天ぐだ♀/one and only HERO「今年は水着どうしようかな」
スカサハ=スカディが作り出した、ひと夏限りのテーマパーク。微小特異点発生に至った黒幕の「後始末」が終わり、新所長の計らいで自由時間を貰ったマスター・藤丸立香は、移動手段と宿泊場所として利用していたクルーズ船の一室にて、休憩ついでに散策に出る準備をしていた。
「うーん……」
燕青に勧められるがままに水着を着てみたものの、ここ数年着用していたボーイスカウト風礼装と比べ、露出の多さになんとなく躊躇してしまう。むき出しになった二の腕や脇腹を見る。体型が気になる年頃だから、というのもあるが、それよりも……。
「水着、良いではありませんか」
「誰?!」
「絢爛豪華なクルーズ船の旅といえば、秘蔵のお宝と怪盗への挑戦状。そして……」
「聖杯怪盗……!」
「驚きとともにのけぞるリアクションありがとうございます。怪盗モード・天草四郎時貞です」
いや、怪盗だからじゃなくて、着替え中に入ってこられたから驚いてたんだけど。紳士的な態度と衣装に反して、デリカシーというものはないらしい。
天草はこちらの困惑も気にせず、自らの物語を語って聞かせ始めた。
恰幅の良いクルーズ船の主がガラスケースに入った聖杯の傍で「盗めるものなら盗んでみたまえ」などと大仰な台詞をのたまっていると、軽やかな音を立てて突き刺さるのは薔薇の黒鍵。予告状通り、幾重にも張り巡らされた警備をくぐりぬけ、その怪盗は颯爽と盗みを果たし、青く澄んだ月夜、氷河に浮かぶ宝石のような夏の楽園を飛び越えていく。
一夜限りの空中散歩。眼下に広がるのは幻想的にライトアップされた氷の城や花畑。聖杯と共に盗み出された少女は、聖杯怪盗の胸に抱かれ、囁かれる言葉に再び心を奪われるのだった。
「如何でしょう、マスター?」
「まあ、悪くはないかも……って!さりげなく聖杯を持ち出すな!」
ちょっと格好良いかもと思ってしまったが、絶対に調子に乗るので黙っておく。
第一、多かれ少なかれ苦労して回収した聖杯をそんな保管の仕方するわけがないだろう。オマケだとしてもこんな茶番劇、新所長が黙っていないのでは?
「残念ながら新所長は今もホットドッグの屋台にかかりきりです。怪盗たるもの、下調べに抜かりはありません」
得意げな顔で言ってのける天草。指を口元に当て、立香に一歩歩み寄る。
「さて、真名を名乗り終わったところで。密やかに盗み去ってしまいましょう。まずは……」
「天草がこの微小特異点に来てたのは皆知ってるよ」
「……なっ?!」
「天草、結構前から入園してたよね?」
しかもマシュとの自由時間を邪魔しないように、こんな時間まで声もかけないで。
「よくご存じですね……はははっ……。まあ、そこまでバレてしまっているのであれば。マスター、今日はまだ自由時間なのでしょう?」
「わかったよ」
ありがとうございます、と帽子を取って軽くお辞儀をする聖杯怪盗。
「着替えるから、少し外に出ててくれる?」
「いつの時代も、ヒーローは憧れの存在ですね」
二人は城門前広場に設えられたステージのベンチに座り、ヒーローショーを観覧していた。傍らには、開演前に買い込んだフラッペに焼きそば、新所長謹製のホットドッグ。
耳をつんざくような爆発音と共に、ヴィランの手下役が退却。今回のヒーローもといヒロインⅩⅩは高らかに口上を述べ、ヴィラン『天空と冥界の女王』との最終対決に臨んでいた。
「良い子のみんなー!一緒にヒロインⅩⅩを応援しよう!応援アイテムは持ったかな?せーのっ!」
「がんばれーっ!!」
シロクマや海鳥といった観客たちが「銀河警察」と書かれた銀色の槍型スティックバルーンで拍手をし、声援を送っている。
「マスターもグッズを購入なさっていたのですね」
「あはは、雰囲気にのまれて、つい」
周りを見回すと、ヒーローを模した格好の動物たちが楽しげに歩いていた。柄からネオンのような緑の光が伸びる剣を持っているのは、某宇宙戦争のヒーローだろうか。セーラー服のようなカラフルなリボンを胸元に着けている子もいる。その傍には仮面をつけて黒いマントを羽織った……。
「……天草、もしかしてキミも」
「何のことでしょう。マスター、折角買ったフラッペがとけてしまいますよ?」
促され、フラッペをスプーンですくって口に運ぶ。冷たい甘さとバニラとミントの香りが口の中に広がる。
「…………」
「サンタアイランド仮面、参上ーっ!はぁぁぁーっ!」
「……おや、聞き覚えのある口上が」
「やっぱり!!あーまーくーさーしーろーう!」
「はい、貴女のサーヴァント、天草四郎時貞です。如何なさいましたか?」
薔薇の黒鍵、アマデウスの仮面、プラスチック製の日本刀、子供用の聖書、コンたちに持たせた小型パイルバンカー等々。ヒーローグッズを取り扱う屋台にさりげなく陳列された武器の数々に、溜息を一つ。
