精瓶の蒼砂のまどへ
新緑の茂る森の奥地で、ひっそりと存在する洞窟がある。
かつて、その地はアズライトの採掘場として名を馳せた土地であった。今では、歴史の文献を探ることでしか、その土地の歴史を知ることはできない。
よって、このひっそりと存在する洞窟も、かつては坑内採掘場であったことが容易に予想できるだろう。
そんな地図からも忘れ去られた土地に、エルフと人間の2人の男が足を踏み入れる。
カラッとした夏日に目を細めながら、その洞窟を目指して、2つの足音は進んでいく。
額から流れ出た汗が頬を伝い、顎から滴り落ちるときには、その洞窟に辿り着いていた。
ゴツゴツとした岩肌がぱっくりと口を開けるように存在するそこに、二人は足を踏み入れる。
「ここが?なんとかってやつか」
「アルテル・カリエイス」
「そうだ、それ」
洞窟の中は真っ暗で何も見えない。数歩進めば、前も後ろもわからないほどに暗闇が広がる。
エルフの男は、手にもっていた杖を取り出すと光魔法で明かりをともす。
小さな明かりが2人の空間を少しだけ灯した。その瞬間、杖の明かりに導かれるように、洞窟中に小さな煌々とした光が灯り始める。
苔が生えた洞窟内は、その地特有のアズライト鉱石が少し顔を見せて、また小さな白黄色のあかりによって静寂な青く、深い夜のようであった。
その美しい景色にどちらともなく感嘆の息を思わずこぼす。
「この洞窟は、灯りを待っていたかのようだね」
エルフの男がそうつぶやくと人間の男は、眉をしかめる。
「まるで洞窟が生きてるみたいな言い方をするんだな」
「これを見ると、生きてると思わずにはいられないだろう?」
楽しそうなエルフの言葉に、人間の男は苦笑をこぼす。
2人は足を進める。
仄暗い道の中で大小の砂利がある道は、決して足場が良いとはいえない。足を取られぬように、一歩一歩を踏み締めて歩いていく。
奥まで進めば、そこには湖が存在した。
そこに香るのは潮の香りだ。その湖が面している岸壁には、フジツボが複数見える。風に揺られるさざ波のように動きのある水面は、まるでそこに海があるかのように見せていた。
エルフは、その湖の水を一掬いして片手の中に収めると清浄魔法をかける。細かな光は散りばまれ鎮まると、エルフはその水を口にする。
「しょっぱい……。海水だ……」
「洞窟の中に海だって?」
「この場所には海の記憶が染みついてる。きっと大昔に満ちていた潮が、まだ眠ってるんだ」
「海の記憶?」
「ここは今では山岳地帯になっているけれど、遥か古代では、ここは海底だったんだ。山脈が隆起し長い年月をかけて、この場所は山岳地帯……そしてアズライト鉱山へと変わっていったと歴史にはそう書いてあったよ」
「なるほどな、それで海の記憶か」
外洋と遮断され、月も存在しないその洞窟の中でも潮の満ち引きがが存在することを岩壁に生息するフジツボがそれを物語っている。
「生きているみたい……か」
青髪の男は小さくそうこぼした。
ふと、視線を下にさげると足元には小さな瓶が転がっていた。よく見れば、湖の底や遠くの足場にも、同じような瓶が転がっている。
男は足元のその瓶を拾い上げ、洞窟の小さな光にかすように持ち上げる。
中には、水色の砂状の何かが入っていた。
その時、エルフは、顔をしかめながら「まさかそれは……」と小さく囁く。
「これが何かわかるのか?」
「はるか昔に存在した精瓶だよ。精霊を閉じ込めて……いいや、監禁するためのもさ」
「精霊を監禁……?なんでまた」
「さぁ……ただのアクセサリーや、はたまた精霊の恩恵を受けたい魔法の使えない人間が縋っていたのかもしれない」
エルフは、瓶から目を逸らすと顔を俯かせる。
「魔法と共に有る、僕たち生命の黒歴史と言っても過言ではないよ」
「遥か昔と言う事は今では使われていないと言うことか?」
「あぁ。精霊虐待や魂の拘束は倫理の観点から、複数の国々が非合法化としているよ。まだ一部の国は使っているとも噂はあるけれど、この国はもう使用はできないはずだ」
エルフは小さく息を吐くと、忌々しそうに髪をかき上げる。
「その中にある砂はきっと、水の精霊の残骸だろう。世界に還ることもできず朽ち果てた姿だ」
男はエルフのその言葉に息を飲んだ。
