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    maeda1322saki

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    maeda1322saki

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    星屑荘の第2

    『幸゛せだなぁ』
    カチ…カチ…
    『嬉しなぁ』
    カチ…カチカチ…

    蛙のような形。人よりも何倍も大きな図体をしたその肉体。
    その身体を支える手足とは別に存在する腰部、頭部から生えている虫の脚らしきものは、さながら其奴には触覚のようなものなのだろうか。
    言いようの無い程に気持ちの悪い其れに、唯一の救いがあるとするならば全身が漆黒であり、細部がよく見えないことだろうか。
    見える場所といえば、頭部の触覚の先についている四角いパーツである。
    まるでパズルのピースのように散らばった人間の顔面を、その鬼は持っていた。

    カチ…カチ…と音を鳴らして、鬼はパーツを自身の頭部に埋め込んでいく。
    目尻、鼻腔、口唇の残りの一部がカチ、カチ、とセットされれば、漆黒に浮かび上がる笑った人の顔が出来上がる。

    『カ、カ、神゛は、居るもだなぁ…』

    まさしく化け物といった低いしゃがれ声。それとは相反したおかめのようなその顔は、目の前に立つ獲物『吉備回子』を嬉々として見下ろしていた。

    ――

    鳴り響く心臓の警笛、それに合わせて上がっていく己の呼吸。自身の冷や汗が顎を伝い落ちた時、回子は一人悪態を吐いた。



    この星の世界に連れて来られてから数日。
    此処に来てからというもの、回子の生活は一変していた。お付きの悪魔が居ない事もそうだが、一番は鬼や妖怪など脅威となる存在を一歳感じない事だった。
    颯馬さんやローレンスさんと暮らし始めて、まだお互いに壁は感じるものの命の危険がなく、誰からも疎まれないその生活はまさしく平和そのものだった。こんなに平和な日があるのか、夢なんじゃないかと疑ったぐらいである。

    そんなある日のことだった。

    ”それじゃあ〜初クエストよ♡“

    初めてこの世界に連れてこられた時に見た男達が、機体に乗ったメンバーを見てそう言った。突然の浮遊感に襲われた回子は、瞬く間にこの上も下も砂漠しかない世界に連れてこられたのだ。
    目を開けた時には自身が乗っていた機体は無くなっており、いつの間にかにこのステージに立っていた。

    このステージの天井にも地面と同じような砂漠が広がっている。その両方の地面の中心部には大きなガラス張りが施されている。まるでアニメに出てくるかのような魔法陣が描かれた透明なガラスの下には、星が瞬きゆっくりと流動していた。

    中心部と表現したのはこのステージには壁が存在するからだ。上も下もごく自然な砂漠にしか見えないものの薄らとだが、確かに四方は白い壁で囲われているようだった。
    そこから微かに何者かの気配がする。一人二人ではない、恐らくもっと多くの群衆に近い人の群れだ。おそらくそれは、観客か、または観測者といったところか。

    このステージの中心部にあるガラス。その上に立って居たのは、黒色で長髪の女言葉を使う男、アヤメだった。

    「そう警戒しなくてもいいのよ。私は貴女を取って食ったりはしないんだから」

    扇子を閉じてアヤメは、コツコツとヒールを鳴らしながら前に出る。

    そう言われて、はいそうですか。と警戒を緩めるわけもない。ローレンスさんでは無いが噛み付くぐらいの警戒はしてしまうというものだ。
    この目の前の人物が戦犯であることは、この世界に来た時から分かっているのだから。

    「どうして此処に僕を?説明してもらおうか」

    「あらぁ?タメ口?あの二人には敬語を使ってるのに、…まぁいいわ。 言ったでしょう?クエストよ。記念すべき、初♡ク・エ・ス・ト♡」

    クエスト…。あの時言っていたことかと思い出す。

    「なるほど、あの塔のゲージを貯めるためのクエストがこれだっていうのか」

    回子は嘲笑の笑みを浮かべると「さながら、僕は見せ物と言うわけか」と呟いた。

    アヤメは「大正解〜♡」とウィンクをした。

    「ちなみに、クエストをクリアしないとゲージは溜まらないわ。いくらクエストをこなしてもクリアしなきゃ元の世界には戻れないってコ・ト♡」

    いまだにアヤメのノリについていけず、眉を顰める。

    「で、そのクエスト内容は?」と問いかけると、アヤメはにっこりと「身体測定よ」と言った。

    「身体…測定…?」

    「そう。私たちも含めてみんな貴女達がどんな人間か、どこまで動けるか把握したいのよ。それに、…みーんなの能力がどんなものか気になるしね♡」


    アヤメは扇子を開いてゆらゆらと扇ぐと、口元隠すように扇子をあてがう。

    「…だから、存分に逃げ回りなさい♡」

    妖艶で不敵な笑みを浮かべたアヤメは、そういうと砂塵となり霧散して消えた。そこに残るのは、耀う小さな星屑だけだった。



    一連のことの始まりを思い出した回子は、忌々しいといったように大きなため息を吐いた。
    『――゛った…』『…言゛た゛』と不気味な声に意識を鬼へと戻せば、鬼は顔面を楽しそうに左右に傾けていた。

