【mafiyami】線香花火とかいて 背中がじっとりとしている。汗ばんだ肌に、少しだけ生地の洗い浴衣のほつれが襟首をちりちりと擽って、暑さに要らないアクセントも追加されて。日が落ちて、薄雲はあれど小さく星も覗く、蒸し暑い初夏の夜だった。梅雨明けを待つばかりの、はたまた合間の小休止なのか、今日の天気はどうやら解散するまで持ちそうらしい。とはいえ明日には直ぐに雨の予報が出ていて、しばらくは傘マークがちらちらと一週間居座っている。隣でしゃがむこの人は、見た目通り晴れ男らしい。太陽みたいな人だとは思っていたけど、まさか本当に化身なのでは? なんて冗談さえ笑えないかもしれない。彼の隣にいると、外気温がプラスされる。僕はそう感じている。実気温と体感温度の違いだっていわれるかもしれない。人間はいるだけで熱を発してるわけだし。だけど、そういう意味じゃない。ルカの隣は確実に気温が高いんだ。決して、僕の体温が勝手に上がってるわけじゃないんだ。
暑いからって、家を出る前に乱雑に結んできた後ろ髪からはひょこひょこと纏まりきらなかった毛束がはみ出ている。よくいえば、後れ毛のようだからと、僕が結い直してあげられたらよかったんだけどそんな器用な芸当は習得していないからそのままになっている。夏の暑さを少しでも逃がそうと額も見せて、項も露出したルカは、いつもと違って三割増しで魅力的に映る。きっと誰の目にもだと思いたい。浴衣の丈が少し足りなくて、僕より素足が覗いてるところに身長だけじゃなくて体格の違いもまざまざと感じてしまう。からんからんと鳴る下駄の音も、僕とは違う。歩幅も、地面を擦る音も。
「シュウ! やっぱり浴衣似合うね」
「んはは。ありがとう。ルカも似合ってるよ」
「ちょっとシュウより足が長かったな」
「引っぺがしてあげてもいいよ」
なんてやりとりを思い出して、少し口が緩んだ。ルカは浴衣に頓着がなくて、ただ僕が見たいからと選んで着せたのに、サイズが合わなかったことをからかってきたのだ。にまにまと片方の口角だけを器用に上げて、愉悦を含んだ表情をしてルカは僕を笑っていた。前をふらふらと右に左に視線を取られながら歩くルカを眺めるだけで、いくつも小さなやりとりを思い返しては笑えてしまう。ルカは何を考えてるかさっぱり分からないけど。からんからんと慣れない下駄に苦戦するよりも、ルカは音のなるおもちゃみたいに扱いこなしている。それを、僕はただ眺めている。
小さな神社の敷地だけで収まる夏祭りの出店にくるくると動き回って、町内会のテントに並んだきんきんに冷えたラムネをごくごくと、並んで喉を鳴らして飲み干した。はしまきもかき氷も食べたし、何が当たるか分からない三百円のクジで一喜一憂するルカがおまけを貰うのを「小学生みたいだ」ってお腹が痛くなるまで笑った。現にルカの大きなリアクションに集まった子どもたちと同じようにはしゃいでいたし、まるで今までも友達だったみたいに、小学生に混じって手持ち花火を楽しむことになった。
「シュウ、いい?」
「いいよ」
ルカの手を引く小さな子どもの後ろを、空いたラムネ瓶を二本握ったまま追いかけた。からからと瓶に残されたビー玉が、歩く僕に合わせて弾けていた。僕はこの瞬間も、前かがみに、子どもの歩調に合わせてざりざりと下駄を擦るように歩くルカを眺めていた。
はしゃぐ子どもに混じって、ぱちぱちと弾けたり吹き出る派手な手持ち花火を楽しんだあと、ルカは隅に避けていた僕のもとへ戻ってきた。握られていたのはルカと似ても似つかない静かで小さな線香花火。
「シュウ!」
ルカの、ぼさついた髪はきれいに撫でつけられて、器用に後れ毛もなく結いなおされていた。僕は見ていた。ちゃんと。暑さか興奮か、かわいい金魚の尾みたいな帯をひらひらさせたおんなのこが顔を赤くしながら、ルカの髪を結ってあげていたのを。微笑ましくもあり、ちいさなおんなのこ相手にすこしだけ妬けてしまった。僕にはアレはできないな。あんなに簡単に、彼の髪に触ったら、きっと焼けてしまうから。夜も蒸し暑い。戻ってきたルカの浴衣は少しはだけていた。覗くタトゥーはきっと子どもたちの、否、保護者たちの目には大変毒だっただろう。
「ルカ」
そう近づくように手招きをすると、ルカは素直に寄ってくる。僕は今日ばかり、今日だけ黄色を入れたマニキュアに塗られた指で浴衣の合わせを引き寄せて整えた。
「シュウって、髪は結び直してくれないのにこっちは出来るんだよな」
「え?」
ルカは蒸し暑さを感じないのか、涼しい顔で、だけど緩んだ薄紫の瞳で僕を見下ろしていた。視線が噛み合うと、僕はルカの言葉を理解するのに瞬いて、結局答えないまま帯を占め直して指を離した。
「終わったよ、どうやったらそんなにはだけるんだか」
「ふは。子どもに大人気だから? じゃない?」
ルカはきれいに整えられた髪を、見せつけるように撫でつけながら口角を上げた。「ふうん?」とよく分からないまま相槌を返すと、ルカは「シュウって仕方ないよな」って肩を竦めながら僕の隣に腰を下ろした。ルカの手に握られた二本の線香花火の片割れを差し出されて、僕は黙って受け取った。
「ルカに似合わない花火ナンバーワンだね」
「シューウー?」
「んははは」
「でもシュウには似合うからさ」
「え?」
指先で持ち手のひらひらした飾りを遊んでいた僕は、一拍ばかりルカの言葉にワンテンポ遅れてしまった。顔を上げるとルカはライターに火をつけて、僕の線香花火を点けた。
「わ」
線香花火は自然と身体をじっとさせるように出来ているらしい。一足先にぱちぱちと閃光を始めた花火をじっと見つめて、じゅ、と火のつく音を聞いてルカを覗き見た。ルカも、線香花火には囚われてしまうらしい。大人しく、ぱちぱちと小さく弾け始めたヒバナをじ、とつるりとうつくしい薄紫の双眸で見つめていた。ルカの瞳に、花火が上がっているのを、僕は微動だにせず、指先に据えた線香花火を固定して、眺めた。ルカを、見つめた。ずっと続けばいいななんて思いながら、ルカの花火が落ちるまで。
ぽとりとルカの小さな花火が落ちて、僕は自分の握ったそれが、まだ弾けているのに気づいた。
「落ちちゃった!」
ざ、とルカが立ち上がった。
「あ」
反動で、僕の花火はぽとりと落ちた。いつだって、僕の動向はルカで決まってしまう。立ち上がって「もう残ってないかみてくるよ」と歩き出したルカを見送って、僕はふと笑ってしまった。ルカという熱が離れて、寂しさを感じる自分を、笑ってしまった。