いつまでも、一緒に-Another story- 地面に広がる血をぼんやりと眺めては暗い空を見上げ、アンドルーは手を伸ばす。
(今頃……ルカは……どうしてる、かな……)
頭の中に思い浮かんだのは、アルビノであるアンドルーに対して差別的な態度を少しもとらなかった愛しい恋人の眩しい笑顔だった。
今頃彼はどうしているのだろう、と思いながらアンドルーは咳き込んで血を吐き出す。
もうすぐ自分は死んでしまう。
結局神殿で眠ることも叶わず、きっとイチハツの花を供えてくれる者も居ないだろう。
(母さん……ごめん……母さんの所に……行けない……)
天国に居る母のことを思い浮かべ、冷たくなっている頬に一筋の涙が流れ落ちる。
段々と瞼が重くなり、アンドルーはとうとう意識を手放した。
◇ ・ ◆ ・ ◇
ハッと目を覚まし、アンドルーは辺りを見回す。
(ここは……どこ、だ……?)
木の上なのか、深緑の葉や枝が近くに見える。
いつの間に木の上に、と思ったが自身の体を見て更に驚いた。
(え……僕の体……鳥になってる……)
どういうわけか、アンドルーは鳩の姿になっていたのだ。
人間の手だと思っていたものはふわふわの羽根があり、視界もやや見え方が人間の時とは異なっている。
自分が居る場所もよく見れば巣のようなものだ。
(まさか……本当に鳥になってるなんて……)
どうやらここはどこかの公園の木の上なのか、子供達の声も離れた所から聞こえてくる。
荘園の外であるのならば、もしかするとルカが何処かに居るのかもしれない。
(……でも、どうやって飛べばいいんだ? 僕からしたら、ついさっきまで人間だったって感覚なのに……)
体が覚えていてくれているのだろうか、と思いながら鳥が空を飛ぶイメージで翼を動かしたのだが、上手く飛べず巣から落ちてしまった。
(痛っ……やっぱり上手く飛べないな……でも……早く飛べるようにならないと……)
鳥の体重だからか、大した怪我でもなく、けれど落ちた後はどうすればいいのか分からず、巣があった場所を見上げる。
(鳥って……空を飛ぶ練習、どうやってるんだ……?)
人間だった頃の記憶が根強く残っているせいか、鳥としての生き方がよく分からず悩んでいると、親鳥らしき鳩が近付いてきて一声鳴いた。
(……? もしかして……親鳥、か……?)
どことなくこの鳩の体がそうだと訴えているような気がして親鳥に近寄ると、こっちだと言わんばかりに茂みの方へ駆け出して行き、それを追いかける。
そういえば、鳥は親鳥から飛び方や自然での生き方を学ぶものだと、生前に占い師のイライが教えてくれたこともあり、図書室の本にもそんなことが書かれていた気がする。
(巣立ちするまでは、親鳥の動きを参考にして生き方を教わる……だっけ……ということは……僕はまだ雛鳥ってことか……でも良かった、巣立ちしているのに急に意識が戻らなくて)
ルカを探すには一人で生きていく術を身につけなければならない。
それを教えてくれる者が居るのは好都合だろう。
アンドルーはルカを探す為にも、親鳥から巣立ち出来るようになるまでひたすら学べることは学ぼうと決心した。
◇ ・ ◆ ・ ◇
それから一ヶ月程経ち、無事に飛ぶことも出来て巣立ちをしたアンドルーはルカを探す為に街中を飛び回った。
けれど、どこを探してもルカらしき人物の姿が見当たらなければ、噂話すら聞かない。
もしかすると、この街にはルカは居ないのかもしれない……そう思ったアンドルーは、別の街へと飛び立つ。
別の街でも何日も何日も飛び回ってルカを探し、全く姿が見当たらなければまた別の街へ……そんな生活をずっと続けていた。
春が来て花が咲き誇り、夏が来て身を焼くのではないのかと思う程の陽射しを浴び、秋が来て木の葉が舞い落ち、冬が来て厳しい寒さを乗り越え、また春へ……何年も、何年も。
(まさか……ルカは、もう……居ないのか……?)
