「今日は七夕だよ、阿絮。夜は一緒に星を見よう?」
唐突な温客行の言葉に周子舒は虚をつかれ目を見開いた。うつらうつらとしていた意識がはっきりと覚醒し、隣に寝そべる男へと視線を向ける。
「…もう日付が変わったか?」
「とっくだよ、阿絮。そろそろ空が白み始めてもおかしくない刻限だ」
「そうか…まだ真夜中かと思っていた」
「ふふっ」
「なんだ?何を笑ってる」
「いや、昨夜は随分と早く寝台に入ったから…阿絮がそう思うのも仕方ないかなぁって」
「老温」
「うん?」
「だらしない顔になってるぞ」
「阿絮は耳朶が赤くなってるね?」
「余計なことを言うのはこの口か」
「んんっ」
唇をきゅっと指でつままれた温客行は『酷いよ、あしゅ~』と口にしたものの、言葉にはならず、もごもごと奇妙な音が漏れ出る結果となる。それがまぁ、なんとも間抜けな様子で。端正な顔の男には似つかわしくないそのさまに周子舒は思わず吹き出してしまった。
くつくつと笑いながら指を離せば、唇をそのまま尖らせた温客行の責めるような視線が突き刺さる。
「悪かった、だからそう拗ねるな」
「…拗ねてなんてない」
「痛かったか?」
「痛かった」
「軽く摘まんだつもりだが」
「でも痛かった」
「なにが言いたい?」
「まだじんじんするけど阿絮が口づけをしてくれたら治る気がする」
「お前…」
期待に満ちた瞳を向けられて周子舒は呆れ果てる。
甘えるな、と溜め息まじりに額を指で突けば温客行は『なんだ残念』と笑いながら口角を上げた。
「で…老温、なんで急に七夕の話になったんだ」
「今日は晴れるかな?と思って」
「…雨が降るような気配は感じられないな」
「快晴だったら星もきっと綺麗に見られるよね」
「だったら織姫と彦星も無事に会えるな」
「んー…そうだね」
急に歯切れの悪くなった男を不思議に思い周子舒は首を傾げる。
「どうした?老温」
「いや…1年に1回だけの逢瀬とか、私なら耐えられないなと思って」
「織姫と彦星は無理やり引き裂かれたようなものだからな。耐えるしかないのだろうが…」
「仕事をせずに怠けていたからって理由だったよね?自業自得だとは思うけど」
「まぁ…かなり厳しい罰であるな」
「例えば…例えばだよ?私が彦星で阿絮が織姫だったとしたら…」
「まて老温」
「うん?」
「配役に異議ありだ」
「どういうこと?」
「それなら俺が彦星でお前が織姫だろ」
「んん?」
妙に真剣な顔で待てをかけられたかと思えばそんなことを真顔で言われてしまい、温客行は首を捻る。
「…あのさ、阿絮。例えばの話だから配役にこだわる必要はないと思うんだけど」
「例え話でもそこは譲れない。大体お前は俺に機が織れると思うのか?」
「え、そんな理由…?」
「牛使いになら俺はなれるぞ」
そう言って何故か周子舒は胸を張る。どこか誇らしげなその様子があまりに愛らしくて密かに温客行は悶絶していたのだが、一切それを顔に出さなかった為に周子舒は気づかぬまま言葉を続けた。
「だから例えるにしても配役は逆にしろ」
「…分かった。まぁ、私は別にどちらでも構わないし…だったら阿絮が彦星で私が織姫だとしたら、だよ」
「あぁ」
「私は絶対に1年なんて待たない。天の川を泳ぎ切ってみせるよっ」
「いや、それはちょっと無理なんじゃないか?」
「どうして?」
「天の川を泳げてしまったら物語が根底から覆るだろ。それに俺ならお前にそんな危険は冒してほしくない」
「私は阿絮に会えないほうが嫌だ」
「それでもお前だけが頑張るのは違うだろ?もしもそうなったら俺だってお前に会う為に努力するさ」
「あしゅっ…!」
凛々しい顔で言い切った周子舒に感激した温客行は頬を上気させ、思わず手を伸ばす。しかしそのまま抱きしめようとした腕は周子舒の次の言葉にぴたりと動きを止めた。
「だから天帝と交渉する」
「…………え?」
「天帝と交渉すると言った」
「交渉…?」
