心の世界で見たものは「あっ、ルカお兄ちゃんとアンドルーお兄ちゃん居た〜!」
ロビーの声が聞こえてルカは立ち止まって振り向く中、アンドルーは小さく「ひっ……」と声を上げてルカの後ろに隠れる。
「アンドルー、そんなに怯えなくても。相手は子供じゃないか」
「お、お前は救助に行かないから分からないだろうけどっ、こっちはアイツによく救助狩りされてるんだ……!」
「あー……まぁ、私は最初に追われるか解読するかのほぼ二択だからなぁ。で、要件はなんだい、ロビー君」
夢の魔女の信徒と共にやって来たロビーは、「ほら、信徒ちゃん!」と声を掛け、信徒は小さく頷いては手にしている小さな香炉を差し出した。
「これ……魔女様が貴方達にあげるって……」
「何だ、これ……毒か?」
「いや、それは無いと思うぞ? 基本的に試合以外でサバイバーにハンターは危害を加えない、というルールがあるからな」
ルカは信徒から香炉を受け取ってはじぃ……と香炉を見るが、特に怪しそうなものは無く、ただただ至って普通の香炉にしか見えなかった。
「ふむ……見たところ、普通の香炉だな。何か特殊な効果があるのかい?」
「うん……それ、魔女様の魔法がかかってる香炉……その中に入ってるお香を焚いて二人で寝ると、お互いの心の世界を夢で見られるんだって……面白そうだからあげるって、魔女様が言ってた……」
「お互いの……心の、世界……?」
確かに話を聞く限り、命に関わるような代物でもなさそうで、興味深くなってきたルカは「なるほど……」と呟く。
「ちゃんと朝になれば起きるんだよな?」
「勿論」
「ふむ、それならば使ってみようじゃないか、アンドルー」
「……はぁ!?」
アンドルーは目を見開いてルカを見るが、ルカの目は発明に没頭している時のような目をしていて、ああこれは止めてもやめないやつだとアンドルーは察した。
「クソ……変な夢見ても知らないからな……」
「おや、それは君にも言えることだろう? ヒヒッ、楽しみだなぁ」
「……じゃあ、私達はこれで」
「バイバーイ! また遊んでね、ルカお兄ちゃんっ、アンドルーお兄ちゃんっ!」
信徒とロビーはそのままサバイバーの居館から出ていき、ルカは手の中にある香炉を見て忘れないようにしないとなぁと思いながら香炉を親指でコツコツと軽く叩く。
そうしてその日の夜……とうとう香を使う時がやってきて、アンドルーはいつもみたいに忘れてくれていないだろうかと思いながらルカの部屋を訪れた。
しかしルカは今日は忘れておらず、香炉をベッドチェストの上に置いて焚く準備をしていたのだった。
「やぁ、アンドルー! 待っていたぞ!」
「……はぁ」
アンドルーはダメだったか、と言わんばかりにため息をついてはベッドに座り、靴紐を緩めては靴を脱ぐ。
「どんな夢を見られるだろうなぁ。な、アンドルー」
「知るか……」
香を焚き、部屋のランプを消せば真っ暗な部屋に仄かに甘い香りが漂い始める。
アンドルーは自身の心の世界とはどういうものなのか……ルカに嫌なものを見せないだろうか、と少し不安に思いながら、ルカに背を向けた状態で体を丸めた。
すると、後ろからぎゅ……とルカに抱きしめられ、アンドルーは少し驚いて肩を跳ねさせると、ルカが優しく「おやすみ、アンドルー」と囁いた。
「……おやすみ。ルカ」
抱きしめてくれたルカの手にそっと自身の手を重ね、愛しい体温を心地好く思いながら目を閉じれば、ゆっくりとアンドルーの意識もルカの意識も夢の世界へと落ちていったのだった。
◇ ・ ◆ ・ ◇
「……ん……ここは……?」
ルカがゆっくりと目を開けると、薄暗い聖堂のような景色が広がっていて、時折雷の音が外から響いていた。
「これが……アンドルーの心の世界、なのか……?」
ロウソク一つすら灯っておらず、ただただ薄暗い聖堂内に雷の光が時々射し込むだけ。
そんな中、奥の方で棺のようなものがぼんやりと見え、ルカはその棺に向かって足を進める。
棺を覗いたルカは、目を見開いて息を呑んだ。
「……アンドルー」
そう、棺の中にはイチハツの花が敷き詰められ、その中にはアンドルーが手を組んで目を閉じていたのだった。
まさか死んでいるのか、と慌てて手袋を外しては頬に触れたり鼻に手を添えたが、頬はほんのりと温かくて鼻息も微かに感じ、生きてはいるようで安心する。
思えばアンドルーは聖殿で弔われ眠りにつけば、その魂は天国へ逝くとルカに話してくれたことがあった。
そして、アンドルーは聖殿で眠る為には大金が必要で、その金を得る為にこの荘園にやって来た……とも。
(……心の世界ですら……いや、心の世界だからこそ……彼の願いがより強く反映されている、のか)
アンドルーにとって救いは死ぬ事で天国に逝く……それしか無いのだと思い知らされたようで、ルカは唇を噛み締めて俯く。
