秋麗の夜「賢者さんの世界じゃ、秋には色々と種類があるらしい」
絡みつくような熱と湿気も落ち着いた頃、ファウストとネロは再び中庭での晩酌を始めた。あまりにも暑いと(魔法使いとはいえ)身体に堪えるだけでなく、せっかくネロが丹精込めて作った料理がだめになってしまうから、と暫くはネロの部屋でグラスを合わせていたのだった。
快適で、好いた人の気配に満ちた室内も素敵だけれど、心地よい風で少々火照った頬を冷ましながら飲む酒もまた格別なものだとファウストは思う。お互いが隣にいるのなら、くっつく口実としては多少涼しいくらいでちょうどいい。
「気候が穏やかだから、何かを始めたり、やったりするのにいい季節なんだってさ」
「へえ。例えば?」
「読書の秋、勉強の秋……芸術もあったかな」
文字や文化、植物、動物。
あらゆるものが賢者の世界と異なるこの世界で、季節は非常によく似ているのだと以前話していたことを思い返す。
春は新しい生命が芽吹き、夏は空と太陽と世界の色が眩しく、爽やかな風が実りをもたらす秋を通り、眠るように静かな冬が訪れる。
長命の魔法使い達がもう目を配ることも忘れてしまうような、道端にひっそりと生える雑草にさえ、賢者は季節の便りだと顔を綻ばせた。世界中に散らばる小さな欠片からも移ろいを楽しむ感性は素直に美しい。その心に思いを馳せながらファウストがグラスを空けると、すかさずネロがボトルを差し出す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「その勢いで授業も率先して取り組んでほしいんだけど」
「それとこれとは別」
「勉強の秋だろう?」
「あんたからすりゃ年中勉強じゃん……」
「知識は生き残るためにも、生きていくためにも必要だから」
ファウストの授業には、時折魔法の知識や理論から外れたものが混じる。歴史や文化、作法に慣習、動植物の種類から星の読み方まで。
戦闘に直接関わらないこれらの主は、この後長命を生きる定めにある子供たちに向けられたものだ。四百年生きた中でファウストが知り得たもの、必要だったもの。時々ネロの知り得たもの。長い年月を魔法使いとして生きていくための道しるべになりうるものは全て、ファウストは彼等に与えようとしている。
アメジストの瞳、紫の星。紫の星は、紫微星。
導く者たる象徴を抱いた聡明なひかりは、いつも年若い魔法使い達を見守っている。
「俺は、その状況に合わせてその場でどうするか考えて行動することばかりだったから。入れるのと出すのが同時なんだよ。授業で知識を入れて、実戦や訓練で試す……っていう別立てにまだ慣れなくて」
「なんだ、補講の申し出なら引き受けるが」
「えぇ……勘弁してくれよせんせぇ」
「そんな言い方してもかわいいだけだよ」
これ美味しい、ときのこのパイ包みを頬張っていたファウストが顔をほころばせる。
テストの点数で笑顔にできなくても、自分は料理でファウストを笑顔にできるのなら今はそれでいいか、とネロは最近自分の中で折り合いをつけた。
授業が嫌だとか、勉強をないがしろにするつもりは全くない。けれどいくら脳に知識を入れたところで腹が減っては戦は出来ぬのだし、腹が減っては心が満たされない。何より料理人としてはやはり、自分の作った料理で喜んでくれることが一番の褒美だった。
少し作りすぎたと感じたつまみが綺麗に無くなった皿が、ふともう一つの秋をネロに思い出させる。
「そうそう、食欲の秋ってのもある」
「食欲の秋」
「秋は美味いものが多いんだって」
「なら僕は年中食欲の秋だな。きみの料理が美味しいから、以前より食べる量が随分増えた」
「え、そういうこと言う……?」
スス、とファウストはネロにぴたりとくっつくと、首を傾けてネロを覗き込んだ。愛心でたっぷりと満ちた紫を惜しげもなく向けられたネロは、顔がアルコール以外の熱でぽやりと火照ることを回避できない。
「照れてる。嬉しい?」
「もー……そんなん嬉しいに決まってんじゃん。明日ガレットがいいの?それとも次のテスト満点?」
「両方かな」
「賄賂かよぉ」
ばかだね、とファウストは微笑んだ。
「まさか。本心だよ」