餌付け係と味見係「ここ、であってるのかな」
スマホの地図アプリから、案内を終了するアナウンスが流れる。足を止めて視線を上げると、そこには立派な門構えの店が立っていた。まだオープンしたばかりだが、某有名店の系列だという日本食の店。いや、正確には料亭、という方が正しいだろう。門から店の入口まで続く石畳の道、きちんと手入れされているのがひと目でわかるほど整えられた木々たち、店の周りを柔らかく照らす街灯。俗っぽい言い方だけど、The料亭って感じの雰囲気が醸し出されている空間だ。
オレがここに来た理由は、この料亭が募集を出していた短期バイトの面接を受けるためだ。料亭が短期バイトなんて取るのか、という素朴な疑問はあったのだが、秋から冬にかけては客足が増えるため、人手を増やしたいのだという。また、料亭としてやってはいるものの、あまり敷居を高くしすぎないようにしたい、というオーナーの希望もあるらしい。新しい人を入れることで、店の雰囲気も固くなりすぎないようにしていきたいのだそうだ。
「え……即採用で、いいんですか?」
料亭のオーナーという人物に部屋まで案内され、履歴書を見ながら簡単な受け答えをした後、すぐに採用の返事が返ってきた。こういう場所だからてっきり結果は後日連絡します、とか言われると思っていたオレは、少し驚いてしまった。
「あぁ、あんた接客経験豊富そうだし、うちのメンバーともやっていけると思う」
「ホントですか……!ありがとうございます」
「詳しいシフトはまた後で伝えるが、今他のやつらも揃ってるし、先に挨拶していくか?」
「あ、はい!是非!」
「分かった 皆呼んでくるから向こうのテーブルで待っててくれ」
「分かりました」
開店前の店内は自分以外誰もおらず、何だか不思議な気分だった。他の飲食店でバイトしてた時もこういう時間はあったが、他のバイトの子とワイワイやってる時の方が多かったから、ここまで静まり返ってる空間に身を置いたことは、あまりなかったような気がする。
椅子に座って待っていると、店の奥からオーナーと共にぞろぞろと人が出てくる。と言っても、出てきたのはオーナーを含めて4人だけだった。
「すまん、待たせた」
「いえ、大丈夫です むしろわざわざありがとうございます」
オレは椅子から立ち上がり、彼らに向かって挨拶をした。
「初めまして この度短期で入ることになった、春原百瀬と言います 接客は得意なので、早く皆さんのお役に立てるように頑張ります!」
「こちらこそよろしくな!」
「おーよろしく」
「よろしく」
「はい、よろしくお願いします!」
挨拶を終え、顔を上げて従業員さん達の顔を見る。皆頼りがいのありそうなメンバーだなと思った。オレの自己紹介が終わると、今度は彼らの方から自己紹介をしてくれた。まずオレと同じ接客担当の和泉三月さん。接客メインだけど料理も上手いらしく、たまに厨房に入ることもあるらしい。そして厨房担当の四葉環さんと折笠千斗さん。四葉さんはまだ見習いらしく、調理のメインは折笠さんの方がやっているらしい。彼は、所謂調理長なのだという。
(……この人、凄く美人……いや、男の人だからイケメン……って言うのが正しいのかな……でも凄く顔が整ってるというか彫刻みたい……綺麗な人だな)
オレはそんな事を思いながら、折笠さんの事を見つめてしまっていた。流石にオレの視線に気付いたのか、一瞬折笠さんと視線があったような気がして、すぐに逸らした。でもまた横目で彼の事を見てしまう自分もいた。どうしよう。この人の事が凄く気になる……いやいや初対面で何を考えてるんだ……と完全に自分の世界に入り込んでしまっていたが、オーナーのよく通る一声によりオレの意識は現実へと引き戻された。
「よし、全員挨拶したな とりあえず今日は挨拶だけだから、お前らは持ち場に戻ってくれ 春原のシフトは後で渡すな」
「はい、分かりました」
面接した部屋に戻り、いつの間にか作っていたらしいシフト表を渡され、今日は店を後にした。料亭での短期バイト、思ってたより楽しくやれそうだ。
短期バイト初日、オレは和泉さんのサポートを受けながら仕事をこなした。基本的には他の飲食店での接客と変わらないが、ここは料亭。接客の丁寧さは意識しないといけない。居酒屋とかファミレスみたいな雑さをここで出してしまっては、品位が損なわれてしまう。でもあまり意識しすぎるとぎこちなくなるから、丁寧にやろうという気持ちだけは忘れないで、と和泉さんにアドバイスをもらった。和泉さん、可愛らしい外見をしてるけど意外と力持ちだし男気があって、とても頼りになる先輩だ。早くこの人の助けになれるようになりたいと思った。
客の数も減り、少しずつ店内が落ち着いてきた頃、和泉さんが話しかけてきた。
「どうだ、ここでの仕事は」
「楽しいです 和泉さんみたいに頼りなる先輩も居ますし、雰囲気も良くて……こういう所でバイトするのもいいなぁって思いました」
「はははっ!いい事言うなぁ春原は ありがとう、そう言って貰えて俺も嬉しいよ」
「それはよかったです」
「あっそうだ、他のメンバーとももう話したか?この前挨拶だけだっただろ?」
「あ、はい 一応軽く会話はしました それで……ちょっと聞きたいことがあって……」
「ん?どうした?」