すると、アンドルーはふと閉じていた瞼を開き、ルカの方は見ずにぼんやりと天井を見つめ始め、ルカは「アンドルー……?」と声を掛ける。
しかし、アンドルーにはルカが見えていないのか、ルカの方は一切見ずに声にも応えず、ただただ天井を見つめているばかり。
ルカは天井に何があるのだろうか、と天井を見上げると、そこにはアンドルーの思い出を象ったステンドグラスが幾つもあった。
茶髪の長い髪をした女性がアルビノの赤子を抱いているものや、その赤子が成長したのかアルビノの子供と並んで手を繋ぎ歩いているもの……共に食事をして笑いあっているもの。
母親との輝かしい温かな思い出を描いたステンドグラスの先には……ルカとの思い出を描いたものもあった。
「……これは……アンドルーの、思い出……?」
雷の光で照らされたステンドグラスはどれも美しいものばかりで、アンドルーはそれらを見つめては優しく微笑んでまたゆっくりと目を閉じる。
何故外は晴れているわけでも穏やかな夜という訳でもなく、雷なのか……そして、ルカとの思い出が象られたステンドグラスが高い位置にあるのは何故なのか。
それらはよく分からないが、アンドルーにとっての望みが死であることに変わりないのだということは理解出来る。
「……アンドルー」
ルカはアンドルーの頬をそっと撫で、目を開けない愛しい恋人を見つめながら、彼を救えない己の無力さを噛み締めた。
◇ ・ ◆ ・ ◇
アンドルーが意識を取り戻すと、目の前の世界は荘園の各部屋の天井ではなくどこまでも歯車がギシ……ギシ……と音を立てながら回る世界だった。
「ここが……ルカの、心の世界……」
身体を起こして周りを見れば、階段の奥に大きな檻が見え、至る所にルカがよく書いている数式や機械の図面、必要なパーツのメモが散らばっていて、アンドルーは息を呑む。
肖像画らしきものが宙を浮いているが、焼け焦げていてどんな顔の人物が描かれているのかよく分からない。
辛うじて分かるのは、服装を見る限り両親らしき男女と幼い少年が並んでいるものや男性二人が並んでいるような肖像画だけだ。
階段に足を踏み入れ、檻の方へと向かうと見慣れた姿があって、アンドルーは目を見開いた。
檻の中には……この世界の主であるルカがブツブツと何か呟きながら、紙にここからでは何を書いているのか分からないものを書き殴っているのだから。
「ル、カ……」
アンドルーが檻に手を伸ばすと檻から電流がバチッ……と音を立てて流れ、アンドルーの指先を焦がした。
「ひっ……何だ、これ……電流……?」
まるで『誰も入るな』と言わんばかりの出来事に、アンドルーは中に入れないならルカに話しかけるしかないと声をかけた。
「なぁ、ルカ……! 電流みたいなのが流れてて、そっちに入れないんだ……! どうにか出来……ッ」
ルカの首枷をよく見てみると、檻の天井と長い鎖で繋がれていて、一歩間違えれば首を吊るのではないかと思うような光景でアンドルーは青ざめる。
ルカが一度話してくれたことがある……ルカは絞首刑が執行される直前で赦免された、と。
そのことがあったせいかルカは刑具を嫌っていて、クレイバーグ競馬場の木に下げられている首吊りロープを見た時は酷く取り乱していた。
アンドルーが思っている以上に、ルカは絞首刑に対するトラウマが根強く残っているのだと思い知り、アンドルーは声をかけられなくなってしまう。
「……ち……が、う……」
「ルカ……?」
ルカはあれだけ必死に書き殴っていたはずの紙をぐしゃりと握りつぶし、ペンを床に投げつけては紙をビリビリに破いた。
「違う……! こんなもの、永久機関に関係ないっ……! これも、これも、これもこれもッ!」
「……っ」
辺りに散らばっていた紙を次から次へと破り、周囲の物に当たり、喚く様子は頭痛に苛まれた時の姿とそっくりなのに、今のアンドルーでは薬を持っていくことも傍に駆け寄って宥めることも出来ず、何も出来ないことが歯痒くて唇を噛み締める。
「要らない……要らないんだっ、私に永久機関以外のものなんてっ……! 永久機関があれば、それさえあれば、私は……っ!」
「っ、ルカ……」
「永久機関が私の全てだッ! 永久機関が無ければ……それすらも私の中で消えたら、私は……私で、いられなくなってしまう……!」
これが、ルカの本音なのだろうか。
永久機関以外何も要らない……それが、ルカの本音なのだろうか。
だとしたら、アンドルーはこのままルカと恋人関係のままでいていいのだろうか。
そんな考えが過ぎってアンドルーはこれ以上暴れるルカを見ていられなくなり、俯いてしまった。
そうしてルカが機械のパーツの塊を壊そうとしたところで、ルカの動きがピタリと止まり、あれだけ喚いていたのに一言も言葉を発しなくなって、アンドルーは恐る恐るルカを見る。