その砂は、精霊の死骸であったのだ。
「まさか、ここにある物全て…」
「……だろうね」
そう。ここに転がっている瓶は、全て精霊の死骸であるのだ。
「この精瓶を使ってたのが誰なのかはわからないけれど、アステル・カリエイスは元は海底だったから水の精霊から恩恵を受けようとしていたのかもしれないね」
「なら、これはその時のものか」
「だろうね。だけれど、どういうわけかアルテル・カリエイスは地図から姿を消したわけだ」
「ここに黒焔の結晶があると確信できてきたな」
黒焔の結晶…、それはこの世界に巣食う魔力結晶により起こる自然災害だ。存在不明の魔力結晶が根を張り、地脈が世界中に広がっている現代では、黒焔の結晶というクリスタルが各地に眠っている。
それにより人的被害は後を絶たない。
そして、このアステル・カリエイスにも黒焔の結晶があると聞き、二人は浄化任務へとやってきたのだ。
「だが……それらしき物は見当たらないな」
「そうだね…何か手掛かりでもあればいいんだけど」
その時、エルフはぬかるんだ地面の中に金属の輝きを見つけた。
靴先で泥を払いのけるようにすれば、いくつかのコインが静かに隠れていた。
それらはまるでコインに意思があるかのように、湖のほうへと点々と続いていた。
「ねぇ、ローレンス」
「なんだ?」
「コイン、見える?」
男は片眉をあげて「コイン?」と聞き返しながら、辺りを見回す。すると、辺りの地面所々に金色のコインがみえた。
「この場所にあるコインは、海の方へと続いているように見えないかな?」
確かに、彼の言うとおりコインは海に向けて続いているように思えた。
男が指で摘んだその瞬間、コインはひとりでに震え、ふっと手を離れる。
空気を裂くような音と共に、まるで呼ばれたかのように湖の方へ吸い込まれていった。
「……当たりだな」
男の言葉に、エルフは頷いた。
「海の中に"何か"がある。それは間違い無さそうだ」
エルフはそう言うと、杖を頭上に掲げる。淡い光が杖先に宿ると、それを湖の方へと振り翳した。
その瞬間、一筋の閃光が水面を裂いた。
やがて、左右に波が割れていき――まるで透明な壁が天へとそびえ立ったかのように、湖が“道”となった。
男はそれに驚くこともなく、見慣れたように割れた湖の間を歩いていく。
その先には、黒い鉱石が見えた。
「……あったぞ」
地面から突き出た黒い鉱石、それが黒焔の結晶だ。
「早く浄化して、帰ろう」
エルフはそう言いながら黒焔の結晶に近づいていく。
それを見つめていた男は、ふと割れた湖をみた。
そこには上を見上げる人々が見えた。目を見開いた……その瞬間。
男の景色は、夏の日差しが降り注ぐ田舎町へと変わる。
これから仕事に向かう鉱夫たちが笑顔で談笑しながら歩き、子供達は家の前で遊んでいる。煩わしくも思える夏虫の鳴き声と、カランカランと作業の音が耳を撫でる。そよ風が木の葉を揺らして、木漏れ日が地面をゆらゆら照らしていた。そこにあるのは人々の営みだった。
その時、潮の香りが漂う。クスクスとまるで幼子のような楽しそう笑い声がその場を奏でた。
村全体を影が覆った。
人々は上を見上げて、指をさす。
唖然とした顔で、ただ"それ"を見つめる。
大きな波が、村に覆い被さるようにそこにあった。
男は息を呑んだ。
これからどうなるかなんて、考えなくてもわかる。
迫り来る大波をただ見つめることしかできなかった。
「……れ……」
――ふふふ……。
幼子の笑い声が耳を抜ける。
「……っ……す」
瞳だけを横にずらせば、男が手に持っていた精瓶の中の精霊が愉快そうに人々を見ていた。
――ふふふっ。
「ローレンス!!!!」
ハッと、意識を戻した男は、自身の名を呼んだエルフを見つめる。
先程までの景色は消え、元の洞窟に戻っていた。
エルフは湖に絡め取られるように、もがいている。
男が手を伸ばした時、また男の手元からあの声が聞こえた。
「っふふふふ」
冷たい何かが、男の腕を絡めとる。仲間のエルフが目を見開いて男へと手を伸ばす。
――助けなければならない。
「ミハイル……っ」
だが、振り払う間もなく男の身体は湖へと飲み込まれる。視界は群青へ、そして静寂な闇が広がり、暗転した。