とりあえず洗礼詠唱セットだけは販売停止にさせたが、あとはそれなりの売れ行きのようだったため、一旦そのままにしてもらうことにした。
「マスター、よくお気付きになりましたね。私など、古今東西の英雄の中でも大した知名度もないというのに」
「天草もヒーローだよ」
「おや、ありがとうございます」
「天草、わざとパークニュースに掲載されるために鬼屋で洗礼詠唱使ったんじゃないの?」
「さて、どうでしょうね」
天草は立香を試すような声音で続けた。
「マスター、どうしてあのニュースが私のことだと思ったんです?私でなくとも、聖堂教会に属する一部のサーヴァントにも、洗礼詠唱を使える者はいるでしょう」
「それは……!」
思わぬところを突かれ、言葉を失ってしまう。天草の言う通り、本当に別のサーヴァント――例えばカレン、あるいは、あのラスプーチンだったとしたら。
屋台で激辛料理を嗜む様子がパークニュースに出ていた時点で、あの男を捜索するべきだったのではないか。汎人類史を取り戻すという、何よりも優先されるべきミッションを達成するためには。
任務も忘れ、頭がいっぱいになっていた。他の誰でもなく、天草のことで。
――パークニュースに一度出ただけで、ずっと気になってしまうくらいに。
このタイミングで、そしてその当人の前で気付かされ、それ以上言葉が続かなかった。
「私というのは、正確ではありませんね」沈黙を破るように、天草が口を開いた。
それは昔、サンタアイランド仮面がこのアークティック・サマーワールドに呼ばれたばかりの頃。通りがかった屋敷の前で、聞き覚えのある少女たちの悲鳴が聞こえたのです。明らかに邪悪な死霊の気配がする屋敷を覗くと、ロジカルなサンタを目指すいたいけな少女とその友たちが恐怖に怯えていました。
「お師匠さんっ……!」
「たすけてーっ!」
今にも少女たちを喰い殺さんと、襲い掛かる魑魅魍魎。サンタアイランド仮面は、高潔な聖職者(もどき)として禁断の詠唱を始めます。
――私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒やす。
――我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない。
詠唱と共に投擲される薔薇の黒鍵は死霊を縫い付け、焼けこげるような匂いが暗い部屋に立ち込めます。そして、結びの言葉と共に、邪悪な魂は消え去ったのです。
――この魂に憐れみを
「やっぱり天草じゃん」
「違います」
大真面目な顔で語る天草に、思わず笑いが零れてしまう。ついでに買った黒鍵型のスティックバルーンで、天草の身体を小突く。
「あいたたた」
風船のように心の奥で膨らんでいた気まずさが、ぱちんと弾ける音がした。
誰かのためを思って成されたこと――マシュの言葉を不意に思い出す。
このアークティック・サマーワールドは、それぞれが誰かを喜ばせたい、幸せにしたいという気持ちから始まった。それが多少空回りしてトラブル続きだったけれど、それはそれで。
天草もいつも、誰かのことを想い続けている。誰もが膝を折って諦めてしまう、遠い星に手を伸ばすように。ある時は自分を慕う少女のためであり、あるいは、彼自身も会ったことすらない、全ての人々のためであり。
サバフェスのときも、いつも最後に本を買いに来てくれたっけ。
「ありがとう、天草」
いつの間にかショーは終わり、観客たちはステージ周りの屋台に列を作っていた。閑散としたステージ前のベンチ。誰も、わたしたちのことなど気にも留めていない。音もなく、まるで時が止まったかのようだった。
「貴女だってそうでしょう。誰かのために、自身の命を削り続けているのは」
天草の視線が、水着姿の立香の身体に移る。むき出しになった白い腕や脚には、小さな傷跡が無数に残っている。擦り傷、切り傷、活性アンプルの注射痕。度重なる凄惨な戦いが思い出された。水着になるのを躊躇していた一番の理由だった。
「今日くらいは、私に任せて頂けませんか」
水着から元の礼装に着替えると言った立香を止めたのは、天草だった。
そっと立香の手を取り、褐色の指が、白い腕の傷跡をなぞる。
「数多の英雄から、俺を選んでくださった貴女のために。この真夏の楽園に宝石の如く散らばった、楽しいこと全部。余すところなく、かき集めてみせましょう。……立香」
名前を呼び終わる前に、天草の顔が近付く。ほんの一瞬だけ、その唇が触れあう。
「…………っ!」
「どうしました?随分顔が赤いですが」
「誰か見てたらどうするの!」
「ふふ、楽しいですね。次はどこに行きましょうか?」
夏休みはまだ始まったばかりですよ、とその英雄は唯一無二の笑みをくれたのだった。
(終)