一番乗りの「おめでとう」 しんしんと静かに窓の外で雪が降る中、暖かい自室からビクターは窓の外の景色を眺めていた。
その手には公共マップへの招待状が握られていて、ビクターは招待状さえあれば特定の時間内はいつでも入って構わないという内容にホッとする。
昼の間は人が多いが、夜中に近い時間になればそこまで人は居ない……他の時期での公共マップもそうだった。
(……エディ……誘ったら……来てくれるかな……?)
恋人であるエドガーは、あまり公共マップに興味を示していない。
今までの公共マップの招待状も、使うことはなくテーブルに放り投げては絵を描いていたぐらいだ。
ビクターもルカやアンドルーに誘われた時に少し行ってみたぐらいで、自分から進んで行くことは無かった。
「ワンッ」
「……ウィック……エディ、誘ったら……来てくれると思う……?」
「クーン……?」
相棒のウィックはベッドの上で首を傾げ、ビクターはウィックの頭を撫でながら誘ってみなければ分からない、と思い、ベッドから立ち上がる。
「ちょっとだけ、エディの部屋に行ってくるね」
「ワンッ、ワンッ!」
ウィックに見送られ、エドガーの部屋に向かったビクターは、恋人の部屋の扉の前で立ち止まっては少し深呼吸をし、コンコンコン……とノックをする。
返事は無く、静かにドアノブを捻って部屋に入ると、使い切った絵の具のチューブが机に散らばり、何色もの絵の具を乗せたパレットを手にして絵筆を握り、キャンバスに一つの世界を作り上げている恋人の姿が見えた。
「……なぁに、ビクター」
振り返らないまま、部屋に入ってきたのがビクターだと察しているエドガーは、ピタリと絵を描く手を止める。
「あの、ね……エディ……今度の、公共マップ……」
「ああ、あのめんどくさいマップの招待状ね」
めんどくさい、という言葉に、今回も行く気は無いのだろうと思ったビクターは、それ以上口に出来ずに立ち尽くしてしまう。
「それがどうかしたの」
「あ……う、ううん……思ったより、遅い時間でもやってるなぁって……思っただけ……」
「ふーん……で、それを言いに来たわけ?」
「……うん。ごめんね、邪魔して……」
エドガーは悲しそうに立ち去って行くビクターの背中にチラリと目をやり、また絵筆を握って絵を描き始める。
「……別に邪魔なんて思ってなかったけど。ホントめんどくさい子」
さっさとこの絵を完成させよう、と絵の具のチューブを手に取ってパレットに出し、違う絵筆で絵の具を掬ってはキャンバスに塗りつけた。
◇ ・ ◆ ・ ◇
それから数日経ち、ビクターの誕生日の前日……公共マップで皆が遊び疲れてそろそろ寝静まるであろう時間。
ビクターはウィックのブラッシングをしてやりながら、結局エドガーを誘えないままだったなと思い、目を伏せる。
行きたくないのに無理に誘うわけにはいかない、けれど……二人きりで特別なマップを歩きながら、誕生日を迎えたかったという思いもあった。
(……でも無理強いしたくないし……)
ついこの間、エドガーとお揃いのクリスマスの衣装を貰って嬉しかったのだが、エドガーは「こんな浮かれた衣装、自分から着ようと思わない」と言った。
だからビクターも、せっかくのお揃いの服だけれどクローゼットにしまい込み、あまり着なかったのだ。
「……エディ……」
寂しそうに呟くと、背後から「なに」とエドガーの声が聞こえ、ビクターは慌てて振り向く。
そこには、なんとあのクリスマスのお揃いの衣装を着たエドガーが居たのだ。
「えっ……エディ……その格好……」
「……早く行くよ。行きたかったんでしょ、公共マップ」
「え……で、でも、エディ……めんどくさいって……」
「……めんどくさいとは言ったけど行かないとは言ってないし、この服だって自分から着ようと思わないとは言ったけど絶対に着ないとは言ってないんだけど」
ビクターはエドガーと公共マップに一緒に行ける上、嫌がっていたあのクリスマスのお揃いの衣装までも着てくれたのが嬉しくて、涙が零れそうになる。
そんなビクターの額を軽く指で弾き、ビクターは思わずキョトンと目を丸くさせて「エディ……」と呟く。
「……アンタさ、もう少しわがままになったら。我慢ばっかりしてないで」
「……エディの嫌なこと、したくなかっただけだよ……?」
「別に僕は、ビクターのわがままに付き合うの、嫌じゃないんだけど。ほら、とっとと着替えなよ。ウィックのブラッシングしといてあげるから」
ウィックは「ワン!」と鳴いてはエドガーの膝の上に移り、尻尾を振りながらエドガーの膝の上で寛ぐ。
そんなウィックの頭を撫でながらビクターの手から取ったブラシでブラッシングをしてやり、「ウィックはいい子だねぇ」と笑いかける。
エドガーがビクターの想いを汲み取ってくれたことが嬉しくて、涙を拭ってはクローゼットにしまい込んだクリスマスの衣装を取り出した。
「……あ、の……エディ?」
「何」
「こ……こっち、向かないで……」
エドガーは思い切りビクターの方を向きながらウィックのブラッシングをしていて、服を脱ごうとするビクターの手が思わず止まる。