(何だ、あれ……? 小さい歯車とか、ネジとか……いろいろ固まってる……)
ルカがそれをじっと見つめていると、機械のパーツは少しずつ自ら崩れていき、やがて淡く優しい光を発する一輪のイチハツの花が現れた。
こんな土一つすらない場所に花があることにアンドルーが驚いていると、ルカはイチハツの花に触れては穏やかな表情に変わって愛おしそうに目を細める。
「……アンドルー」
「え……」
ルカは優しくイチハツの花びらを指先で撫でて、小さく呟いた。
「そうだ……アンドルーは……私にとって……必要だ……」
「……ルカ」
「要らなくなんてない……必要だ……必要なんだ……」
ルカがそう呟いた言葉が嬉しくて、アンドルーはルカに触れたくて、手を伸ばしたその瞬間。
目の前が真っ白な光に包まれたかのように眩しくて、アンドルーは思わず目を瞑った。
◇ ・ ◆ ・ ◇
「……ハッ」
アンドルーが飛び起きると、そこにはほんのりとあの甘い香の香りが漂うルカの部屋で、隣にはルカがまだ眠っていた。
「……本当に……あれが、ルカの心の世界……だったのか……」
あれだけ広いのにルカは檻の中に閉じ込められているのは何故だったのか。
何故檻に電流が流れていたのか。
あの肖像画はいったい何だったのか。
分からないことだらけだけれど、唯一分かったことはある。
(ルカは……僕のこと……必要だって、思ってくれてるんだ……)
あんなに愛おしそうな表情で一輪のイチハツの花を愛でていて、それを『アンドルー』と呼んでいた。
その事実は嬉しくて、ルカを見つめているとルカが「う、ん……?」とゆっくり目を開ける。
「あ……ルカ……お、おはよう……」
「ん〜……ふぁ……おはよう、アンドルー……」
身体を起こしてはグッと腕を延ばし、ルカはアンドルーを見つめてはそっと頬に触れる。
「ル、ルカ……? 何だよ……?」
「……なぁ、アンドルー。私の心の世界とやらは……どうだった?」
「え……あ……それ、は……」
アンドルーは何を伝えるのが良いのか、必死に考えては「イチハツ……」と呟く。
「イチハツ?」
「イチハツの、花が……一輪だけ、ルカの傍に咲いてて……ルカは、それを大切に……してた」
「……そうか。きっと……それは君のことだろうな」
頬を撫でていた手を頭へと移し、優しく頭を撫でてはルカは穏やかに微笑む。
「ルカこそ……僕の心の世界の夢、見たのか……?」
「んー……まぁ、な。君の心の世界は……そうだな……やたら雷が鳴っていたな」
「か、雷……?」
ルカは夢で見た光景を思い出しつつ、アンドルーが棺で眠っていたことは伏せて説明し始めた。
「ああ、聖堂みたいなところで真っ暗だったんだが、外で雷がずっと鳴っていて、雷の光で中が少し見えたんだ。何故そんなに雷が鳴っているのか、よく分からなかったが……ああ、あとステンドグラスも美しかったな。多分、君の思い出が描かれたものだろう。君や君の母君らしき女性に……それから、私も描かれていたから」
「は、え、ちょ……っ……!」
アンドルーは次第に顔を赤くし始め、ルカの口を手で塞いでは「も、もういいっ!」と言い、ルカはアンドルーの手を取ってはそっと握る。
「っ……? ル、カ……?」
「……アンドルー。君にとっての、救いは……」
そこでルカは黙ってしまい、アンドルーが首を傾げると、ルカはいつものように笑って「いや、なんでもない」と言い、手を離した。
「さてと、これを信徒のお嬢さんに返しに行くか」
「そ……そう、だな……心の世界の夢はもうこりごりだし……」
「ハハッ、違いない」
ルカはブーツを履き直しては香炉を持ってはベッドから降り、アンドルーも起きる準備をする。
(ルカ……何を言いかけたんだ……?)
気にはなったが、ルカがああいった顔をする時は聞いても教えてくれない時で、アンドルーは諦めて靴を履いては立ち上がった。
「じゃあ……部屋に戻って朝の試合行ってくる」
「ああ、アンドルーは朝から試合だったな。行ってらっしゃい」
アンドルーは小さく頷いてルカの部屋から出ていく。
その背中を見送ってはルカは香炉を見下ろし、アンドルーの心の世界の光景を思い出しては夢の中と同じように唇を噛み締めた。
(心の世界、か……安易に覗くものじゃないな……自分が無力だというのを、思い知らされて……確かに私の記憶力ではすぐ忘れてしまうだろうけれど……それでも……)
あんなに穏やかな顔で死を待つアンドルーの姿が脳裏に焼き付き、これはなかなか忘れられないだろうな、とルカは拳を握る。
アンドルーが見たものも、きっと花だけではないだろうとルカも察していた。
彼が何を見たかは分からないが、嬉しいことと複雑な気持ちになるものがあったのだろうと。
ルカは手にした香炉を早く夢の魔女の信徒に返そうと部屋から出て、ハンターの居館へと向かって足を運んだ。