    ガラスから召喚されたこの鬼は、回子の香りを辿り回子へと顔を近づけようと身動ぎする。
    一歩、一歩と回子が下がるたびに奴の顔は少しずつ近づいてくる。だが、この鬼はうごうごとするだけで速さはないように思えた。

    『好゛きにして良いと言った』

    走れば逃げ切れるだろうか。逃げ切ることがクエストクリアの条件ならば、きっとーー。

    『神゛は言った。キビの血゛のノ飲んで…良いって、』

    足に力を入れる。走り出そうとした、その瞬間。

    『…言゛た゛だ゛ー゛ーー』

    「――っ!!」

    回子の視界を埋め尽くすかのように目の前にある成人男性ほどの大きさの顔面。

    目を見開いて息を呑んだ回子は、仰け反る勢いで後ろへと倒れた。
    それを嘲笑うかのように鬼は顔面を左右に一回ずつ傾ける。カチ、カチと壊れたロボットのように動き、そして再度ゆっくりと首を傾げる。

    ――カチ。

    『タノしいをする。役目。タシイすれば良゛。すれば、俺゛、何をしても良いって言゛って゛いたんだよなぁ。だから、ぉ…ニ、鬼オニ゛鬼、鬼ごっこを、しよ』

    おかめの動かない唇からは生暖かく、死臭と桃の香が混ざり合った悪臭を感じる。それはこの鬼が以前、吉備を食べたという証拠に他ならなかった。
    鬼の狙いはやはり吉備の稀血である。強い霊力を、桃の呪いを嗅ぎつけ、味を占めた鬼である。

    「…鬼ごっこ…?」

    『ソウ。オニごっこ、』

    しよう。と鬼が言った途端、地響きと共に地面が動き始めた。うねり始める地面からなんとか立ち上がり後ずさる。
    その時、地面から勢いよく土柱が出現する。乾いた土埃を立ち上げながら、鬼を丸々隠してしまうほどの高く大きな土柱。
    一つ、二つ、と回子の足元を狙うように出現する土柱を避けつつ走り出すも、鬼は回子を追うことはしなかった。
    土柱の影に消えていく鬼はただじっと回子を楽しそうに見つめているだけだった。

    ――――


    出現する土柱からひとしきり逃げ切り、最後の土柱を避ければ先ほどとは打って変わって静寂が訪れる。
    回子は身体の土埃を払って、周りを見渡す。まっさらな砂漠があるだけのステージだったそこは、土壁が張り巡らされた迷路となっていた。

    だが、土柱が出現する前のあの鬼の速度で来られれば、回子は呆気なく捕食される事は目に見えている。決して広いとは言えない道幅に、曲がり角の先が見えない道。あの速度で追いかけられれば撒くのは至難の業である。
    だが、それは鬼も同じではないだろうか。回子よりも何倍も大きな図体では迷路の道は狭いだろう。ゴールが定められているわけではない。だが、クエストクリア条件だけは確かにある。
    敵から逃げ切ることだ。

    "鬼ごっこをしよう。" あの鬼の言葉が頭の中で反芻する。

    つまりは、逃げ回るしか方法は無いということだ。



    「……っ」

    “イーーーチ゛”

    “ーーーぃ”

    鬼の数える不気味な声がする。鬼ごっこをしているのだろう鬼の数える声だ。
    十まで数え終えたら、鬼は追ってくるのだろう。
    その声から逃げるように回子は走り出した。

    「はぁっ!はぁっ!!」

    遠くへ、もっと遠くへ。敵が追いつけない程に。
    砂埃をあげて音から離れるように走り抜けた。
    角を曲がった先にあったのは直線の道。3mほど離れた先にはまた先の見えない曲がり道はある。
    息の上がった呼吸を整えるように、回子は足を止めて壁に手をついた。
    何度か大きく呼吸を繰り返して、ゆっくりと足を進めた。

