、ルカとお揃いになるかなってつけた金のイヤリング、付けてたんだった。泣きたくなった。それだけ。
「ぼくはただ、かわいいっていってほしかっただけだよ」
ぐりぐりってきっと普通の女の子よりちょっと大きい足からパンプス剥ぎ取って、ルカに投げつけた。なんだか惨め。そう思うのは今更なちっぽけな努力で綺麗になった気でいた自分に対して。もういっこ、脱ごうとしてじくりと痛んだかかと。あーあ。慣れないから、靴擦れしてる。ヴォックスの、「落ち着けシュウ」って言葉に首を振って、ラベンダー色した靴を投げた。走る。
「シュウ!待って!」
弾かれたようなルカの声を振り切って走る。いつもは散らばらない後ろ髪を払って。駆けてくる足音。もうすぐ近い。だって相手は陸上部のエースだ。コンクリートを裸足で走る。なんてまるでB級ロマンスだ。なんでこんなに恥ずかしいんだろう。僕が、今までなんにも考えてなかったからだ、そんなの。
「シュウ!ねえ、待って!」
掴まれた手首はルカの大きな手にすっぽりと包まれた。男の子の手。力。僕は勝てない。そのまま減速して、肩で息する僕と、全く息切れしてないルカ。五センチ遠くなったいつも通りの距離。
「シュウ、ねえ聞いて。お願い」
「ルカ、ぼく、ごめん。なんだか混乱してて」
取り繕うように、言葉を探してもろくな事が出てこない。後ろに迫るルカの熱。握られた手首がじわじわと馴染んでいく。
「いいんだ、シュウ。オレのほうが悪いんだよ。オレ、シュウが最近ますますキレイになってて、それで混乱してたんだ」
「そしたら今日、もう本当にビックリした。すっごく、かわいくて、きれいで、あ〜、もう!とにかく見惚れるくらい最高だよ、シュウ!っていうつもりだったんだ」
ルカが、何だかあんまりにも必死に言葉を探してて、それでいて、掴んだ手首からするするって手のひら捕まえられてぎゅって指先まで絡めとられて握られた。
「こっちむいてよシュウ」
可愛い顔見せて。そういわれたらもう僕は従うしかない。だって、嬉しいから。
「ルカ」
「笑わないで聞いてよ、ヴォックスに、シュウのこと褒めるの先越されて、嬉しそうだったから嫉妬したんだ」
「んえ?……え?」
「だって!遠目から見てもシュウってすっごい目立つんだよ?みんな見てただろ?それだけでもう気が気じゃなかったのにさ」
シュウが、他の男に褒められて嬉しそうだったから。って。ルカが小さく小さくなっていく声でそういった。僕は瞬いて、顔中に熱が集まるのを感じで、項まで赤くなってる。
「かわいいよ、シュウ。いつもね、可愛いけどさ、今日はとびっきり」
ルカの、ラベンダー色の瞳がすうっと細くなって、蕩ける微笑みを向けられて、僕はそれだけで嬉しくて、頬が弛んでしかたなかった。
「ルカに、釣り合う女の子になりたくなったんだ、今更だけど」
そういうと、ルカは瞬いて「もう十分だよ!」って大きな声で返ってきた。
「そうなの?」
「そうだよ!いつもいってるじゃん!シュウはいつだって可愛いんだって」
「んふ、ふふ、そうだった」
そっかあ、ってなんだか杞憂だったのかなってそう思えてきて身体がふやけてしまいそうになった。僕の身体をルカが引き寄せて、しゃがみこんだ片膝に乗せた。
「る、ルカ?」
「靴、あのさ、オレの目の色に似てるなって、すごい似合ってたから」
まだ履いてて。そういってルカはラベンダー色のパンプスを、まるでガラスの靴を履かせる王子様みたいに優しく丁寧に、足先を差し込んでぴったりと嵌った。
「気づいてたんだ」
「うん。嬉しいなって」
「僕って、女の子っぽくないかな」
「そんなわけないじゃん!」
「じゃあさ、手を繋ぐよりも先って、したいとおもう?」
女の子はオシャレになると大胆になるらしい。僕はいまそれを武器にした。
「したいと思ってるよ」
熱を持ったルカの双眸が僕を縫い付けて、引き寄せられるように、近づいて、ワインレッドの唇に触れた。ルカの熱を感じて僕は目蓋を閉じた。
End