「ヌードモデルもセックスもしたからいいでしょ」
「っ……! はっ、恥ずかしいからその話しないでよぉ……!」
「ま、そういう初心な所可愛くて好きだけどね。ね、ウィック」
ウィックも「ワンッ!」と鳴くため、ビクターは頬を赤く染めながら、服を脱いで着替えた。
恥ずかしかったけれど、それ以上にエドガーとお揃いの衣装を着て、公共マップに出掛けられるのが何より嬉しくて思わず頬を緩める。
そんなビクターの表情を見つめながら、エドガーも頬を緩めるのだった。
◇ ・ ◆ ・ ◇
それからウィックは部屋のベッドで寝かせ、公共マップへと二人で足を運び、自分達以外誰も居ない公共マップは、まるで二人だけの世界を作っているようだった。
それではもの寂しくないか、と大抵の人は思うけれども、エドガーもビクターもこの二人だけの世界の空間を好ましいと思った。
「ビクター、寒くない?」
「うん、大丈夫。あ、見て。手持ち花火の屋台があるよ」
「ホントだ。雪玉の屋台もある。雪玉の屋台なんて変なの」
クスッと笑いながらエドガーが雪玉の屋台を眺める中、ビクターは巨大な雪玉を興味深そうに見る。
「ねぇ、これ何だろ……わっ」
「……なんかすごい転がって行ったね」
ビクターがほんの少しだけ押すと巨大な雪玉はゴロゴロと転がっていき、壁にぶつかって砕ける。
人が居る時間じゃなくて本当に良かった、とホッとする中、エドガーはスケート場になっている所に目をやった。
「ねぇビクター、あそこスケート場になってるみたいだよ」
「わぁ、凄い……! 一面氷になってる……! ね、エディ、滑ってみよう?」
「ま、ビクターがやりたいなら良いよ」
エドガーが氷の足場に踏み込んだ瞬間、ツルンと足を滑らせ、べしゃりと転んでそのままオーナメントのオブジェクトがある所まで滑ってはぶつかり、ビクターは慌てて追いかけたがビクターも転んでそのまま滑ってしまう。
「っ……たかが氷のくせに生意気じゃん……」
「いたた……エディ、大丈夫……?」
オブジェクトに掴まりながらどうにか立ち上がり、ビクターは今度は慌てず落ち着いて滑り始める。
「……あ、ゆっくり踏み出したら大丈夫そうだよ」
「ふぅん、ゆっくりねぇ……」
ゆっくり踏み出したがまたエドガーは転び、ビクターは数回瞬きしては思わず笑い出してしまった。
「っふふ……あははっ……!」
「……ゆっくり踏み出したら大丈夫って言ったの、どこのどいつ」
「ふふっ……今度は手を繋いで、一緒に滑ってみよ?」
ビクターはエドガーの手を握り、一緒に滑り始める。
ビクターが支えてくれているおかげか、今度はエドガーは転ばずに済んだ。
「……ふん、意外と簡単に出来るじゃん」
「じゃあ手、離しても大丈夫そう?」
「は?」
「あははっ、冗談だよ」
そのまましばらく二人で手を繋ぎながら一緒に滑り、穏やかな時間を過ごした。
滑り疲れて二人でベンチに座っていると、花火が打ち上げられる時間なのか、空でドーーン……ドーーン……と花火が上がる音が響き、夜空が明るく彩られた。
「あっ、花火だ……! こんな時間でも打ち上げられるんだね」
「……誰が打ち上げてるんだか」
「え……うーん……そう言われてみれば……?」
こんな時間に、それも二人しか居ないというのにしっかりと打ち上げられる花火は不思議ではあるものの、綺麗であることに変わりはなく、ビクターはうっとりと見つめる。
「……ねぇ、ビクター」
「ん? なぁに?」
エドガーに呼ばれて空からエドガーへと顔を向けると同時にキスをされ、ビクターは「……へ?」と間の抜けた声を上げながら頬を赤らめた。
「……誕生日、おめでと」
「……あ……日付け……変わってた……?」
「丁度ついさっきね」
ビクターの誕生日になった瞬間に、誰よりも先におめでとうと言ってくれたことが嬉しくて、ビクターは嬉しそうに笑いながら「ありがとう、エディ」と言う。
「……ね、エディ?」
「なに」
「……楽しかったね、公共マップ」
「そうだね」
エドガーはビクターの手と自分の手をそっと絡め、ビクターはエドガーが楽しんでくれて良かった、と思いながら握り返し、エドガーに寄り添うようにくっついた。
(……来年も……こうしてエディに、一番におめでとうって……言われたいなぁ)
花火が打ち上げられる音も、エドガーの温かい体温も、頬を撫でる冷たい風も、どれもこれも何だか特別なものに感じ、ビクターは幸せそうに笑いながらそっと目を閉じた。
「……ねぇ、エディ」
「今度はなに?」
「……好きだよ。大好き」
「……知ってる」
握っている手に少し力が込められ、ビクターは小さく「……エディは?」と聞く。
「……好きでもないやつにキスする趣味は無いんだけど。何ならもう一回キスしてやろうか?」
「……うん、したい」
「……生意気」
そう言いつつも、キスをする時はいつも優しく唇を当ててくれる。
この二人きりの特別な空間に、もう少しだけ居たい……そんなことを考えながら、重ねられる唇と頬を撫でてくれる手を、愛おしいと心から思った。