    ここまでどれだけ走ってきたのだろうか。鬼の数える声はもう聞こえず、物音ひとつしない。
    道にさらりとした乾燥した風が吹き、回子の頬を撫でた。汗ばんだ首元が冷えて気持ちいい。

    「鬼ごっこなのに、追ってこないのか…?」

    もう数字を数え終わっているなら追って来てもいいはずだが…鬼の気配は全く感じない。
    不思議に思いながら足を進めれば、もう少しで曲がり角だ。
    再度、敵が追ってきていないか確認しようと回子は後ろを振り返った。

    「――ぇ…?」

    3mほどの直線が続いていたはずのそこには、1mほどの道しか存在しなかった。

    「なんで…」そう呟いた時、風が回子の頬を撫でた。
    それは明らかにおかしい風向きだった。
    3mの直線があったこの場所には、回子が向かおうとしていた曲がり道以外に道はなかったはずだ。
    だが、回子をなでる風は明らかに真横からの風向きである。

    風を辿るように首を動かす。
    そこには、あるはずのない道が存在していた。
    4m先に見える曲がり角。たった今、この迷路は形を変えたのだ。
    いや、今までもそうだったのかもしれない。回子が走ってきた道が今もその形を留めているとは限らない、回子が走ってきた道もそれ以外の道も、今現在も迷路の道が形を変えているのかもしれない。

    戸惑いつつも今出来た新しい道に足を進める。
    壁に指を這わせればパラパラと乾いた土が落ちていく。今まで走ってきた道と何も変わらないように見える。
    足を進めつつ後ろを振り返ってみても、道に変化はないままだ。
    曲がり角まできても道に変化は起きなかった。 

    曲がり道に進むか、と考えていれば先ほどと同様の乾いた微風が吹く。
    風を追うように曲がり角へと顔を向ける。

    「…? …壁が…」

    曲がり角の先にある道の壁がゆっくりと動き始める。パラパラ…と砂を落としながら土の形は姿を変えていく。
    その時である。土性の槍が一本壁から突き出して反対側へと刺さった。
    シュッと微かな風を切る音だけがしてまた一本、また一本と土の槍が突き出していく。次々に出てくる無数の槍が通路を埋めて回子の方へと迫っていく。
    ――巻き込まれるッ。
    回子は慌てて後退りをすれば、槍はそれ以上通路から出る事はなく止まり、いつのまにか目の前には土の壁ができていた。

    「…トラップか…」

    先ほどもそうだった、風が吹いた後に迷路は形を変えた。それがトラップのサインなのだろう。
    迅速に判断を下し逃げなければ、このクエストはゲームオーバーだろう。ゲームオーバーで済めば良いが、最悪のことを考えればアイアンメイデンのように串刺しになって死ぬだろう。

    「つまりは、敵はあの鬼だけじゃなくて、この迷路もってことか」

    カチカチと音を鳴らしながら回子を探すあの鬼の声がする。
    迷路の形が変わり、鬼が近くに来ているのかもしれない。
    逃げなけらばならない。



    また、同じような気分だ景色が続く土の迷路をひた走る。
    再び走り出してからどれくらい時間がたっただろうか。上空にある砂漠からは、今が昼なのか夜なのかも分からない。時計もない場所では、実際にはどのぐらいが経過したのかも分からない。
    いつまで逃げ切れば良いんだ……そう考えた時、前方の曲がり角に人影があることに気づいた。

    「え……?」

    この場所に人なんているはずがない。いやそもそも人影というには大きすぎるそれは明らかに人間ではい。

    ――カチ…カチ…

    「――っ!!」

    鬼だ。ついに鬼と対峙してしまった。

    来た道を引き返し走る。
    向かい風を感じて回子は舌打ちをした。
    振り返った道には追ってくる鬼の姿と、盛り上がっていく砂が見えた。
    迷路の道がまた変わり始めていっているのがわかる。
    曲がり道に飛び込むように逃げ込むと、迷路は槍で埋め尽くされ土壁によって壁が作られる。道が変わったのだ。
    だが、休んでいる暇はない。
    回子はすぐさま立ち上がると走り出す。
    その瞬間、回子の後ろに鬼が駆け込む形で追いかけて来た。
    勢いをそのままに回子にかぶりつこうとした鬼は、轟音と共に壁にぶつかり砂埃を充満させる。

