ぬくぬくになるだけじゃすまないふとしたきっかけから急速にロを意識するドのお話。
お題「春」「恋の予感」(お互い無自覚/同居してそこそこ)
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ドラルクにとって、春とは恋の季節である。己がという話ではない。こうして暖かくなると、昼を生きる小さな隣人達の狂おしいほどに愛を求める春特有の鳴き声が、ナオォーンナオォーンと聞こえてくるからだ。
近隣を根城にしていたのだろう。昼夜問わず行われるそれはジョンと共に城に引き籠もりがちだったドラルクの耳にも届き、そのたびに「春とは恋の季節だな」と春陽を知らぬドラルクへ毎年思わせるのだった。
「おっと、失礼」
新横浜でもどうやらそれは変わらないらしい。盛んな鳴き声は聞こえていたものの、初めて目の前で鉢合わせてしまった光景に思わず吸血鬼は詫びを入れた。
スーパーの裏手の道では、小柄な体躯の雌猫にその二回りはあるだろう大きさの雄猫がのしかかっていた。失礼するよ、と再度心の中で詫びながら、ぴったりとくっついたままの二匹の脇を静かに通り過ぎる。
彼らに羞恥の概念があるのか定かではないが、彼らとて大事な繁殖行為を邪魔されたくはないだろう。
ふと頭上で平然としている大人マジロに目をやり、もしこの場に同居人が居たら慌ててジョンの目を塞いだりしたのかもしれないと思った。
「ふふっ」
「ヌヌヌヌヌヌ、ヌーヌヌヌ?」
「いやなに、ちょっとね……」
大通りに出て他愛ない話を共有しようするいっぴきの元へ、真っ直ぐ向かってくる人影がある。赤いのでよく目立つそれにいっぴきはすぐ気がついた。ドラルクが今まさに話題にしようとしていた男だ。どうやら丁度退治が終わったらしい。
駆け寄るや否や、ん。と突き出される手に牛乳と豚肉が入った買い物袋を渡す。
「今日のメシなに?」
「今日はお鍋だよ。三月とはいえ夜はまだ冷え込むからね。ちゃんとしたミルフィーユ鍋を作ってやろう」
「うるせぇその節はどーも! 鍋か〜たのしみだなジョン〜!」
「ヌァーーー!!」
「どこぞのゴリラが束の間の暖冬に浮かれて炬燵を片さなければ、おこたでぬくぬく食べられたんだがな」
ナスナスと再生しながらもジト目で見上げられてロナルドは、うっ、と言葉に詰まった。
半月前「まだ早い」と難色を示す吸血鬼に「お前に合わせてたら夏までそのままだろ」と炬燵を片付けたのはロナルドだ。
それからというもの、寒がりな吸血鬼はハーっと手に息を吹きかけたり終いには毛布に包まってしまっている。棺桶に籠るほどじゃないが、どうにも肌寒いらしい。
根に持つヤツめと毒づきながらも、ロナルドとて少しは悪く思わないでもない。
だが、どうせすぐ暖かくなるのに今更また炬燵を出すのも手間なのはお互い分かっている。
「まぁ待てよ、今日は俺にも考えがあるから」
ここ最近考えていたことを実践するいい機会だと息巻くロナルドに、ドラルクは首を傾げた。
◇
夕飯後。
なぜかドラルクは背後から抱きしめられていた。
みっぴきで楽しく鍋を囲んだのが少し前。諸々の家事を終えたドラルクは、いつものように毛布に包まり腕の中で甘えるジョンを寝かしつけていた。そこに風呂からあがったロナルドがやってくると、腕を広げてこう言ったのだ。
「ほら、あっためてやるよ」
「は……?」
ロナルド曰くこうである。基礎体温が高いロナルドだが、風呂上がりは一段とほかほかだ。手作り弁当もかくやのあったかさはジョンからも好評で、寒い日は暖を取るために常日頃より多く抱っこをせがまれるのは知っての通り。なら、一緒にドラルクも暖を取ればいいではないか。
「はぁ〜!? 嫌だわ暑苦しいおい勝手に毛布に入ってくるな抱きつくなおい」
「うるせぇってジョンが起きるだろ。ぬくぬくにしてやるから」
そうして冒頭に至る。
もぞもぞと毛布をめくり侵入してきた同居人は、確かにとても暖かかった。読んで字のごとく熱い抱擁だ。
抵抗しながらも、人間とはこうも熱いのかとそんな風に考えていると「お前ってやっぱり線香みたいな匂いがするな……」と首筋に顔を埋められて、ドラルクは固まった。
ふと脳裏をよぎったのは帰り際に目にした猫の交尾だ。
どうして今。隙間もないほどぴったりとくっついた身体。慕わしいけど熱い体温。細腰にまわる逞しい腕。生々しいまでに濃い生き物の匂い。ドクンドクンと鳴っているのは彼の心音であるはずだ。自分はそんな音を奏でないのだから。
「おい……? どうした?」
突然借りてきた猫のように大人しくなったドラルクをロナルドが不審に思って覗き込む。
やっぱり手足が寒いのかと気遣わしげに包み込まれ、素肌同士が更に触れ合った。
おかしい。なんだこれは。どうして私は──
熱くて気恥しくて落ち着かなくて。身の内で起こる急な心の変化についていけない。どうにも不安になって、体にばかり向けていた視線を後ろへ遣る。なにも分からないままのドラルクにとどめをさしたのは、天色の瞳だった。
「あ」
ドラルクにとって、春とは恋の季節である。どうやらそれは己にも当てはまるらしい。
了