何度もそのことが頭を過ぎったが、それでもルカを探すことを諦められず、アンドルーはまた空を飛ぶ。
そもそも自分があの荘園で死んだ時からどれ程の時間が経ったかも分からない。
その上でルカを探して何年も経ってしまったのだ、生きていたとしてもルカの姿もすっかりと変わっているかもしれない。
けれど、それでもいいからルカに会いたかった。
その想いだけでひたすら飛び続けていた、そんなある日だ。
「なぁ聞いたことあるか? この街のホテルに住んでる爺さんの話」
「ああ、聞いた! 確かあの天才発明家のルカ・バルサーだよな」
ルカ・バルサー……その名を聞いた途端、花壇の傍で休憩していたアンドルーは目を輝かせた。
(ルカ……! ここに、この街にルカが……!)
ルカの話をしている男性達の話を聞いていると、どうやらルカは研究所を助手に譲った後はホテルの部屋に住んでいるらしい。
どこのホテルかは分からないが、この街にいるのは確かだ。
やっとルカに会える……それだけで、アンドルーにとっては希望の光が射し込んでいた。
何件ものホテルを見て回り、時には羽を休めて何時間も経った。
木にとまって休憩をしながらホテルの部屋を眺めていると、ふと一つの部屋に目をとめる。
左目が腫れていて、髪を後ろに纏めた老人がソファに腰掛けて本を読んでいた。
ページを捲っては足を組み直していて、その動作はルカが本を読む時と全く同じだったのだ。
(ルカ、だ……ルカ、ルカだ……!)
もう髪は白髪になっていて顔や手も皺だらけだが、あのグレーグリーンの瞳はあの頃と変わっていない。
アンドルーは窓の傍まで飛んで部屋の中に居るルカを見つめていると、ふと顔を上げたルカと目が合う。
ルカは本を閉じてはこちらへ歩み寄り、窓をそっと開けてくれて、アンドルーは部屋の中に入ってルカを見上げた。
「鳩がこんなに人間に近付くなんて珍しいな……人馴れしてるのか?」
(あ……そう、だよな……こんな姿だし、そもそもルカもこんなに爺さんになってるし、きっと僕のこと忘れてる……よな……でも、それでも……ルカに会えて嬉しい)
ルカは指先でアンドルーの頭を撫で、生前の頃にアンドルーを褒める時にルカがよく頭を撫でてくれた時のことを思い出し、アンドルーはすりすりと嬉しそうにルカの指に擦り寄った。
そうすればルカは次第に目を見開きながら固まり、アンドルーがどうかしたのだろうかとルカを見つめていると、ルカは小さく「アンド、ルー……?」と呼ぶ。
(ルカ……まさか……僕だって、分かってくれたのか……? こんな、鳥の姿でも……僕だって……)
嬉しかったけれど、どうやって肯定すればいいか分からず、アンドルーは羽ばたいてはルカの肩にとまり、頬に擦り寄って精一杯嬉しい気持ちを伝えようとした。
それでルカはアンドルーだと確信したと同時に、その目にじんわりと涙が滲んではポロポロと流れ落ちる。
(ルカ……? な、何で泣いてるんだ……? また、頭が痛いのか? 薬は? また飲むの忘れてたのか?)
心配して肩から降りてオロオロとしていると、ルカは泣きながらアンドルーに謝った。
「あぁ……あぁ……アンドルー……すまない……どうして、どうして私は……あんなに愛した君のことを……忘れてしまったんだ……」
(ルカ……いい、いいんだ、思い出して僕だって分かってくれただけで、嬉しいから……だから、泣かないでくれよ……ルカ……)
アンドルーはそう伝えたくても伝えられず、机の上を歩き回ることしか出来なくて、その間もルカは涙を流すばかりだった。
「君のことだけは忘れないと思っていたのに……っ……それなのに、私は……すまない……すまない、アンドルー……っ……」
(気にしないでくれよ、ルカ……僕は怒ってないし、気にしてないから……なぁ、ルカ……)
鳥の姿に生まれ変わったからこそこうして会えたが、その代わりルカに伝えたいことも伝えられず、流れ落ちる涙を拭ってやりたくても拭ってやることすら出来ない。
それがもどかしくて、悔しくて、悲しかった。
◇ ・ ◆ ・ ◇
あれからアンドルーはルカが住んでいる部屋に居座り、ルカと穏やかな日々を過ごしていた。
相変わらずルカはアンドルーが風呂に入れと言わんばかりにシャワールームの前に居ないと風呂にも入らないし、食事も自分のものよりもアンドルーに与える餌を優先させる為、よく手をつついて怒った。
「アンドルー、おはよう。今日も可愛いな」
(かわ……た、ただの鳩に何言ってるんだよ)