    カチ…カチ…と“笑顔”から“泣き顔”に変えた表情は、又すぐに笑顔に戻ると蛙のようなその身体を立ち上がらせる。
    ズシズシと音を立てて数歩助走をかけ、勢いよく走り始めた。
    大きなその図体を壁に擦り付けながら迫るその姿は気持ちが悪い。
    迷路を駆ける回子を追うように壁を蹴り上げ、地を蹴り上げる。

    「ッッくそ…!」

    迷路の曲がり角に勢いをころさないまま、角を掴んで遠心力の力で道を曲がる。そのすぐ後に鬼は壁にぶつかりながらも回子を追いかける。

    何か策を考えなければすぐに喰われてしまうのは明白だ。
    そう思うものの、ここにあるのは砂と土の迷路だけ。武器もなければ、魔法の箒もない。あっても回子には使えないが。

    そう思いつつ走り逃げるも最悪なことに、辿り着いた道は曲がり角まで何mもある直線の道である。
    今までは曲がり角に鬼がぶつかることで時間稼ぎができていたが、直線となれば鬼が追いつく速度のほうが早いだろう。

    「…最悪だ」

    だが、諦めるわけにはいかない。
    颯馬さんも、ローレンスさんもきっと元の世界に帰りたいだろう。帰してあげたい…。
    颯馬さんが作る料理は美味しくて、ソファーで寝てるローレンスさんを颯馬さんと二人で見て微笑ましくて笑って、僕が困ってたら助けてくれて…。クエストに力になれないって僕が言った時だって、ローレンスさんは“足手纏いだなんて考えるな”って言ってくれた。
    彼等に応えたい。
    僕がクエストをクリアすれば、彼らが帰れる可能性が増えるんだ。

    「僕は我儘なんだ。諦めたくないんだよ」

    地面を蹴り上げて走り出す。

    …カチ…カチ……

    鬼の音がする。もう追ってきたのかもしれない。

    「振り返るな、ただ走るんだ」

    自身の覚悟と比例して、桃色の髪色が濃くなり匂いがキツくなっていくのが分かった。

    『……、ぃ、ぃいニオい…桃゛、も…も…ぉ、おれノ餌なんだよなぁ』

    ドンッと鬼が走り出す音がした。
    その瞬間、回子の全身に影が落ちる。すぐ真後ろに鬼のおかめの顔があった。

    「早い…っ!!」

    おかめの顔の下、黒い身体が半分に分かれて大きな口が出現する。大きく開けられたそこには無数の鋭利な歯が存在していた。
    喰われてしまう。
    そう思った時だった。

    キーンと機械的な高音、且つ不快なハウリングが響き渡る。
    ――ゥウウウウウゥゥゥゥ……………!
    突如、湧き上がるようなサイレンの音が鳴り響く。耳をつんざくような音量で響くそれは、このステージ上の全域に広がるように鳴っているようだった。

    鋭い歯に切り付けられた肩は軽い外傷を負うも、サイレンのおかげで注意が逸れる。咄嗟に耳を押さえた回子は鬼を見やる。だが、驚くことに鬼の身体は回子より離れた上の位置に存在していた。

    『ぁれ…?』

    首を傾げる鬼。その近くにパラパラと砂が上空に浮かび上がっている事に気がついた。
    回子の体も同じく浮かび上がっていく。
    いいや、違うと回子は上を見上げた。

    上空にある砂漠。その場所に此処と同じような迷路が次々に生成されていく。
    天と地が逆さまになる感覚が全身を襲う。
    回子が今まで立っていた場所は、今から上となるのだ。

    「落ちる……、ッッ」

    回子と鬼は重力に引っ張られるように砂漠迷路に落下する。
    乾いた突風が回子と鬼を遠ざけるように吹き荒れる。
    回子は今まで上にあった砂漠迷路に地面に叩きつけられる未来を想像していたが、その思いとは反して回子はゆっくりと浮遊するように着地したのだ。

    ――

    ここの仕掛けはとても悪趣味だ。人も鬼も翻弄して楽しんで、掌で踊らされているのは明らかだ。
    危機になったらチャンスを与え、チャンスが来たら危機を与える。観客のための劇を僕達は踊らされているのだ。
    上にある迷路は今もなお風を先頭にして形を変え続けている。下から見れば変わっていく姿がよくわかる。先ほどまであそこに居たなんて、信じられない。
    きっとこの迷路も、自分たちがやってきたことで始動するはずだ。

