とある國の空白についてとある昼下がり。
トゥスクル城の朝廷最奥に設置された新しい皇の執務室には、初代皇にかつて回された書類の山に迫るかもしれない量の書簡が隙間なく堆く積まれていた。
ただでさえこの時代のトゥスクルは木簡を書類として使う。書類保存室という名の蔵をいくら増設しても足りない勢いである。
さてその見慣れぬ山積みされた書類というか、釣書である。
各國の皇女から豪族の姫から、下は一桁から上は五十代まで。割と幅広い推薦という名のゴリ押しがなされていた。
狙われた男は当然ながら、娘であるクオンが成人するまでと皇を引き継いでまだ間もないオボロである。
いかにも崩れてきたらまずい山を見上げながら冷静に執務を続けるベナウィと、初の視察より帰ってきたらこんな事態になっていると知り真っ青になっているオボロ。
その足元には未だ世情というものが理解できる訳もない歳のクオンが張り付いて、きょとんと固まった父を仰ぎ見ている。
「……全部即座につっかえせ。いや燃やせ」
「……はあ、残念ながらそうもいきません。いくらトゥスクルが宗主國として認められたとはいえ、未だ世情は不安定なままです。下手な対応をすれば他國に付け入れられますよ」
「だからって、だからってなああ!? 下はまだしも上の五十代って何だ! こいつに至っては先々代の庶子と書かれてるんだが!? 確か問題起こしまくってる名ばかり皇女だろうが!」
「まあそんな阿呆な釣り書きを出してきた所には使者と共に一個大隊を向かわせましたが。ですが貴方が独り身のままという訳にはいかないんですよ、残念ながら」
「莫迦なことをいうな! クオンが継ぐまでの中継ぎだぞ俺は!」
「ええ確かに貴方は中継皇です、オボロ。ですが正統な皇女がいるとはいえ成人するまで後二十年弱……その時間が長すぎます。せめて周辺國への理解を含め、皇后は必要ですよ」
ベナウィが彼らしくもない溜息を零しながら、手は書簡をどこどこ片付けていく。
冷静すぎる男を前にして、かっかとなっているオボロはさすがに主が火神と言わないでもない。
だが返しは比較的冷静なもので、どこか驚いたようにベナウィが一瞬手を止めた。
「それで床を交わさんなどしたら出身國が何を言い出すか分からんし、かといってそいつに子が出来たらそっちを次代に建てろとか言いだすのは目に見えている! どっちにしても面倒どころじゃないだろうが! 絶対俺は娶らんぞ!?」
「……意外に理解していたのですね、貴方は」
「いくら何でも莫迦にしすぎだぞ!?」
「……ねえおとーさまぁ……おとーさまにおかあさま、できるの?」
ふと足元からの声に、オボロが視線を落とす。
そこには興味津々というか、何の話をしてるのか分からない二人に不満を見てぶうと膨れているクオンがいた。
慌てて父はしゃがみ込むと、娘と視線を合わせてぶんぶんと首を横に振る。
「クオン!? そ、そんなつもりは毛頭ないぞ! 誰にそんなことを聞いたっ」
「え? 帰ってきた時にクロウと、アルルゥ姉様とカミュ姉様と……」
「分かったもういい……だが俺に皇后は必要ない! クオンだけが家族でいればいいんだ!」
「う~おとーさまちくちく御髭痛いかなぁっ」
「あ、すまんすまん。可愛いなあ俺の娘は」
いやいやする娘を見て、デレデレと溺愛状態に陥りそうになったオボロの肩を、冷たい視線が留める。
「……はあもうわかりました。でしたらアルルゥ様とカミュ様、どちらなら良いのですか」
「は?」
「え? お姉さま達がおとーさまのおかーさまになるの?」
「……クオン、それは誤解を招く言い方ですので。オボロの奥方、という意味ですよ」
「……ま、待て待てまて! なんだその二択は!? 俺とあいつらにそんな関係はな――」
「ええ無いでしょうが。周囲が納得する相手としてはこういうと彼女らが怒りそうですが、どちらも手頃なのは間違いありません」
「嫌がられるに決まっているだろうが!?」
「正式に娶れとは言っていません。貴方が考えている問題は私にとっても頭が痛いところでしたので。誤魔化そうと言っているんですよ」
「は?」
「ふえ?」
ベナウィらしからぬ言葉が飛び出たことに驚き、オボロとクオンが目を瞬かせていると、仕方なさそうに肩を鳴らしながら男が滾々と説明を始める。
「せめて数年。クオンが継ぐ目途が見えてくる頃まで、どちらかにオボロの婚約者となって貰うのですよ。その方法で数年だけ誤魔化せば不安定な時期の時間が稼げますので。二人にはまだ説明していませんが――」
「やだ。オボロはボロボロ」
「えええ私もやだよぉ。オボロ兄さまは皇としてはしっかりやってるけどぉ、旦那様にするのは、ねえ?」
「ぐふううっ!?」
いきなり後ろから突かれた格好になったオボロが床に倒れ伏した。
――ムックルが部屋の中に入り込み、皇を引き倒して乗っかっているコトに、ベナウィが鋭い視線で注意はするものの、勝手知ったるで入り込んだ二人の皇女には注意をしないあたり、ベナウィはすっかり諦めている節がある。
「あ、お帰りなさい、カミュ姉さま、アルルゥ姉さま!」
「うふふただいまあ! クーちゃんやっぱりかわいいねえ!」
「クーお土産。ハチミツ」
「うわああい! ありがと、アルルゥ姉さま、カミュ姉さま!」
「はあ……賢大僧正とカルラは無理がありますし……後はトウカ殿ですかね、話の持っていき方次第では……」
「待て俺の話をっ」
「さー、行こいこクーちゃん! お庭で遊ぼうね!」
「クーと一緒にかくれんぼ、する」
「わあい! お姉さま達だあいすき!」
「ええ、子供は子供らしく遊んできなさい。午後から勉強ですからね」
はあいと間延びした声がベナウィに返される。
床に伸びたままのオボロは結局腰をつぶされ、その日は政務にならなかったという。
ちなみに皇后を迎える話は立ち消え(トウカも断固として拒否した)、策謀を張り巡らせたベナウィにより、十数年平静を保ったという。
オボロの男の誇りを犠牲にして。
「どちくしょおおおおお!?」