オレは、和泉さんに料理長の事を話した。あの人の事が気になる、どんな人なのか知りたいと。
「あーユキさんか イケメンだよなぁあの人 基本的にずっと厨房で料理してるからあんまりこっちには出てこないけど、女性のお客さんの中にはあの人のファンって人もいるって噂聞いたなぁ」
お客さんの中にファンがいると聞いてなんだかアイドルみたいだなと思ったが、折笠さんは同じ男でも羨ましくなるような美貌の持ち主だ。ファンが居ても不思議ではないだろう。
「そうなんですね 凄いなぁ折笠さん」
「な!俺も初めて会った時結構印象的でさぁ……あ、あとな、涼しい顔して難しい料理をパパっと作っちゃうんだよあの人 飾り人参とかも簡単に作っちゃってさ……俺もたまに手伝いとかするけど、やっぱり流石料理長だなぁって思ったわ」
「わ〜……想像しただけでもう凄いです……」
和泉さんの話を聞きながら、オレは心の中で悶えていた。本当にどうしよう。あまりにもイケメンすぎる。外見だけじゃなくて料理人としても一流なのは狡いだろう。隙がない。もうこれは気になるレベルの話ではない気がしてきた。
(こんなん……好きになっちゃうじゃん……)
我ながら思考が乙女みたいだなと思ったが、姉の持っていた少女漫画を読んで育ったので、多分自然とそういう思考になってしまうのだろう。とは言っても男が恋愛対象かと問われると、即答は出来ない。多分この気持ちも、恋愛的なものというよりは憧れの意味の方が強い気がする。多分。確証は無いけど。
和泉さんとあれこれ話していると、厨房の方から声が聞こえた。
「みっきー!これ出来たから運んでー」
「おー、分かったー ごめん、俺呼ばれたから戻るわ 上がりまでもうちょっと頑張ろうな」
「はい、貴重なお話ありがとうございました」
「おぅ!」
和泉さんが厨房に呼ばれたので、オレも出来ることを探して仕事に戻った。
「よし、今日もお疲れ様!各自片付けして気をつけて帰れよー」
「はーい」
「お疲れ様でした〜」
厨房組は油処理やキッチン周りの清掃、接客組はテーブルや床の清掃、備品チェックをして今日の仕事を終えた。オレも荷物をまとめて帰ろうとしていた所、誰かに肩をポンポンと叩かれた。誰だろうと思いながら振り向くと、そこには料理長の折笠さんがいた。
「お疲れ様、春原くん」
「お、お疲れ様、です」
「……あ、ごめん もう帰るところだったよね」
「え、いや!大丈夫です!」
「そう?じゃぁ、ちょっとこっち来てくれる?」
そう言われ、手招きされるがまま厨房に入る。
「これ、ちょっと味見して欲しくて」
折笠さんが指差す先には、魚の天ぷらが盛られた器があった。
「味見、ですか」
「うん 実は僕、肉と魚が食べられないんだ 料理する事は出来るんだけど」
「そう、なんですか」
「うん いつもなら三月くんか環くんに試食してもらうんだけど、もう二人とも帰っちゃったみたいだから、代わりに君に食べてもらおうと思って」
そう言いながら、折笠さんは箸で魚の天ぷらを掴むと、オレの方に差し出してきた。……これはもしかしなくても、食べさせられるやつでは……。
「はい、口開けて」
もはや断れるはずもなく、言われるがまま口を開けて魚の天ぷらを口に入れる。サクサクとした衣には上質な塩がかけられていて、淡白な味であるこの魚と相性がいいなと思った。
「……どう?美味しい?」
「……っはい!美味しいです」
「よかった この魚、今度初めて出すから味付けに自信なくて……感想が聞けてよかった」
「そうなんですね こちらこそ、お役に立ててよかったです」
魚の天ぷらを食べさせられた時はどうなるかと思ったが、この人の料理が本当に美味しくて、素直に感動した。自分で味見出来ないのにちゃんと美味しいなんて、流石料理長だ。
「……ねぇ、春原くん」
「はい」
「もし君さえ良かったら、バイト期間中、またこうして味見係やってくれない?」
「え……」
「君、美味しそうに食べてくれるから、なんかまた食べて欲しいなって思って……どうかな?」
折笠さんからの予想外の申し出に、オレは戸惑いを隠せなかった。そんな提案、嫌なわけない。むしろ喜んで!と言いたいところだが、入ったばかりのオレがそんな大役引き受けていいのだろうか、という不安もあった。だってこんな素敵な場所で出す料理なのに、素人の舌で味の善し悪しを判断していいのだろうか。
「あの……オレは構いませんけど、その、本当にオレでいいんですか?」
「?いいと思ってるよ」
「オレ、舌肥えてないし、味の善し悪し、分かんないかもしれないですよ……?」
「そんなこと気にしなくていいよ むしろ、肥えすぎてて難癖つけられるより、美味しいかそうじゃないかって白黒ハッキリつけてくれた方がいいし」
「そう、ですか」
「そうだよ それに、君は美味しいと思ったら素直にそういう反応してくれるじゃない それだけで十分 気負うことないよ だからお願い 引き受けてくれないかな」
そう言って、折笠さんは優しく笑った。その笑顔を見て、急激に血圧が上がったように感じる。顔の周りだけ、明らかに熱い。
ここまで言われてしまったら、もう断る気なんてなくなっていた。だけど自分の舌に自信が無いことに変わりは無いから、控えめに分かりましたとだけ答えて、その日は帰った。
そしてこの日を境に、オレと折笠さんの不思議な関係が始まった。