    乾いた熱風が背中から通り抜ける。
    先ほどまでの風とは違う、力強い風がこれから襲い来るであろうものを予想させる。

    「やっぱりな…っ」

    苦笑と冷や汗がその表情に滲んだ。
    回子が後ろを振り向けば、槍はどんどん成形され突き出されていく。迫り来る土の槍から逃げるため、回子は走り始めた。
    だがいくら走っても槍が終わることはなかった。
    先程までは通路を曲がれば槍の襲撃は終わっていた。だが、今は通路を曲がろうとも、どれだけ走ろうとも槍は落ち着くことはなく、その間も熱風は吹き続けていた。

    「キリがない……!」

    幾度と繰り返される槍の襲撃にやがて疲弊しきった頃、壁の槍は熱風が止むと同時に静まった。
    やっと休憩が出来る、と壁に手をつきながら地面にへたり込む。次の熱風までどれくらいあるだろうか、次が来るまでにどれだけ体力が回復出来るだろうか。鬼は離れた場所へ飛ばされていたはずだ。此処に来るにはまだまだかかるだろう。
    そう考えながら、回子は少し休もうと目を閉じて壁に頭を預ける。
    だがそれは間違いだったとすぐに気付くことになった。

    ドゴォンッと轟音が鳴り響く。土の壁が破壊され、土煙が舞う。
    破壊された壁から現れたのはあの鬼である。破壊された壁を見るに通路を使わず、壁を壊して追ってきた事がわかる。
    その姿は、前よりも随分大きくなっていた。

    回子は自身の肩の傷を抑え「やっぱり、嫌いだ。吉備の血なんて…」と呟いた。
    回子の“吉備の血”を摂取した鬼は、さらに強い力を手に入れた。それにより、追いかける方法も変えたのだろう。
    楽しそうに笑うおかめの顔が憎たらしい。

    逃げなくては…!と全身に力をいれるも体力の限界が近づいている身体では上手く逃げ出す事ができず、足がもつれる。
    鬼から舌舐めずる音が聞こえた時、回子の体は衝撃とともに傾き、右腕に焼けるような痛みを覚える。
    鬼の触手が右腕を貫通し、めり込んでいっているのだ。

    「…ッあぁ!」

    そののまま腕に巻きついた触手は回子を持ち上げる。片腕だけで吊るされた身体は重力に引っ張られ、下へ下へと降りようとする。その度に触手の貫通した傷口はその肉を大きく広げ、血が溢れ出す。
    一滴、一滴、血が垂れるたびに桃の香りが広がっていく。回子が痛みに叫ぶたびに、鬼の笑みは深みを増していった。

    『イ、イィ匂゛イ、…チカの匂い…』

    嬉々とした声色で鬼は何度もイイ匂イとそう呟き、回子を自身の真上まで持っていく。
    痛みで身体をもがくたびに血は溢れ出していく。
    大きな口を広げて、ぽた、ぽた…と垂れる血を味わうと、鬼の身体はみるみるうちに黒色から白へと変わっていく。
    蛙のような身体はまるで人のような手足へと変わり、頭部には大きな角が二本、背骨は大きく尖り突き出るように生えた。
    地の底から湧き出るような感嘆の声が、ビリビリと空間を揺らし回子の身体を震わせる。
    糸が解けるように触手は回子を手放した。浮遊感に襲われ熱風が身体を通り抜ける。落下する中で回子が見たのは歪な多量の歯に挟まる桃色の毛と赤黒くなった死臭を放つ肉片。その中心にある真っ黒な鬼の口内だった。

    これが本来、真っ当な吉備一族の末路だ。
    鬼に喰われる。悪魔に、神に、天使に、妖に喰われる。贄として、契約として、又は襲われて。どんな形であれ、吉備の一族はそうして食べられ続けてきた。こういう最期は実に吉備の血筋らしいと回子は他人事のように思った。

    「だけど、それは今じゃない」

    そう、他人事なのだ。これは自身の最期ではないのだから。

    上空から見える迷路は次々に形を変えていった。音もなく変わり続けるその迷路はついに此方の方までやってくると、その無数の土の槍を突き出す。
    破裂音とともにズシャアッッと衝撃音が響く。無数の槍に身体を突かれた鬼は悲鳴を上げ、のたまった。もがき槍から這い出ようとする鬼を迷路は知らぬ顔で土の壁で塞いだ。
    ト…と迷路外壁の上に着地した回子は、この迷路全体を見渡すことができた。迷路の端で熱風が吹き、形を変えていく様を見つめる。

    「案外、小さい世界だな。ここは」

    迷路の中心部に位置するガラス張りの箇所をみつけると、やっぱり。と回子は呟いた。
    あそこだけは迷路になっていなかった。きっと、あそこなら土の槍は出現しないだろう。

