その紙の裏には何十年前の日付が刻まれていた。整然と並んだ活字の数字を見れば、それが古いカレンダーであったことが知れる。
「なんだこれ」
「神機様の設計図というか仕様書というか、アイディアレベルの覚え書きらしいけど。読める?」
バウロ・クルクスが水色の目を細めてこちらを見る。悪縁の付き合いも長くなったものだが、この男がこういった笑い方をする時はろくなことにならない。内心で警戒を覚えながら紙片を裏返すと、その辺にあったペンで殴り書きにされたらしい線がのたうち回っていた。おそらく文字なのであろう、ある程度の法則性の感じられる列と、図示らしき塊。
「何語だ?」
「共通語だろ。専門用語が多くて俺にはちょっとね」
お前にも読めないかぁ、と残念そうに首を振るのが気に障り、少しでもとっかかりはないかと眺めてみるが、図示されているのが確かにこの国の女王の推進部にあたる部分の核心に似ているような気がする程度である。
「どこから出てきた何なんだ、これ」
「自称ピトス博士の後継者が持ってきたピトス博士の直筆アイデア帳、らしい」
それが本当なら貴重品である。これ単品ではコレクターズアイテムに過ぎないが、今やこの世の支配者と化した神機の根幹に触れるに等しい。
この時代の科学者として息を呑む。そんな存在を造った男の脳の断片を手にしている、という事実がそら恐ろしくなる。
「そいつ曰く、『海神機は未だ未完成、現状では本来のスペックを活かしきれてない』んだとさ」
バウロが弾むような声で言い、定位置である彼の席に腰を下ろした。ロクなことを考えていないに違いない波のない湖面のような眼差しがこちらを問いただしてくる。
「この国の技術者として言わせてもらえば、マザーの運用は現状が最適だ」
「え〜?でももっと強くできるらしいじゃない?」
無知を疑い、力不足を揶揄されてはこちらとしても黙ってはいられない。表層からサーチできる範囲で見て確かにスペックには余裕があること、自分達には触れる権限のないブラックボックスが存在することは知れている。その上で、そこに触れることは「マザー」の心理面でマイナスが大きいことを説明する。
「それって俺でも触れないの?」
「自ら明かそうとしない女性の秘密だぞ、マザーが秘めている限りはな」
「くっだらね」
バウロはそうやって心底そう思っている風に吐き捨てるが、自ら思考し成長する、という性質において心理的安全性は無視できない要素である。特に我々が祀りあげる海の聖女は言ってしまえば人格として「幼い」。バウロ・クルクスを得たことで「ごく安定している」現状が最も御し易い。多少出力に劣るとしても優れた再生能力でペイできる以上、最善ではないとしても次善以上であることは間違いないだろう。
「神機様には心がある。少なくとも心に等しいプログラムがな」
「……あるわけねぇだろ、あの化け物に、そんなもん」
身振り付きで吐き棄てる声には心底人を見下す視座が含まれている。広げた手のひらの付け根、手首に刻まれた凶悪犯の証。そういえばこの男は「安定した運用」というものが芯から性に合わないのかもしれない。あのなあ、と前置きをして、バウロは続けた。
「神機ったって、所詮は人間が作った兵器(どうぐ)だぞ?使い倒してナンボじゃねぇか」
さすがに同意しかねて口を噤んだ。常々思っていることだが、こいつの方こそ心のない怪物だろう。