命が感傷を追い越していくテレビ局に一度足を踏み入れてしまえば、昼なのか、夜なのか全くわからなくなる。煌々とライトは照らされ、大きな音で溢れているスタジオ。テレビ局に入れば、朝でなくても「おはようございます」など挨拶が交わされるくらいだ。そんな場所に出入りしていたら、当然のように不規則な生活になりやすく、体調も崩しやすい。
万理もマネージャーとしてこの業界に入ったとき、頭の片隅で元相方の体調を心配したことがある。でも、意外なことに元相方である千の体調不良の噂や仕事に穴を開けた、ということも耳にしたことがなくて。
(なんだ、あいつ、体調管理とか出来るタイプだったのか。百くんがいるから違うのかな)
なんてことをーーきっと千が聞いたら、眉間に皺を寄せるだろうーー思ったものだ。
こんな環境に身を置いているのにも関わらず、アイドリッシュセブンの面々が体調を崩しにくいのは、まだ高校生であるメンバーがいることや体調不良にさせてはいけないセンターがいるからなのかもしれない。寮で共同生活を送っている彼らはお互いのことを気にかけてやりやすいし、何よりも情に熱く、メンバーのことを気にかけてくれる三月という存在があるからかもしれない。
MEZZO"を収録先に送り届け、その合間を見計らって、色んな人に挨拶をして回っている万理を立ち止まらせたのは、かつての相方だった。
万、と密かな、でもしっかりと鼓膜を震わせ、振り向かせる強さをその声は纏っていた。
「千」
「ちょっと来て」
「ちょ、千、俺、今挨拶回りしてるんだって」
「いいから」
多分それより大事なことだから、と言い切られ、万理は小さくため息を吐いた。
(こういう自分本意的なところ、全然変わってないんじゃないか?)
そんなふうに思うのは、一緒に歌っていた頃、こんなふうに強引にいつだって自分の意思を貫こうとして、万理は万理で千の面倒をとにかく見て、甘やかせてしまった自覚があるからだ。揉め事があればその度に万理が謝り、間を取って、丸く収めるようにし続けて。
(何よりこいつをアイドルにしてやりたかったから)
キラキラ輝いていて、万理のその中の一員として立てることも楽しかったし、みんなをもっと楽しませるには、笑顔にするためには、そして千をもっと楽にしてやるには、そんなふうに思ってきたあの頃が懐かしくなって、万理はふ、と唇を綻ばせた。
(それに、あの頃から大好きだった子がいたから)
Re:vale様と書かれた楽屋前に着くと、入って、と促され、そのまま足を踏み入れると、椅子に腰掛け、ぐったりと項垂れている万理の愛おしい子がそこにいて、思わず駆け寄る。
「百くん?」
声をかけても目を瞑ったまま、荒い息をしている百は万理の存在にも気づいていないようだった。
「風邪だと思う」
「風邪……」
「モモ、結構風邪引きやすいんだよね」
知らなかったの、とでもいうように万理を一瞥した千は百の肩をぽんぽん、と叩く。そうすると、百が熱の籠ったとろんとした瞳をうっすらと開くのが見えて、万理は目を瞠った。
「モモ、お前、今日の仕事はここまでだろ。お迎えを頼んだから、ちゃんと休めよ」
「んん? ユキぃ? おかりん来てくれた?」
とろとろとした声は、テレビでは滅多に聞けないもので、万理だって最近ようやく聞けるようになったような声で。万理はぐ、と唇を噛み締めた。
「おかりんじゃないけど、マネージャーだから、ちゃんと送ってもらって、ね」
ちら、と千が万理を見遣る。
「なっ」
そんなこと、お前一言も言わなかっただろうが、と心の中で千を罵りながらも、万理は千への羨望に疼く心を隠すように、消すようにそっと息を吐いた。
そんな万理を千はまっすぐ射抜くように見つめる。
「万とモモは付き合ってるんでしょう?」
最近付き合い始めたってモモから聞いてる、と言って千は少しだけ寂しそうに睫毛を震わせた。そう見えたのは、万理の願望だったかも、しれなかった。
「付き合ってるなら、もっとちゃんと気にかけてあげて。夫婦漫才している僕らのほうがよっぽど付き合ってる感じじゃない」
千の言うことは最も過ぎて胸が痛過ぎた。
けれど、これは千の精一杯の優しさで、愛情であることもしっかりと伝わっていて、万理はもう一度息をついた。
「……ありがとう」
「今度いいお酒、奢って」
きっと岡崎や他のスタッフにMEZZO"のことは託していいのだろう。
千の言葉に頷くと百の腕を肩に回し、持ち上げる。
「バン、さん?」
「お迎えにきたよ、百くん」
「んん? ゆめぇ?」
「それでもいいよ。今日は、ゆっくり休んで、今度色々聞かせてね」
ゆっくりと歩き出す2人に千は優しい色合いの瞳で送り出してくれて、万理は心の中で疼く羨望と向き合う決心をしたのだった。
シン、と静まり返った万理の家の中で百の熱く荒い息だけが響く。何度もおでこを触り、冷やし、汗が出れば拭き取って。一度だけ薬を飲ませるために起こして、嫌がる百に冷たいゼリーを食べさせてから薬を飲ませた。そうして、また熱と闘うために眠りに落ちた百を見つめ、万理は切なく睫毛を震わせる。
「5年、かぁ…」
沢山の苦しみや憤り、辛さ、悲しみ、切なさを抱えながら共に歩み続けてきた、千と百の絆にはまだまだ及ばないことに気付かされ、万理は初めての強い羨望に身を焦がしている。
でも、だからこそ。ここから歩むときめく未来が進んでいくという予感もあるのだ。
「百くん、いっぱいいっぱい教えてね」
大好きなこと、嬉しいこと、笑顔になれること。格好悪くて見せられないと思っているところも、我慢して出せなくて苦しんでしまいやすいところも全部。
そういうことを全部知るために、こうして今苦しんでいることがわかるから。
熱でカサカサの唇にそぅっと唇を重ねる。
「苦しいなら、俺に移していいから」
「……バンさん?」
悲しいんですか? と舌足らずな声で小さく聞かれて、万理は淡く微笑む。
「大丈夫だよ、百くん」
「おれ、今ね、すごくいい夢見たんです」
バンさんと一緒に笑って、キスして、抱き合ってる夢、見ちゃった。
そんなふうに微笑まれながら囁かれて、万理は大きく目を瞠った。
過去を悔やむ感傷も、羨む感傷もあるけれど。それでもこうして隣り合って生きていくことで、笑って、話して、口付けて。体を重ねて、喧嘩して、顔を見合わせて、笑い合って。生きていく中できっとその感傷全ては追い越されて、しあわせ色に塗り替えられる。
万理より年下の、少しだけ背の低い、愛おしい人に救われて、万理は本当、百くんには叶わないな、と噛み締めて、きつく抱きしめた。
命が感傷を追い越していく。
おしまい。