    地震のような揺れが地面から感じられ、回子は「行くか」とガラスの方へと駆け出した。
    その瞬間、先ほどまで回子が居た場所は吹き飛び顔を覗かせた鬼は、天高く見上げ咆哮を放つ。
    風が揺れ、地鳴りが外壁の砂をパラパラとおとしていく。

    「あれで死ぬとは思ってなかったさ」

    迷路を壊して追いかけてくる鬼に向けて、回子はただ前だけを見据えてそう言い放った。


    鬼が壊した迷路によって、砂埃は舞い続ける。
    このステージを見ている観客、あの二人からしたら今のこの現状はさぞかし面白いものだろう。クエストの最高潮だ、逃げ切るか、喰われるかの境目なのだから。
    だが、何をもってのクリアであるか自身は知らない。ならば、終わりを作って仕舞えばいい。

    鬼ごっこという遊びは、❶オニを1人決める。 ❷子の逃げられる範囲を決め、オニは子を追いかける。これがルールである。

    あいつが追う側の鬼。僕が追われる側の存在。それに突如、何も知らない第三者が現れたら?第三者が遊びをめちゃくちゃにしてしまったら?
    それはもう、鬼ごっこでは無くなるのだ。
    ガラス張りの目の前まで辿り着いた回子は、他人事のように追いかけてくる鬼を見据えた。
    髪と目は綺麗な桃色に染まり、桃の強い香りがステージ中に充満し、咽せ返るような甘い香りが漂う。

    鬼は大きな手足を振り上げ、外壁の上を走る回子へと手を伸ばすように登る。『桃゛、も…も…ぉ、おれノ餌゛ァァ!!』と声をあげ手足に力を入れて大きく口を開くと、目の止まらぬ速さで駆け出した。

    「そうだよ、僕は餌だ。だけど、お前には食べられてやらない」

    同時に、回子はその身体を地面へと身を投げた。
    回子の上を皮一枚ほどの距離で鬼が通りすぎた、その瞬間。

    ――鄒主袖縺励◎繝シ

    人の声では言い表せないほどの低音で滑りのある声が、まるで風が吹くかのようにステージ上に木霊する。
    人には聞き取れない、人智を超えたもの。それがガラス一面にギョロリと目玉を覗かせる。

    鬼が首を傾げた時、ガラスに着地するよりも早くガラスからは無数の棘が吹き出し鬼を串刺した。断末魔をあげる鬼の口からも無数の棘が吹き出し、鬼の身体は棘に引き裂かれ見る影もなく散っていく。

    回子が地面に着地すると、ステージは端から端まで黒い棘に覆われていた。ガラスを突き破って出てきたのは先ほどの鬼とは比べものにならないほど大きなヘドロ状の腕である。

    ――鄒主…袖縺励◎繝シ…鄒…主袖縺励…◎繝…シ

    地面がひび割れ、どろりとした死臭を放つ液体が吹き出る。新たな凶悪な鬼がガラスから這い出ようとしている。
    地面を引き裂き頭の半分まで出した鬼はギョロリとステージを見渡した後、回子を見据える。

    ――逾槭…謐ァ縺堤黄……繝吶…繧シ繝悶ヶ縺ョ鬟溘∋…迚ゥ

    「奴らが用意した鬼は退治した…ざまぁみろだ。この鬼は僕が呼び寄せた鬼で、このクエストには関係のないものだ。つまり…あんた達に何が言いたいかっていうと、このクエストは僕の“勝ち”だ」

    これで、ゲージは増えるだろう。ローレンスさんや、颯馬さんを元の世界に戻す手助けが少しだけれど出来たと思う。

    回子はそうほくそ笑むと瞳を閉じた。

    鬼の大きな腕が振り上げられ回子に影がかかった。



    「これじゃ、鬼ごっこにはならないね」



    柔らかく温かみがありながらも、力強さを感じさせる声。男性か女性か声だけでは判別しにくい、そんな特徴的な声がステージに静かに響く。
    乾燥した大地から立ち上がる微かな香り、熱、がゆっくりと皮膚掠める。
    ゆっくりと目を開けば、目の前は微かに霧がかかったように砂埃がフィールド全体を漂っている。
    迷路の土壁は跡形もなくなり土砂と成り変わった砂は、回子の周りを避けるように地面全体へと広がっていた。
    部屋全体を覆うように這いずる棘。それを喰らい尽くす勢いで土は侵食を始める。バラバラに解体された棘は黒い切れ端となり土に埋もれていき、姿を現した禍々しい鬼は土に埋もれまいと腕を振り上げる。黒く変色した土が飛び散り、荒々しい土砂が壁を抉り白い壁を次から次へと汚していく。その様はまるで津波の後のようである。
    それでも鬼は踠き、抗い、回子へと腕を伸ばす。

