お手柔らかに、どうぞずっと好きだったファウストに想いを告げて、僕もネロのことが好きだと受け入れてもらえて。手を繋いで、唇を重ねて、身体のうちがわに触れることを初めて許された夜。好きが溢れたあまりちょっぴり泣いてしまい、ネロは気恥ずかしさと確かな幸福の余韻にとぷりと浸っていた。
つい先ほどまでは。
「……なんて?」
ベッドサイドに放り捨てていたYシャツ一枚を羽織った状態で、ネロは硬直した。
「だから、次はとって、って言ったの」
まだ熱が引かずしっとりと汗ばんだ身体を桃色に染め、潤んだ瞳をネロに向けてしどけなく横たわるファウストの言葉にネロは混乱している。とって、とは。
「何されたか分からない……ネロの匂いがして、きもちいいなとか幸せだな、て思ってたら、身体熱くなって、頭の中まっしろになって」
最中のファウストはそれはそれは愛らしかった。涼しげな紫をすっかり蕩けさせ、腰の奥に直接響く甘い声で啼き、ねろ、と舌足らずに呼ぶ濡れた唇。正直思い出すだけで色々と元気を取り戻しそうになる。初めてだから怖がらせないように殊更優しく触れ、徐々にファウストの身体を暴くまでネロは何度も理性が飛びかけた。そして今、再びネロの理性が試されている。
「僕だけ一方的にいい気分になるのはよくない」
「いや、あの」
「次は僕もちゃんと備えておきたい」
「ファウスト、ちょっと」
「なに」
「……それ、意味分かって言ってる……?」
きょとんとしたファウストは常よりも幾分幼く見える。うん、かわいいなと絆されかけてネロは心の中で首をぶんぶんと振った。頼む、別の意味で言っていてくれとネロは人生で何度目かの神様に祈った。
「録画して、って言ってるんだけど」
ハメ撮りをしろと?二回目にして?……レベル高すぎでは?
ネロは人生で何度目かの神様絶対信じません決意を固めた。
「スポーツや音楽も、自身を録画して練習や改善に活かすだろう」
それと同じですけど何か、という顔をしているこの恋人様は、いったいどれだけ純粋培養されてきたのだろう。学生時代にそういう、少し品の無いような会話の一つや二つさえ通ってこなかったのか。ネロは天井を見上げ、あー、と唸り声をあげた。
「あのですね、ファウスト。その……えっちしてる時の映像を撮るというのはですね」
「何か問題でもあるの?」
「大ありです」
ネロは可能な限りの言葉を尽くし、可能な限り直接的な表現を避け、可能な限り丁寧にハメ撮りというものとその危険性を説明した。正直今までのどんな大きな商談よりも頭をフル回転させ、脳がびしゃびしゃの汗みずくになった。
記録媒体にデータが残ってしまう、同意があったとしても外部にデータが流出したら大変なことになる、そもそも俺が悪い奴だったら別れ話を出されてもこの映像を盾にあんたのこと束縛しちゃうよ。
「ネロは悪い子じゃないし、そもそも別れるつもりはない」
「ハイ、スミマセン」
別れ話の辺りでファウストが目に見えて機嫌を悪くしたので、ネロは早々にこの話を切り上げた。どうにか伝えるためとは言え、初めて身体を重ねた甘い夜に口にしていい単語では無かったと己の浅はかさを恥じた。
ファウストの特殊性癖ではない。ただ、自分ばかり気持ちよくなるのはいやだ、ネロも気持ちよくなってほしい、といういじらしい愛情が、ちょっとずれた方向に曲がってしまっただけだ。根底にあるファウストの気持ちを無駄になどしたくない。ネロはベッドに戻るとファウストの隣に横になり、汗で少しまとまったオリーブブラウンの束を掬って口付けた。
「焦んなくていいよ。こういうのは二人のペースで進めるものだし」
「……僕ばかりよかった気がする」
「好きな人をとろとろにできるのは冥利に尽きるってもん。でも、次はもう少し、ゆっくりしようか」
だから録画の話はおしまい、と頬から項にかけてを撫でてやると、逃れるように胸元にすり寄ってくる。ボタンを留めず開かれた胸に髪が擦れて少しばかりこそばゆい。夏場でも汗をかいている姿をほとんど見たことが無いファウストの、確かな汗の香りがしてネロは身体の芯に密かに熱が灯るのを自覚した。焦ることはない。ファウストも次を望んでくれているのだから、徐々に、ファウストが怖がらないペースで進んでいこう。
だらしないけれど今日はこのまま寝てしまおうかとファウストを腕の中に抱えこむと、くん、と甘えるようにシャツを引かれた。
「どしたの」
「……次、というのは」
「うん?」
「今でもいいの」
もぞりとネロの胸元から顔を上げ、じ、と二対のアメジストが上目遣いで見つめてくる。奥にはネロと同じ熱がゆらゆらと灯り、期待と、少しの羞恥が膜を張って揺れていて。
「……だめ?」
……あまやかに脳を揺さぶる呟きに、いいよと頷き返さない方法があるなら教えてほしい。