「離れ離れにされたのは仕事を放棄していたからだ。それなら1日分の仕事をきっちりこなせば天帝も文句はあるまい」
そう言って周子舒はにやりと笑う。
完全に抱きしめる機会を逸した手は残念だと思いつつも空気を読んでゆるりと戻し、悪い顔で笑う周子舒も美しいなと見惚れながら温客行は口元を緩めた。
「それには俺が彦星でお前が織姫でないと駄目だ。俺が機を織ろうと思ったらいつまで経っても完成しないだろうが、お前なら器用だから大丈夫だろ」
「ん~…でも、仕事をちゃんとするにしても…それでどうするの?」
「それを交渉材料にするんだ。仕事は完璧に終わらせる、だから仕事が終わってからの時間は俺たちのやることに介入するな、とな。1年に1回しか会えないなんて重すぎるぐらいの罰を受けているんだ。それぐらいは譲歩してもらわねばな」
「天帝に口出しも手出しもされない自由な時間を得るというわけか」
「そうだ。その時間で策を練る」
「なるほど…ならば監視も外してもらいたいところだな」
「無論それも交渉する」
子気味良く会話を続けながら二人そろって唇の端を吊り上げる。
「私と阿絮の連絡はどうする?」
「…天の川の規模が分からんが、鳥を伝達に使えば然程の時間はかからないんじゃないか。問題は鳥がいるかだが…牛がいるなら他の動物も普通にいると考えていいだろう」
「なるほど。じゃあ連絡は鳥を使うとして…あぁ、鳥といえば再会する時はカササギの翼に乗って川を渡るんだよな?カササギを懐柔するというのはどうだ」
「カササギは天帝の命で織姫と彦星を運ぶんだろ。懐柔は難しいんじゃないか」
「う~ん…だが、カササギは1羽ではないのでは?」
「ん?」
「翼に乗るということはデカい特別なカササギがいるのかもしれないが、1羽だけじゃないはずだ」
「それはどうだろうな…特別な日だけ天帝の力で巨大化するのかもしれん」
至極真面目な顔で呟いた周子舒に温客行は思わず肩を震わせた。
「あーしゅー…真顔で巨大化とか言わないでくれ、吹き出しそうになったじゃないか」
「色々な可能性を考慮しなければだろ?だがカササギは場合によっては使えるかもしれないな…」
「でもなぁ…」
「どうした?」
「そもそもの話になるけど…私と阿絮なら、まず天帝の命に簡単には従わないよね」
「老温…それを言い出したら話が進まないだろ?大体、俺とお前なら仕事を放棄することからしてありえない」
「いや、それは分からないよ。私は阿絮と結婚できたら浮かれてしばらくの間は仕事が手につかないかもしれないし…」
「老温?」
「それに…考えてみたら結婚して蜜月を過ごすのは当然の権利じゃないか?新婚の時期ぐらい仕事を休む権利があってもいい気がしてきたぞ」
「…おい、話が変な方向にずれてるぞ」
「いや、だってそうだろ?これはあれだな、天帝の頭が固すぎる。確かに仕事を怠けるのはよくないが、だからといって罰が重すぎるだろ…天帝という奴は老妖怪のような偏屈じじいなんじゃないか?」
「葉殿が天帝…?」
あっさりと想像できた姿に適役だな…と周子舒は心の中で大きく頷く。
「そうだ、あいつが天帝になればいい。ならば思う存分戦える」
「葉殿と戦うのか」
「黙って従うのは癪だからな。今の私と阿絮ならばいい勝負になるはずだ」
「葉殿との再戦か」
「あの頃の私たちとは違うからな。どうだ?」
「…なるほど。面白い」
「阿絮ならそう言ってくれると思った」
「どうやったら勝てるか策を練るのもいいな…今度会った時は手合わせを願い出てみるか」
「やる気だね、阿絮」
「七夕の話からだいぶ逸れた気がするがな」
「ううん、ちゃんと七夕の話だよ。だから阿絮、今日は存分にくっついて過ごそう!」
「…んん?」
「だってほら、老妖怪が激怒するぐらい仲睦まじくしなきゃでしょ?」
くすりと笑いながら額を合わせ、指を絡めてきた温客行へ一瞬呆気にとられながらも。周子舒は小さく吹き出すと目尻をゆるりと下げて、同意を伝えるべく愛おしい男に寄り添ったのだった。