    ギョロリとした目と視線がぶつかる。ゼリーのような弾力のある白目に深淵を閉じ込めたような黒目が滑らかに揺れる。

    ――蜉帙′、縺サ…谺イ縺励、逕溘″縺…縺

    命乞いに似た言葉が届く。地響きに似た呻き声が空気を揺らしていく。
    回子が口を開きかけた時、肩に手が添えられ其方を見上げる。
    そこには、天土トキワがいた。どこか憐れみを含んだ瞳を鬼に向けた彼は「あれは部外者だよ、耳を傾ける必要もないよ」と腕を上へ翳した。手招きをするようにゆっくりと指を閉じる。
    ぱらぱら…と上の迷路から砂が落ち、土が滝の如く鬼へ降りかかった。

    飛び散る砂が回子とトキワ避けていく様子を回子はただ黙って見つめる。
    そうしているうちに鬼は砂に飲み込まれ、跡形もなくその姿を消滅させた。

    ――

    「“物は言いよう”ってのはこの事ね」

    背後から聞こえるアヤメの声に振り返る。
    アヤメは、トキワを睨みつけるように一瞥すると回子へと視線を移す。

    「おめでとう、アンタの勝ちよ」と軽く拍手を送ると、すぐに腰に手をついた。

    「言葉と仕草があってないね?」

    「そうね、私は吉備回子がクリアしたなんてこれっぽっちも思っていないもの。ホシガミ様が提示したクエスト条件は未達成。その上、第三者の鬼の召喚に、天土トキワの助力をもらうなんて…私からすれば負けだわ」

    「第三者の介入は…僕のせいじゃないだろ」

    アヤメはハ…と侮蔑するように笑みを浮かべる。

    「しら切る…ね。いいえ、アンタは出来るわ」

    「証拠はないだろ」

    「証拠なんて必要ないのよ、私はアンタと同じ世界から来たのだから。アンタの事はよ〜く知ってるわ。式鬼家当主、式鬼アヤメとしてね」

    冷ややかな視線を向けてそう言い放った。

    回子は目を見開く。

    「でも、喜びなさい。ホシガミ様は面白かったからってクエストをクリア判定にされるそうよ」

    「良かったじゃない」と髪をかきあげ、踵を返す。
    「あぁ、そうそう」と振り返ったアヤメは笑顔で「次やったら私も容赦しないから♡」と言って星を残して姿を消した。


    緊張の糸が取れて回子の口からため息が溢れる。

    クリアをした。そう思うとドッと疲労が押し寄せる。
    全身の力が抜け、ぼやける視界の中、クエストを行っているであろう二人を思った。


    ――――

    “面白いねぇ、楽しいねぇ”
    “追いかけっこって言うんだって、鬼って言うんだって。鬼がまた出てきたね、鬼で遊ぶなんて面白いね”

    小さなぬいぐるみのような神と呼ばれる存在。ホシガミの寄宿は、嬉々として観戦をしている。

    “食べられちゃうかな、壊れちゃうのかな”

    前のめりになって見つめてはしゃぐ姿は、本当に子供のようであり、その倫理観のない内容は子供の言葉とは到底思えない。

    “人間しゃん、いたいいたいなの!可哀想なの!クエストクリアにしてあげるの!”

    はわわ〜と眉を下げるホシガミはリュンクスという神であり、こっちの方が些か人道的にも見える。

    “うん、うん!そうだね、楽しかったね!クエストはクリアだね、クリアにしちゃおうね”

    クエストクリア。そう聞いて眉を顰めたのは式鬼アヤメであった。

    「ですが、これは立派なルール違反ではないでしょうか?」

    “ううん、そんな事ないよね。ないよ。僕達はクリアが良いんだもん、クリアが良いんだよ”

    アヤメは「…わかりました」と身を引くも、その表情からは納得出来ていないことが伺える。

    トキワがアヤメに近づけば「何かしら」とぶっきらぼうに問いかける。トキワは困ったように笑うと「いや、先に謝っておこうと思ってね」と言えば、アヤメは訝しむように眉を顰める。
    リリーが二人を交互に見つめる。

