Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    808koshiya

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 111

    808koshiya

    ☆quiet follow

    暗がりでボソボソしゃべるユエオワ

    呪染症はこの世に生きる人間にとっての不治の、致死の病である。魔力循環と生命活動が不可分のつくりをしているのは貴族も平民も変わりなく、呪染症はその魔力循環を急速に鈍らせる病である。
    本来なら老化に伴うはずの現象が突然、急速に、起こるものであり、まずは魔力放出が不可能になる。それから体内循環の操作が困難になる。やがて鈍化は生命活動に関わる循環に至り、最後には心臓が止まる。この病のこの順序は一度発したなら変わらず、不可逆に、必ず、そうなる摂理だ。


    「少し休め」
    ユエが小さく声をかけると、不死族の男は俊敏に顔を上げた。ハルニードが伏せる寝台を置いた部屋のドアのすぐ横の壁に背中を預けて微動だにしない姿はまるで影そのもののようだ。
    「……お人が悪いな、ユエ様は」
    一瞬の剣呑さが嘘のように白い頬が快活な笑みを作ったが、印象的な目の下にはうす暗い隈が浮かび上がっている。
    「気配を消すのが癖になっておられる」
    「お前の気が抜けてただけだろう」
    温めた葡萄酒を注いだカップを差し出しながら寝ていないからだと指摘すると、空元気のような明るい声で言うのである。そっと足音を消したまま、ユエは眠るハルニードの顔を覗き込んだ。閉じた白い瞼、白い頬は言うほどやつれてはいない。伸びた髪は一つにまとめてられて首元に集められている。掛布の上に出ていた両腕を仕舞ってやるべく持ち上げればしっかりと温かかった。
    「不死族の生命活動に睡眠は必須ではないですから」
    安らかに上下する胸に安堵して、そっと距離をとりながら、ユエは呆れ返った。確かにその名の通り実質的な不死の仕組みの中に生きている彼らにとっては確かに食事も睡眠も必須ではない。
    「——狂うんだろうが」
    が、本来人間の形をしていないものを無理やり人間の形にしている都合上、なるべく人間らしい生活をしていなければ精神の方が本質に寄ってしまうのだというのが彼らの取り扱い説明である。
    「お前が狂ってもナディは止めてくれんぞ」
    「ふ」
    開け放したドアから差し込む廊下の常夜灯が薄々と明るいので、オワリが身を寄せる壁際は余計に陰に沈む。彼の正体と為人を知っていてなお腹の内から警戒を呼び起こす。この好青年めいた男がひとたび狂えば食人の鬼と化すことを知っているのだ。
    「大丈夫ですよ、多分」
    「?」
    「私が狂ってしまうよりも先に終わりますから」
    「……」
    ユエは手のひらに力が籠めた。黒々とした目は床の上で影を四角く切り取るドアの形の薄明かりの輪郭を辿った。礼儀のように葡萄酒を口に含むと、オワリはそのまま薄い唇を苦笑の形に曲げた。
    「だから、聞き逃したくない」
    「何をだ」
    「ハルニード様の呼吸も、心音も」
    耳をすませば寝息は安らかである。夜半の静けさのなかで、まだ辛うじて動いている心臓の走る音までもが。どちらも今に止まってしまってもおかしくないと、この化け物はそう言うのだろうか。
    部屋は広くはなく、簡素な作りである。窓際の寝台。閉められた窓幕。寝台の横のサイドテーブルには水差しと乾いた空のグラスがぼんやりと光を跳ね返している。作り付けの本棚とクローゼットの中には多くはない衣類ともう使えなくなってしまった義手義足が仕舞われている。
    「私のハルニード様です。私が、見ています」
    静かに、しかしぴしゃりと、にべもなく、とりつく島もなく、オワリは言った。珍しいほど剥き出しになった敵意と目が合った。爛々と光る眼差しは嵐の前の夕焼けのような逢魔時色を、している。
    「あなたの出る幕じゃないってことです」
    「…………」
    ユエは口を開いて、何も言うべき言葉がないことに気がついて短い息だけをこぼした。ユエの鼻腔ではない嗅覚に触れるハルニードの魔力の香りは余りにか細く、あるのか無いのかもわからないほどになっている。目を伏せて、開く。
    「ナディが、」
    ハルニードが死んだらお前はどうするのだ、などと。訊くべきことではないし、訊ねたところでもはや聞きたくはなかった。口ごもったユエの眼前で葡萄酒を一息に飲み干すと、オワリはまったく安心のできない眼差しで笑った。
    「ハルニード様を苦しませるようなことはしませんから、ご心配なく。」
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works