死合わせに恋をした魔法使いにも墓は存在する。
命を終えた魔法使いの肉体は遺らないから、人間のように荼毘に伏して骨を埋葬することはできない。代わりに埋葬される品の大抵は魔道具であったり箒であったり、肖像画や生前使用していたもの。
あるいは、何も埋葬せず、ただ墓標だけが建てられる。
マナ石を埋めることはしない。力を求める魔法使いはおろか、そこに資源があるのだと墓を掘り返す愚か者がまだまだ蔓延っているから。
ここには、何も埋葬されていない。
彼の遺品は何ひとつとして遺っていない。
彼は何も遺さなかった。愛用していた調理器具、トレードマークのようだった濃紺のエプロン。魔道具を構えて背中を預け合いながら共に生き抜いた記憶。広くあたたかい背中に身を預けて箒に相乗りした記憶。それらの記憶に結び付く、何もかも。
『あんたとの全部、ひとつすら置いていくなんて。そんな勿体ないことしたくないよ』
自分と共に過ごした時をはらむ何ひとつをこの世界に遺すことなく、全て抱えて死出の旅の供にしてくれた。
だから、何も遺されなくても悲しくはない。寂しくはない。彼との全ては今、自分の中に存在している。それで充分だった。
『死んで初めて、あらゆるしがらみから解放される。やっと真の意味で自由になれるんだ。そしたら俺、ずっとあんたの傍にいたいよ』
遺言めいた――いや、正しく遺言だった――その言葉通り、隠れ家の一角に名を刻んだ石を建てた。墓標と呼ぶには簡素なそれは、ただ『傍にいたい』という彼の願いを叶えるためのもの。ただ『彼はここにいる』と自分が想うためのもの。
ほんとうはもう、どこにもいない彼の居場所を世界に作るためのもの。
彼の命と引き換えに現れたマナ石は隠れ家を覆う大掛かりな術式に使った。
自分の命が尽きる時、この隠れ家と彼の墓を何ひとつ残さず消し去るための術式だ。立ち去る世界には彼と過ごした全てのひとかけらすら置いていきたくない。彼との全てを抱えたまま、ひとり彼岸の彼方で先生、ときっと笑ってくれる彼に向けて手を伸ばすために。誰にも渡さない、奪わせないための、自分と彼の全てを護るための一世一代の術式。
膨大な魔力を要するけれど、星が滅びの直前に超爆発を起こすように、魔法使いも死の間際には膨大な魔力が発生する。その魔力に焼かれた身が溶け、そして固まったものがマナ石として残される。
この術式は最期の魔力爆発に呼応するかたちで発動するように仕掛けた。生じた膨大な魔力を術式で上乗せさせ、隠れ家一帯を塵ひとつ残さず消し去る。
結果的に僕のマナ石さえ残らず、ファウスト・ラウィーニアという魔法使いの痕跡は全て消え去るのだけど。
それでいい。
それがいい。
この世界で何ひとつ僕が無くなったとしても、きみは、僕を見付けてくれるだろう?
ねえ、ネロ。
嵐の谷の、ファウストの隠れ家。
その裏手口横にひっそりとひざ丈程の石が建っている。
「おはよう、お前たち。今日も来ていたの」
扉を開けたファウストが集まる精霊達と挨拶を交わすと、清らかな空気がこうおうと音をたてる。鈴の鳴るような、鐘の鳴るような、大地が震えるような、目に見えぬ神秘達がさざめく音だ。
天候の変わりやすいこの谷では雨ざらしの吹きさらしになって気の毒ではないかと心配したけれど、彼によく懐いていた精霊達はこれが何であるかを理解しているらしく、百年を超えた今も一度として壊れたり、損なわれたことはない。やわらかく美しい加護をのせて、彼等は構ってほしそうに毎日石の周りに集まってくる。まるでお喋りをするようにきらきらとまたたいて、ファウストが顔を出すのを待ちわびている。
今日もお寝坊さんなの、先生は忙しいんだよ、と澄んだ風の向こうに声が聞こえてくるようで。
「――おはよう、ネロ。今日もきみは人気者だね」
刻まれた名前を呼んだファウストは、愛おしそうに石へ唇を寄せた。