    「何を…」と言いかけたアヤメの言葉を聞かず、トキワは一人その部屋を出た。


    トキワが向かった場所は、回子のフィールドであった。
    普通の人間であれば咽かえってしまうような桃の香りが空間に漂っている。
    お目当ての桃色の小さな女の子を見つけ、天土トキワは微笑を浮かべた。


    ――

    アヤメが去った後、回子はまるで糸が切れた人形のようにトキワに倒れ込んだ。

    「おっと」

    思わず肩を抱けば手には生温い血が付着する。その血液からも桃の香りが漂ってくる。

    「桃から生まれた桃太郎、ね。アヤメ君の言う通り、不思議な血筋なようだね」

    横抱きにして医療室に向かえば、回子の過去が少しづつ脳内をよぎっていく。
    あんなクエストでも涙も流さず、弱音を吐くでもなく走り続ける事が出来たのは、彼女の生い立ちに関係しているのだろうとふと思った時だった。

    「カイコ!!」

    聞き慣れた焦燥を含む声が廊下に響く。

    「ローレンス君、走ったら転ぶよ」

    「おい、カイコに何したんだ?!」

    ローレンスは顔を覗き込み、傷だらけの回子を見て息を呑んだ。

    「うん、良いところに来てくれたね」

    微笑をこぼすとトキワは、ローレンスに回子を押し付ける形で手渡す。

    「お、おい?!なんでこんな傷だらけなんだ…!」

    じわじわと肩に血が滲んでることに気がついたローレンスは、「何が起きて」と顔をあげるも、そこにはもう既にトキワの姿はなかった。

    奥歯をギリ…と噛み「…ックソ!」と悪態をつくと、医療室へと走っていったのだった。


    ホシガミの医療で回子の傷はみるみるうちに治っていった。だが、ローレンスには魔法であるのかどうかよりも、何故こんな小さな少女が痛々しい姿になっていたのかだけが気になっていた。
    クエスト…そう聞いていたが、まさか少女にまで傷を与えるとは思っていなかった。

    柔らかな桃色の髪を軽く撫でれば、「ん…」と声を漏らした回子がゆっくりと目を開いた。

    「ろーれんす、さん?」

    「起きたか…。大丈夫か?何があったんだ?」

    「クエストをしてて…、えっと、鬼から逃げるクエストを」

    「オニ…?モンスターみたいなものか?」

    回子がこくりと頷けば、ローレンスは前髪をくしゃりとかきあげため息をこぼす。

    「やっぱり、ろくでなし爺さんだな。あいつは」

    「天土トキワさんの事?」

    「他に誰がいるんだ。回子を連れ来たのもあいつだった、あいつがやったに違いないだろ」

    回子は静かに目を伏せて「違います」と小さく言う。

    「天土トキワさんは、僕を助けてくれたんです。むしろ、気をつけるべきは…きっと、もう一人の男…」

    「男女の事か?」

    訝しむように眉を顰めるローレンス。
    それに頷いて、窓の方へと視線を移した。

    「あいつは式鬼アヤメと名乗りました。僕の世界から来た式鬼アヤメ、本人であるならきっと、その主人は神様だと思います。そして、どんな事でさえ神の命令に従順になるはず。それこそ、殺しも厭わないだろうから…。…警戒するべきは、アヤメの方だと思う…」

    回子は「最悪だ…」と小さく呟いた。
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    sndnmsyr

    DOODLEENN組同軸リバ
    ストリートどむさぶ本の設定メモ
    ※後になって思い出しながら書いてるからうそ書いてるかも!
    ※もし今後続きを書くようなことがあれば本編に出してない部分の設定は適宜練り直す可能性がある。(なのでこれはだいたいこんな感じ、くらいのやつ)
    全体的に荘園軸に比べると全員が少しずつマシな感じに生きられてたらいいなという思いがあります。
    タイトルはノートンの他、その他名前のある登場人物すべてを指す。

    世界観としては、DomとSubは対等である(教科書にもそう書いてある)ような状況だけど、Glareがあったりする分どうしてもDom/Sub間ではDomの方が強くなりがち。歴史的にはDomの方が優位に立つことが多く、近代化に従ってSubの地位が見直されてきたといった方が正しい。だから教育環境があまり整備されていない地域や偏見が根強い地域ではDom>Subの力関係が残っている。
    ではそうかといってDomなら安牌なのかというとそうでもない。DomはDomで力の強い弱いがあるので弱いDomは肩身が狭い思いをしたりする。物語の舞台となる街は元々栄えていた土地が衰退したところにいろんなところから行き場のないDomやSubが流入し(最終的にはNeutralも)て身を寄せ合い、集団を作っていった感じ。
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