甘ったれたクッキーとのど飴と「お前を好きだったこと後悔してる」
嘘だ。好きになってよかったと思えたことはなくても、好きにならなければよかったと思ったことなんて一度もない。
「好きだったんだ。今は違うけどな」
これも嘘だ。記憶がなくなって、お前の顔や名前は忘れても、この気持ちだけは忘れなかった。好きだ。今でも、ずっと。
「好きになっちゃいけなかったのに、悪かった」
本当か?五十嵐はよくてなんで俺は好きになったらいけないんだ?人を好きになるってそんなに悪いことなのか?
こんなに苦しいなら、もう人を好きになんてならない。俺の最初で最後の恋はお前にやるから。だからそれで許して欲しい。いらないと言われても、俺がお前にあげられるものなんてそれしかないから。
「あれ…香川?」
そう思っていたのに。
なんで目の前にコイツがいるんだろう。
「やっぱり。元気だったか?高校、通ってるんだろ?楢崎から聞いた」
「あぁ…おう」
母さんが体調を崩して入院した。命に別状はない程度のものだけど、息子としてはお見舞いに行くのは当然だろう。だから行った。でも診察中で部屋にはいなかった。だからロビーでテレビを流し見していた。そうしたら、隣に座った。相田勝平が。以上。
今起こった事をまとめるとこんな感じだ。
「珍しく風邪を拗らせて。薬をもらいにきたんだ。お前は?」
「…母親が…入院して」
「入院?大丈夫なのか?」
「軽い肺炎だから…」
「そっか、よかった」
なんで普通に話してるんだろう。もう1年くらい会っていないのに。最後に会ったのは、学校の保健室だ。コイツにはいつも情けないところばかり見られているから、どうしても気まずさが勝ってしまってうまく目を見ることが出来ない。
「お前こそ、大丈夫なのかよ」
「めったに風邪なんてひかないんだけどね。今回のはしつこくて。ずっと咳がとれないんだよ。おまけに喉も痛くて。だから、ほら、変な声だろ?」
言いながらもゲホゲホと時々咳き込んでいていかにも苦しそうで。声も、会ってすぐにいつもと違うとすぐに気が付いた。だけど久しぶりに聞くから、それでだろうと思っていたけど風邪のせいだったらしい。いまだに小さな変化も分かってしまうのが悔しくて、悲しい。
ふとポケットの中の存在を思い出して、そっと手にする。一瞬戸惑うけど、今なら渡せそうな気がした。
「だったらこれやるよ」
よく効くというのど飴。昨日お見舞いに来た時に売店のおばちゃんが試供品を無理矢理ポケットに押し込んできたものだ。相田は手のひらにのったそれをただじっと見つめている。
受け取れ。受け取れ。頼むから。
願いを込めて目を閉じる。ここで拒否されたら、もう立ち直れない気がした。
でも、違った。
相田はそれを手に取って、こっちをまっすぐ見て、まるで何てことない事のように笑った。
「ありがとう」
背中が、ぶわっと震える。
今まで、コイツに憎まれたことはあっても感謝されたことなんてあっただろうか。嬉しくて、嬉しくて、そして切なかった。もっとはやくこうしていれば、隣に立っていたのは自分だったのかもしれないのに。もっと、優しくして、大切にして、愛を伝えて。それがなんで出来なかったんだろう。
「じゃあ、お礼にこれあげる」
「なんだよこれ」
教科書やらが詰まった重たそうな鞄から出てきたのはなんとも不釣り合いなクッキーで。透明な袋に入って小さなリボンでラッピングされたそれは明らかに市販のものではなかった。
「今日調理実習で作った。ラッピングまでさせられてさ。夜食にしようと思ってたんだけど、お前にやるよ」
こんなことがあっていいのだろうか。相田の手作りなんて、五十嵐が真っ先に欲しがるんじゃないのか。自分にはこれをもらう資格がないような気がして、思わず黙り込んでしまう。
「クッキー、好きじゃなかった?」
「いや…渡す相手、俺でいいのかよ…」
小さく呟いた声はちゃんと相田に届いたようだった。
「僕、お前ともう一度ちゃんと話したいと思ってたんだ」
「え…?」
「だから今日、ここで会えて嬉しかった」
目の奥がじんわりと熱くなって、息が止まる。
好きという気持ちではなくても、相田は俺に会いたいと思ってくれていた。それだけで、もう十分じゃないか。
「僕はお前にあげたいと思ったから。いらなかったら捨てて」
ぽんと膝の上にのせられたそれのリボンをひくと甘い匂いがする。なんの可愛げもない丸い形のクッキーを、一つ手に取って口に放り込んだ。
甘い。泣きそうなくらい甘ったるい。
「…うまいよ」
「やった。僕も一口ちょうだい」
相田は袋の中に手を突っ込んで、同じように口に放り込む。人にあげておいて図々しいやつだ。
でも、そんなところも好きだった。
「うまい。天才かも」
「何言ってるんだよ」
泣きそうなのを誤魔化すように笑ってやる。もう可哀想な自分でいたくなかったから。
どうか、お前の記憶に残る俺を上書きして欲しかった。
「あ、いたいた。相田さん、薬の用意が出来ましたよ」
看護師さんが、相田に声を掛ける。気がつかなかったけれど、もしかしたら何度か呼ばれていたのかもしれない。
「あら、香川さんのとこの…2人、知り合いだったの?」
余計なことを聞かないで欲しい。知り合いというには色々ありすぎたこの関係はうまく説明出来ないから。なんて答えたらいいものか迷って、手元のクッキーに視線を落とす。横から聞こえたのは相田の声だった。なんの迷いもない声。
「友達なんです。中学からの」
友達。好きな人にそんなことを言われたら悲しむのが普通なのかもしれない。でも、俺にとっては何より嬉しい言葉だった。知り合いじゃなくて友達。中学から。胸がぎゅうっと苦しくて、まるでクッキーが喉につっかえてるみたいで。
「あらあら、仲良さそうでいいわね」なんて去っていく白衣の後ろ姿は、涙で滲んでよく見えなかった。
相田はもう、こっちを振り向かない。
「香川、また会おうな」
少し掠れたその声を、俺はずっと忘れないと思う。
涙は見られなかったことに安堵しつつも、相田があえて見ないようにしてくれたのだと気付いてしまって。
少ししょっぱいクッキーを涙と一緒に飲み込んで、やっぱり相田勝平を好きになった自分は間違っていなかったと、誇らしげな気持ちで病室に向かった。