天ぐだ♀/バディリングの話人を自死に追いやる呪具があるように、人から時を奪う装身具があるという。
元々、護符や印章として使われていたが、時が経つにつれて宝石などがついた華美な装飾のものも製作されるようになり、永遠の愛、絆、あるいは富や名声、それらを周囲に示すためのものへと変化していった。
金色の煌めきから目が離せなくなるのはその美しさからだけではない。その装身具の定義そのものが、人を縛り付けるのだ。
「マスター、礼装を頂けるのは光栄ですが……そろそろ三十分経ちますよ?」
「わかってる……」
とある微小特異点修復にあたって入手した、指輪型の礼装(コマンドコード)。名称はバディリング。
日頃の感謝と絆の象徴としてカルデアで作られたという。飾りの宝石などもないシンプルな金色の指輪だったが、それゆえに。
「似ていますよね。まるで……」
それ以上は言わなくていいから、と向かい合わせに座った天草の言葉を遮る。これはただの指輪型の礼装だから、と自分に言い聞かせてみるものの。天草が言おうとした通り、このデザインとディティール、どう見ても……。まして、今はバレンタインシーズン。別にプロポーズするために用意したんじゃないから、と言ってもただのツンデレのようになってしまいそうだった。
白いテーブルの上に置かれた天草の両手に視線を落とす。褐色の手は体格の割に大きく、節くれだった無骨な指をしていた。
髪色と肌の色は理由あって日本人離れしているが、日本のサーヴァントである天草四郎は古今東西の英雄が集う中では比較的小柄な方だ。年齢も、彼の全盛期である十七歳付近で顕現している。時に、同年代の親しみやすさを感じさせる天草も、幾度もの修羅場を潜り抜けてきた男だと改めて気付かされ、心臓が跳ねた。
それにしても、どこの指につけさせるのがいいのだろう。
天草の主な得物は日本刀と黒鍵。コマンドコードとはいえ、戦いのときに邪魔になっては困るだろう。であれば利き手はやめたほうがいいのだろうか。無意識のうちに、左手薬指に目が留まる。おもむろに天草の手に触れると、自分でも分かるくらい、頬がカッと熱くなるのを感じた。だめだ、顔すら上げられない。戦闘中は手を取ることも普通にあるし、たまに抱えられることだってあるのに。指先が痺れそうな感覚を振り払うようにかぶりを振り、天草の指先に指輪をあてがう。
「マスター、本当にそこで良いんですか?」
「えっ?」
「ファイナルアンサー……?」
「ふぁ、ふぁい……何?」
往年の有名クイズ番組。挑戦者がそのフレーズを復唱すると、それ以降の回答の変更は一切できなくなる。緊張感に満ちた雰囲気。令呪のように厳格な制限のある補助以外は、誰の助言も得られない。解答に制限時間は設けられていないが、それゆえに、勢いでの即決を許さない冷たい空気が漂う。決断できるのは、己が一人だけ。司会者、もとい天草の含みのある表情に、更に心臓の音が大きくなる。顔を覗き込まれ、指輪を持つ手が震える。
「……って、天草!からかわないでよ!」
「マスター、……ふふっ」
「ぐぬぬぬぬ……」
期待通りの立香の反応に、天草は満足げに微笑んでみせた。
「そう焦らずとも、今日中に決める必要もないでしょう?」まるで信者に諭すような声音で立香に言った。
天草は聖堂教会に属していた時期があるゆえか、普段は神父のような服を着用している。彼は自身の過去についてあまり多くを語らないが、もしかしたら、結婚式の指輪交換も案外見慣れた儀式の一つだったのかもしれない。聖職者と言いつつも、雇われ神父のような世俗じみたバイトもちゃっかりこなしそうだと思わせるギャップを持つのが、天草四郎というサーヴァントだった。胡散臭いとも評される微笑みを湛えて式に立ち会う姿を想像すると妙に笑えてしまうけれど、彼は決して人々を祝福していないわけではない。むしろ、誰よりも他人の幸せを願い、届かない星に手を伸ばし続ける。自分のことはいつも二の次で。
だとすれば。もし、わたしがいつか左手薬指に指輪をつけたとしても、天草にとっては他者の幸せの一つに過ぎないのだろうか。そう思うと、心の奥がちくりと痛んだ。普段通りの態度を崩さない天草が急に憎らしくなって、ちょっとだけ仕返しをしてやりたくなった。
「ずっと座りっぱなしというのも身体に毒ですし、少し外に出て気分転換しませんか?といってもシミュレーターですが……」
「……天草四郎、隙ありっ!えーいっ!!」
「……っ!!」
天草の手をぎゅっと握り、ガラ空きの左手薬指目がけて、指輪を通そうとする。だが、サーヴァントに生身の人間の敏捷性が通用するはずもなく、天草に手を握り返される。時が止まったかのように、一瞬動けなくなる。
「そういうものは、貴女が本当に結婚なさるときにとっておくべきですよ」
短いが、圧のある声音だった。
***
確かに似ている、と思った。
金色の指輪を手に、ああでもないこうでもないと頬を赤らめて迷うマスターの微笑ましさに、つい、からかいが止まらなかった。
向かい合わせに座った彼女が、純白の婚礼衣装に身を包んだ姿を想像する。明るい緋色の髪が暖かな陽光を反射し、それに負けないくらいの笑顔を見せてくれるのだろう。貴女にも、そんな人間らしい幸福を手に入れてほしい。
だが、考えれば考えるほど、ある種の空虚さが伴うのは、これが敵を斃すための装備だからだろう。戦地に赴くために、結婚式のままごとでひと時の安らぎを得るのだとしたら。
人類最後のマスターという重責を担った普通の少女。握り返したままの彼女の手の小ささ。手の甲には、血のような赤で刻まれた令呪。典礼における赤が象徴するのは、愛と火とそして殉教。こんな華奢な手で、貴女は自身の幸福を犠牲にし続けるのか。
マスターは静かに首を振った。
「それでもいい。――それが、今のわたしだから」
今は汎人類史を守るのが先だから、と言い切る彼女の瞳は、あまりに真っ直ぐで澄んでいた。レイシフト先で聖杯を掌握しようとした私に「何度でも止める」と言った時と同じように。
「ありがとう、天草」
その言葉が、不意に胸をさらう。心の何処かで、貴女に結婚指輪をはめてもらう自分を想像していたのだと気付かされた。婚礼衣装を纏った貴女の隣にいるのは少なくとも俺ではないと思っていた。貴女の幸せを願うゆえに。
――ああ、これが恋というもの、なのだろう。
「一緒に戦ってくれる?」
はい、と深く頷く。指輪が、今度はゆっくりと指に通される。
「天草四郎時貞、――サーヴァントとして、貴女の力になりましょう」
世界の平和の果てに別離が待つとしても、貴女の今の境遇に憐れみを持ってはならない。まして、救うことなど。それでも、共に戦うことはできる。
「……っ、緊急呼び出し?!」
「早速ですか」
「天草、行こう!」
けたたましく鳴り響く警報に、管制室に急ぐ。繋いだ手に感じる、金属の冷たい手触り。左手薬指に宿った、その絆の証に秘めたものを、まだ彼女は知らない。
「それはそれとして、指輪はプロポーズする側に選ばせてほしいものですね」
「えっ……?」
冗談とも本気ともつかない笑みとともに、天草はカソックの上から令呪と同じ色の赤いマントを羽織った。
(終)