ルカはいつもアンドルーを愛おしそうに見つめ、指先で撫でてくれる。
けれど、何かを言おうとしてはやめたように目を伏せ、はぐらかすように笑っていた。
薄々アンドルーも、ルカの考えていることには気付いている。
(……愛してるって言う資格なんか無いとか、きっとそんなこと考えてるんだろうな。そんなの気にしなくていいって言いたいけど……ルカは頑固だから、きっと聞かないな……)
口にされずとも、気持ちは伝わっている……愛してると口にしなくとも、ルカがアンドルーに向けている愛情を、しっかりとアンドルーは感じ取っている。
だから、それでも良かった。
優しい笑顔も、柔らかい声も、優しく撫でてくれる手も……その全てが大好きだったから。
大好きなルカと一緒に居られるだけで、幸せだったから。
けれど、幸せは長くは続かなかった。
アンドルーは巣立ちしてから何年もルカを探し回っていたからか……この体の、鳩としての寿命が近付いていたのだ。
まともに餌も食べられなくなり、もう羽ばたくことも出来なくなってルカはずっとアンドルーを心配していた。
(もう……死ぬんだな……僕は……でも……死ぬ前に、ルカに会えただけで……良かったな……)
「……アンドルー」
アンドルーの為にとルカが用意した小さなベッドでぐったりとしているアンドルーをルカはそっと抱き上げ、アンドルーはルカを見上げるが視界がもう殆ど見えない。
「アンドルー、今日はよく晴れているな……」
(そう、か……昨日は……雨、降ってたしな……晴れて……良かった、な……)
もう鳴き声すら上げられず、ルカの手の上でぐったりとしていると、ぽたりと羽根に温かい何かが落ちるのを感じた。
(何だ……? 晴れてるのに……雨、降ってきた……のか……? でも……温かい……違う、これは……雨じゃ、ない……)
そう、これは……アンドルーに降り掛かっているのは……ルカの涙だった。
「……愛しているよ……アンドルー……愛してる……」
愛している、その言葉を聞いたアンドルーは嬉しさと幸福感に包まれ、幸せそうに目を細める。
(僕も……僕も、愛してる……ルカ……)
愛していると、そう囁く声が聞こえる度にアンドルーも心の中で愛してると返す。
願わくば、来世はきちんと人の姿でまた生まれて、言葉にして返したいし抱きしめてやりたい。
今度こそは、流れている涙を見ているだけじゃなくて拭ってやりたい。
今度こそは。
◇ ・ ◆ ・ ◇
「ん……」
薄らと目を開けたアンドルーは傍にある温もりをゆっくりと見る。
毛布を肩に掛けたルカがテレビのリモコンを握ったまま毛布ごとアンドルーを抱きしめて寝ていて、アンドルーは昨晩のことを思い出した。
(そうだ……ルカを家に泊めて……それで、二人で夜中もゲームしてたんだ……)
コップのジュースは空になっているものの、少しポテトチップスが床に落ちている。
テレビとゲーム機の電源はルカが寝落ちする前に切ってくれたようで少しホッとした。
(今、何時だろう……外が明るくなってるから、朝ではあるんだろうけど……)
少し身を捩ってスマートフォンを探そうとすると、ルカが更にアンドルーを抱き込み、アンドルーは「ぅわっ……!」と思わず声を上げる。
「ル、ルカ、ちょ……寝惚けてるのかよ……?」
「……アンド……ルー……」
まさかわざとか、とルカを見てアンドルーは固まった。
閉じられた瞼の隙間から涙がじんわりと滲み、静かにルカの頬を伝っていたのだから。
「……ルカ……」
「…………」
アンドルーはそっとルカの濡れた頬を指先で撫でては目元を拭い、抱きしめるルカの背中に腕を回して宥めるようにルカの頭を撫でてやった。
「……大丈夫……僕は……ここに居る……ルカの、傍に居る……だから……大丈夫だ、ルカ……」
そう囁けばルカの表情がどこか和らぎ、アンドルーはホッとしたように微笑む。
本当ならば何時か分からない以上、ルカを起こして朝食の準備をした方がいいのだろう。
それでも、表情が和らいで安らかな寝息をたてる恋人を見ていると、もう少しこのままで……と思ってしまった。
(ルカが泣いてたら……涙を拭ってやりたい。ルカが笑ってたら、一緒に笑いたい。ルカが不安がってたら、抱きしめたい。ルカにとって嬉しいことがあったら、一緒に喜びたい。これからも、ずっと。ずっと……)
そして、もう一つ。
(少し恥ずかしいけど……愛してるって、沢山伝えたいな)
アンドルーはルカを抱きしめる力に少しだけ力を込め、ゆっくりと目を閉じた。